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プロローグ


 「永遠平和のために」というこの風刺的な標題は、あのオランダ人の旅行業者が看板に記していた文字で、その上には墓地が描かれていたりしたが、ところでこの風刺的な標題が、人間(・・)一般にかかわりをもつのか、それともとくに、戦争に飽きようともしない国家元首たちにかかわるのか、それともたんに、そうした甘い夢を見ている哲学者たちだけにかかわるのか、といった問題は、未決定のままにしておこう。


 (ZUM EWIGEN FRIEDEN / Immanuel Kant)



 プロローグ


 ところでその際、私は、道徳的な政治家(・・・・・・・)、つまり国家政略の諸原理を道徳と両立する形で採用する政治家は考えることができるが、政治的な道徳家(・・・・・・・)、つまり道徳を政治家の利益に役立つように焼き直す道徳家は考えることができないのである。


 *


 過去の話だ。簡潔に、最小限の単語のみで口頭するならば、歴史上で幾度目かの大戦が起きたという、簡素な一文で完結する。だが、そこに他の単語や、複数の蛇足を添付する。付随されたものは不要なものなので、当然、個人の権利で以て排除ができる。不要なものなのだから、それがあるかないかで、何かが変わることはない。大事は起きない。当然、小事も。この注意書きも、以上に述べた内容と同じだ。不要なものである。だが、事前に伝えておくべきだろうという点から、記されたものである。

 大戦という単語は、人間が生存している場所、否、空間。否、それも適当な表現ではなく、最もそれに適合する言葉を述べるならば、人間という生物が存在しているのであれば、それは、呼吸と同様に、必然的に起こる現象である。それは、自然現象と同意義だ。人間という生物がそこに存在したなら、それは、風が吹くように、木々が生えるように、水が生成され、流れ、川を作り、やがて海となるように、自然に発生する。自然現象と同意義の単語である。だが、冒頭に挙げ、これから説明をする大戦とは、歴代の、同じ名を授けられた、名誉ある不名誉な自然現象よりも、広範囲で長期間、壮絶に継続した。

 発端は、今となっては定かではない。前述したように、人間が生物として存在している以上、不自然な状態でしかない平和という状態が、制圧や統治によって齎されると信じられていた時代に、多くの国は、互いの領土問題や、国同士の政治的相違による問題を抱えていた。そんな中、軍国主義のとある一国が、牽制のつもりだったのかどうかは不明であるが、その国と敵対関係にあった他国の領土へ向けて、当時の軍事技術として最先端であった弾道兵器を発射した。

 この時点では、まだ、問題は双方の国同士の問題だった。発射された弾道兵器の詳細は、定かではない。その数も、定かではない。一発だったのか、複数発、数十発、それ以上が放たれたのかも定かではない。

 そうではなく、最早、どうでもいいのだ。

 発端が何であったのか、どういった軍事兵器が使用され、それが幾つ使用されたのか。それらは重要ではない。重要な事実は、これを合図として、先の大戦によって締結されていた、反戦を目的とした様々な和約は無下にされ、双方の国と、それぞれの国が同盟関係にあった友人達は仲良く手を取り合い、持てる限りの力を集め、越境した。これをよきタイミングであると受け止めた、これらの問題に関係のない国でも、類似した現象が発生した。これを機にして、この問題は、戦争と名を変える。厭戦を信念としていた国でさえ、後方支援という名目で、関与した国に武力提供や何かしらの介入をしながら、戦地は、倒した花瓶から流れた水の如く、地図上でその占有面積を広げ、その戦争は、それらを指し示す単語の中で最も位の高い、世界大戦という呼称を授かる結果となった。

 水が世界地図を濡らしきるのに、それ程の時間を要さなかった。

 ここまでは、歴史的に見れば、よくある話である。人間が、国という概念の民族集団を形成し、その集団は他と合併せず、個別の生活を送るようになってからは、珍しくはない当然の現象だ。自然現象なのだから。

 その大戦がそれまでのそれらと異なったのは、特殊な生物を、各国が主戦力たる兵士として投入した点である。

 それは、規格外の存在だった。

 その兵士らの肉体に備わっている性能は、あらゆる面で、人類より遥か上にシフトしていたのだ。人間と同じ形状をしていながらにして。

 兵器は、技術と知識を注ぎ込めば人の手で幾らでも造り出せる。性能も向上させられる。だが、その生物は、そうではなかった。偶然に生まれ、偶然に発見された。そのような性能を備えさせられるように製造されたり、改造を施されたりしたのではなく。

 それは、全てに於いて一般的な人間を凌駕していた。筋力等の運動能力や、視力を含めたあらゆる感覚、それらを正確に処理する脳細胞。その処理を、僅かな遅延や誤差もなく行動へと移せるよう、四肢へと伝達する神経の鋭敏さ。全てが人間を超えていたのだ。

