4 王子には救えない
幼い頃から何度も外側から見てきた塔の内部は、暗かった。夜だから日の光は勿論、外の灯りの光も入ってこかった。
星明りに関しては、今日は元から不幸の前兆のように雲で月も星も覆い隠されていた。ここに入ってくる前、見上げた空が真っ黒に塗りつぶされていて、震えてすぐに目線を逸らした。
外より真っ暗な塔に入った今になって初めて、明かりになるものを持ってこなかった己の杜撰さを実感したが、鴉はまるで気にしてないようだった。僕が茫然としている間に鍵を内側から占めると、僕の手を引いて歩きだす。
触れた手の感触に熱を帯びた違和感を感じる箇所がある。火傷だ。
弱り切った彼女が地下からの脱出の為に銀でコーティングされた梯子を触ったが為、出来た火傷だ。
梯子に銀は薄く塗られていたし、登る際、手袋をさせたり靴を履かせたりした為、彼女の防衛本能が察知出来ず彼女でも掴んで足をかけて登ることが出来た。その代わり彼女に一生ものの傷を残した。
その火傷が出来た時、肌が焼ける音と匂いに僕は心配と恐怖の入り混じった反応をしたが、当の彼女はそれより外に出られる、叔父上に会えることで頭が一杯のようで全く気にしていなかった。
ずっと、そうだったんだろう。王都に着く前から疲れようが傷つこうが、ただただ叔父上に会いたいという感情の方が強く耐えてきたんだろう。
すぐに階段があったものだから僕は気づかずつまずいてしまう。手の振動でそれが分かったのか、彼女はバランスを崩した僕をひょいと担いでしまう。そしてそのまま階段を上っていく。らせん状なのがなんとなく分かった。
色々と戸惑ったけれど、彼女は鴉で魔女だからと自分を納得させた。自分で登った方が良いとも思ったけれど、なんにも見えない僕はこうした方が早いと思ったのだろう。
一定のリズムで登っていくのが、足音と体に伝わる揺れで分かった。目が慣れるにつれ、同じ暗闇でも多少色の濃さに差が出てきた。自然と見ることになる下は真っ暗で奈落のようだった。
それほど高低差があるのだろう。塔の中の途中でも、ここから落ちたら死ぬと分かる。
長い間階段を僕を担ぎながら登っているというのに、黒い鳥で魔女の彼女の速度は一定だ。息切れもしてない。暗闇の中で黒い瞳の筈なのに妙に爛々として見えた。
「王子はお前のこと知ったらきっと喜ぶ」
鴉が急にそんな変なことを言い出した。
しゃがれた声だけれど明るい声に僕は反対の声で「どうして」と返す。
「王子はみんなに忘れられるんじゃないか、誰の記憶にも残ってないんじゃないかって思ってたって、だからお前が覚えててこうして動いてくれるって聞いたら喜ぶ」
彼女の言葉に僕は唇を噛む。
黒い鳥が、鴉が、魔女が言うってことは本気で叔父上はみんなに忘れさられるんじゃないかって不安に思っていたのだろう。それだけ孤独な日々を毎日毎日、毎日過ごしてきたのだろう。
僕が王宮でたくさんの人に囲まれて、たくさんの人に守られて、たくさんに愛されていた日々の分、伯父上はずっとあの塔の上で独りぼっちだったのだ。
「僕は酷い奴だから父上に話を聞くまで叔父上の存在を忘れていましたよ」
自分の生命を守る為に犠牲になった人のことを忘れて、呑気に過ごして、そして呑気に塔の下から眺めて「誰だろう」と他人事のように思っていた。なんて無邪気でおぞましいんだろう。
「うん、でもお前、その頃、物心って奴ついてないだろ。それでも王さまに話聞いて助けようとしてたから、いい奴だ」
そういう彼女から伝わる熱は暖かくて、優しかった。それがますます罪悪感を抉る。
僕が触れたところから、彼女に僕の冷たい人間性が伝わらないか今更になって不安になって、僕は彼女におろしてくれるように頼んだ。
「おろすと、遅い」
「いいんです。最初から塔の真ん中あたりで僕は止まる気だったから」
「どうして?」
「下から人が来たのに気付きやすくなるから」
嘘だった。本当の計画では最後までついて言って見届ける気だった。
でもやっと気づいた、僕には着いていく資格がない。
本来なら塔の下からあのやりとりを眺める資格もなかった。
鴉は首を傾げるものの、僕を下ろしてくれる。
暗がりでよく見えないが、なんとなく彼女の目が真っすぐこちらを見ているのは分かった。
「……ごめんなさい、僕の存在の所為で苦しませてしまって」
