エリスの心臓
あるところに、星の光に見守られていて、やさしい心を持つ人が多く住んでいる国がありました。
その国には毎年必ず流れ星のよく降る夜があって、星に願いを込めると誰かの心を幸せに変えることができると言い伝えられてきました。
国民はその言い伝えを信じていて、少しでも世界が良くなるようにお祭りの日には些細な願いを流れ星に託してきました。
戦争のあった年、お金も食べ物も少なくなってどうにも国が立ち行かなくなった時のことです。
国王は流れ星の力を国が管理してこの危機を乗り切ろうと国民に呼びかけました。
次の戦争に備えるためにお祭りを取り上げるのは許せないという声もありましたが、国民を代表する12の団体が魔法の力をしっかり管理すると反対する声をなだめて計画は進んでいきました。
国中から集められた選りすぐりの魔法使いたちが人の心を操る女神ディスコルディアと契約を結び、星を繋ぎ直す魔法の杖を貰いました。
その魔法の杖の力を使って夜空に偽りの星座の怪物を12組映し出しました。
怪物は各々の縄張りにやってきた流れ星を地上に落ちる前に回収することができ、とても効率よく奇跡を叶えることができるようになりました。
奇跡の力で皆の心を1つにまとめることができたので、誰かが自分のために独り占めしたりすることもなく、お金や食べ物を手に入れられなくて困る人はいなくなりました。
しかし、いいことばかりではありませんでした。
奇跡の力は長続きしなかったので、無理矢理1つにまとめられた心は奇跡の力が切れると行き場を失って偽りの星座の怪物たちの元へ集まるようになりました。
同じ興味関心を持つ心が同じところに集められていったせいで、怪物たちは次第に自我を持ち始めて自分の縄張りを広げてより多くの流れ星を集めることに執着するようになっていきました。
それぞれの怪物を従える団体は、自分たちの怪物は他の怪物と違って特別だと思い込むようになり、些細なことから陰で他の人の悪口を言うようになりました。
こうして毎年流れ星の降る夜は誰かの幸せを願う日から自分たちの幸せを押し通す日に変わってしまいました。
そんな街の雰囲気に耐えられず、お祭りの日だというのに部屋に閉じこもっている少女がいました。
彼女の名前はエリスといい、整った顔立ちをしていて体は健康そのものでしたが心はガラスのように脆く、いつも周りの人の暴言やひがみ妬みにびくびくしていました。
エリスは暴言を吐いても平気な顔をしている街の人が嫌いでしたが、そんな言葉で簡単に心が傷ついて何もできずにいる自分のことがもっと嫌いでした。
「どうか私に謗り貶しに怯えたりしない強い心をください」
くちをついて出た少女の独り言を女神さまは聞き逃しませんでした。
「なんてかわいそうなの。あなたの魂はこの世界で最も美しいというのに」
少女はたまらず女神さまにお願いします。
「お願いです、どうか私に勇気をください」
「そんなあなたにはこの金のリンゴがふさわしい。一思いに飲み込みなさい。たちまちあなたの心は誰のどんな言葉にも傷つけられないくらい頑丈になるでしょう」
小ぶりではあるものの飲み込むには少し大きいリンゴでした。
でもエリスは街の人と違って疑うことを知らないまっすぐな性格をしていたので女神さまを信じて飲み込みました。
すると不思議なことにリンゴはすっとのどを通り抜けてエリスの心臓と入れ替わってしまいました。
たちまちエリスの心は晴れていきました。
「全然苦しくないわ……むしろ、とっても心が軽いわ! 今までこんなにすがすがしい気分になったことなんてなかった!」
気が大きくなったエリスは堂々とした振る舞いで街に踊りだして、普段思っていたことを遠慮なく大声で叫び始めました。
「ねえ、なんでライオンアリ座は自分の体には草食が合わないことから目を背け続けるの? 子供にも草ばかり食べさせて餓死させるくせに自分がお腹を空かせたらこっそり魚を食べているのは皆知っていることよ! ほら、海の中から人魚座に睨まれているでしょう? どうせなら地上がうらやましくて仕方がないのに足を生やす勇気がない腰抜けの人魚も食べてしまえばいいのに!」
「男嫌いのザリガニ座ほど惨めなものもないわ! 恥知らずのハイエナ座に縄張りのほとんどを奪われた挙句、処女座を追いかけ回して正義の英雄を演じ続けないといけないんだから!」
「頭の弱いロバ座がいくら本を読んだって無駄よ! どれだけ背中にたくさん本を積んでも騙せるのなんて、薬は薄ければ薄いほど効果があるってバカなことを信じてるみずがめ座くらいのものよ!」
こうした罵詈雑言を聞いた人々は、始めのうちはエリスの気が狂ったのかと思って相手にしませんでした。
しかし、街の人の小さな疑念は余すことなく星座の怪物に吸い上げられてしまい、憎悪に侵された怪物たちは流れ星を集める仕事を放り出して他の怪物と争い始めました。
怪物たちが攻撃されているのを見て街の人も落ち着いてはいられませんでした。
自分たちの怪物がやられてしまわないように他の団体の人と殴り合いのケンカを始めました。
誰も夜空を流れていく星を集めたり願いをこめたりしなかったので、地上に落ちた流れ星の力は女神さまの加護を受けているエリスの心臓となった金のリンゴに集まっていきました。
言いたいことを言い切って満足したエリスは家に戻ると、急に気分が悪くなって金のリンゴを吐き出しました。
その拍子にエリスの汚れきった心は金のリンゴに閉じ込められて体から追い出され、代わりに金のリンゴに潜んでいた女神さまの魂が心臓のないエリスの体を乗っ取ってしまいました。
◇
一夜明け、偽りの星座の魔法は解けてしまっていました。街の人は争いで疲れきっていましたが、誰かがこれからの国の方針を政治的に正しく考えなければなりませんでした。
皆が考えあぐねていると、どこからともなく金のリンゴを手にした女神のように美しく自信に満ち溢れた女性が現れました。皆彼女の言うことには魔法にかかったように素直に従い、彼女の意見に反対する人は次の日には国から消えていました。
長い間偽りの星座の怪物の言うとおりにしてきた人々は自分で考える力をなくしていたので、彼女を新しい女王に決めて何でも言うことを聞くことにしました。
そして星の降る夜は世界で一番きれいな魂を持つ彼女と金のリンゴを星空の下で讃える日に変わりました。
「もう星座なんて使わなくたって世界は私の思い通り」