殺人的にドジな母親の場合
俺は『重力操作』で波瀬の身体を持ち上げると、中身のない冷凍庫の中に放り込んだ。
分厚い扉を閉め、レバー式のノブをしっかりと上に上げる。完全にロックされたことを確認すると、扉の隣のコンクリートに触れる。
スキル『擬態演出』。
このスキルは対象となるものの付近にある素材を操り、あたかも対象物が存在していないかのようにカモフラージュするスキル。触ったりしても解除されることは無く、相当な衝撃を与えない限り効果は永続化する。
触れている壁を横にスライドさせて、冷凍庫の扉を覆い隠すようにコンクリートを引き伸ばす。固まっていない粘土を引き伸ばしている感覚だ。
「・・・冬馬、さん」
全ての作業が終わりかけること、弱々しい声が薄っすらと聞こえた。
急いで残りの作業を終わらせ、声の主のもとへ駆け寄る。
「姫、大丈夫か?」
仰向けで倒れている姫の顔を覗き込む。
『乖離治癒』で傷そのものは消し去ったが、身体に与えられたダメージは傷が治ったとしても残り続ける。二度も銃弾を浴びたんだ。動けるわけがない。
しかし姫は、動かない身体に鞭打って起き上がろうとしている。
「無理して動かなくていい。もうすべて終わったから」
それでも身体を起こそうとする。
「・・・冬馬、さん」
「どうした?」
「ご、ごめんなさい」
「何言ってるんだよ。姫が謝ることなんて一つもない」
「私・・・冬馬さんを信じ切れなかった」
姫の大きな瞳には雫が溜まっていた。
「波瀬さんに、冬馬さんが借金をしたって言われて、そんなはずはないって思ってはいても、心のどこかで、もしかしたらっていう考えがあった」
「それは仕方がないことだよ。誰だって100%で人を信じることなんてできない。それに波瀬は巧妙に嘘を嘘で塗り固めていた。疑わない方がおかしい」
「それでも、私は、冬馬さんを信じていたかった」
姫の声は次第に更に弱々しくなっている。
傷が無いから死ぬなんてことはないが、銃弾によるダメージや精神にかかった負担から彼女の意識は遠のきつつあった。
「あぁ、でも良かった」
姫は一際優しい声で言った。
「二人を会わすことができた」
「二人?」
「あなたと、天使」
姫が愛くるしい寝顔の赤ん坊に視線を送る。
「この子が生まれる前に、あなたはいなくなってしまった。だから二人が会うことは無いんだろうなって思ってたから」
姫は旦那と息子の顔を交互に見比べて、小さく笑った。
「目とか口は私に似ているけど、鼻は冬馬さんかな」
「それなら良かった。君に似ている部分が多いほうがイケメンに育つ」
「でも、性格は似てほしくないなぁ」
それは大いに同感だ。近くにいる人に危険が及ぶ。
ガタンッ。
突然何かが落ちたような音がした。
辺りを見回す。周辺に異常は無かった。
視線を姫に戻したところで、身体の隣に何かが転がっているのに気づいた。
それは俺の左腕だった。
肘から下の部分が崩れるように落ちている。
あぁ、この身体の限界が来た。
「天ちゃんや月ちゃんにも早く会わせたいな。二人とも、きっと驚くんだろうなぁ」
その間も、姫は幸せな家族の話を続けている。
俺は大きく深呼吸すると、「姫」と優しく声をかけた。
「何?」
「姫、俺は家には戻れない」
姫は表情を変えずにじっとこちらを見る。
「どうして戻れないの?」
「俺は元居た場所に戻らないといけないんだ」
「元居た場所って、あそこ?」
姫の視線は冷凍庫の扉があった壁に向かう。
「いや、あそこじゃないんだ」
「じゃあ、どこ?」
「死後の世界」
二人の間に沈黙が流れた。
姫は殺人的にドジだが、物分かりの悪い女じゃない。
静かに宙を見つめると、ゆっくりとこちらに視線を戻した。
「もう、時間ない?」
「うん、もうそろそろ行かなきゃならない」
すでに、右足も膝から下が崩れてしまっている。
「なら、最後に一つだけ」
そう言うと、姫は顔をこちらに近づけた。
二人の唇が触れ合う。
彼女の唇は柔らかく、少し震えていた。
唇が離れると、姫は顔を赤らめながら大粒の涙を流していた。
「子供たちを頼む。俺はすぐ傍にいるから」
姫は小さく頷くと、満面の笑みを浮かべた。
「冬馬さん、ずっと愛してる」
「姫、永遠に好きだ。愛してる」
その瞬間、俺は赤ん坊の身体へと戻っていった。