 例えば、金属を素手で破断させ、生身で車と併走する。ピッチングマシーンから打ち出された速球に記載された文字の正確な視認や、遥か彼方の文字の裸眼での解読。聴覚も同様だった。普通は聞き取れない小さな物音も、遥か遠方での会話も、僅かな聞き間違いなどなく聞き取れる能力を、彼らの肉体は、特殊であるとか、そういった認識もせず、それが当然である、それが普通であるかのように備えていた。超人的能力を、生まれながらにして。

 彼らの存在が確認されてから、その人知を越えた力は、彼らを構成している特殊な細胞によって齎されていると判明するまでに、それ程の時間を要さなかった。彼らの肉体を構成している細胞は、著しく常人と異なっており、それによって常人では考えられない身体能力と感覚神経を授かったのだろうと医学的には解明されたが、その細胞が存在している理由に関しては、突然変異という漠然とした解釈だけで、現在に至っても解明されていない。

 また、それらの特殊な細胞には、劣化が存在しない。所謂、老化と呼ばれる現象が備わっていないことも判明した。それらは、ある一定の年齢に到達すると、そこで完全に成長が停止するのだった。それ以降は、細胞が一切の劣化をしなくなる。腔腸動物や扁形動物に見られる現象と同一のものだ。だが、何故それらの生物ではない人間が、細胞にそれらと同様の機能を持ったのかについても、やはり、突然変異だという漠然とした、ある種、万能な解釈のまま、現在に至っている。

 劣化が停止する年齢には統一性がない。個人個人で異なっていた。幼年期に細胞劣化が停止する者もいれば、二十代で停止する者も、晩期で停止する者もいた。その個人差に関しても未だに解明されていないが、規格外の身体能力や、感覚神経と細胞の劣化停止には直接的な関係がなく、細胞劣化、老衰が存在しない彼らは、外的要因によって殺害されない限り、永久不滅の生物だった。

 外的要因と言ったが、それに対しての機能も彼らは備えており、負傷に対する治癒能力も人間より優れ、完治に数か月を要する負傷を一晩の内に完治させられた。これも、その細胞の作用によるものであろうと推測された。その細胞が、血中の血小板や治癒の為に必要となる成分を通常より多く分泌させているのであろうと。その機能のお陰で、外的要因による死亡は、彼らから遠ざかっていた。

 それらの生物は、人間でありながら、人間がそれは人間であると判断する為に用いる基準数値を、悠々と超越していた。

 人間と同じ形状の、人間とは異なる生物。そう呼べる。

 世界が平和であったなら、彼らは研究機関に保護され、貴重な検体として調べられたのであろうが、しかし彼らは、生まれてくるタイミングを、不運にも誤ってしまったのだ。

 大戦の渦中。

 各国は、彼らの持つ細胞を、イヴ細胞、と名付けるだけして、その常軌を逸した異能を兵器と解釈し、その兵器は様々な戦場に投入された。イヴ細胞保有者は、人間として認識されず扱われてしまった。

 細胞保有者は、各国の思惑通りの活躍をした。当時の戦績が記述された貴重な文献には、細胞保有者一人で一個大隊を壊滅させたという、輝かしくも愚かしい記録が残されている。

 しかし、細胞の非劣化と、脅威の身体能力、再生能力を持ってしても生物であることに変わりなかった彼らは、大量破壊兵器の前では、やはり普通の生物との優劣なく、平等に死を迎えてしまった。彼らとイヴ細胞に関する疑問を世界が何ひとつとして解明させられていない理由が、それである。大戦の進展と激化に伴い、細胞保有者は数を減少させ、やがて、絶滅した。

 大戦は、イヴ細胞保有者の絶滅を境に戦況を変える。拮抗していた戦局は、バランスの悪いシーソーのように、大国と肩を組み連結していた一方に偏り、嘗ての戦争と同じくして、軍事力の差が歴然となる。

 程なくして、大戦の発端で中心核であった二国の内、最初に拳を振り上げた国が降伏を表明し、ようやく各国は銃を置いた。人間の手による幾度目かの大戦は、愚かな程に遅れ馳せながら、終戦へ向かう。

 終戦後、問題となっていた国は国連によって国の在り方の変換を命令され、国の主導者はその身分を剥奪された。第三国の監視の下で新たな指導者が選別され、その後、各国首脳陣による平和に向けた会談が、ようやく実現する。事の発端、開戦からは、十三年が経過していた。

 新たなイヴ細胞の保有者が発見されるのは、それとほぼ同じタイミングだった。

 新たな細胞保有者が発見されたのは突然で、戦災の後であり、また、戸籍等の情報が正確でなかったので、外見からの判断で、戦死したイヴ細胞保有者の実子であろうと、遺伝によってイヴ細胞を受け継いだのであろうと解釈された。

 国連はその子供達を早急に保護し、管理体制を整える。戦災孤児であった細胞保有者は、国連管理下の特別な施設に収容され、今更になって、細胞に関しての研究が開始された。

 研究者達は初めに、絶滅したイヴ細胞保有者を第一世代と、新たに発見された子供達を、第二世代と命名した。

 第二世代にも、第一世代と同様に、常人離れした反射神経や身体能力が備わっていた。僅かに劣っている節も見られたが、それはまだ幼い、十代前後という第二世代の平均的年齢が起因したものであり、普通の人間同様、成長に従って変化するのであろうと考えられた。

