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内緒の話

 言葉を交わしても、波瀬の口パク現象は治らなかった。自らの手で殺したはずの人間が、堂々と両足で立って目線を合わせながら話している。いくら教養のある人間でも、真っ向から向かってくる非常識には対応できない。波瀬程度の小さな脳みそであれば尚更だ。


 「お前がここに冷凍保存してくれていたおかげで、俺は死なずに済んだんだよ。所謂、人体冷凍保存というやつだ」

 「そ、そんなバカな話があるか。だってお前を閉じ込めたのは、半年も前のことだぞ」

 「俺は仮死状態だったからな。時間の感覚なんて知らない」

 「デタラメ過ぎるだろ!なら、その状態でどうやって復活したんだよ」


 「それは、家族だ」


 「は?」

 「家族を守るために蘇ったんだよ」


 俺の言葉を聞くと、波瀬は動揺しきっていた表情を徐々にいつものヘラヘラした顔に戻していった。


 「家族?家族を守るため?そのために蘇ったってか?」

 「そうだ」

 その瞬間、波瀬はタカが外れたかのように不気味な笑い声を発した。


 「素晴らしい!君たち家族は全員で僕を喜ばせてくれる。まさかこんなサプライズまで寄こしてくれるなんて。どうやってかは分からないけど、君はあの極寒の冷凍庫を半年間生き残った。待ち続ける家族のために。そして今度は、その大事な家族が危険な目に遭っていると分かると、勇敢にも凍り付いた身体を叩き起こして、家族を守るために参上したってわけだ」

 「そうだ」

 「家族を助けようとしたんだね」

 「そうだ」

 「まだ家族を助けれると思ってるんだね」

 「そうだ」

 波瀬は再び笑い声を上げると、顔を思い切りこちらに近づけてきた。


 「でも残念。君の家族、もうだれ一人も残ってないよ」

 「そんなことはない」


 「信じられないよね?でも本当のことなんだよ」

 「信じる必要はない、本当のことではないのだから」


 「いやいやいや、現実が受け入れられないのは分かるけど、現実逃避しても過去は戻らないよ」

 「現実逃避してるわけではない。そんな事実、過去にも未来にも存在しないのだから」


 「いいや、そんなことはあるんだよ」

 「いいや、そんなことはない」

 「いや、ある」

 「いや、ない」

 「ある」

 「ない」

 「しつこいな!」波瀬は声を荒げる。


 「もう死んでんの!姫ちゃんも、あの赤ん坊も。みーんな僕が殺した。殺したんだよ!もう少し早く起きてくれば良かったのに。そしたら、君の大事な家族が死ぬところを実際に見ることができただろうに!もうすべて終わりなんだよ!」


 怒鳴り散らかした波瀬は、息苦しそうに肩で呼吸をしている。

 余程、人が絶望した表情が好きなんだろうな。こいつは今、俺が家族を失った苦しみに打ちひしがれて失意のどん底に落ちる瞬間を、ここぞとばかりに待ち望んでるんだろう。


 だから俺は、最初に言った言葉をもう一度繰り返す。

 「何が終わりなんだ?」


 「だから!」波瀬は拳銃を俺に向けた。

 俺は平然と、子供が遊園地にいるパンダを指さすように波瀬の後ろを指さした。


 そして二言目を再び言う。

 「何も終わっちゃいないぞ」


 波瀬は苛立ちを見せながら、振り返って指先を見た。


 そこには、頭を打ちぬかれた二人の遺体。


 ではなく、幽霊でも見るかのように目を丸くさせている女性と真っ白なオムツを履いた赤ん坊の姿があった。


 「な、なんで」

 波瀬は自分が今見ているものが信じられないとでも言うように、腰を落とした。


 「た、確かに俺はあの赤ん坊も姫ちゃんも殺したはず。僕は実際にこの目で見てたんだ」

 「そうか。でも違うようだな」

 「そんなわけない!俺は二人を殺して」

 「二人は生きてる」

 俺が断言するようにそう言うと、波瀬はまた口をパクパクさせながら黙った。


 異世界スキル『ハルーシネイション』

 このスキルは、対象者が一番望んでいる展開を強制的に見させる幻覚効果のスキル。これは視覚に限らず、五感全てにおいて作用されるため、対象者は音も臭いも感触まで体感できる。この夢のような幻覚から覚めたら最後、何を信じていいか分からなくなる。


