第9話「この関係は秘密じゃない。私たちが選んだ、真実。」
春の風が吹くある週末。
遥香は両親の家を訪ねていた。
久しぶりに並ぶ両親の顔。どこか緊張しているようだった。
「……で、その彼が……あの、一之瀬湊くん、なんだよね?」
父は眼鏡の奥からじっと遥香を見つめる。
「はい。…私の元教え子でした。でも、彼が卒業してからは、何年も会ってなかったの」
母はしばらく黙ったあと、お茶を湯呑みに注ぎながらぽつりと。
「正直ね、“先生と生徒”って聞くと心配になるの。
世間がどう言うかとか、あなたが傷つくことが一番怖いのよ」
遥香は唇を噛み、視線を落とす。
「……私も、怖い。でも彼は、いつも私を守ってくれようとしてた。
“立場”や“噂”じゃなく、“私”をちゃんと見てくれてたの」
父はしばらく黙っていたが、ふっと頬を緩めた。
「……あいつが高校のとき、卒業文集に“将来、恩師と歴史の旅に出たい”って書いてたんだよな。
読んだとき“おいおい”って思ったけど、…まさか本気だったとはな」
母も、少しだけ笑った。
「……じゃあ、その時はちゃんと連れてきなさい。
“娘を幸せにする覚悟があります”って、本人の口から聞かせてほしいから」
* * *
そして同じころ。
湊も、実家へ向かっていた。
彼の母親は驚いた顔を見せたあと、静かに微笑んだ。
「湊。あなたが本気で愛してるなら、私たちは応援するわ。
でも、お相手の方が“あなたの未来”を壊さないように願ってるなら…必ず“守る”のよ。自分の手で。」
湊は深くうなずいた。
「もちろんです」
* * *
それから数日後――
遥香は新たな勤務先・教育支援センターでの仕事を始めた。
現場を離れた寂しさはあったが、彼女には明確な使命があった。
「どんな立場でも、誰かの学びを支える人でありたい」という想い。
ある日、若手の教師から相談を受けた。
「生徒が先生に恋してるんです。……俺、断るべきですか?」
遥香は少し微笑みながら答えた。
「その子の気持ちを否定しないであげて。
“好き”って気持ちは、成長の糧になることもあるの。
でも大人としてのけじめは、ちゃんと見せてあげてくださいね」
(……私も、かつてそうだった)
自分の言葉が、まるで過去の自分への返答のように感じた。
* * *
一方、湊の映画は公開1ヶ月で興行収入30億円を突破。
彼の株はますます上がっていった。
そして――それを快く思わない者もいた。
例の記者・野間崎。
彼は裏ルートで“湊の自宅と、ある女の住む一軒家の住所が一致している”という情報を掴む。
「……やはり、あの女教師だ。……決定的な証拠さえ掴めれば、記事にできる」
記者の執念は、ついに遥香の住む家の外まで忍び寄っていた。
そしてある雨の夕暮れ。
外出した遥香が、傘を閉じた瞬間、暗がりからシャッター音が鳴った。
パシャッ。
驚いて顔を上げたその時、男が慌てて逃げようとした。
「……誰ですか!?」
追いかける間もなく、男は車に乗り込んで走り去った。
その一瞬で、遥香は理解した。
(……もう、隠しきれないかもしれない)
その夜――
湊にすべてを話した。
「多分、時間の問題かもしれない。……名前も、顔も、学校も。全部」
湊は、彼女の手を強く握った。
「なら俺が、全てを先に明かすよ。名前も、関係も。俺の口から」
「……いいの? もう“夢の国民的俳優”ではいられないかもしれない」
「大丈夫。先生となら、どんな現実でも生きていけるから」
遥香の目に、涙がにじんだ。
その夜、彼は彼女の額にそっとキスを落とした。
「先生。俺、本気で言うよ。“次の記者会見で言う”。……“先生の名前”も、“僕の未来の妻”として」