2 黒い鳥と僕
魔女は不思議な力を持つが、それ故に人間の範疇を超えた不届き者として、不吉な存在だという。
黒色の獣や鳥を従え、時には化け、銀を苦手とし、願いと引き換えに代償を求め、人々の欲を利用して堕落させ、魂を奪う。
忌むべき存在。
そんな魔女が捕まって大教会の地下牢に収容されたらしい。初めそれを聞いた時に叔父上のこともあって、良くないことに限って続けて起こってしまうのかという苛立ちの混じった感想を抱いた。
しかし、教会関係者が親族にいる使用人からある話を聞いてからは変わる。
その話とは、魔女は捕まる直前に「鴉は王子を迎えに来たんだ」と言葉を残していたということだった。
叔父上はあの真っ黒な鳥のことを鴉と呼んでいた。
塔に近づくことを禁止されていた僕は、その話を聞いてから数日後、寝間着姿のまま真夜中の教会に来ていた。
お付きの人が知ったら止められそうだと思ったので、みんなが寝静まった後、一部しか知らない王族専用の隠し通路を使った。塔の近くの通路は封鎖されていたけれど、大教会に繋がる通路は封鎖されていなかった。
教会用の鍵盤楽器のメンテナンスルームにある隠し通路の出入り口からそーっと顔を出して、人の気配が無いのを確認し、外に出る。
地下牢への入り口を知らないので、とりあえずメンテナンスルームから出て教会内部を確認する。
真夜中の教会の中を青色のステンドグラスを通した月明かりが照らしていた。裸足の所為か床の石材が酷く冷たかった。
同じく石材で作られている神様の像の目も、僕が現在忍び込んでいる罪悪感もあって、責めているように感じた。
その空間に神聖さより、不気味さを感じて僕はごくりと息を飲む。
地下牢の場所は教会の偉い人と、牢番しか知らないと言う。父上だったら知っているかもしれなかったが、魔女に会いに行くとなれば止められる可能性が高いと思った。
最近の父上は、酷く情緒不安定で、叔父上だけでなく僕のことも失ってしまうんじゃないかと不安になっている。魔女の言葉がいくらあの黒い鳥に関係があるかもしれないとは言えど、不安の方が勝ってしまいそうなのだ。
コツコツという靴音が聞こえて僕は柱の陰に身を隠す。もしもの時用にと教えられた方法で必死に息と気配を殺す。
おそらく夜間の見回りだろう。蠟燭の火を持ってしばらくそこらを見回っていたが、去っていった。
安心して床に座り込んだ時、手に触れたひんやりとした床に妙な隙間があるのに気付く。そしてその下から夕焼け色の光が漏れ出しているのにも気づいた。床に耳をつけて、慎重に叩いて、そことそこじゃないところを聞き比べれば、どこか音が軽い。空洞があるということだ。
僕は腰に下げていた剣を抜くと、その隙間に差し込む。そしてそのまま、てこの要領で力を込める。
剣術の先生に見られたら確実に叱られるけど、そんなことはどうでもいい構わず力を込める。
すると一枚の床材がとれた。厚さは指二本分ほど、縦横の長さは腕くらいの石の板だった。重い石材なので音がしないようにそーっと少し離れた所に置く。
外れた床下には下へと降りる梯子があった、おそらく光はこの下から漏れ出ているのだろう。
僕は剣をしまうと、すぅと息を吸い込んでから梯子を下り始める。
固い感触の梯子は銀でコーティングされていて、何故こんな場所に銀を使っているのか不思議に思った。安全性の為に木材を使わないのは分かるが、金属だったら鉄とかでも全然良いだろうに。
降り立った先は石の壁と床。上からは教会の中の青い光がわずかに差し込んでいたが、それ以上に先へと続く細い道から夕焼け色の強い光が目につく。
湿った空気と土臭さと狭い空間には不気味さを感じるものの、あの一人と一匹の時間を想起させる夕焼け色の光に惹かれて僕はそのまま先に進む。
裸足の足には相変わらずの冷たさと、上の床とは違って雑な作りなのか、ごつごつとした感触と湿り気を感じた。寝間着姿な分、床に触れている部分以外も少し寒気を感じる。
「迎えにいくって約束した」
しゃがれた声、だけれど老婆のようにゆったりしたものでは無かった。どちらかというと雰囲気は子供に近い。少し勢いの感じる声は鴉という鳥類の鳴き声に似ていた。
そんな声が聞こえ視線を向ければ、
骨のような手が格子に伸ばされる度に、夕焼け色に光って拒まれているのが暗い地下の向こう側で見える。