 「草柳冬馬!お前は、何なんだ!」


 この問いに、俺は答えられない。


 『草柳冬馬』ではないから。


 俺は『草柳天使』の身体に居候させてもらってる、憑依者『上坂トオル』だから。


 『憑依者は死体に憑依してはならない』

 それは憑依学校で最初に教えられること。

 憑依者は憑依した相手と精神世界でコンタクトを取ることによって、持ち主の身体を共有する事ができる。了承が得られない場合は、また適正な身体を求めて彷徨うことになる。


 やむを得ない事情でも無い限り(例えば俺の場合)、それは鋼鉄よりも固い絶対条件となる。

 何故なら、憑依者が身体を動かしたりスキルを使用するには、その分のエネルギーを消費しなければならない。身体の主が、食事や運動などで日常的に補給しているエネルギーを勝手に使用することになる。


 つまり、憑依した身体にエネルギーが無いと、憑依者は存在できない。

 憑依条件を満たしている瀕死状態の人間がいるとして、そいつを助けるために憑依してスキルを使おうとしても、憑依者がスキルを使おうとした時点で二人とも気を失ったように眠る。


 そして二度と目を覚まさない。死ぬということだ。


 憑依は、その世界で一度切りしか出来ないため抜け出すこともできない。

 エネルギーがほとんど残っていない身体でも危険だというのに、すでにエネルギーの補給が停止してしまっている死体などに憑依してしまえば、その時点で何もできずにただ死ぬ。


 だから、『憑依者は死体に憑依してはならない』。

 自分自身が死体になってしまうから。


 だが、俺は今『草柳冬馬』の身体の中にいる。眠らずに存在し続けている。

 それは二つの奇跡的な条件が重なった、まさに奇跡によるものだ。


 一つは、俺が異世界で習得したスキル『ブラッド・ポゼッション』。

 このスキルは、発動者の血縁関係にある者であれば、意識を無条件で憑依させることができるというもの。憑依者の血縁関係にある者とはつまり、憑依した身体の血縁関係にある者ということ。『草柳天使』の実父である『草柳冬馬』は、この『ブラッド・ポゼッション』の対象者だ。


 そしてもう一つは、冬馬の状態。彼は極寒の冷凍庫の中で凍死した。それは間違いない。しかし彼の身体の全機能が完全に凍り付いてしまったとき、彼の中にあるエネルギーもそのままの状態で凍り付いた。三十代の満ち溢れたエネルギーが、死体の中に冷凍保存されたということになる。


 『草柳冬馬』は半年前に凍死してしまったが、エネルギーは存在し、『ブラッド・ポゼッション』の対象者。

 この二つの奇跡が、今のあり得ない状況を作っている。


 俺は身体を震わし、身体に生えている霜を振り落とす。

 所々動かしづらい部位はあるが、それでも赤ん坊の身体よりかは数倍もマシだ。


 「く、くそがぁぁ!」余裕のない叫び声とともに波瀬はこちらに銃口を向けた。

 パンッ!銃声が響く。

 スキル『防壁結解』。

 パキンッ!結解に当たった銃弾は、弾かれることなく粉々に砕けた。


 「な、なんで」

 「諦めろ。お前はもう何もできない」

 「うるさい!僕に指図するな!」

 波瀬は狂ったように銃弾を発射する。そのすべてが無に帰した。


 「クソが!何でお前らが有利になってる。何で僕が窮地に立たされている。お前らみたいなやられる側の人間が、どうしてそっち側にいる。僕がどうして見上げる立場になっている」

 一向に意味のない銃撃は止まらない。


 「信じない信じない信じない!僕は江東組の若頭だぞ。小学生の時から人を虐げてきた。痛みも苦しみも全て与えて、泣かれようが喚かれようがそいつが絶望して死を選ぶまで虐め続けた。その僕が!」

