【コミカライズ】君に魅力が無かっただけ【3/15詳細追記】
※20250315追記
『麗しき令嬢には秘密がある〜魔性の女と言わないで〜アンソロジーコミック』
告知サイトhttps://comic-growl.com/article/entry/masyou
ブシロードワークス様より4月8日に発売されますアンソロジー内に、玉井また先生作画で本作のコミカライズ版が収録されます。
よろしくお願いいたします!
影のような黒髪に、夜を宿したような濃紺の目。
服も黒に近い色ばかりを着て、髪型もシンプルにまとめるだけで、飾りひとつ付けない。
顔は整っているが薄化粧で華やかさが全く無い。少しでも笑って見せたなら愛嬌もあったのかもしれないが、表情は常に固く、ほとんど変わらない。長く見ているとこちらまで気分が暗くなる。
傍らで静かにこちらの話を聞いて、小さく頷く姿は慎ましく思えるが、ただそれだけ。相槌で話を盛り上げることもなく、いつも物足りない。
つまり、面白味も魅力も無い地味な女。
それが自分の婚約者に対する、彼の評価だった。
子爵家子息のアルと、同じく子爵家子女のティアの婚約は、親友であった祖父達が決めたことだった。
始めは自分達の子同士を婚約させようと考えていたが、どちらも男子ばかりが産まれたため、諦めて孫に委ねた。そうして先にアルが産まれ、数ヵ月遅れてティアが産まれた時に両家で大々的に祝われたのは、いまだに語り草になっている。
だからこそアルは、不満を抱えていた。
父親は自ら選んで美しい母と結婚をした。なのに自分は始めから、しかも可愛げの無い地味な女が婚約者に決められた。と。
それでもティアとの婚約を嫌だとも解消したいとも言い出せなかったのは、両家の間柄は良好で要らない波風を立てるようだったからだ。
そもそもアルが『自分の好みではない』と思っているだけで、彼女の人間性に問題は何一つ無い。幼い頃から真面目に授業を受けていたティアは、マナーも完璧で成績も上位を維持している。性格も控えめで誰かと争うことも、ヒステリックになることも無い。誰が見ても羨むような優秀で理想的な婚約者だった。
だが、年若いアルにとっては『自分の好みではない』ことの方が大きかった。
「やっぱりアル様とサラ様はお似合いね」
「ティア様も悪い方ではなかったけれど、アル様の横に並ぶと……ね」
影のようだった、といつものように言いたいのだろう。と、ティアは一人壁際で周囲の声を聞きながら、ホールの中心——元婚約者のアルと、新たに彼の婚約者になったサラが、楽しそうに躍り続けているのを見つめていた。
アルと同じ金髪に青いアルの目と対になるような赤い目のサラ。大きな目、小さな鼻と桃色の唇。常に愛らしい笑顔を浮かべて暖かい春のような印象の華奢な彼女は、淡い暖色がよく似合う。
学園主催の夜会だから否応なしに参加したが、仮病を使って休めば良かったとティアは後悔した。
ティアが覚悟していた以上に、アルとの婚約解消と新しい婚約者のサラの話で持ちきりになっていて、居心地がとても悪い。なのにあと五分はいないと出席扱いにはならないため、周囲の視線に堪え続けるしかない。
ティアは何度目になるか分からない溜め息を、扇越しに吐いた。
祖父に望まれて婚約していたアルが、神妙な面持ちでティアの家を訪れて「婚約を解消して欲しい」と頭を下げてきたのは、今から二ヵ月前のこと。
ティアの祖父も両親も突然のことに驚いたが、アルの「心から愛する人が出来てしまった。彼女をどうしても諦められないし、このままだとティアを傷付けてしまうから、解消して欲しい」という懇願に、最後には了承した。
傷つけてしまうから、とティアを思ったようにアルは言ったが、それを聞いたティアはその場で「今更何を言っているんだ」と鼻で笑いそうになった。
これまでアルはティアをあからさまに軽んじたことは無かった。婚約者として節目でプレゼントも手紙も贈り合った。いつもアルはドレスを自分で選んでティアに贈っていた。ファーストダンスも、その後もティアを放っておくことも無く傍にいて、帰りはきちんと家まで送り届けた。
表面的にはアルとティアは、良い関係を築いているように見えていただろう。
だけど、サラと出会って以降のアルは、ティアに対する態度や言動は変わらなかったものの、彼の表情や空気は明らかにサラに好意を向けていると分かりやすかった。それを受けたサラもアルに好意を向けていたから、学園内では『悲しい恋物語』と密かに語られていた。
