1 黒い鳥と塔の上の人
ぼくはとある国の王子だ。やさしいけれどちゃんとするところは指どうしてくれる家臣や家族に囲まれたゆたかな国のしあわせ者の王子だ。
ぼくの住んでいるお城から少しはなれた所には、高い高い塔がある。
初めて塔の傍にいった時は、あまりにもこうふんしたものだから、帰ってすぐに母上に話した。
そうしたら母上は顔を真っ青にしてそこに近づいちゃいけないよって言った。ぼくのお付きの人も怒られてしまった。そうして最後に「お父様には今日見たことを絶対に言うんじゃないよ」とくぎを刺してきた。
でも、どうしても気になって「母上にはひみつだから」と無理を言って、何度も塔の傍に行って、見上げた。
お付きの人は塔以外何も見えなかったらしいけれど、ぼくには最初塔に行った時から見えていた。お付きの人は一部はすごくびっくりして、他はぽかんとしていた。
ぼくが見えていたのは塔の上の方に父上にそっくりな人が人がいるということだった。でも父上やぼくとは違って、緑じゃなくて青い目をしていたし、父上より若かったし、ぼくより全然お兄さんだった。
その人はまっ黒な鳥と楽しそうに話していた。
ぼくからして見れば大きくて炭みたいにまっ黒な鳥が、塔のてっぺん近くにある窓の枠の上でぴょんぴょんとはねて口を開けていた。それを見て父上にそっくりな人は何か話してから笑ってた。一人と一匹が話しているのはきっと楽しいものなのだろう。
鳥と人が話すなんておかしいかもしれないけれど、ぼくはそう思ったのだ。そう思ったし、そうであって欲しいと思ったから。仲よくお話ができるなんてすてきなことだから。
父上にそっくりな人が、鳥と会話している。そんなきみょうな光景を見に行かずにいられなかった。母上にはダメとは言われたけど、気になって仕方ないのだ。多分、見に行かないとねむれないくらい。塔の上にいる人が父上にそっくりだから、しんきんかんもあったのかもしれない。
何度も行く内になんとなく、その人と鳥がみえる時間が分かってきた。
空がオレンジや赤に染まる時だ。それも朝の方じゃなくて、夜に近い方。
たまに他にも黒い色の鳥が飛んでいることもあったけど、父上のそっくりな人は勿論、ぼくも見分けができた。だってまっくろな鳥は他の鳥といることはなかった。
空があたたかくてやさしい色に染められると、とおい所から黒い鳥がたった一羽で一直線に飛んでくるのだ。真っ黒でいつも独りぼっちだからすぐ分かる。それでその黒い鳥が来ると、父上そっくりな人が塔に一つだけあるまどに顔を出すのだ。
そうして一人と一匹は、独りぼっちじゃなくなる。
塔の上にいる父上そっくりな人もいつもまっ黒な鳥が来るまでたった一人だから。
塔にいる父上そっくりな人がどんな人か知らない。飛んでくるまっ黒な鳥のこともよく知らない。2人の話している内容も聞こえない。
だけど、塔の上の一人と一羽の不思議できみょうな姿を見るのが大好きだった。
おべんきょうや乗馬が上手くいかなかったとき、剣やダンスやマナーのレッスンで先生に怒られて沈んだ時も、その光景を見るだけでなんだか心がぽかぽかしてきた。なぞの安心が得られた。ああ大丈夫、世の中だいじょうぶだよって思える。
ある時、父上にばれた。ぼくが塔の傍に来ていた時に、父上も塔の傍に来たのだ。
塔の上を眺めるぼくを父上はびっくりしていたけど、すぐに「何を見ているんだい?」聞いてきた。
ぼくはしまったと思ったけれど、嘘を吐くのは悪いことだから怒られるのをかくごして正直に話した。
でも、父上は怒らなかった。
その代わりに涙を流した。父上が泣くのをぼくは初めて見た。だから、母上が話さないでと言っていたのは、父上がこうなってしまうだからだと気付いた。だから、もう話しちゃいけないと思ったんだ。
だけれど、父上はそれからぼくに塔の上の一人と一羽の話をよく聞きたがった。王様で、この国で一番偉いはずなのに、お願いだからって小さなぼくに頼み込むのだ。
ぼくの話を聞くたびに、
「気が狂ったんだな……私の所為だ」
「でも正気で居る方が辛いか……」
「笑えるだけマシなのか……」
「解放してやりたい……でもっ」
というような言葉を呻き声混じりに漏らした。
だけど、たまに何か思い出したように知らない人のことを、とても懐かしそうに優しい声で語りだすことがあった。