 カチャカチャと、すでに銃弾が無くなった拳銃はやる気のない声を上げていた。


 「お前らみたいな底辺の人間は、上位者の玩具にされるだけの存在なんだよ。どれだけ痛めつけられても、どれだけ辱められても、どれだけ絶望しても、お前らは僕に媚びへつらうしかないんだよ。それが幸せなことなんだよ!」


 波瀬は姫を指さす。気持ちの悪い笑みを浮かべた。

 「姫ちゃんね。実はここに来る前から何度か会ってるんだ。その度に、彼女は僕に縋りついてきた。待ってください、お金は何とかしますからって必死に懇願してきた。どうか、子供だけは巻き込まないでくださいって。そう言って、何でも僕の言うことを聞いてくれるんだ。健気な彼女に僕は心惹かれちゃったよ。だってさ」

 卑猥な視線が姫に注がれる。


 「借金なんてあるわけないのに」


 人を馬鹿にしたような笑い声が響き渡る。

 「偶然だったんだよね。偶然街中で姫ちゃんを見かけた親父が、次のオークションで彼女を出品しようって突然言い出したんだ。無能なカス共は戸惑ってたけど、俺は大賛成だったね。当初は攫うって話だったけど、足がついちまうといけないから、定番の理由をつけて自主的に出品させることにした」


 姫は何も話さず黙ったまま波瀬の話を聞いている。彼女の傷は、すでに本来の『乖離治癒』で治療してある。


 「旦那が多額の借金をして失踪する。そうすれば、その支払い義務は家族に移る。払えるわけのない借金を返済するために、妻はその身を売りさばく。大まかな粗筋はそんな感じ」


 波瀬の気持ちの悪い声が次第に大きくなる。

 「本当に傑作だったよ。取り立てで姫ちゃんに会いに行った当初は頑なに僕の言うことを聞かなかったよ。でも子供のことを口にしたとたん、何されても文句を言わない従順な子犬に成り代わっちゃったんだ。それも、ありもしない借金のために。あの瞬間は忘れられないなぁ。本当はもっと早く出品させることもできたんだけど、次第に僕も楽しくなってきちゃってさ。土下座をしても、頭を踏まれても、殴られても、お願いします子供だけはって。時には、姫ちゃんの芳醇な肉塊が入ってる服に手をかけて」


 「もう、いい」


 俺は静かに話を遮ると、波瀬に目線を合わせるように屈んだ。

 許さない。お前だけは許さない。


 こいつには姫たちが味わった苦しみ以上のものを与えてやる。

 俺は小さく息を吸う。


 「人間の身体は、マイナス3℃以下の環境の中に防寒対策も何もせず二時間以上その場に身を投じると、自発呼吸が出来なくなり死に至る。凍死というやつだ」

 「・・・は?」突然話が変わったことに、波瀬の脳はついていけていない。

 「身体の機能が低下していき、生命活動が停止する直前、俺の身体の細胞は完全に凍り付いた。肺も心臓も眼球も全て凍ってしまった。極寒の雪国で濡れたタオルを振り回した後のように、カチンコチンに」


 「そこで質問だ」俺はわざと波瀬の口調を真似る。


 「冷凍人間はどうすると、通常の人間に戻れるでしょうか?ヒントは冷凍食品」

 「・・・?」波瀬は質問の意味が分からず、首を傾げるだけだった。

 俺は「時間切れ」と言うと、すかさず右手のひらを波瀬に向けた。


 「正解は、温めるだ」


 その瞬間、手のひらから禍々しさを帯びた朱黒い炎が放出された。

 「あ、熱いっ!何だこれ!」

 放たれた朱黒い炎は、波瀬を掠めると円になるよう囲った。


 「お前はもう逃げられない」

 俺がそう言うと、波瀬はすぐさま立ち上がり炎の円を跨ごうとする。


 「無駄だ」

 俺の言葉に波瀬の動きが止まる。

 「その炎は地獄の業火よりも質が悪いぞ。身体をではなく精神を燃やす。身体的痛覚には慣れというものが存在するが、精神が焼かれる苦しみに慣れなど存在しない。延々に痛いままだ」


