第三十話「火に包まれた街」
「!」
アナウンスのようなその声に二人が驚き、
立ち止まったのは一瞬のことだ。
状況を理解し、すぐさま街へと走り出した二人の耳に
届いたのは沢山の足音と悲鳴。
そして…轟々と、美しかった街並みが燃える音だった。
「は…?」
どちらのものかも定かでない乾いた吐息が漏れる。
脳が、理解を拒んでいる。それは、二人の楽観の象徴だ。
逃げ惑う人々、それを追う魔物、崩れる建物。
目に入る景色の全てが絶望を突きつけてくる。
真っ暗になりかける視界の中、声が聞こえた。
「おい!こないだの兄ちゃん達だな!?」
数はそう多くないが、逃げることなく魔物と対峙している者のうちの1人、門番の男の言葉だった。
「ここは危険だ!逃げるんなら早くしろ!」
逃げる、一瞬その選択肢が二人の脳裏に過ぎった。
しかし…それらをかき消したのはこの街での記憶だ。
『兄ちゃんたちみてぇな冒険者が居なきゃ、
俺たちもこんなに平和には暮らせねぇからな!』
アイテムボックスを安く売ってくれた商人の人。
『危なかったね。怪我はないかい?』
命懸けの状況で救ってくれたシルヴィアさん。
『お金は後で払ってくれていい。』
金がない俺たちに後でいいと言ってくれた宿屋の亭主。
『絶対に、生きて帰ってきて下さい。お願いします。』
そして…キーラさん。
祈光達は、沢山の親切をこの街で貰った。
そんな自分達が今ここから逃げることがどうして許されようか?いや、許されないだろう。
他でも無い二人自身の心が、それを許しはしない。
だから祈光は門番に向き直った。
「俺たちは、中の人達を助けに行きます!」
目を見開き、数瞬迷った門番は、そうしてから深く頷いた。
「分かった。危険だと思ったら直ぐに引き返せよ。」
「はい!ありがとうございます!」
礼を言って二人は炎に包まれた街を駆け出した。
幾多の魔物を避けて、二人は残った生者を探しながら
ギルドへと向かって走り抜けていく。
道中に転がる少なくない数の人の死体に目を向けないように
する祈光は、しかしその視界に捉えてしまった。
「あ…」
「っ………」
爪か何かによって裂かれたような傷痕が胸の辺りから
脇腹まで広がっていて、あまりに沢山の血が流れ出た為か
青白くなってはいるものの、死体のその顔に二人は見覚えがあった。
「アイテムボックスの…!」
無力感や、絶望。入り乱れた感情に涙が溢れる祈光は、
それを拭って言った。
「ごめん…ごめんなさい…でも…行かないと…。」
まだ生きている人を救うために、キーラとの約束を果たすために祈光は死体を置いて、進むことにした。
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魔力を限界近くまで使ってしまった為に身体を襲う
強い疲労感に肩で息をつきながら、キーラは部屋を出た。
先程まで、キーラはダンジョンの出土品としては
そう珍しくもないレベルにあたる魔道具…
拡音強震器と文献には書かれているらしいそれを使って、冒険者によって知らされたスタンピードの発生を街全体に伝えていた。
その放送の時点で避難する選択肢もあったのだが、
キーラはそうしなかった。
炎系統の魔物が街を火で包んでしまった事を知り、
火事の中では統制が取れていないと、死者が飛躍的に
増えるだろうと考えたからだ。
自ら志願してその場に留まって放送を続けたキーラは、
先述のように魔力が尽きたので、放送を終わって
漸く自らの避難に入ろうとしていた。
まだ火の手の回っていないギルドから外に出て、
事前に確定させたルートを通って街の外へと
出ようと進むキーラは、小さな子供の泣き声を聞いて
思わず振り返った。
視線の先には、ゴブリンに襲われ逃げ惑う六歳前後の女の子が居る。
見過ごせば、あの子はまず助からないだろう。
そう考えた時には、身体が動き出していた。
持っているのは火属性の簡易魔法石一つだけ。
今にも手に持った棍棒を振り下ろしそうな
ゴブリンから女の子を庇いつつ、自らもその攻撃を避けた。
「怪我はない!?」
「う…うん!」
怯えた様子の女の子に笑いかけて、告げる。
「直ぐに向こうへ走って逃げて!」
女の子がその言葉を聞いて直ぐに駆け出したのを確認して、
キーラはゴブリンに向き直った。
(勝算は…ほとんど無い。けど…多分逃げられない…。)
絶望的状況を前にして、それでも諦めずキーラは
辺りを見回して勝ち筋を追う。
(あれなら…もしかしたら。)
どうせ死ぬなら賭ける価値はある。
そう考え、瞬時にキーラは走り出した。
当然ゴブリンはその後ろを追う。
ゴブリンの方がスピードは早いが為にその距離は
縮まっていくが、しかし賭けに勝ったのはキーラであった。
強い火に炙られ崩れかけた木造の古い建物の先で、
キーラは立ち止まってゴブリンの方を向いた。
(まだ…まだ……今っ!)
狙い済まされたタイミングで投げ放たれた簡易魔法石が、
ボロボロの木造住宅にぶち当たり、衝撃波と火炎が広がる。
その衝撃は壁がの崩壊の最後のひと押しとなり、
壁は傾き、大きな音と振動と共に倒れていく。
そしてゴブリンの身体は巨大な質量に押しつぶされた。
一先ずは危機が去ったとキーラは安堵し、ため息をついて
街の外へと歩き出した。体力ももう殆ど残っていない。
決して早いとは言えない足取りで進むキーラの真横、
僅か数十センチ程の距離を瓦礫が掠めた。
「え…?」
瓦礫が飛んできた方向、それは先程ゴブリンを倒した
はずの場所。
そこには、瓦礫を跳ね飛ばして立ち上がるゴブリンの
姿があった。
(どうして…!?普通のゴブリンなら死ぬはず…っ違う!
この個体は…魔石持ちだ!)
キーラは逃げることも許されず、凶暴化して迫り来る
ゴブリンに為す術なく足を捕まれる。
「きゃあっ!」
そのままキーラは投げ飛ばされ、頭を強打する。
倒れ込んだキーラは、動くことが出来ない。
にじり寄るゴブリンの姿も歪み、意識が朦朧としていく。
キーラが死を覚悟したその時、人影がゴブリンを
殴り飛ばして話しかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「え、誰…?」
意識が途切れる寸前、辛うじてその顔を見て絞り出せた
言葉はそれだけだった。