アルがきちんと婚約者として接していること、そしてサラも適切な距離でアルに接していたこともあり、ティアはよくある悪役令嬢のように扱われなかったものの、『二人の恋路を邪魔する障害物』のように裏では吹聴されていた。
それを知りつつ三年間も『悲しい恋物語』に二人で酔って楽しんでいたから、その場限りか、婚姻後も愛人として関係を続けるのだろうとティアは考えていたし、別にそれでも良かった。
だがアルは、卒業後に予定している結婚式の準備を始めようかと言う時期に、ティアを傷つけてしまうから婚約を解消したい、と言い出した。
祖父達が希望した婚約だったが、だけど祖父達は二人が無理に婚約を続けなくてもいいようにしてくれていた。政略的なものではなかったのだから、合わないと感じたり、他の令嬢の方が都合が良いのなら速やかに解消できるよう準備していた。互いに結婚目前まで不満のひとつも言わなかったから、婚約が継続されていただけだったのだ。
だからといって解消するならもっと早く言え、としかティアは思えない。
サラと出会って思い合った時点で——少なくとも三年前にアルが婚約解消を申し出ていたなら、ティアも今頃は新しい婚約者とこの夜会を楽しんでいたことだろう。さすがに二ヶ月で新しい相手を見つけるのは無理があったから、ティアは今一人なのだ。
一見するとアルの行動は誠実なようだけど、ティアの今後を何ひとつ考えていない。
ずっと婚約者として接してきたティアに本当に情があったなら、『ティアが傷つくこと』だけじゃなく、彼女が新しい婚約者を探さなければならないことも気にするべきだった。
そう。十八歳のティアに合う男性がいないのだ。
家は彼女の兄が継ぐため、ティアはアルの家に嫁入りする予定だった。
ティアの家族が方々駆け回って探したが、今から嫁ぐことができるのは父母と歳が変わらない伯爵の後妻か学業や素行に問題があって今現在まで婚約者がいない子息と、結果は芳しくなかった。年齢の範囲を下に広げても、状況は同じ。
さすがにアルの祖父も孫の所業に申し訳なく思い、婚約者が決まらないまま卒業しても困らないよう、希望する仕事の紹介状をティアに用意することを約束した。
そしてこの一件でティアは、アルがサラと思い合ってもティアを蔑ろにしなかったのは、ティアに多少でも情があったからではなく、サラの尊厳を守るためだと理解した。
要するに婚約者の立場を慮っているように周囲に見せて、サラが『他人の婚約者を略奪した悪女』だと悪く言われないようにするためだったのだ。
現にアルとサラの『悲しい恋物語』の結末は、ティアが愛し合う二人の健気な姿に心動かされて自分から身を引いた、という美談に何故か変わってきている。
つまり。
壁の花でいることも、婚約者がいないことも、全てティアの意思だと周囲は思っているということだ。
冗談じゃない!
ティアは『控え目な令嬢』だと言われているが、あるきっかけで自己主張が面倒になっただけで、内面は負けず嫌いで好戦的な思考をしている。だからいまだにアルの所業が許せないでいた。
その思い出し怒りで思わず手に力が入ってしまい、シャンパングラスのステムが小さくひび割れてしまった。ティアは何とも無い顔をしながら給仕に新しいグラスと取り替えてもらう。
地味な自分がアルの好みでは無いことを、ティアはいつからか何となく察した。
だが『地味』だとか『影のよう』だとか言われている装いは、ティア自身が好んでやっていることだった。
実は昔からずっと読んでいる物語に出てくるキャラクターに憧れて、真似をしているのだ。
夜色のドレスを纏う、月夜の麗人。
夜を溶かした黒い髪に月を宿した銀の目の淑女。
いつか挿し絵で見た彼女に近付きたくて、ティアはずっと家族から明るい色のドレスを薦められても黒や近い色を選んできた。友人に尋ねられて一度だけ理由を告げたことがあったが、しかし少し馬鹿にしたように苦笑されてしまい、それ以来ティアは尋ねられても曖昧に返すようになった。これが自己主張が面倒になった一因でもある。
だけどアルには本当のことを話したことがあったし、彼は「そうなんだね」と笑顔で頷いた。その時からアルはティアに他の色を薦めることがなくなったから、ティアはアルが自分の理想を理解してくれたのだと思っていた。