「やっと夢で見た塔見つけたのに、これ邪魔、ここじゃない」
今度は子供が癇癪を起したような調子だったかと思うと、何かが勢いよく大きな塊が格子にぶつかって弾かれた。
駆け寄って見れば、真っ黒な長髪を持った女の人が、まだ若干夕焼け色に光る格子の内側、牢屋の中で倒れていた。さっきのでしびれたのか呻き声をあげるものの、湿った土の上からそのまま起き上がらない。傷だらけの足が妙に鮮明に見えた。
体を覆うような黒髪が気のせいか翼のように見えた。
「だ、大丈夫?」
どうすればいいのか分からなくて、そうとりあえず口に出せば、その人は顔をこちらに向ける。
何を考えているのか読めない鋭い真っ黒の瞳に見つめられ、僕は怖くなって「お、お前は魔女か?」と急に変なことを口走って、後ずさりした。
「魔女じゃない。私は鴉だ」
「っ」
そうではないかと期待はしてここまで来たものの、当の本人のきっぱりした宣言に歓喜の声をあげそうになって、口をとっさに覆う。
目の前にあるのは鳥の姿ではない、人間の姿だ。でも僕は目の前で横たわる女があの黒い鳥だと思った。塔の下から何度もその黒い鳥の姿を見てきたから。
「そういうお前は誰だ? 王子に似てるけど、王子じゃない」
上半身を起こして、少女は格子越しににじり寄ってくる。
「あ、えっと……」
「こっちは名乗った。そっちも名乗れ」
この時になって初めて、自分の正体を彼女にあかしてないことに気づいた。
「王子ではあるよ」
「違うお前は王子じゃない」
「ええっ……?」
自分の身分をこんなにはっきり否定されたことが無くて、少し焦った。王子じゃないと言われても、僕は王子なのだからそれを肯定することが出来ない。だが、目の前の彼女は不満そうだ。
だが、あることを思い出し考え直す。
叔父上が収容されたのは父上が即位される前だから、叔父上の身分はその時、王弟ではなく第二王子だった筈だ。
つまり彼女が僕を王子じゃないと否定するのは、叔父上のことを王子だと認識しているからかもしれない。
「貴方が言う王子は僕に似た顔で青い瞳をしてる?」
彼女は頷く。
「僕は君が迎えに行こうとしている人のお兄さんの子供なんだ」
「甥って言えば分かる」
「ごめん」
なんとなく言葉遣いからどこか幼さを感じて、おそらく年上であろう彼女に対して噛み砕いた物言いをしてしまったが、不機嫌そうな反応をされて謝る。
「甥が何の用だ?」
「叔父上のことを助けて欲しくて、僕と父上は色々しがらみが多くて駄目なんだ」
牢屋に居る囚人に向かって、王子が頼みごとをするなんて光景、普通ではあり得ないだろう。だけど、頼んだ。頼むくらいしか出来ないから。
そんな僕の言葉に対して、彼女は少し口角を上げた。
「言われなくてもそうする」
すっと立ち上がった彼女はか細くて、小さいのに、とても頼りがいがあった。
「だからここまで来た。王子を迎えに来た。約束したから」
格子の夕焼け色の残光と彼女の組合せが、夕焼け空を一直線で飛ぶあの黒い鳥を彷彿させて泣きそうになる。
「だけどこれが邪魔」
がしっと豪快に彼女が格子を掴もうとすれば、バチバチバチィと手中から不穏な音が響き、また夕焼け色に強く光る。
そうしてから彼女は手のひらを広げてこちらを見せる、火傷痕でもできているかと思ったが何も出来てなかった。
「なっ」
「傷出来ないけど、触ろうとしたら弾かれるし痛いし力抜ける、変」
格子と彼女の手を見比べて、ふと気づく。この格子、銀製だ。
そして、魔女は銀を苦手とする。
「……ねぇ、これ邪魔、どうすればどかせる? どうしてこうなるの?」
真っ黒な瞳を真っすぐ向けられて問われる問いに「魔女は銀が苦手なんだ」となんとか答える。
「鴉は魔女じゃない。魔女って何度も言われたけど、違う。だって王子は鴉のことは鴉と呼んだ。だから苦手じゃない」
そうやって格子に伸ばされた手はまた夕焼け色に阻まれた。
***
それから昼は公務をこなした後に、魔女や鴉についての文献や情報を集めて精査して、夕方には塔の方を見つめたり、叔父上についての噂を聞いて、真夜中になると鴉の元へ行く。その際、神聖で人を救い導く為に存在している大聖堂とぼろぼろの黒い鳥が無理矢理閉じ込められている地下の組合せの歪さに、日に日にどこか気味悪さを感じた。
お陰で眠れない。でもそれでよかった。どうせ何もしなくても何が起こるのか不安で眠れない。何も出来ないことに、何もしないことに不安になって眠れない。
