第17話 死に際に生き残る術(すべ)
Kritさんには止められたが、俺はどうしても
今回の一連の頭に会うべきだと考えていた。
俺の求める解決には、MinhさんやDungさん
それに、Dat氏などの官僚は、"責任"について
は役不足だった。
もちろん、彼らの立ち位置での体裁を奴らも
軽視できない事は理解していた。でも、
俺には家族や仲間を守らなければならない
と言う大きな責任があった。
連中が指定した場所はプノンペンだった。
順子への伝言をKritさんに託し、俺はそのまま
連中と陸路でカンボジアに入った。
Mộc Bàiからបាវិត(バベット)へ
抜ける通関でも連中の車は、パスポートを見せる
事も無く素通りだった。
<俺ってまた不法入国だ>と思いはしたが、
そもそも法も秩序も有ったモンじゃ無え話し。今更、
動揺もなかったが念の為聞いた。
「Tôi có thể trở về Việt Nam không?
Không có ghi chép nhập cảnh.
(俺ってさ、帰りはどうすりゃいいのよ?
入国した記録が無えんだぜ)・・」
「kkkkk(笑い) さぁ生きて帰れるかなぁ?」
※ベトナム語省略
「おいおい・・マジ?俺って
また殺されんのか?」
「お前さ、またって、何コ
命持ってるんだぁkkkkk」
「やっぱ、そんなに恐い人かい?
Bossってのは?」
「恐い人?kkkkkまぁ恐いといえば恐いかな。
英雄よ。うちらのボスの事は皆知ってる。まあ、
直ぐに会えるから楽しみにしてろよ」
サイゴンを出て6時間、街灯も少ないカンボジア
の向こうにオレンジ色の街が見えて来た。
夕食の時に重なり賑わう路上を進むと、ひと際派手
な七色のビルで降りた。ミミズ字のカンボジア語は
解らないが、CASINOの文字は読める。入り口から
大きな階段で2階に上がり、正面のダンサーが舞う
ステージ横からエレベータに乗る。
上からは星形の並んでいたスロットル台やの様々な
テーブルゲームが一望でき、ライフルを手にした
数人の男が目を光らせていた。
他の奴らが俺に手を振り、ベトナム語を話すあいつと
俺で更に奥の部屋に入った。
「いらっしゃい」
と、日本語で手を差し出す真っ白の白髪頭の
お爺さんは、70?いや80歳を過ぎているだろうか。
「こんばんは。私は松田と申します」
俺も一応、日本語で話しかけてみた。
「私はソクペン(សុខផេង)です。
日本語下手ね」
「Chú có thể nói tiếng Việt không?
(ベトナム語はどうでしょう?)」
「Tôi giỏi tiếng Việt.(得意だ)
Tiếng Việt của anh rất trôi chảy nhỉ.
Anh đã học ở đâu?
(あなたのベトナム語はキレイだ。
どこで勉強した?)」
「はい。今は日本人ですが、ベトナム人なのです。
私は日本で産まれましたが、両親ともに
ベトナム人なのです」
※ベトナム語省略
「越僑か!そうかい。君も苦労を
したんだね。ご両親は日本かい?」
「はい。日本の横浜に居ます」
「そうかい。横浜のヤクザもよく来るよ。
君はどこのファミリーだい?」
「・・ファミリー?・・いえ、私はそういう組織の
人間ではありません。ご存じの様に、ジャトロファ
や魚油のオイル事業の他、貿易や学校なども
運営する会社を営んでいます」
「普通の経営者ということかい?どこのファミリー
にも収まらない只の企業という事かい?」
「・・はい。ただの・・一企業です・・」
「そうか。それなら簡単だ。うちのファミリーを
理解すればいい。そして邪魔をするな。それだけだ」
「はい。まさにそう言うお話に上がったのです。
邪魔をすることが無い様にと・・」
「Minhからは聞いている。君はDung君と親密
だそうだね。なぜあの土地の買収の時に、
Dung君に相談しなかったのだ?我々のファミリー
の事を知る機会だった筈なのに。それまでに
幾つかの土地も競い合ったと聞いているが、
君のやり方はキレイだった。なぜあの場所は、
慌てたのだ?」
この老人の・・目がとても深かった。その目が
語るモノは言葉以上に多かった。
色んな事業を手掛けていることはこのカジノ
ひとつ取っても分かる。そしてジャトロファのことも、
事細かく掌握していた。それに・・
自分達ファミリーが如何に問題に取り組んでいるのか
という姿勢も覗えたし、その長として攻守を見極める
間違いの無い"目"なのだ。
まずは正直にありのままをすべて話した。
"慌てた"と諭された答えには、
「面倒だったのです・・サトウキビ栽培用地を
必要とする、日本企業がめんどくさかったのです・・