僕がきっと存在しなければ叔父上はこんなことになっていない。なんだかんだ王族の血は必要だ。王が死んだら次が居ないなんて状態には流石にリスクが高くてしない。
僕が生まれたから、今まで王のスペアだった叔父上が幽閉されることが決まったようなものだ。
「おかしい発言。逆、むしろ助かってる」
「違う、ぼくがいなければ貴方も叔父上も苦しまなかった。こんなことにならずに済んだ」
詳しい事情を知らない無邪気な彼女に僕はそういった。
「? でもお前がいないと多分、ずっと鴉、今は魔女だけど、鴉は独りだったよ」
「そんな訳ない、僕が生まれなければ叔父上は幽閉されなかったし、それを助けに来たあなたが牢屋に入れられるなんてこと起きなかった」
独りとはきっと牢屋でのことを言っているのだろうと推測して、そうではなく僕が全ての元凶なのだと説明する。
けれど鴉は真っ黒な瞳で僕を見つめたままだった。同じ黒なのに螺旋階段の下へと続く闇の黒とは全然違う。
「でもお前がいないとやっぱ鴉は独りだったよ。塔の上に王子が閉じ込められてないと、夢の中で夕焼け空飛んでも、鴉は王子に会えなかった。ずっときっと独りぼっちだったよ。独りのままきっと死んでたの」
「それはそうかもしれないけれど……」
鴉の言葉になんて言い返せばいいか分からず、僕は途中で口ごもる。
「王子は閉じ込められて悲しかった。お前も自分のせいだと悲しんでる、自分を恨んでる。でも鴉はお前が生まれて王子が閉じ込められたお陰で王子と出会えたよ。お前にも会えたよ。独りぼっちじゃなくなったよ。お前たちは悲しいことがあったけど、鴉には良いことがあったんだよ」
石造りの塔に夜中に居る所為か、妙に空気は湿っぽく感じた。だから僕は鼻を啜った。
「不思議だけど、そうなんだよ。良いとか、悪いとか、誰のせいとかどうでもいい。鴉はお前たちがいて、お前たちに会えて、独りじゃなくなったよ。王子やお前が居たからここまで来れたよ」
頬を撫でてくる鴉の手の感触は、火傷の所為か母上に同じことをやって貰った時とは感触が違っていた。ところどころざらざらしているそれは、彼女の人生や境遇の過酷さをよく示した。
「それがとっても嬉しい」
でも暖かくて、とても暖かくて。
どうしてこんな暖かい手を持った彼女を皆、忌み嫌うのだろう。迫害するのだろう。
「けど、王子を迎えに行って王子が喜んで、お前が自分を恨まなくなったらもっと嬉しい。二人の悲しい顔見てると悲しいから、二人が笑ってくれたらもっと嬉しい」
彼女がそう笑うので、僕は冷たい自分の手をぎゅっと握りこんだ。
ああなんて綺麗な存在だろう。例え、牢屋から出て埃や土だらけだろうが、体が傷だらけだろうが、綺麗だった。人だろうが、鴉だろうが、魔女だろうが、その魂の在り方は美しい。その生き方には、誰も敵わないだろう。
「分かりました。でもやっぱ僕はここで見張りをしないといけないから、行って下さい。ほら、これ鍵」
ポケットから鍵を取り出して、僕は彼女の手に押しつける。
鍵が銀製じゃなかったのは幸いだった。これなら彼女だけで扉を開けられる。
戸惑うように鍵とぼくの顔を見比べる彼女の手を握りこませるように手を揃えると、ぼくは自分の今最大限出来る笑顔を浮かべて、彼女に言った。
「叔父上待ってるからさ、魔女さん、いってらっしゃい」
反響する自分の声がなんとか明るいものになっていてほっとする。
魔女は少し黙り込んだ後に、鍵を強く握りしめるとぼくに背を向け「いってきます」、そう口にして一人で階段を駆け上がっていた。
暗い闇の中でたんたんと軽やかに駆け上がっていく足音にぼくは何とも言えない感情を抱えたまま耳を傾けていた。
やがてそれが、段々小さくなって、聞こえなくなってから、僕は急に足から力が抜けたように階段の途中で壁に寄りかかって座り込む。
壁についた背中が、床についた尻と手から石造りの建物の冷たさを伝えてきた。真夜中のそれはとても冷たかったけれど、そんなことより目頭が熱くてたまらなかった。
「ごめんなさいっ」
僕の発した謝罪は届かない、届かないからこそ僕はそう口にした。堰を切ったように涙が溢れだした。
笑顔が見たいと言ってくれた彼女の前では泣く訳にはいかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
