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EQ @バランサー  作者: 院田一平
第1章
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第4話 必然

挿絵(By みてみん)





「ここがビーナスブリッジなんだあ! 

前に見た写真とはまったく違うよな・・・・」


神戸の街が見渡せるその場所にはよく行った。

平常時は人で賑わう場所だったのだろうが、

当時は震災直後、途中の道路の崩壊も

あった所為か、いつ行っても誰とも

出くわさなかった。



その日もひとりで煙草をふかしていた。




「こっちや こっちやー!」


 橋の麓の方から後ろの山々に響き渡る

声が段々近づいて来る。


「着いたどー!」


色黒で185-190cmはあるだろう男と、

ちびっ子達が現れる。

真っ黒の空手着の様な服に、派手なエンブレムが

無数着いて有り、背中にはHapkidoと刺繍

がされていた。


「はあーぃ。くっしぃーん。

1 2 3 4ぃ~2 2 3 4・・」



 一番前の男の子は、屈伸どころか、

両手で耳を塞いでいるのが見えて・・


たまらず。


「大きなお声ですね。」


と・・声を掛けてしまっていた。



「なんや? オレの声かあ?  

よう言われますわ。ハハハハあ」


というその声が でかい・・


「空手  ですか?」


「ちゃうんや。ハップキドーいうてなあ、

ま 合気道みたいなモンやねん。 

ちょっとここ(男の手の裾)を握ってみぃ」 


言われるままに袖を握った。瞬間・・


「いたたたたた・・痛い・・・・」


訳が分からないまま地面に這いつくばっていた。



「なあ。痛いやろぉ? ハハハあ」



<ムカついたが相手が悪い。適いそうにない>




「ちょっとぉ・・ハハハじゃ・・

ないですよぉ・・痛っ・・」


手の関節を極められて、お辞儀の様に膝を

ついたせいか足も痛い・・


「ま これがハップキドーやねん。 

なんやオレも歴史はあんまり知らんし興味もないん

やけんどな、日本の合気道が韓国に渡って、

ほんで、こんなんになったらしいねん」


「そうなんですか。ということは、

あなたは韓国人?」



<普通にそう思った>



「ちゃうでぇ~。その韓国のハップキドー

やねんけどな、うちの館長はブラジル人やねん。

訳わからんやろう。ハハハあ。んで俺は

中国人やしなあ。ハハハハハあ」



確かに訳がわからないが中国人だというので、



「へぇーそれはそれは!你好! 你好! 流石 

神戸ですね。 うちの界隈エリアもそんな感じ

なんですよ。横浜の団地なんです。

中国人もブラジル人もたくさん居ます。

僕はベトナム人なんです」



「お!ほんまかいなあ!

あんたもベトナム人かあ! 

オレもそうやねん。実は。

うちのオヤジが越僑華人やねん! 

そやからオレはベトナム人と中国人の半分半分やねん」


「Trời ơi(チョィオーィ)・・マジ?」



「まじや。ほんまやで! そおかぃなぁ~!

あんたベトナム人かぁ!  

 おおそや! あとで飯でも喰おうや。

うちにおいでやー。オヤジ喜びようわ! 

ベトナム語で話し したってやー」



同胞(半分)?だったからか、フレンドリーだった

からか?ムカつきは消え、逆に嬉しかった。


「はい。ありがとうございます。てか・・

教え子さん達・・放置し過ぎですよ・・笑」


「あああ 忘れとったわー ハハハあ。 あっ

これ住所や。今晩、ここにおいでよ」



徳山馨(Huáng wén xīng :黄文馨)