その人が父上の名前を父上の両親より先に口にしたこと。
剣を教えたらすぐに覚えたこと。
とてもやんちゃでよくお城の人を困らせていたけれど、根はとても優しい子で城に居る人、全員の誕生日を覚えていたこと。
父上のことをよく慕ってくれて、父上が一番気の許せる存在だったこと。
父上より優秀で才能があったこと。
戦どころか、諍いが大嫌いだったこと。
父上が決めたひどいことを、笑って許して受け入れてくれたこと。
ぼくが小さすぎてよく覚えてない頃よく遊んでくれたこと。
父上の部屋の大きな窓から真っ青な夜空を見ながら、ぼくはその話をだまって聞いていた。
空が赤やオレンジに染まった時は、塔の上の一人と一羽を下から見て、空が真っ青になった時に父上にその様子を話してから、父上の話を聞きながら眠りに落ちる、そんな日々をしばらく送っていた。ぼくはそれが変わるとは思ってなかった。
――だけど、ある日を境に黒い鳥が来なくなった。
最後に黒い鳥が来た日、ぼくは初めて塔の上の父上に似た人が泣いているのを見た。
***
黒い鳥が来なくなってからも、塔の上の人はよく空が赤やオレンジに染まると窓から顔を出して空を眺めていた。
あの黒い鳥が来ないかというように、日が完全に沈みきるまでずーっと眺めていた。
それでも黒い鳥は来なかった。
最初の方はそこまで目に見えて落ち込んでなかったものの、日を重ねていくとどんどん暗い顔になっていくのが分かった。
その内、空の色が何色だろうと窓の外を眺めているのを見かけた。
真っ青な空と、塔の上の人の組合せは父上にそっくりだったけど、ぼくをそれを見ているとひどく胸が痛んだ。
独りぼっちのあの人を見ていると、なんだかよく分からないけれど罪悪感で胸がいっぱいなるのだ。
たとえどの先生にも怒られなくても、むしろ褒められても、塔の上に一人ぼっちで黒い鳥を待ち続けている姿を見ると「褒められたぐらいでなんだ。もっと頑張らないと、もっと優秀にならないと」そう自分の中の自分が責めてくるのだ。
始めて塔を見てから数年経った頃には、僕は塔の上にいる人物が誰でどんな理由でそこにいるのか知っていた。
塔の上にいるのは、父上の年の離れた実の弟、つまり僕の叔父上だった。父上がよく話していたのも叔父上のことだった。叔父上というとなんとなく年を取ったイメージがあるけれど、僕の十歳上くらいだからまだ若い。
塔の上にいる理由は叔父上派が活発になって、この国が二分されたり、内戦が起こったり、王である父上や王位継承者である僕が殺されたりするような事態を起こすのを避ける為らしい。
僕が塔を呑気に見上げられるのは、叔父上が塔に閉じ込められているからだった。
ああ、僕が僕を責めるのも納得だ。
幼い頃一緒に遊んでもらった相手のことを、ぼくの為に犠牲になった叔父上のことを、忘れてしまって、能天気に眺めていたのだから。
叔父上の犠牲の上に僕は王子として平穏に暮らしているんだから、頑張らなきゃ、優秀にならなきゃ、許されないでしょう。
それにちゃんとぼくの中のほんの少しの良心が、叔父上のことをひとかけら覚えていた僕の何かが、お前はおかしいと忠告してたから胸が痛かったんだ。先生に怒られると、ミスをすると僕の心臓を僕が突き刺していたんだ。幼い僕は黒い鳥のお陰で笑っているのを見てなんとなく許されている気になって、ほっとしていたんだろうなと自分のおぞましさに今更になって気づく。
ある夜のことだった。日の沈んだ空は真っ青だった。ところどころに星が輝いているけれど、この空の中で黒い鳥が来ても、僕は見つけられるだろうか。
それでもいつものように塔を見上げると、塔の上野彼は窓の外に足を投げ出して、窓枠に座って下を見ていた。
ゾッとした。
いつも空しか眺めていない彼が地面を見つめていたことがただただ怖かった。その上、習得した読唇術で彼が言っていることが分かってしまったのだ。
『あ、死んじゃ駄目だった』
死にたいとかじゃなく、うっかりと言った感じの言葉だった。でも、死にたいの方がまだマシだったかもしれない。だって、こっちの方が死への距離が近く感じた。
その日まで、父上には心労を掛けまいと嘘は良くないけどずっと黒い鳥が来た体で話していた。
だけど、あれを見て黙って居られるほど、僕は強くなかった。