 しかし、研究者達が着目したのは、第一世代との相違点だった。

 第二世代の子供達は、その身体能力以外、通常の人間と変わりがなかったのだ。子供達は成長し、老化する。細胞劣化の停止が存在しない。そこが、第一世代との相違点だった。

 それは、大きな問題として扱われた。

 第一世代は、ある時を境にして老化という現象とは無縁となっていた。そんな第一世代と異なり、第二世代のイヴ細胞は、通常の細胞と同様に老化をする。

 老化の原因は、現在も調査が進められているのだが、解明していない。そもそも、第一世代自体の研究が十分に行われていなかったのだから、当然である。双方を比較して調査することができないのだから。

 第二世代には、寿命が存在している。

 生き物としても、研究対象としても。

 これは、研究施設にとって危機だった。

 研究機関である施設には、第二世代のイヴ細胞の保存が厳命された。施設は、子供達から採取した貴重なイヴ細胞から、その細胞の構造や仕組みを理解しようとし、あらゆる側面から細胞を研究し、子供達を観測し、イヴ細胞を理解しようと努めた。

 理解には長い年月を要したが、彼らの努力は実を結び、遂に、薬剤投与によって、イヴ細胞を延命させる技術を確立する。劣化の停止ではないが、失う時期を、僅かではあれ先送りにできるのだから、美挙であろう。

 各国のマスメディアが、戦地となった国々の復興を今も報じているその陰で、第二世代の研究は着々と進められ、現在も継続している。

 戦後、報道から復興に関しての情報が途切れたことはない。内乱や紛争に関する情報も、同様に途切れたことはない。自然現象だから仕方がないのだが。

 大戦が刻んだ傷痕は、未だに完治していない。連日の報道がそれを証明していた。

 だが、それらの報道の中に第二世代に関する情報は、一度も加わらなかった。

 イヴ細胞という存在は、結果として、世間に公表されないままに、現在を迎えている。

 そのように、なっていることだろう。


 *


 その日は、日没を合図にして降り始めた粒の小さな雪が、冷たい風と共に静かに窓を叩く夜だった。

 全員が暖炉の前に集まり、ミリィとキャロは、床に向かい合わせに座りカードゲームに興じていた。サーシャは眼鏡越しに、厚く重たそうな本を読んでいる。この中では最年少であるエレーナは、自分のカードの不揃いさに不満げな顔をする実兄のキャロの膝を枕にして、一足早くまどろんでいた。時折暖炉の薪が爆ぜ、壁掛け時計が常に同じリズムで針を動かし、雪と風が一緒に窓を叩く。物音と言えば、それくらいなものであった。鏡の前に腰掛け髪を梳く湯上りのシャルルも、それほど大きくはない鞄に物を詰め込み、これからの身支度をしているローラも、これといった言葉を放つことはなかった。

 その日、珍しく、彼女達に言葉は少なかった。

 部屋に集まってから、一番言葉を発さなかったのは、部屋の主であるローラだった。彼女がこれまでの間に発した言葉と言えば、その他の誰かが来た際の、いらっしゃい、の一言くらいだった。お出迎えの言葉以外に彼女は口を開かないから、全員がそれに倣った。この現状に至った経緯はこれまでと変わらない。いつも通りのプロセスを今回も踏んでいるだけだった。いつだって、彼女達を先導するのは、ローラだ。その彼女が沈黙している。否、沈黙ではないが、言葉を少なくしている。だから、全員がその指示に従っていた。

 いつも通りではない状態が、いつも通りに形成されていた。

 ミリィが、カードを床に叩き付けるまでは。

「やった」ミリィは、笑窪の目立つ笑みを浮かべた。久方振りにどうにかして発生した会話の糸口は、カードゲームの勝敗だった。浮かべた笑みは、些か、ぎこちなかったが。「フォーカード。どう、キャロ。これであたしの5連勝」

「くそ」キャロは指先で頭を掻いてから、自分のカードを放り投げた。彼のカードには、模様にも数字にも共通性がない。「また負けか。君、何かズルをしていないかい?」

「ズル?」ミリィは瞳を大きく開いて聞き返す。

「そう、ズルだ」反してキャロは、瞳を細くしてミリィを見た。

「負けた人がよく言うよね、そういうセリフ」ミリィは誇らしげに鼻を鳴らした。「勝てないキャロが悪いんじゃない」そして彼女は、胡坐のままキャロに詰め寄り、人差し指を彼の鼻先に突き立てる。

 彼女は、普段からラフな格好でいることが多い。その夜も、外の寒さに気付いていないのか、上半身を隠しているのは彼女の背丈に合わない大きなサイズのシャツだけだった。ボタンは上から二つが外されている。接近したことによって、対面しているキャロの視線は、その胸元から覗く双丘に釘付けになった。