正直、どこでも良かったのですが、たまたま軍用地の
延長にありましたし、たまたま日本の国際機関が
借地契約をしていましたので・・日本向けには
日本から奪えばいい・・
くらいの軽い気持ちだったのです・・」
「君の話を聞いているとまるで、君は日本が嫌いの
様に聞こえるな。何か日本に恨みでもあるのかい?」
「・・いえ・・日本は・・私は心底日本が好きです。
日本国を、日本人を尊敬しています。だから・・
なので、逆にフラストレーションが溜まっていました。
ベトナムではいい物をドンドン先に、中国や韓国に
取られて・・先を越されて・・自分じゃ判断できない
立場の人間ばかりがやって来ては、時間だけを
過ごしていく・・
お決まりのホテルに宿泊してお決まりのレストランで
メシを喰って、お決まりのゴルフ場で皆おなじ
掛け声を・・皆、笑顔ではあるが愛想笑い・・
仕事の話しもその延長でしかなく・・
飽き飽きしていたのです・・」
「なるほど。その様な日本企業の為に、いつもの様な
手間を時間を、使いたくなかったのだね。"曖昧さ"
には曖昧に応えた訳か? いやその割には・・」
「はい。おかしな話です。それならあの時、守る
モノはベトナム側の地主であり、彼らの事業を尊重
した筈です。普段の私なら、そうしたはずです。
どうせ"曖昧"な事案、必死になって働きかける時間を
惜しんだ筈です。でも・・私は・・
有頂天になっていて・・出来ない事が無いと・・
それを一度、日本企業に見せつけてやるんだと・・」
「見せつけられたのはうちのファミリーだった。
軍を動かしてか。ははははぁー。Matsudaくん、
奴ら軍人にも気を付けなさい。我々のファミリーは
そのベトナム軍に操られたのだから」
「軍に?ベトナム軍にですか?」
「そうだ。うちのファミリーは、ポルポット失脚の
代わりに、ベトナム軍に送り込まれたのだよ。
大変だった。
それはつまり、中国と敵対する矢面に立たされた
という事だからな。その後も、中越戦争時には
密かに越軍として、解放戦争ではアメリカ軍を
相手にもした。ああそうだMatsudaくん、君は
中越戦争と解放戦争をどう観るかね?」
「はぁ・・解放戦争(ベトナム戦争)のことも、
ポルポットを虐めに行った後の中国の侵略も・・
観るというか・・オヤジからの
押し売り文句くらいしか・・」
「そうか。時代が違うか・・
その親父さんは何と?」
「はい。華人を追いやったのはベトナムの風土と
ベトナム人の知恵と勇気だと。アメリカは・・
アメリカの軍人は強いと・・その・・うちの
オヤジは、プロテスタントですて・・その・・
つまり、一般のベトナム人とは少し違う
思考でして・・なので参考にならないかと・・」
「クリスチャンか。面白い。そのプロテスタントの
親父さんは何と言ってた?続けてくれ」
「はぁ・・」
俺は自分で調べたことも感じようとした
事も無かったが、オヤジからは何度か聞かされて
いたそれを続けた。
「とにかくアメリカ軍は軍隊力だけではなく。
個々の米兵一人一人が強かったと。何か?
ベトナム軍も真似ようとしたResilience
(レジリエンス)を高める訓練を、米兵は
日ごろから受けていたそうで、俺らは最強と
思い込んでいたと。事実、中越時の様には行かず、
ベトナム全土で酷い負けが続いたと・・でも
勝てたのは・・あっ・・すみません・・あくまで
オヤジの考えでして・・」
「ほう。なぜ勝てたと? 続けてくれ」
「はい・・大儀・・だと・・その・・
アメリカはベトコン(解放戦士)の南下を防いで
南を解放するというつまり、共産主義を払い除けて
自由主義を守るという・・その・・その為に
米軍は戦っているにも拘らず・・南からも
スパイやその・・後ろから刺される様な・・
それに、米本国もまさに"大儀無き戦い"と
位置づけられて、日に日に米兵の士気が
下がったと・・」
「私は人生の大半を戦争で過ごした。ファミリーもだ。
人が兵士が、逆境から立ち直る方法は短いゴール設定
である事くらい、学ばなくても実戦で身に着けたさ。
私の戦争観こそが"ファミリー"なんだよ。何の為に
"生き続けるのか"。死に際で生き残る事が人間の真の
強さだと私は考えている。そうできる人間があの時の
ベトナムには多かったのだよ」
「・・俺にも・・私にも生き続けなければならない
ファミリーがあります。そうです。死ぬもは簡単です。
俺ひとりなら・・意外と死ぬ方が楽な時があります。
でも、死ねないのです。
家族や仲間の事を考えたら・・」
「ははははぁー 若いのに体験済みか。そうか。
ははははぁーなら、Matsudaくんは、うちの奴らに
感謝しなければならないなぁー。ははははぁー」