その頃からティアの中でアルの評価は、『好みではない』という理由で自分を蔑ろにしない人、婚約者としてきちんと接してくれる人、貴族として自制できる人となった。
だからティアは、サラという理想を詰めた女性との密かな恋に浮かれても自分に対する態度を変えなかったアルを信じた。浮気も気にしないようにしていたし、愛人を作ることも許そうとした。
決して誠実ではないが、将来を共にするパートナーとして。
だがそれは違っていた。
単にアルは、ティアに興味が無かっただけだったのだ。
だから婚約を解消した後の彼女のことを全く考えもしない。
そんな薄情な婚約者を良い風に勘違いしていた過去の自分を、ティアは思いきりひっぱたきたくなった。
五分は経っただろうから適当な理由をつけて帰ろうとしていたティアに、見知らぬ男性が近寄る。
ギルと名乗った青年は、病気療養で長く学園を休んでいた生徒だった。最近復学して、今日の夜会が初めて出席する行事だという。そういえば一年遅れて最終学年に入る方がいると噂を聞いた、とティアは思い出す。
ティアに声をかけたのは、自分と同じように一人でいたからだと言った。
「お知り合いは会場にいらっしゃらないのですか?」
「ええ。知り合いはもう卒業してしまっているので……」
当たり前のことを聞いてしまったことへの申し訳なさと、自嘲するように笑いながらどこか寂しげなギルの黄金色の目に、ティアの警戒心が薄れる。そこに
「実は……貴方のドレスがまるで『月夜の麗人』のようだったので……少しお話したくなって、婚約者がいらっしゃらないと、その、聞こえたので……お声をかけたんです」と言われたら、ティアが嬉しさに思わず少女のような笑顔になるのは仕方ないだろう。
何故なら、今夜のドレスは正に『月夜の麗人』をイメージしてティアがデザインにしたものだったからだ。
ずっとアルが選んだ流行りの型の黒いドレスを着ていたが、今だけ自分で選べるのならと思いきってみた。ティアの自己満足だったし、実際にギルに言われるまで誰にも指摘されなかった。
「あの物語をご存じなのですか?」
「ええ。昔から体調の良いときは起き上がれたので、本をよく読んでいました」
そう言ってあげていくタイトルや作者はティアもよく読んでいたものだった。二人は夜会のことや、アルとサラのことも忘れて、本の話で盛り上がる。
様子を窺っていた周囲も、ずっとアルの後ろで物静かに彼の話に頷くだけだったティアが初めて楽しそうにしている姿を見て驚く。
「何のお話をされているのか聞こえませんが、お二人とも楽しそうですわね」
「ええ。ティア様はあんなに愛らしく笑う方だったのですね」
「お互いに黒髪に合わせた装いだからでしょうか、並んでいるととてもお似合いに見えますね」
噂好きな生徒達が、先程までアルとサラを称賛していた口で囁く。
ティアもギルも婚約者がおらず、ティアに至っては『アルとサラのために身を引いた』と言われているから誰も、婚約解消直後に男に言い寄ってはしたない、とは思われなかった。むしろ、ティアも思う相手を見つけたのでは、と恋の話を好む少女達が色めき立つ。
遠巻きに、話を弾ませて笑うティアを初めて見たアルの心中は、何故か穏やかではなかった。
その後、学園でも二人は読んだ本の話から、愛用している物語のモチーフが入った小物を見せて褒め合ったり、お互いに好きな物語モチーフの髪飾りとネクタイピンを贈り合ったりと仲睦まじく過ごすようになり、ほどなく婚約が結ばれた。
ギルがティアの婚約者候補に上がらなかったのは、当時はまだ療養中で復学が決定していなかったからだ。
ひとつ歳上で留年しているが、それは病気療養だったため仕方ない。辺境伯の次男で、卒業後は領地の一角と爵位を与えられる予定。少しばかり不安はあったがギルも辺境伯家も誠実だと評判で、何よりティアとギルがお互いに相手を気に入っていることが一番大きい。
ティアの家族はようやく胸を撫で下ろし、アルの祖父は祝い代わりにと家庭教師の紹介状をティアに渡した。
地味で暗い少女だと言われていたティアは、ギルと過ごすうちに笑顔が増えて明るくなり、飾り気の無かった黒髪にはギルから贈られた髪飾りが輝いて、それに合わせるように凝った髪型をするようになった。服装もデザインに少し愛らしさが見える物を着る機会が増えた。