 直視していてはいけない。

 男性としてのそんな道徳心から、彼は顔を背けた。傍目には、悔しさから顔を背けたように振舞ってみたのだが、顔が熱を持っていることは、彼自身が一番自覚していた。それまで誤魔化せたかどうかはわからない。彼は、自分の顔が感情に対して従順であることを知っていた。

「君が勝ち過ぎなんだよ」キャロが頬の熱を冷ますように、ゆっくりとした口調で訴える。「何回勝っているんだ。そうだ、勝ち過ぎだよ」

 キャロの訴えに対し、ミリィは誇らしげに胸を張った。同時に、キャロは顔の向きを反対にして、彼女の姿が視界に入らないようにした。彼が直視してはいけない、と意識していたものが接近したからだ。

「キャロが弱すぎるの」胸を張るミリィの言葉は、指導や忠告に似ていた。「大きな勝ちを狙い過ぎなんじゃない? もっと手堅く攻めないと」

「いいんだよ。戦略は人それぞれだろう」

「希望的観測で練られた戦略は、堅実な戦略に負けるのよ」そのように言葉を挟んだのは、膝に乗せた本を読んでいるサーシャだった。だが彼女は、口を開き会話に参加したものの、今も顔は下を向き、開かれた書籍と向き合ったままで、二人を見てはいない。「スペードが1枚もないのに最上の役を狙ったって、揃う筈がないわ。絶対に」本のページを捲り、言葉を続けた。

「別にそういうのを狙っていた訳じゃあないから」キャロは思わずして早口になる。「ロイヤルストレートフラッシュと言いたいんだね? そうじゃない。そうじゃないから、僕は」

「じゃあ、どんな役を狙っていたのよ」ミリィが座ったまま、更にキャロに詰め寄った。

 彼は、その後に自分が取るべき行動に悩んだ。

 位置として彼は、対戦相手のミリィと、苦言を呈するような発言をしたサーシャが眼前に並んで聳えるという、少しばかり居心地の悪い場所に座っている。その場から退避をしようにも、彼の膝を枕にしているエレーナが居るので、それは叶わない。ええと、と小さな声で発言を試みるも、その先に繋げられない。ミリィの服装も相変わらず、彼の発言からスムーズさを奪っている。その悪条件に、更にサーシャが加わったのだ。彼にとっての救いの手は、見当たらない状況である。

「ええと……」彼はもう一度、数秒前と同じ言葉を発しながら頬を掻いた。「……ストレート」

「まあ」そう言って吐息のように笑んだのは、シャルルだった。彼女は手にしていた櫛を置き、ウェーブした黄金色の髪を頭の高い位置で結えながら、鏡に映る自分の姿を確認していた。「どう表現したらいいのかしら。微妙、と言ったら失礼ですね。でも、弱くないけれど、強くもない。揃うかどうかの確率も、高からず、低からず。ええ、そうですね。微妙です」

 そうして彼女は、身支度をしているローラに向けて、自分の発言に同意を求める笑みを向けた。それでもローラは、にこりと頬笑みを返すだけで、言葉を放たない。返された笑みは、そうね、とも、そうかしら、とも受け取れる反応だった。

 そのやり取りを見ながら、キャロが言う。

「でもそれなら、ミリィのフォーカードだって同じような役じゃないか」

 シャルルは、指を顎に当てて考えた。

「それはどうかしら。ミリィさんのことだから、スリーカードで満足をしていたら、偶然もう1枚が手元に来た。そういうことじゃないかしら」首を斜めにした彼女は、今度はサーシャを見る。「ねえ、サーシャさん。あなたもそう思うわよね」

「少し違うわ」言いながら、サーシャは本を閉じた。本を読み終えた彼女は、久し振りに顔を持ち上げる。「最初はワンペア。残りの2枚が偶然よ」

「すごい」サーシャのその言葉に、ミリィは大いに驚いた。「正解だよ。すごいね、サーシャ。どうしてわかったの?」

「見えていたもの」

「見えていた?」

「ええ、見えていたわ」

「カードが?」

 聞かれてサーシャは、ええ、と頷く。

 彼女は、ずっとミリィの斜め後ろで本を読んでいた。その位置だからこそ、ミリィの手札はよく見えていた。サーシャは、二人が勝負をしている間、常に、本とミリィのカードの両方を見ていた。

 サーシャは読み終えた本の表紙を撫でながら、今の勝負の解説を始める。

「最初の勝負から、ミリィはずっとワンペアかツーペアで勝負していたわ。そうしたら、最後のドローでよいカードが舞い込んできた」

「正解。その通りだよ」ミリィは驚き、声を上擦らせた。

「ちょっと待って。え、……ねえ、それ本当に?」キャロは、ミリィよりも驚いている。「最初の勝負からずっとだって? ずっと? 運がよすぎるよ」

「勝利も敗北も偶然」サーシャが呟くように言う。「ある皇帝が残した言葉よ。今日はミリィに分があった。ただそれだけよ」

「それでも僕は、ミリィに勝てる気がしない」キャロは口の先端を尖らせた。「なんて強運だ。信じられない」

「あたしは、サーシャの方が信じられないけど」ミリィは言った。

「私が?」サーシャは首を傾ける。「なんのこと?」

 聞かれたミリィは、床に散らばったカードを集め、次の勝負の準備を始めていた。慣れた手つきでカードを切り、四隅を揃える。再び自分とキャロに五枚ずつカードを配りながら彼女は、「サーシャの方が凄い」と言った。

