第二十七話「ヒエラルキー」
「ふーー、朝か…。」
祈光はそう言って身体を起こし、そのまま最近日課になりつつある思考を始める。
考えるのは、今まで倒してきたモンスター達の事。言い換えるならば、祈光達が今まで殺してきた魔物達の事についてだ。
最初に魔狼と遭遇した時。この世界に来て、初めて自分と同じような身体の大きさをもった生き物を殺した事で、祈光の心には言いようのない罪悪感が重くのしかかったのを、わまたは鮮明に覚えていた。
しかし、昨日のゴブリン戦後の自分を思い返して、祈光は思う。自分は昨日、魔狼の時のような大きな罪悪感を感じただろうか、と。
命を奪うことの重みが、自分の中で揺らいでいるような気がしてしまう。
そうして考えれば考えるほど心が疲弊するのが分かって、
祈光は一旦それを心の隅に追いやって、
ゆっくりとテントから這い出した。
テントは昨日ゴブリンと戦った近辺に設置してある。
キーラが用意してくれたのはそこそこ上等な寝袋であったのだが、流石に野外ではあるため寝心地は良いとはいえず、
それにより身体の節々が痛み、更に動物か何かの鳴き声で
幾度か目も覚めてしまったために感じる寝不足による
僅かな倦怠感も祈光の気力を削いだ。
焚き火を起こして朝食をとりながら、祈光達は今日の計画を立てるべく、少しの話し合いをした。
あまり深くは無かった悠誠の傷は、幸いにも回復薬一つで昨日のうちに癒えたため、
二人は今日も引き続き調査を行うことに決めた。
あの後、ゴブリンが結局魔石持ちであった事によって
方角が恐らく間違っていなかったというのも、調査を続ける決め手になった。
まだ日が昇ってからあまり時間が経っていないからか、
少しだけ寒さの残る朝だ。
太陽の位置からして、恐らく午前六時過ぎであろうと
祈光は推測した。
その後、二人は野営道具をあらかた片付けて、
予め目処を付けていた方角へと歩き始めた。
悠誠は奇襲を警戒して武装を先に行う事にしたらしく、
右手の五指にそれぞれ金属と皮で作られた指サックのようなものを装着した。
その姿を見た祈光は脳裏に過ぎった言葉をそのまま口に出した。
「お前指短っ。中指でも小指サイズやんー!」
「はー?急に人の指煽るとか真っ当な人類種としてどうなんですかー?」
祈光は悠誠のその言葉に笑いながら謝った。
元の世界でも、よくこうして悠誠は指が短い事を…
ベーシストなのに指が短い事をよく弄られていたので、
これは勿論互いに冗談として認識したやり取りだ。
そんな風にふざけながら歩いていた二人だったが…
「うっわぁ見るからに怪しさの塊やん。」
「入りたくねぇ…。」
少し拓けた視界に現れたのは、高い崖と、そこに空いた入り口からして相当な大きさの空洞。
否、列車が通り抜けるトンネルのような大きさで、先が見えないほど奥にまで掘られたそれは、恐らく洞穴と呼ばれるものに該当するようなもの。
「………。」
ゴクリと唾をのんで覚悟を決めた祈光は洞穴の中へと歩きだし、悠誠もそれに追随する形で進んでいく。
所々ゴツゴツとした岩から染み出すように水が流れる湿った洞穴は、二人の不快感をこれでもかと煽る。
しかし今更戻るという選択肢は二人にはないのだ。
何故かどこまで進んでも明るい洞穴をただ真っ直ぐに進み続ける二人の目の前に現れたのは、
決してその岩の道の終わりなどでは無かった。
三体の大きな影。臙脂色で、醜い汚れた角を持つ異形。
ゴブリン達は、二人の方を視界に捉えた。
モンスターが獲物を視界にいれる。それは、モンスターがそれを襲うトリガーである。ゆえ、いつ襲いかかってくるのかと構えた二人に、ゴブリン達が取った行動は予想外のものであった。
「っ………なぁ…悠誠。」
「あぁ…。」
二人は短い会話を交わして、互いの驚きが間違いでは無かったことを確認する。ゴブリン達はなんと、それぞれの棍棒や弓などの武器を構えたまま、二人を囲むように、明確に、陣形を組み出したのだ。
それは、これまで二人が出会ったどの魔物にもなかった特徴だ。