繰り返し繰り返し謝罪の言葉を口にする。そんなもの意味なんてないって分かっていても、どうしようもないと分かっていても、僕はこの塔の階段の途中で謝罪の言葉を口にするしか出来なかった。
ぼくには二人を最期に会わせることしか出来なかった。最後にじゃなくて、最期にだ。
これから魔女と叔父上は会うことが出来るだろう……けれど、その先は無いのだ。会って、それで終わり。その先は無いのだ。
それが分かった上で、それを織り込み済みで、僕は今回の計画を決行した。こんなことをしでかした。
叔父上に会えると言って魔女を唆して、彼女等を地獄へと送り出した。会えることは間違いじゃないけれど、その先は無い道に説明なしで行かせたのだ。
この塔の出口は一つしかない。塔の一番下にある扉だけだ。あとは堅牢な石の壁と階段と、一番上にある叔父上が閉じ込められている部屋しかない。
叔父上の幽閉されている部屋には窓があるが、その窓があるのは、地上から遥に離れた高い場所だ。飛び降りるなんてもっての他だし、何か道具を使って降りるのも無理そうだった。かぎづめかなんかついた縄で降りようにも、人二人があの高さを降りられるようなものは見つからなかったし、緻密に建設された塔にはとっかかりも少ない。
なんとか地上に降りられたとしても、その先にも問題がある。
こっそり出入り出来たら同じ塔の一番下の扉を使って逃げることが可能だったかもしれないが、厳重に管理されていた鍵を手に入れる為に魔女と騒動を起こした為、それはもう出来ない。
恐らく鍵の閉められたその扉の前には今はもうたくさんの兵士たちがいる。それどころか僕を魔女の手から救う為に扉をこじあけようとしている筈だ。
そう、塔からなんとか二人が脱出できたとしても、塔の外では大勢の兵士が待ち構えているのだ。
そしてそれは彼女らが生きる限り一生付きまとって、一生危害を与えようとする。彼女等を危険な者として排除しようとする。
このまま僕を人質にして逃げ回るとしても、長い間幽閉されていた叔父上と人質としての機能を果たすための僕がいるのでは現実性が無い。
当然じゃないけれど、当然になるこの世界が嫌だけれど、彼女等が追われるのは、狙われるのは、排除されるのは当然なのだ。
だって彼女は王子である僕を操った悪い魔女で、叔父上も魔女と逃げたこの国の内乱の火種なのだから。
この世から排除しなければならない存在、そういうことに世間的にはなってしまったのだから。
それを全部分かった上で、僕は魔女と叔父上を、優しい彼女等を地獄へと送り出した。死へと送り出した。
でも、僕にはこれしか思いつかなかった。他の方法を考えるにも時間が無かった。
魔女も叔父上も弱り切っていた。
時間がもう残されていなかった。
二人ともお互いに会いたがっていた。
僕はそれを知っていた。
彼らがお互いに会うのを切望したまま終わるのを見たくなかった。会いたかったなで終わる世界だなんて許せなかった。彼らもきっとそれは望んでいなかった。
だから、僕は例え一時でも、彼らが会えるようにしたかった。
本当は、彼らが二人で共に生きて行けるようにしたかったけれど、それが出来ないのならせめて彼らを最期に再会させてあげたかった。
魔女と叔父上の幸せの一番の障害の癖に何を言っているのだという話だけれど、本当にそう思ったのだ。
そしてそれは僕の勝手な妄想に過ぎない。きっと僕じゃなかったら、もっとどうにか出来た。もっと良い未来を二人に与えることが出来た。
でも、僕にはそれが出来なくて。
せいぜいこの階段の中間で、兵士たちが扉を破って上がってきた際に、時間を稼ぐ為に待ち構えるしか出来ない。
塔の中は暗くて、寒い。
上を見ても下を見ても闇しか無くてどこまでもがらんどうで、まるで昔、叔父上のことを忘れて塔の下から彼と鴉を見ていた僕のようだった。いや、昔だけでなく今もか。
魔女は悪い存在だと世間的には言われている。
文献に載っていた伝承では、魔女が人々を苦しめたり、悪い方向に唆していたりしていた。
中には魔女が美しいお姫様を高い塔に閉じ込めて、救いに来た他国の王子様を突き落としてしまうなんて話までもあった。
でも現実は違う。似たような話はあっても、肝心な所が違う。
閉じ込められていたのは王弟で、
救いに来たのは優しい鴉で、
鴉を唆したのも、王弟を閉じ込めたのも、
彼らをこれから地獄に突き落とそうとしているのも、
王子の存在なのだ。