 だが、その言葉は説明に足るとは言えないものだった。

「何が凄いって?」キャロが聞く。その視線はサーシャの方へ向けられていたが、サーシャは首を横に振り、無言だが、わからないと返答する。「何が凄いって?」キャロはミリィに聞き直した。

「サーシャは凄いと思うよ」カードを配り終えたミリィは、自分の手札を確認している。「だって、ずっと本を読んでいたじゃない」

「ええ、読んでいたわ」

「それなのに、あたしのカードも見ていたんでしょう? だから、凄いって言ったの」そこでミリィは、未だカードを取らないキャロを急かした。「ほら、キャロ。次」

 キャロは渋々カードを拾い上げるが、彼の心には勝てる気がしないという諦念とゲームに対する飽きが混在しており、最早乗り気ではなかった。

「凄くなんかないわよ」サーシャが言った。「そんなこと、全然ないわ」

「どうして? 凄いじゃない」

「凄くないわ。だって、生き物に目が二つもあるのは、それぞれの目で違うものを見る為でしょう?」

「目は両方とも、同じものしか見られないよ」ミリィは苦笑する。

「そんなことないわ」サーシャは淑やかに首を振った。「いつだって、二つの目は違うものを見ているの」

「なに、それ」ミリィは、サーシャの言葉の意味がわからなかった。目を綺麗な円形にして、数回の瞬きをした。

「そういうものなの」サーシャは、瞳を閉じて言う。

 ミリィは、ふうん、と曖昧な返事をして納得したように振舞ってみたが、実際には、まるで理解ができていなかった。理解しようともしていなかったが。

「それ、どこかの詩人の言葉?」ミリィはサーシャにそう訊ねた。彼女にはサーシャの言葉が、そのように聞こえていたからだ。

「いいえ。私の言葉よ」

「だったら、サーシャが詩人だね」

「サーシャなら素敵な詩人になるだろうな」ミリィの言葉に、キャロが同意の言葉を続けた。

「ね。そう思うよね」更にミリィが言う。「きっと似合うと思うよ、それ」

「よして。そんなの私には似合わないわ」サーシャは、どこか恥ずかしそうに笑んだ。「私はただ、本が好きなだけ。それだけよ」

「でも、似合うと思うよ」キャロはサーシャを見つめながら、言葉を止めなかった。本人が否定している状況で、自分が抱いている相手への印象を伝える行為はあまりに執拗で、更には、失礼でもあろうかと思えたのだが、彼はそれを頭の中に浮かべるだけにして、その行為はやめなかった。「うん、本当に似合うと思う。サーシャにはそういうのがよく似合うよ。絶対」

「キャロ、やめて」

「だって、そう思うんだ」

「やめて」

「キャロが言うんなら確かだね」ミリィは、口の端を片方だけ持ち上げて、表情を左右非対象にして笑った。

「ミリィ。それはどういう意味?」サーシャはまばたきをする。

「意味? さあ、ねえ」

 ミリィは表情を向ける方向を、キャロへと変更した。持ち上がっていた口の端は、数秒前より高い位置にまで吊り上がり、瞳は三日月のような曲線を描いている。悪戯を目論む猫に似ていたが、それが彼女の性質だったので、日常的に見せる、自然な表情と言えた。

「なんだよ、その目は」キャロは、嫌な予感がしていた。それに、既に動揺を始めている。

「キャロは、サーシャのことを、よく、見ているから」ミリィは、敢えてゆっくりと話す。

「ミリィ」キャロは思わず、大きな声を出してしまった。

 彼の膝で眠っていたエレーナが、可愛らしい声を唇から漏らしながら身動ぎをしたのは、その瞬間だった。

 どうやら目を覚ましてしまったようだ。その原因が、今のキャロの声だったことは明確である。キャロは、しまったと思い、慌てて口を手で覆うが、既にそこから出た言葉は消えないし、目を覚ましたエレーナが再び眠ることもない。

 エレーナは、小さな手で目蓋を擦り、キャロの膝の上で欠伸をしながら身体を起こした。寝惚けているせいで、その身体はゆらゆらと揺れ、そのまま放っていては倒れてしまいそうだったので、キャロは妹を後ろから抱き抱えた。寝起きの彼女の身体は、普段よりも温かかった。

「ごめんエレーナ。起こしちゃったかい?」彼は、囁くような声で言った。

「うーん」エレーナは、言葉と音のちょうど中間あたりにある響きの声を漏らし、もう一度欠伸をした。

 エレーナの意識は、まだその半分を夢の中に置き忘れている。呆けた顔で辺りを見渡し、そこが自室でないことに気付くまでに数秒を要した。そして、その部屋がローラの部屋であると気付いた上で、何故自分がその部屋にいるのかを思い出すまでには、更にもう少しの時間が必要だった。