ギルと過ごすうちにティアが生まれて初めて、この人のために可愛く着飾りたい、と思ったからだ。
なにせアルとは違い、ギルは装いの中に隠した物語のモチーフに気付いて褒めてくれる。もちろん、モチーフ以外も。それがティアの原動力になっていた。
対するギルも同じく、病弱で流行に疎かったため服装に頓着することはなかったのだが、服の中に隠した物語のモチーフにティアが気付いて褒めてくれるから、彼女のために気合いを入れて着飾るようになった。
存在感の薄かったギルも、よく見れば柔和に整った容姿と性格で、ティアの穏やかな雰囲気と相性が良かった。
周囲は二人が恋の力で変わったのだと、好意的にとらえた。
それが面白くないのは、元婚約者のアルと、彼の新しい婚約者のサラだ。
アルは、ティアを手放した後悔を、今更していた。
何故なら、最初は華やかなサラを連れて歩くのも、明るい彼女と話すのも楽しかった。だけど次第にサラ本来の奔放さに振り回され、思うように自分が話の主導権が取れなくなり、アルは不満を募らせ辟易していたからだ。
しかもサラは要領は良いが、頭はさほど良くはなかった。子爵家の夫人として教育が始まった直後から教師に匙を投げられ、これまで教師が何人も入れ替わったが一向に進まない。アルが宥めても「支えてくれって言ったじゃない、なら私は隣にいるだけで良いじゃない!」と泣きわめく。確かにアルは婚約を結んだ際にサラの手を握って、当主になる自分を支えてくれ、と言った。だがそれは決して『隣にいるだけで良い』という意味では無い。
そんなサラに、始めは暖かく迎えたアルの家族達も今では白い目を向けるようになった。
そうして思い出すようになったのは、ティアだった。
アルの後ろを黙って歩き、自己主張も少ない。会話も自分の思うまま喋ることができた。何より、あの物静かな空気が、実は心地よかったことに気付いた。
しかもティアは常に成績上位を維持している才媛であり、幼少時から時間をかけて学んで子爵夫人として完成されていた。アルの『好みじゃなかった』だけで、ティアが優秀で理想的な婚約者だったのだと、今更思い知った。
それに今のティアなら自分の傍に置いても遜色はない。
慰めて欲しいと泣くサラを放置して、アルはどうにかティアと復縁できないか画策するようになった。
そんなアルを見て、まずサラはティアが彼を奪うのではないかと不安に駆られるようになった。……そもそもティアからアルを奪った側なのだが。
サラは実家の男爵家では落ちこぼれ扱いされていて、卒業後は大きな商家に嫁入りする予定だった。当初はサラも卒業と同時に関係を終えるか、そのままアルの愛人に収まるつもりだった。だが、最終学年になり初めて顔合わせをした結婚相手——五歳年上の肥えた醜男を見て気が変わった。アルに全て話して泣きつき、結果、サラの純潔が自分より劣る男に奪われるのを厭ったアルがティアとの婚約を解消してサラを選んだ。だから婚約解消を願い出る時期が遅かったのだが、そんなことをティアは知る由もないし、知ったことでもない。
男爵家の方は、商家との繋がりより貴族との繋がりを選んで、喜んで娘を差し出し、初めてサラを褒め称えた。
だからこそサラは、アルを逃したくなかった。
実際サラは最初の教師から学んでいた頃はちゃんとやる気があった。だが、覚えの悪いサラに対して段々と教師がティアと比較するようになり、嫌気がさしたのだ。
それでもサラは、周囲の人間がティアと比較する中でアルだけそうしなかったことから、アルの愛を信じた。ティアと比べられようと、義理の家族達から白い目で見られようと。
だけどとうとうそのアルまでもが「もう少し頑張ってくれ。今のままじゃティアの足元にも及ばない」と言い出した。
それは、サラの中で何かが変わった瞬間でもあった。
卒業式を終えると、毎年学園が最後の思い出にと夜会を開く。卒業生達は別れを惜しみながら歓談し、そして月の見えるバルコニーの近くで寄り添う二人——ティアとギルを見てうっとりと溜め息をもらす。
ギルはティア目の色でもある濃紺のタイを。ティアは裾に向かって黒から黄金に色が変わる、まるで夜明けのようなドレスに、ギルの目の色の宝石を耳元や胸元に飾っている。
卒業式では優秀生に選ばれ、壇上にも上がったティアは、もう『地味な令嬢』ではなく、聡明で嫋やかな女性、『月下の麗人』そのものとしてギルの隣に立っている。