との出会いだった。




その夜、早速、渡されたメモの場所に向かった。

神戸の道を覚えるには時間が掛からなかった。

北には山があり、海を見たら南、真ん中を国道2号線と、

その下(南)の大きな通りの国道43号線が東西に走る。

その2つを並行した通りを走るのか、縦断する通り

なのかで大体の目的地に着く。



<ここなんだけどな・・住所は・・> 



玄関なのだろう入口が1階にも、外付けの階段の

上の2階にも、5つ6つづつある。築20年って

とこだろうか、木造2階建ての文化住宅ポイ場所。

どの入り口にも表札も無ければ名前の張り紙もない。

でもしばらく辺りを見回しているうちに、ここに

違いないと判る。この文化住宅の中から

例の笑い声なのだ。



「そやそやー。ハハハハハあー」



間違いのない声が聞こえる。一番近くのドアを

ノックしてみた。何度かトントンと打つと、


「お? 誰やー?」


と、ノックしていた次のドアが開いた。


「あー いらっしゃあーい! 待っとったでぇー。

 早よ入りぃなー」


「こんばんわ。どこが玄関なのか判かんなくて・・」


「ああーそやろ。まあええやん。入り入りー」


中に入ると、だだっ広く2階まで吹き抜けていて、

間仕切りが少なく、外見からは想像できない造りで、

俺の背丈ぐらいの花瓶?壺のような物が玄関の

左右に一対で置かれていた。全体的に朱色が

目立って、飾り物からも中華屋の大きな個室の様な。


とにかく予想外だったので声が出なかった。


「・・・・」


「ここなあ。中を全部ぶち抜いて改装したんや。

もとは、あっちの隅っこの一つだけが、

うちの家やったんやけんどなあ」


「そうなんだ。ちょっと・・外から見たのとは

感じが違ったんで・・」


「ハハハハハあ。みんなそない言うねん。

 あ 紹介するわ」


と、吹き抜けた間の奥のテーブルに座っていた

方々を指さした。


「いらっしゃい。シャオヒンから聞いてたんよ。

ベトナム人なんでしょう。さあさあ 掛けて」


「うちのオカンや。んで、妹と館長と

館長の奥さんや」


「こんばんは。お邪魔いたします・・」


こうして、初めての人の家に入ることは慣れて

いたし、好きだった。でもこの日は緊張した。

理由は、その師範と呼ばれるラテン系の人の目、

だった。背筋を凛と伸ばし、俺を見ている

のだろうけど、もっと遠くを見据えている様な

・・怖いし、死んだ魚の目をしていた。


「早よ座りいなあー」


彼が俺の腰を下ろしてくれた。


「気を使わなくてええんよ。東京の方でしょう。

関西弁が分かる? 下品でしょう。

悪気は無いのよー。ハハハハハあ」 


彼のお母さんも・・・・同じ(彼と)

・・だった。


大きな声の不思議な笑い声が、

普段の俺に戻してくれた。


「いえ。ありがとうございます。

関西の言葉は嫌いじゃないので。

 館長さんはブラジル人なんですよね?」


<やっぱりこの人が気になる>



「そやでぇ。ルーカス・クァンジャニンいうねん」


と彼。



「Ol?. Muito prazer. 

Por favor, me chame de Son,..

(ソンと呼んでください)」


と、ポルトガル語で挨拶をしてみた。


「ブラジル語じょうずやん! 

わし、ルーカス・フェレナンデスいうねん。

よろしくねー」


<?・・ガッカリした・・・・

ベタベタの関西弁だった・・>


なんだろう? 関西弁というのは?



こんなに恐い見た目の人をも、お茶目な人に

変えてしまう・・頭の中が吉本新喜劇・・

でもさすがに笑うことは出来ずに、



「日本語でいいのですね? 安心しました。

ブラジル語はあんまり得意ではないので・・」


「なんでもええやん。 さあ飯喰おうやー」


・・大きな声・・


ハマの団地で、いままで散々食べてきた中華とは、

まったく別な中国料理が並んでいた。

見た目も味も。特にあの処、毎日毎食がカップ麺

ばかりで、美味しい物を口にしていなかったから、

なのかも知れなかったが、あの時のあの料理の味は

今でも覚えていて、あれからの中華の

うまい・まずいの基準になっている。


「おいしい!」


<素直に出た言葉だった>



「そうかあ? オカンよかったなあ! 

ぜんぶオカンが作ったんや」


「あの・・中華料理屋さんをしているんですよね?」


俺はてっきり、そう思っていた。


「あれ? オレそんなこと言うたっけ? 

ちゃうでえー。うちは飯屋ちゃうねんで」


「えええ そうなんですね・・

あまりにも美味しくて。まじ。勝手にそうだと・・」


「ハハハハハハあ」

と、ハモるお二人・・


「これって・・中国のどこの地方の料理なんですか?」

 

<知りたかった>


「台湾よ。私は台湾生まれなの。食材は違うけどね。

肉も魚も、だいたいイカせてるんよ」


「・・イカ? せてるの・・ですか?」


「ああ 腐らせてるって感じ。ホンマに腐らすんと

ちゃうんよ。寝かす 言うんかな。熟成さすんよ」


「へぇー! まじ うまいっす!」


「ハハハハハハあー うれしいわ~ ありがとうね。

いつでも食べにおいでよー」


「あっ・・ ・・」


なぜか? 俺は、この時に気が付いた。


 彼は誰?


ということに。


「あ なに? あっ って どなしたんや?」


と、その彼。


「いえ・・あの・・ごめんなさい・・

あなたは確か・・シャオヒンさん・・ですよね?」


「あっ そうや。ホンマやー! あんたの呼び名は

ソンはんでええやんなあ?」


「はい。すみません。改めまして。私は、

グエン・ソン・ロン(Nguyen Son Long阮山龍)