 波瀬は自分を取り囲む朱黒い炎を一瞥すると、踏み出した一歩を身長に引っ込めた。そのまま円の中央まで戻ると、こちらに弱々しい視線を送ってきた。


 「な、なぁここから出してくれよ。お前も生き返ったんだし、姫ちゃん達も無事だ。このまま何もなかったことにして、前を向いて歩いてこうぜ」

 「ダメだ」

 俺はその一言を発すると、立ち上がりゆっくりと波瀬に近づいていく。


 「江東組は、私利私欲のために多くの女性を罠に嵌め、人間オークションなんていう下劣な企画に参加し身売りさせた。更には、幸せな家庭を作るはずだった草柳家の未来を奪い、あろうことか姫を人間オークションに出品させようとした。それは万死に値する。お前が終わったら、一人残らず始末するつもりだ」

 「だけど」俺は語気を強める。


 「だけど、お前は違う。お前は別だ。別格だ。別物だ。お前は自分の欲望のために姫を弄んだ。痛めつけ、苦しめ、絶望の淵に追いやった。その罪は、他とは比べ物にならない」


 死なんて甘えは許さない。

 絶望なんてぬるいことはしない。


 「お前には、これから先の長い人生を全て苦しみの中に居てもらう。苦痛に泣き叫び、恐怖にもがき、逃れられない運命に喘ぐ。そして寿命という長い一本の蝋燭が溶けて消えるとき、お前は『生』という地獄から解放され、本物の地獄に落ちることだろう」

 生きたまま死にたくなるほどの苦しみを味わってもらう。


 「安心しろ、お前の身体は食事も呼吸も生命活動に必要な要素は全て取り払われる。寿命以外で死ぬことはない」

 波瀬を囲っていた朱黒い円が次第に狭まる。


 「な、なぁおい!頼むよ!もう関らないって誓うからさ!」

 俺が近づくにつれて円が狭まる。


 「組も辞めるよ!前からイカれた奴らだと思ってたんだ。あんな若くて良い女どもを海外の変態共に売っちまってよ。そうだ!僕も手伝うよ。組をぶっ壊すの。二人で協力して、あの外道どもを粛清してやろう!」

 俺は歩みを止めない。円も狭まる。


 「クソクソクソクソッ!何で僕がこんな目に何で僕がこんな目に何で僕がこんな目に。僕は違う。違うだろ。僕はさせる側だ。する側じゃない。絶望する側じゃないだろ!」

 俺はとうとう波瀬の目の前まで近づいた。円も波瀬の足元まで迫ってきている。 


 「お願いしますお願いしますお願いします。どうか、どうか、どうか。やめてください!」

 波瀬は身体を小さく丸め、両手を地面に着き、頭を深く下げている。


 膝を曲げ、波瀬の頭を掴み持ち上げる。

 口を波瀬の耳元に持っていく。

 そして、俺は波瀬の言葉を借りた。


 「バイバイ、波瀬」


 『天』クラス。

 スキル『煉獄』。


 波瀬を覆っていた朱黒い炎は彼を包み込んだ。

 炎は一瞬にして消える。


 「あ、あ、ああぁぁぁ!」

 

 この炎は外傷を与えない。

 内側に入り込み、精神を燃やす。

 その苦しみに終わりはない。


 ふと、波瀬がこちらを凝視していることに気づく。

 こいつは痛みに耐えきれずすぐに気を失うだろうと思っていたが、初めて味わう激痛に悶えながら、何故かこちらを戦慄の眼差しで見ていた。

 そこには明確な恐怖が溢れ出ていた。


 「お、お前、誰だ」

 苦痛と混乱で頭のネジが飛んだのかと思ったが、次に波瀬の口から出てきた言葉でその意味が分かった。


 「お前のその姿、まるで」


 姿。

 恐らく、こいつが見ているのは草柳冬馬じゃない。

 その中にいるもの。


 「まるで、あ」

 「それは内緒の話だ」


 そのまま、波瀬は気を失った。

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