周囲が気を遣って遠巻きにしていた睦まじく過ごす二人に、もう一組、会場の話題と視線を集める男女——アルとサラが歩み寄る。
アルは髪の色に合わせたタイを、サラは薄いピンクのドレスと、淡い青色の髪飾りで複雑に編ませた髪を飾っている。
「やあ、少し話をしないか」
挨拶も交わさずいきなり用件を持ち出したアルに対して、ギルが警戒してティアを庇う。アルは慌てて
「大したことじゃないんだ。だけどここじゃあ賑やかで聞きづらいだろうから、そこのバルコニーに行こう」と言って、ティアとギルの返事を聞かないまま先に歩き出した。その後を、サラがティアを一瞬だけ見て着いていく。
ティアは、ギルを促して、アルとサラが待つバルコニーに向かった。
「サラ様の家庭教師を、私に……?」
何の話かとティアは警戒していたが、どうってことのない内容で拍子抜けした。
だが、アルは違う。
婚姻は無理だから、アルはティアをまず家庭教師として招き入れ、そして愛人として寄りを戻そうと思い付いた。長年婚約者だったのだからまだティアは自分に情が残っていると思い込んでいるからだ。
そしてこのままサラを正妻に、そして愛人のティアに子爵夫人の仕事をさせれば問題無い。家族達もどういう形であれティアがいるなら自分に家を任せるだろうと、アルは考えている。
ついでに、暗く地味で面白味の無かったティアが、別れた後に美しく変わったということは自分を見返そうとしたためで、ギルと婚約したのは気を引きたいからだろう、と勘違いもしている。
「だからお祖父様から紹介状をもらったと思うが、そっちを断って来てくれ」
まるで当たり前のようにティアが頷くと思っている口振りのアルに、ティアはしっかりと伝える。
「お断りします」と。
まさかティアが断ると思っていなかったアルは、裏返った声で何故なのかと聞き返した。
「何故って、私は遠方にあるギル様の領地に参りますので」
「なら、うちに住み込めば良いだろう」
むしろそちらの方が手込めにし易いから好都合だ。
アルは夜明け色のドレスで隠れたティアの裸体を組み敷く妄想をするも「何故ですか?」と心底意味がわからないと言いたげな口調に我に返って慌てる。
「な、いや、だって、通いが難しいから、断ったのだろう? だから——」
「いえ。私はギル様のお側にいたいから、断っているんです」
きっぱりと断るティアを、ギルは嬉しそうな視線で見つめる。それに気付いたティアも愛しそうに見上げる。
まるで二人が思い合っているように見えるのは何故なのか。自分が今何を見せられているのか。ティアがまだ自分を好きでいると勘違いしているアルには理解できなかった。
そして、更にアルを混乱させたのは、馬車に乗った時から今までずっと黙りこんでいたサラだった。
「ティア様、それでは私が困るんです」
「どうしてですか?」
「だって、ティア様がアル様の愛人になってくれないと、私が子爵夫人になれないんです」
「おや。愛人とは聞き捨てならないが、サラ嬢、それはどういうことですか?」
「アル様は私がティア様の足元にも及ばないから私を捨ててティア様と寄りを戻そうと考えていらっしゃるのです。でも婚約を解消した後で再度結ぶことはできませんし、お互い婚約者がいるので、ティア様を愛人にして私の代わりに仕事をさせようと考えているのです」
「でも私は、ギル様しか……」
「そうなのですか? アル様は、ティア様が美しくなられたのは、自分のためだと思っていますよ? 自分に相応しい魅力が無かったからティア様と別れたけど、ティア様がまだ自分を好きだから美しく変わられて、気を引くためにギル様と婚約されたのだと」
「やだ……私はギル様だから婚約をして、着飾るのだって彼に見てもらいたいと思ったからなのですよ」
「そうだったのですね。アル様が思っていたので私もそうなのだと思っていましたけど、アル様にティア様が相応しくなりたい思うほどの魅力が無かっただけだったのですね。なのに私、とても失礼な勘違いを……。ティア様、申し訳ございません」
「わかって頂けたなら、構いませんわ。お話は以上でしょうか、アル様。サラ様の家庭教師の件はお断りさせて頂きます。もちろん、愛人のお話も。それでは、失礼致します」
呆然とするアルをバルコニーに置き去りにして、ティアとギルは腕を絡ませて去っていった。