といいます。

去年、高校を卒業して父親の会社で働いています」


「えええええー?去年卒業?19かあ?巳年かあ?」


「そうです。巳年生まれです」


「同級生やん! なんやー!同級生かぃなあー!」


<? 同級?マジ?うそ・・・・>


「俺・・1975年生まれなんですが」


「いっしょやー! オカンこいつ同級生やわー!」


 <見えなかった。体の大きさもあったし、

あの黒い道着のイメージもあったし、

大きな声もあったし・・

まさか同い歳だったとは・・・>


「そうかそうかいなあ! ほな 

これからは遠慮せえへんでー!」


<・・・・えんりょう?・・俺の知ってる日本語

の遠慮って・・苦笑い>


「オレは文馨いうねん。小馨シャオヒンは、

親しい呼び方やねん。お前もヒンでもシャオヒン

でも呼んでくれたらええわ」


<どう見ても「小さい(シャオ)」を着けられなくて、

その後はヒンと呼ぶようになっていた>


「おかえりなさい」


ヒンのファンファンの声。


どうやら親父さんが帰ってきた様子。


「おかえりオヤジ。こいつ同級生やねん。

ベトナム人やねん。横浜に居てるらしいねんけど。

オヤジの知り合いとかちゃうんかなあ?」



「ほうかぁ?おぅ chào emチャオエム

Xin chào!Xin chào!」



ベトナム語で挨拶をしてくれる親父さん。


「Xin chào,. Rất Vui Được Gặp Bạn.

Em tên là Son.

(シンチャオ ラッヴォーイドゥガップバン

 エムテンラ ソン)」


俺の場合、日本語が母国語で一番理解している

言葉だが、ベトナム語も普通に会話できる。


「ソン君というのね。ソンは山か?ソン君は留学生?

実習生?ご両親は?仕事は何を? 

生まれベトナムのどこ?」


などなどなど、綺麗な日本語だったが、

やはり関西口調で早口だった。


「はい。えーと・・私は・・両親はインドシナ難民です。

マレーシアのキャンプから日本を希望して横浜に来た

そうです。食材やキッチン廻りの卸をしています。

あと、わたしは・・」



「そうか。苦労したんやな。」



俺が話の続きを答える前に、親父さんが続けた。


「頑張らなあかんで。なんでも一生懸命にしとったら、

人が放うとかへんからな。しんどいやろうし、

辛いやろうけど、頑張らなあかんで」


「・・・・はい・・頑張ります・・・・」



 たぶん、親父さんの周りのベトナム人は皆が

苦労しているのだろうと感じた。もちろん、

うちも確かに苦労はしてきたし、今でも決して

裕福でもない。それにもう、何日も同じ服を

着ていたし。でもどこか? プライド的なものが

傷着いた気がして、心の声が口から出ていた。



「ただ、うちらは別に・・

お金が欲しい訳でもありません。

今回、神戸に来たのは、

抱えた在庫のブルーシートを・・・・」



と、年末におふくろが買ったブルーシートの事、

地震後におやじが社員を集めて話した事、

おふくろ達が先行して炊き出しをしていた事、

おやじの意向でシート配りの

最中であることまでを話していた。




ふと気が付くと、皆(ルーカス館長までも)が

俺の話に相槌していた。


「すごいね。立派な親御さんやね。

神戸のために・・ありがとう。

ホンマにありがとうね」



その夜は長かった。その後しばらくの時間は

俺中心の話しとなり、次から次へとあの場にいた

面々のことが解った。 



オヤジさんは、競売物件を扱う不動産屋をしている

ということで、この家(アパート一棟)もその競売

で手にしたのだと判かったり、妹のファンファンは

、神戸中華同文学校の中学過程の2年生で、

獅子舞部で太鼓を叩いていること。

将来はJALのスチュワーデス(あの頃はそう呼んだ)

に成りたいということ。

??(クァンジャニン)って、ヒンが紹介した意味が

、館長というの韓国語だということ。

その、ルーカス・フェルナンデスさんは、

ブラジルの軍隊時代にハップキドーにハマり、

退役後に単身、ハップキドーを習いに韓国へ

出向いたこと。その道場で奥さんと出会い、

結婚したこと。ハップキドーが日本の合気道由来

であることを知って日本へ来たこと。

日本に来る際に、あの洪金寶(サモ・ハン・キンポ―)

から、ヒンの親父さんを紹介され、神戸に来たこと。

なんでも、このルーカスさんがハップキドー界では、

そのキンポ―氏と同列のお弟子さんであるらしいこと。

などなど、まったく興味がなかった俺も、

<やってみたい。習いたい。>と思ってしまったほど、

ドラマチックが過ぎる話だった。そして、

親父さんの祖父(ヒンの曽祖父)は、

東遊運動で日本へ留学したメンバーであったこと、

その後の政策で日本を追放されて中国の福建省へ

渡ったこと、奥さんの姉弟を頼って神戸に来たこと。

ご自分は華僑と言われているが、ベトナム人である

ことを誇りにしていると。


その誇りから長男のカオルをベトナム読みした

「ヒン(Hinh)」と呼んでいるという。




この辺りの話の流れからだったか、

うちのおやじに会いたいから、

横浜に行くと言い出したヒンの親父さん。



俺は横浜へそのことを伝えた。



自分でも今の神戸を見ておきたいからと、

うちのおやじが神戸に来ることとなった。





そして、成るように流れた。





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