第5話「ふたりだけの誕生日」
4月下旬、遥香の誕生日。
その日、遥香はいつも通り授業をこなしていた。
朝の「行ってらっしゃいキス」はあったが、湊は特に何も言わなかった。
(……まあ、子どももいるし、今年は何もないかな)
職員室の机には、同僚たちからのお菓子や花が少し。
それでも“普通の日”として、静かに終わる――はずだった。
午後6時過ぎ、自宅の玄関。
「ただいま……」
「ママ、おかえりー! 今日ね、パパいないよ!」
「え?」
結咲と奏翔がにこにことして、手紙を差し出した。
『ママへ
今日はママのお誕生日だから、ぼくらはおじいちゃん家にお泊まりです!
パパが迎えにきてくれて、すぐ行きました!
ケーキは冷蔵庫にあるよ♡ ママだいすき!』
(……ちょっと待って。これって、つまり――)
その瞬間、スマホにメッセージが届いた。
「駅まで来て。スーツ、着てくれてるとうれしい」
思わず吹き出した遥香は、タンスから大人っぽい黒のスーツを取り出して袖を通した。
* * *
駅前には、黒いジャケット姿の湊が立っていた。
「……迎えにきました、先生」
「その呼び方、まだやるのね」
「俺にとっては永遠の呼び名だから」
向かった先は、湊が貸し切った高層ホテルの一室。
窓の向こうには、夜景ときらめく観覧車。
部屋の奥には、遥香が好きな白ワインと、手料理のオードブル。
そしてケーキには「Happy Birthday HARUKA」の文字。
「……子どもたち預けてまで、こんなに……」
「あなたが“先生”でも“ママ”でもない、ただの“椎名遥香”でいられる夜が、年に一度くらいはあってもいいだろ?」
その言葉に、遥香の目が潤む。
「……もう、好きが増えすぎて困るじゃない」
そして、ソファに並んで座った2人。
湊はそっと彼女の頬に手を添え、
いつもよりもゆっくりと、甘く、深いキスを重ねた。
「……あなたの人生の中で、私は何番目?」
「いちばん。
ずっと。
変わらず」
遥香は湊の胸に顔を預け、目を閉じた。
「……私、あなたと出会えて本当によかった」
その夜、2人は何度も抱きしめ合い、愛を確かめ合った。
まるで恋人時代に戻ったかのように、
ベッドの中で、手をつなぎながら笑い、囁き、またキスをして――
“先生”でも“母親”でもない、“ひとりの女”としての誕生日。
湊はそのすべてを、丸ごと愛していた。
次回:
第6話「ママの涙を見た日」
生徒との出来事に心が折れそうになった夜。
教師としての限界と母としての葛藤――
それでも、夫の腕の中でこぼれた涙が、明日への強さに変わる。