「黒い鳥がずっと来てない……いや、たまに鴉の群れとか、鳩とかが塔の周りを飛んでいるけれど、あの鳥じゃないんです」
「………………」
「いままで叔父上寂しそうだったけど、『迎えに来るって言ってたけど、鴉、おそいな』とか『忘れてはないだろうけど、空で迷ってんのかな』とか言ってた」
僕は黒い鳥の種類がなんだか知っていた。でも未だに黒い鳥と言うのは、あの鳥を鴉だというのは叔父上だけでいいと感じたから。
「みんな白い鳥は幸福を運ぶとか言うけど、違うんです。幸福を運んでくれるのは一匹のあの黒い鳥で、でも来なくて……叔父上が『あ、死んじゃ駄目だった』って今日、地面見て、言ってて……」
あともう少しで、そのまま飛び降りて死んでいた。その姿が簡単に想像出来てしまった。
あの後『ちゃんと待たないとな、鴉に怒られちまう』だなんて言ってたから少しほっとしたけど、またあのうっかりが無いとは限らない。叔父上の精神は確実に追い詰められている。
父上も話を聞いただけでもそれが分かったのだろう「窓を塞ごう」とすぐさま言った。きっと、飛び降りが出来ないようにだろうが、僕は反対した。だって、窓が無くなったら黒い鳥のことを待てない。父上もすぐそれが分かったのか、唸る。
二人で長い間考えた結果、一つの結論にたどり着いた。
――彼をあの塔から解放しよう。
勿論、色々事情があるのは分かっている。だけど、あのままだと叔父上が死んでしまう。それは嫌だった。それだけは嫌だった。
けれども、周りの側近や古参の使用人たちは猛烈な反対をした。
『これは個人だけの話ではないのです。国も関わる話なのです』
『これでも引き下がった結果なのです。本来、彼は二度と利用されないようにこの国の為に殺される筈でした』
『内戦が起こって、民が大勢犠牲になったらどうするのです?』
『陛下や殿下の命が危うくなったらどうするのですか?』
『争いを起こしたくないという王弟殿下の気持ちはどうなるのですか?』
『解放したところで彼の方が幸せになれると思いません』
『いっそ死んでしまった方が楽なのかもしれません』
多分、誰も間違っているつもりは無かった。
みんな誰かや何かを守ろうとするために反対した。
でも、守りたいものが、突き通したい正義や優しさがバラバラで、息苦しかった。
僕がずっと塔の傍にこっそり行っていたことが母上にもバレたけれど、母上は怒らなかった。
ただ塔の方を見ながら、『知らない方が、見ない方ががいいってことがあるのよ。私達はたくさんの犠牲の上で生きているのだから。……でも目を逸らす方がいけないことなのかもしれないわね』と言った。
母上が守りたいのは……たぶん僕だった。
僕が、父上が、国が、民衆が現在こうして平和に過ごしているのは、叔父上の犠牲があってのことだ。みんな天秤にかけて、あちらの方が犠牲が少なく済むから、叔父上を解放することを拒む。
きっとそれは国としては正しいのだろう。王や王子としては受け入れるべきなのだろう。だから父上が即位する前、ぼくがとっても小さかった時、叔父上は幽閉されることを受け入れたのだろう。綺麗ごとだけじゃ生きていけない、成り立たない、そんなのもう分かってはいるんだ。
でも、どうしてだろう、そんなの理屈で分かっていても嫌なんだ。だんだん叔父上の犠牲の上で呑気に暮らしている自分が嫌いになってくる。
毎日、叔父上のことで議論される中、僕はこりずに塔の下から上を見上げる。
空がどんな色をしようと、雨が激しく降ろうと、雲で覆われようと、日が燦燦と照ろうと、風が強く吹こうと、叔父上は窓辺で空を眺めていた。
胸が痛い、でも空を見ていることに、生きていることにほっとする。
しかし、それも許されなくなった。重臣の一人が『もしかして王子は王弟派の誰かに唆されているのかもしれない。だってあの塔の下から上のことなんてそう鮮明に見える筈がない』と言い出したのだ。多分、本気で心配して言っていた。
僕以外であの距離で人の顔まで鮮明に見える人はいないから、疑われるのは必然だった。
でも、僕は見えていたんだ。ずっと見ていたんだ彼らのことを小さい頃からずっと。
だけど、事態は悪化するばっかで、僕は塔に近づくのを禁止された。議論では安全措置として叔父上の処刑を望む声が上がっていたらしい。
――そんな最悪な時だった、都に魔女が現れたのは。