エピローグ:とびっきり可愛い友達
「おんぎゃおんぎゃおんぎゃ」
「あらあらどうしたの?お腹空いた?」
「おぎゃ」首を振る。
「じゃあ、おトイレ?」
「おぎゃおぎゃ」もっと首を振る。
「なら、寒い?暑い?」
「んーおぎゃ」少し暑いが、そこまで気になる程ではない。
「あ、分かった」
姫はそう言うと、俺たちの身体を抱き寄せた。
そうだ、これこれ。
「これが良かったんでしょ〜」
「ばぶー」
「エルは本当に抱っこが好きでちゅね〜」
姫の柔らかい手が、俺たちの頭を撫でる。
自然と心が安らぐ。
いい歳したオッサンとしては少々複雑な気持ちもあるが、この安心感は癖になる。
それに。
『キャッキャッキャッ』
この身体の主が望んでいることだ。叶えないわけにはいかない。
あの時、エルにはかなり負担を掛けてしまった。
草柳冬馬の身体からエルの身体に戻ると、分かりきっていたことだが俺は気を失った。
本来だったら、波瀬に断言した手前、江頭組を壊滅させるまで意識を保っていなくてはならなかったが、エルの身体はとうの昔に限界を超えていた。
俺自身も、その眠気に逆らう気はなかった。
姫も当分目を覚まさないだろうし、ビル内にいる暴力団関係者はすでにこの部屋に来る前に片付けておいた。しばらくは安全だと考えてもいたし、俺がどうこうして耐えられるような眠気ではないのも分かっていた。
体力を回復してから、安全に江頭組を潰そうとも考えていた。
しかし深い眠りから覚めると、俺は見覚えのある天井と柵の中にいた。
部屋を見回すと、ベビーベッドに寄りかかって眠る姫の姿も確認できた。
後に姫が話してくれたが、気を失った俺たちをこの自宅まで送り届けてくれた人がいたらしい。姫の隣にいた、あの若い女性だ。
その女性はマリという名前で、姫と同様波瀬に騙されて人間オークションに出品されそうになっていたらしい。
マリは波瀬のデスクから住所の記載のある書類を見つけると、気を失った俺たちを車まで運び、自宅に送り届けた。
彼女の行動し自体には不信なものは無いし、俺たちの安全を確保してくれたことには、頭を下げる気持ちでいっぱいだ。
だが、彼女の行動原理が分からない。
彼女はあの現状離れした出来事の一部始終を、目の前で見ていたはずだ。
普通の人なら、脳の処理が追いつかず卒倒していてもおかしくない。
それなのに彼女は、平然と俺たちにとって最善の行動を取ってくれた。
それに、江頭組。
数日後のニュースで放送されたが、江頭組はあの日中に解散したらしい。何でも、ほとんどの組員が正気を失うか失踪してしまい、組の存続は物理的に不可能となったという。
彼女の行動と江頭組の解散。
あの日に起きた出来事を考えると、自然とマリという女性の存在に疑念が生まれてしまう。
『アァ、バブー!』
お、すまんすまん。思考がうるさかったか。
そうだな。今は俺たちの至福を味わおう。
姫は変わらず、俺たちの身体を優しく包み込んでいる。
「ごめんね〜。今日はママ、外に出ないと行けない用事があって、エルちゃんと一緒にいることができないの。でもママの友達呼んであるから、心配しないでね」
この子は強い人だ。
あんな凄惨な目に逢えば、通常なら当分外出はおろか、明るく話すことすら出来ないはずだ。
現に、この家で目を覚ました直後の姫は、黙ったまま俺たちの身体を強く抱きしめていた。
俺はもう、今までの姫は見られないだろうと思っていた。
しかし姫は、抱きしめることを止めると、いつもの明るい表情で夕飯を作りだした。
俺は姫を見くびっていた自分を嘆いた。
「ん〜エルちゃんは本当に可愛いでちゅね〜」
俺はこの強い女性が幸せになるために、残りの人生を費やそうと決心した。
この人は幸せにならないといけない。
こんなにも家族想いの優しい人は、幸せにならないといけないんだ。
「本当可愛い。もう全身をホルマリン漬けにして永久に保存してたい」
たまに怖い所もあるが。
ピンポーン。簡易的な電子音が響いた。
「あ、もう来ちゃったかな」
そう言うと、姫は小走りで玄関まで行った。
ドアが開く音が聞こえる。
「ごめんね〜。迷惑かけちゃって」
「いいんですよ。姫さんは少しでも気を休めてください」
「ありがとうー!」
玄関先での会話は明るく、姫が本当に元気なってくれたみたいで安心した。
戻ってくる足音が聞こえる。
「じゃあエルちゃん。ママ少しの間離れちゃうけど、心配しないでね。ママはいつだってエルちゃんのことを考えてるから」
姫はそのまま俺たちのおでこにキスをした。
「それに、とびっきり可愛いママの友達呼んだから」と言って、姫はベビーベッドから離れていった。
姫がウキウキしていると、こちらまで楽しくなってくる。
『キャッキャッ』
お前もそう思うよな。
姫には、残りの人生全てを幸せに過ごしてもらいたい。
『あーバブ!』
分かってる。
そのサポートは任せろ。
「いってきまーす!」遠くで姫の楽しげな声が聞こえ、続け様にドアの閉まる音が響いた。
足音が近付いてくる。
姫の友人。とびっきり可愛い友達。
否が応でも期待してしまうな。
俺史上ダントツで可愛い姫が、とびっきり可愛いと豪語する女性。
その人からの抱っこは、どれほどのものか。
『あー!バブバブ!』
分かってるよ。抱っこ世界一は姫だ。
だからこそ、どれほどのものか確かめてみようじゃないか。
足音が部屋に入ってきた。
ゆっくりと近づいてくると、ベビーベッドの側で止まる。
「やぁ、こんにちは」そう言うと、姫の友達は顔をこちらに覗かせてきた。
確かにとてつもない美人ではある。
しかし俺は、その顔を以前にも見ていた。
あのビルで姫の隣にいた女性。
マリという人物だ。
どうして彼女がここに?
「今日は君の面倒を見にきたよ。草柳天使くん」
「いや」と言うと、彼女はさらに顔を近づけてきた。
「憑依者、上坂トオルくん」
彼女の大きな瞳の奥には、何かがいた。
これにて、第一幕「殺人的にドジな母親の場合」完結となります!
初投稿時には、ここまで第一幕が長くなるとは思いませんでした汗
プロローグから読んでいただいた方、途中からでも最後まで読んでいただいた方、どこかの話を単話だけでも読まれた方、全ての読者に感謝します。
また第二幕も書く予定であるので、引き続き、夜の桜をお楽しみください!