目の下のくまはどんどん黒くなっていって、みんなに心配された。
でも、このくらいどうってことないや。
だって、叔父上や黒い鳥の方がもっと辛いから。
黒い鳥はずっと独りぼっちだったんだって。人として生まれたのに見た目や仕草、両親が居ないことから鴉と呼ばれて忌み嫌われ、村の人につまはじきにされてた時に夢を見たんだって。
本当に鴉になる夢、鴉になって塔の上にいる人間に会う夢。
眠る度にそんな夢を見て、夢の中で何遍も何遍も王子と言う人と話してたんだって。
そしてある日、いつもお喋りで笑っていた叔父上が、外に出たいと泣いたから、迎えに行くことを約束したんだって。
夢の中の話、だけど彼女はその夢での約束を守ろうとここまで来たらしい。
その足で歩いて。傷だらけの足や彼女の容貌からはその過酷さが窺いしれたけれど、深い傷が残った自分の足を見ても、彼女は何とも思っていないのだ。
ここまでの道中の話を少し彼女から聞いたが、まあ酷いもんだった。
魔女と呼ばれ、石を投げられるのなんて序の口で、ナイフで刺されたり、剣で切り付けられたこともあったらしい。
そのことを知れたのも彼女がこんな酷いことがあったんだと報告するものではなく、銀で出来た格子を掴むのを懲りずに掴もうと止めたところ「でも、刺されたり、切られたりするのより、全然痛くない」と反論したからだった。
彼女にとっては過程なんてどうでもよくって、ただただ叔父上を迎えに行くことしか頭に無い。
それは彼女の魔力からも示されていた。昼に文献を漁るうちにそれが判明した。
魔女は銀が弱点だ。魔女が銀に触れると、触れた部位が焼け爛れて一生治らない。
けれど魔力の強い魔女になると、それを己自身の魔力が阻んで、自己防衛する。
大抵の魔女は強い痛みと共に黒や他の色でも暗い色の煙が出ることが多いらしい。随分昔にいた乾いた大地に水を与えた魔女でもせいぜい青色の光を発するくらいで、黒い鳥のような暖色の光を発する魔女は文献に載ってなかった。
何も初めから魔女は魔女な訳じゃない、このことはこの国の貴族となれば常識だから前から知っていた。
魔女になる要素を持つ子供はこの国でも毎年2、3人ほど生まれているらしい。その子らが全て魔女になるわけでもなく、むしろ魔女となる方がまず珍しい。
けれど魔女になる要素を持つ子供が、何かに人並外れた執着心を持った時に、魂が人の理から外れた何かと結びつき魔女に堕ちる。
大抵の場合は、恨みや憎しみ、復讐心がその執着だ。それが魔女が悪しき存在として忌み嫌われる要素の一つでもある。負の感情に酷く執着して生まれた存在なんて、きっと碌なもんじゃないから。
これは滅茶苦茶古い地方の文献の端っこに書かれていたことだが、魔女が魔女に堕ちる時に何に執着していたかが銀を阻む魔女自身の魔力の姿で分かるらしい。
黒い鳥は、彼女のそれは夕焼け色の光だった。多くの魔女のような黒い煙ではなく、綺麗な夕焼け色の光だった。
彼女は夕焼け色の光に関係するなにかに執着していた。
彼女の行動原理は約束を果たす、それだけだ。
復讐心も、憎悪も彼女には無い。彼女はそれらを必要としていない。
彼女は、僕が塔の下から見上げていた塔の上の叔父上とのあの時、空間に焦がれている。
叔父上を迎えに行くことだけを望んでいる。
しかし銀の格子はそれを阻む。そして仮にこの格子をどうにか出来たとしても、魔女が逃げ出したことによる追手、塔の入り口と叔父上のいる部屋の鍵を考えるとほぼ不可能だ。
どうにかして会えたとしても、その後どうするのかが見当もつかない。
逃走しようにもあの高い塔は空を飛べでもしない限り、登ったら来た道を引き返すくらいしか出る方法が無いから。
2人とも、悪いことをしようだなんて、誰かを傷つけようだなんて、誰かに復讐しようだなんて、誰かを不幸にしようだなんて考えてないだろうし、実際していない。むしろ、僕らが彼らのことを傷つけて、不幸にしている。
彼らはただ会いたいだけだ、迎えに行きたいだけだ、安らぎを得たいだけだ、幸せになりたいだけだ。
塔の上と大聖堂の地下、きっとそれは黒い鳥が歩んできた道のりに比べれば全然近いんだろうけれど、間を阻む壁はどこまでも手強く、一番壁となっているのはきっと僕と父上の存在だった。
僕は彼らを苦しめることしか出来ない。