 ラジオのチューニングをするように、意識が徐々に鮮明になる。彼女の頭の内部で夢は蒸発し、拡散した。

 上下逆さまにした振り子のように身体を揺らしていた彼女は、身支度をしているローラを見付け、そこでようやく、彼女の目は覚めた。

 エレーナの表情に安堵の色が咲いた。ああ、と歓喜の声も、彼女の口から発せられる。

「よかった」あどけない声でエレーナが続ける。「ローラ、まだいた」

 その様子を見たローラは、瞳を細めて笑う。

「おはよう、エレーナ」ローラは、久し振りに口を開いた。その声は、相変わらず優しい音色だった。「そう言っても、今は夜だから、おはようと言うのは少し変ね。大丈夫、まだいるわ。そろそろだけれど、エレーナが寝ている間に出ていったりはしない。安心して」

「うん」エレーナはこくりと頷き、キャロの腕の中で大きく背を伸ばす。「夢、見た」

「夢?」ローラが聞く。

「うん」

「どんな夢?」

 そこでローラは、身支度を終える。彼女は、肩まで真直ぐに伸びたさらりとした質感の黒髪を手櫛で整えると、荷物を積めて重たくなった鞄を部屋の隅に移動させた。

 壁掛け時計を見ると、それは、もう数分で日付が変わると告げていた。

 ローラは、誰にも気付かれないように深呼吸をする。

 彼女の肺は、僅かな震えを伴って膨張し、収縮。

 私は、緊張している。

 彼女は、それを自覚した。

 自分は今、自分らしくなく、緊張している。

 それを、自覚した。

「ピザが」エレーナが眠たそうな声で言った。彼女は天井を眺めている。どうやら、先程蒸発した夢の内容を思い出そうとしているらしい。「おっきいピザがね、降ってきてね、それで、えっとね、……キャロが潰された夢」

「ピザ?」キャロは、驚きながら苦笑した。頭の中で、自分がそのようにピザに潰される瞬間を想像してみる。自分を潰せる大きさのピザが降ってくる瞬間とは、随分とシュールな映像だった。「凄い夢だね」

「あとね、シャルルの髪の毛がスパゲッティになっていて、食べようとしたらローラに怒られたの」エレーナは、思い出した記憶の内容を忘れてしまわないよう、早口で言う。「食べちゃダメ、なくなっちゃうからダメって怒られたの」

「なくなるって、ちょっと」シャルルは、エレーナの言葉尻に被せて憤慨した。瞳の端をつり上げ、彼女はローラを見る。「失礼じゃありませんの! 誰の髪の毛がなくなるんですか!」

「私に言わないで」ローラは困惑した。「夢を見ていたのは、エレーナよ。私がそう言ったんじゃないわ」

 そう返され、シャルルは慌てて口を閉じた。彼女は、これが夢の話であることを忘れていた。

「そう。ええ、そうでしたわね」シャルルは頬に朱を散らす。「夢ですね。そうでした……」

「すっごくおっきなピザだったんだよ」エレーナは立ち上がり、ローラへ駆け寄ると、彼女の膝に抱き付いた。「テーブルみたいにおっきかったの。それでね、それでね」

 完全に目を覚ましたエレーナは、夢での出来事を嬉しそうに語った。

 ローラは、エレーナの言葉ひとつひとつに相槌を打ちながら、エレーナの夢の空想劇を聞いた。彼女はエレーナの頭を、あやすように撫でている。エレーナは、擽ったそうに瞳を細めていた。

 エレーナの話は、再び最初の大きなピザの件に戻っていた。なんでも、キャロが潰された後、エレーナはそのピザを食べたのだという。勿論、キャロを下皿の代わりにしたままで。

「そんなに大きなピザを?」

 エレーナの頭を撫でながら、ローラは言った。彼女は、キャロがピザの下に居ることを重要視しなかった。これはエレーナの夢の話である。現実の話ではない。それを彼女はしっかりと理解していた。そして、こういった会話の際に必要なスキルは、不要な部分を削除し、受け流す技術であるということも同様に、彼女は理解していた。

「そんなに大きいと食べきれないわ」

「食べられる」エレーナは、頬を風船のように膨らませる。

「エレーナが?」ローラは、首を左側に傾けた。

「うん」

「ひとりで?」

「うん」

「テーブルくらい大きいのでしょう?」

「そう」エレーナは、その大きさを思い出しながら、両腕を広げた。「これくらい」

 ローラは、まあ、と言って、エレーナがその両腕で再現してみせたテーブルの大きさに大袈裟に驚いてみせたが、まだ幼若であるエレーナが精一杯に両腕を広げてみせても、その長さが実在するテーブルの平均的なサイズと同等に「なる筈もない。だが、彼女はそういった現実も今は不要な部分であるとして、受け流した。