「アル様。ティア様が愛人になられなかったので、私も子爵夫人お側にはいられませんわね。だって私は、才媛でいらっしゃる『ティア様の足元にも及ばない』のですから。なので婚約を解消致しましょう。大丈夫ですよ。アル様に魅力があれば、ティア様のような方とまた巡り会えるでしょう」
アルが一目惚れしたときと同じ朗らかな笑顔でそう言い残し、サラもアルを置いて去っていく。
その場に残されたのは、何が起こったのか理解できないまま立ち尽くすアルと、好奇心で四人の話を盗み聞きしていた噂好きの令嬢達だけだった。
夜会当日の朝。ティアの元に手紙が届いていた。
「……サラ様が、何故私に……?」
差出人を見て怪訝に思ったが、ティアは悩んだ末、封を開けた。
手紙には、今日の夜会でアルがティアに何かを頼むこととその真意が、そしてアルと婚約した経緯、その後の事。そしてティアに対する謝罪とサラの心中——アルに対する愛情も信頼も無くなったことも書かれていた。
手紙を見せた際、ギルは真っ先に疑ったが、しかしティアはサラの手紙を信じた。
そしてどうせなら女をアクセサリーのようにしか見ていない屑に一泡吹かせようとティアが提案し、了承だったら衣装のどこかに濃淡は問わないから青色を身に付けて欲しいとサラに返事を送った。
バルコニーに移動する前にサラが一瞬だけティアを見たのは、返事とは別に書かれた計画書を把握したという意味だった。
あの後アルは、一晩で広がった噂を聞き付けた両親と祖父に怒鳴られ、次の月には子爵家から抹消され、どこかへ消えた。自分から婚約を解消した令嬢を、今度は愛人として手元に置いて、あまつさえ夫人の代わりに仕事をさせようなどと軽んじた発言をしたのだから。しばらくの間、平民になったとか労働施設に送られたとか噂が流れたが今では名前すら聞かなくなった。
サラは婚約を解消した後に実家を勘当され、今は平民として働いて暮らしている。実は侍女にならないかとティアは勧誘したのだが、サラはあっさりと「惨めな気持ちになるから」と言って断った。同情だったことを見抜かれたようで気まずくなったティアは、それ以来サラとは関わっていない。
そして、長く続いていた祖父同士の友情も、この一件で途切れてしまった。さすがに自分の孫が友人の孫に軽んじて見られていたこと、自分の孫が友人の孫を軽んじて見ていたことは、許されることではなかった。
企てたティアも「これも因果応報ね」と反省し、アルの祖父に紹介してもらった家庭教師を辞退した。
「わざと盗み聞きさせていたのだと思ってたよ」
「……うっかりしていたの」
そう。ティアはここまで話を大きくするつもりは、本当に無かった。ちょっとアルに意趣返しするだけのつもりだったのだが、会話をこっそりと聞く人がいたことに気付かなかったのは、失態だった。
「アル様はともかく、ご家族の方々にご迷惑をかけてしまって……本当に申し訳無かったわ……」
「君は詰めが甘いときがあるからね」
ティアが学生時代に上位の成績を維持しておきながら一度も首位を取ったことが無いのは、そういう詰めの甘さだった。日常でも、完璧なようで実はちょっと抜けているところがあり、ギルは「ティアはそこも可愛い」といつも惚気る。
「まあ、明確に悪いのは彼だったし、あのまま他の令嬢が犠牲になることを思えば、彼を勘当したことは英断だったと思うよ。ティアの家と縁が切れたことは、あって然るべきじゃないかな。むしろ解消後も関係が続いていたことに驚いたくらいだ」
言われてみれば、とティアは振り返る。
婚約者を探していた際に怒っていたにもかかわらず、祖父達は変わらずに一緒に出掛けたりしていた。ティアの祖母と両親はアルに不信感を抱いていたから、祖父に対して控えて欲しいと言っていた。そして、アルの家族も同じだった。面倒な時期に解消してしまったのだから、仕事の紹介はともかく、交遊は控えて欲しいと。
だが祖父達は、片や新しい婚約者が決まっていて、片や可愛い孫が嫁に行かずに家にいる状況。危機感が無かったのだ。
それに今回の件で一番痛手だったのは祖父達の友情だけで、家同士は提携していた事業も無ければ、仮に反目したところで他の貴族に大きな影響は無い。
加害者はアル。被害者はティア。そして原因は祖父。
「……別に私が悩まなくても良いのね」
「そう思うよ」
「じゃあ、いいわ」
愛らしく微笑んで腕に飛び込んで来たティアを、ギルは愛しそうに抱き返した。