はぐれ個体でもなけへば群れを成し、常に仲間と行動する魔狼でさえ、二人を見かけたら連携もへったくれもなく突っ込んできた。
昨日のゴブリンだって、祈光が構えていた時でも
突進という手段を取って直ぐに攻撃しようとしたのだ。
つまりはこいつらのおかしな点とは、獲物を見つけても直ぐには動かないその行動…否、魔物にしては不自然なように感じられる程の知性の獲得にあるのだ。
その不気味な光景に動けずにいた二人に、陣形を完成させたらしいゴブリン達が攻撃を仕掛けてきた。
「来るぞ!」
「おう!」
一匹のゴブリンが剣を上段に構えて二人に向かって飛び込み、さらにそれに合わせるようにもう一匹のゴブリンが大きな棍棒を横薙ぎに振るう。
それらの後ろから矢も放たれ、それらの狙いは狂いなく
悠誠を襲う。
しかし悠誠は微動だにせず弦を構え続ける。
それは祈光に寄せられた信頼の証であり、祈光は
それに応えるように生み出した一本の蔓によって、それら全ての攻撃を弾き、防ぐ。
更に現れたもう一本の蔓が剣を持ったゴブリンを打ち据えて、その勢いをもって床に転がした。
転がったゴブリンに向けて放たれたのは
その命を奪うのに十分な威力を持った衝撃波だ。
抵抗を許されず弾かれた異形は、頭蓋がひしゃげてもうピクリとも動かない。
「っし、一体撃破。」
更に間髪入れずに、蟲体発現によって腕に虫の甲殻を生やした祈光が奥の弓持ちの頭を横殴りに打って振り抜く。
「くっそ」
吹き飛んだ弓持ちに追撃をしようとした祈光は
棍棒を持ったゴブリンに阻まれ、更にその棍棒を胴へと振るわれる。
硬質な音が響いて祈光は数メートル後ろに飛ばされるが、
咄嗟に甲殻で防いだためにダメージはほぼ受けていない。
祈光は棍棒持ちに向かって走りだし、その拳を振るう。
強化された膂力は祈光よりもかなりサイズの大きいゴブリンとも渡り合う力を見せ、硬い衝突音が何度も響く。
そのうちに体制を立て直したゴブリンは、弓を祈光に向けるが、その瞬間空震による一撃に穿たれ、
吹き飛んだ先で壁と衝突し、ダメージの蓄積により呆気なく絶命した。
「ううっらぁ!」
弓持ちが死亡した横で続く祈光と棍棒持ちの攻防の末、祈光は棍棒持ちの攻撃を避け、その勢いのままに強く握った拳を振り抜く。その強烈な一撃によって、棍棒持ちゴブリンの命は簡単に尽きるのであった。
______________________________________________
先程よりずっと静かになった空間で、祈光は今しがた
自分たちが奪った命の残骸から目を背けて、思った。
魔物を倒す度に覚えていた罪悪感が、この世界に来て直ぐの頃と比べると、薄れてしまっている事。
人間が頂点に立ってはいないこの世界の生態系からして、
これはある種弱肉強食のようなものであり、だからこそ命を奪う行為さえも仕方がない事なのだと、分かっている。
分かっているが、染み付いた模範的な道徳心が祈光を
ただ苛むのだ。
そうして苦しむ祈光の頭の中で、声が響いた。
『忘れちゃ駄目だよ。』
「……………。」
『殺さない情はいつか祈光くん自身を殺すよ。
だから、きっと自分が生きるためには相手を殺さないといけない時の方が多い。
でも、そんな時こそ、忘れちゃいけないんだよ。その罪悪感を。』
「……。」
『仕方がないからと殺すことへの躊躇いを失くしてしまってはいけないんだよ。
奪う命に、奪った命に、敬意を払うべきだよ。
それが、弱肉強食の世界で自分の為に殺したモノへの
弔いになるはずだから。ね?』
声は、りえりえ先生は告げる。罪悪感を抱き続けろと。
罪悪感から逃げきり、楽になってしまえたらと願う祈光に、
その言葉は重く、厳しくのしかかる。
しかしそれは、逃れる事によってきっと生まれる自己嫌悪を
拭い去ってしまえる優しい言葉でもあって。
ずっと深く、罪悪感を抱える事を決意した祈光は、
幾分か晴れやかな顔で前を向き、りえりえ先生に
感謝を告げた。そしてゴブリン達の亡骸に黙祷を捧げると、
歩きだした。
「よし悠誠、行こうぜ。」
「おう。」
進む祈光の足に、もう迷いはなかった。