「そんなに大きいと、エレーナだけじゃ食べきれないわ」

「食べられるよ」

「ひとりで、でしょう?」

「うん」

「駄目よ」

「どうして、だめ?」

「そうね」ローラは、そこで少しの間を挟んだ。「ひとりは駄目。みんなで食べましょう」

「みんなで?」

「ええ。みんなで。そうね……」

 彼女はそこで、もう一度、間を挟んだ。今度の間は、言葉を詰まらせたような感じだった。その言葉と言葉の隙間には、明らかに何かの思案があったことが明らかだったが、エレーナはそれに気付かなかった。

 厳密に言えば、エレーナだけが、気付かなかった。

 つまりは、それ以外の全員は、何かに気付いた、と同義である。

「私が帰ってきたら、パーティーをしましょう」ローラは微笑んだ。しかしその笑みには、無理に、という単語が付加されている。「エレーナが夢で見たようなピザを焼いて、みんなでパーティーをするの。ニコロさんや、ゼフさん。メイさんも誘って。ね。いい考えでしょう」

「ローラ」ミリィが思わず声を上げた。

「ミリィ」その言葉の続きを、ローラは遮る。

 ローラはミリィを見詰めた。だが見詰めるだけで、続く言葉はない。

 ミリィは、苦しげな顔をして俯いた。ローラからのメッセージは正確に伝わっていた。

 ローラの眼差しには、発言を抑制する静かな威圧感が含まれていた。それに、彼女の口からそれ以降続く言葉はないものの、言葉がない故に生じる沈黙には、抗えないメッセージが込められている。それをミリィだけでなく、エレーナを除いたその場の全員が受け取っていた。先程の、言葉と言葉の隙間と同様に。

「ええと、その」どうにかして絞り出されたミリィの声は、苦しげだ。「あの、……ごめん」

「いいえ。いいのよ」

 壁掛け時計の鐘が鳴ったのは、その時だ。

 低い音が、部屋に響く。

 その音は長く、重たい。

 腹部を弄るような、或いは、世界そのものが揺れているような音で、その所為もあって、全員の肩は震え、息が止まった。

 視線が時計に突き刺さる。

 世界はこの瞬間、静止していた。

 ぴたりと。

 時間も。

 空間も。

 その中で、ローラだけが息をした。

 ゆっくりと。

 ゆっくりと。

 彼女の胸は、鐘の音に合わせて少しだけ膨らみ、沈む。

 彼女は、ゆっくりと息をした。

 その肺は、僅かに震えている。

 鐘の音は、日付が変わった証明である。時計の針は今、全てが真上を指していた。

 時間だ。

 誰かが、部屋のドアを叩いた。

 ローラ以外の全員が、その音に過敏に反応した。全員、扉へ目を向ける。

 来訪者である。

 恐らく、彼だろう。ローラは、そう確信した。正確すぎるくらいに時間通りである。

「はい」ローラは、扉へ向けて言った。

 少しの間。

「僕だ」

 扉越しに返された声は、ニコロの声だった。ローラの予想した通りだ。僅かにハイトーンでソフトな声が、ドアの向こうから届けられる。

「どうぞ」

 ローラは、そう言って立ち上がる。ドアがゆっくりと開く時、彼女はドアの向こうを真直ぐに見ていた。その向こうには、彼とは違うものが立っているような気がしていた。否、違うものが立っていてほしかった。その方が、彼女の心境としては正しかったかもしれない。

 だが、ニコロが立っていた。

 彼だけが、そこにいた。

 ニコロはいつもと違い、神妙な面持ちをしていた。

 着ているスーツはグレーのシングル。タイはワインレッド。どちらも初めて見るものだ。恐らく、買ったばかりのものだろう。皺は見られない。

「時間だよ」

 ニコロが緊張した声音で言った。

 それに対しローラは、言葉はなく、頷く。

「準備は?」

 ローラは隅にやっていた鞄を持ち上げる。やはり言葉はない。

 ニコロは、苦しそうに頷いた。

 そしてローラは歩き出し、部屋を出ようとニコロの方へ向かう。

 他の全員は、その一連の様子を見ていることしかできなかった。

 ミリィは、何かを言わなければならない気がしていた。

 シャルルは、何かを言わなければならない気がしていた。

 サーシャは、何かを言わなければならない気がしていた。

 キャロは、何かを言わなければならない気がしていた。

 誰もが、何かを言わなければならない気がしていた。

 だが、それが何であるのかが、わからなかった。

 今がどういった瞬間で、どういった状況であるのか。

 様々なことを知っているが故に、彼女達は、何を言わなければならないのかがわからなかったのだ。

 だからこそ、その時、言葉を放つことができたのは、エレーナだけだった。

 彼女は、今日という日のことをまだ理解していない。理解していないからこそ、ドアを越えようとしていたローラを、無垢に呼び止めることができた。

「ローラ」エレーナは、あどけなく無邪気な声で言う。「パーティー、忘れちゃダメだよ」

 その言葉で、ローラは振り返った。

 彼女は驚き、そして戸惑った。今、この瞬間に、誰かに呼び止められたり声を掛けられたりするとは思っていなかったからだ。そんな中で、エレーナから掛けられた言葉は、先程の話の続きである。今日という日より先に関してのお願い。それも、現実から遠く離れた、夢の続きの話だ。

