第9話「伝わらない気持ち」
週末の午後。
子どもたちは友達の家へ遊びに出かけ、久しぶりに夫婦だけの時間。
キッチンで料理をする遥香と、リビングで台本を読む湊。
普段通りの静かな時間……のはずだった。
「ねえ、今日の夕飯、筑前煮にしようと思ってるんだけど、どう思う?」
「……あー、いいんじゃない?」
「“いいんじゃない”って……他人事みたい」
湊は台本から目を上げて言った。
「いや、ごめん。集中してて」
そのやりとりだけで、遥香の顔が曇った。
(私が話しかけてるのに、気持ちがどこか別のところにある――)
言葉を重ねるほどに、心の距離が広がっていくような、そんな気がした。
夕飯中も、湊はどこか上の空で、「うまいよ」としか言わなかった。
遥香は笑っていたけど、笑顔の奥に引っかかるものがあった。
そして夜、寝室。
先にベッドに入った遥香は、ふと小さく呟いた。
「ねぇ、私のこと……ちゃんと見てくれてる?」
その問いに、湊は一瞬、何を言っていいかわからず――
けれどすぐに、ゆっくりと彼女を抱き寄せた。
「……ごめん。台本のことで頭がいっぱいで、心ここにあらずだった。
でも、俺が愛してるのは、間違いなく君だけだよ」
「言葉って……時々、すれ違うね」
「うん。でも……キスは、嘘つかない」
そう言って、湊は遥香の唇にキスをした。
静かに、深く、丁寧に――まるで心の底まで届くように。
「……それ、今夜だけで100回してくれないと許さないから」
「100回なんて……寝かせない気だね」
「当然。私の気持ち、ちゃんと伝わるまでね」
キスでしか伝えられない想いがある。
言葉が足りなかった日こそ、2人は触れ合い、確かめ合う。
“夫婦”って、そうやって育っていく。
次回:
第三章 最終話(第10話)「キスでつなぐ、これから」
結婚して3年目の春。
2人のキスから始まった日々が、家族になって、形を変え、でも変わらず続いていく。