 そんな、空想や幻想としか受け止められないエレーナからのお願いに、彼女は返す言葉を中々見つけられなかった。

 だが、ローラは知る。

 理解した。

 何故、エレーナが今、こんなにも普段通りに振る舞い、こんなにも無邪気な約束を強請れるのかを。

 エレーナは、知らない。

 自分達が何者であり、今日という日がどういった日であるのかとか、ローラが今この部屋を出ることに、どんな意味があるのか等、様々なことを、エレーナは知らない。

 そう。エレーナは、知らない。まだ知らない。

 だが、それでいいのだ。

 今は、それでいい。ローラは、自分に言い聞かせる。

 今はそれでいい。これでいい。エレーナはまだ幼い。彼女がこの日のことと自分のことを理解するのは、まだ先だ。先でいい。今でなくていい。そう言い聞かせたローラは、笑った。上手く笑えていたかどうかはわからないが、今この瞬間に彼女に必要となる動作は、それ以外になかった。そうする以外に思いつかなかったから、彼女は、命令に従わされるように、笑った。

「パーティー?」凍えたように笑うローラの横で、ニコロが聞く。「何の話だい?」

「私が帰ったらする予定なの」ローラはニコロを見ず、エレーナを見詰めたままで言った。彼女の顔は、まだ不器用な笑みを形成している。「大きなピザを焼いて、それを皆で食べようって」

「ピザ?」

「はい」

「そうかい。ピザを焼いて、パーティーか」

 彼は、頬を震わせた。表情が左右非対称にならないように心掛けて笑ったつもりでいたが、彼の頬は彼の意識通りに動いてはくれず、結果として彼の頬は左右対称の微笑みを作れず、震えていた。

「それは楽しみだね」彼は文字を読むように言い、そして、ローラの背中をそっと押した。「さあ、行こう」

 ローラは一度瞳を閉じ、頷く。

 ローラはドアを越え、扉を閉める。その動作の途中で振り返り、自分の部屋に残る全員を見た。

 ミリィ。

 シャルル。

 サーシャ。

 キャロ。

 そして、エレーナ。

 全員が、今、彼女の部屋に居る。

「行ってきます」

 彼女は、やはり寒そうな顔で笑った。

 それが、彼女の見せた最後の表情だった。



 翌日のテレビでは、ありとあらゆるチャンネルで、圧政が続いていた、レクレア、という国の軍事政権が壊滅したことを大々的に報じた。レクレア入りした諜報員の働きにより、所在不明とされていたレクレアの最高権力者、オルム・ゲーグマン将軍の潜伏拠点が判明し、A国軍は拠点とされていた基地に進撃、そして、制圧。基地制圧後には施設壊滅を目的とした空爆を決行。これにより、先の大戦以降、長きに亘って国際問題とされてきたレクレア、ゲーグマン将軍による軍事政権と、ゲーグマン将軍が抱えていた多くのテロ組織は、本拠地諸共崩れ去った。

 ゲーグマン将軍による軍事政権。それは、先の大戦よりも以前から問題視されていた国際問題であった。多くの国々が大国からの指示によって平和的な国交を図る中、ゲーグマン将軍は自らの武力によるレクレアの独裁を手放さず、懐刀として様々なテロ組織の支援を続けていた。ここ最近の報道の主役は、これに関してであった。現在も数を減らさぬテロ組織のほとんどが、ゲーグマン将軍の息のかかった組織である。そして、それらの組織は、レクレアの為に銃を抜く意思と、準備を既に整えていた。

 それらが、一夜で壊滅した。

 この報道は世界中で報じられ、世界中の人々が驚愕し、同時に、歓喜や安堵で胸の内を満たした。

 これによって、地球という星はようやく、平和という状態へと向かって歩を進められる。

 多くの人々が、そのように考えていた。

 現在レクレアは国連の指導の元、国の再建と併せて、他国との協調を築くべく、新たな国の指導者と、国の在り方を協議し、選定する段階に入っていく。

 一連の作戦による死傷者の数も報道された。作戦を遂行したA国軍兵士に死傷者はいないことが一番に報告され、将軍側勢力の死傷者数は、付け加えられるように、数百名、と軽やかに報じられた。正確な人数は公表されなかったが、死傷者に民間人は含まれていないという部分は強調されていた。

 使用された兵器も公表された。最新の弾道ミサイルによるピンポイント爆撃だったらしい。作戦に関する情報は、時間をかけて事細かに世間に報道されたが、レクレア入りした諜報員の情報だけは、一切明かされなかった。どの国の、どの組織であるのかは、明らかな隠匿の下、ただ、諜報員、とだけ公表された。

 その他にも報じられた情報は数多くある。

 そんな多くの情報を報じる中、テレビ画面に映るキャスターは、誰もが最後に口を揃え、同じ言葉を口惜しげに報道するのだ。

「ゲーグマン将軍の死亡は、今も確認されていない」

 何も変わらず、季節だけが変化し、冬は終わり、春を迎えた。

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