4-009. 歪んだ真珠の噂
次の日、久しぶりにギルドには静寂が漂っていた。
「ゾイサイトがいないと、なんだか酒場が広く感じるなぁ」
酒場の机を雑巾で水拭きしながらアンが言った。
ゾイサイトが酒場に顔を出す日は、たいてい朝から酒を飲みに現れるそうだ。
日が昇ってしばらくした今、ゾイサイトの姿がないということは彼がギルドに顔を出すことはないだろう。
「どうしたんだろうな。昨日の件で堪えるような奴じゃないのに」
「本当。毎日でも来て欲しいくらいなのに」
アンが凄くがっかりした様子でぼやいた。
この子、そんなにゾイサイトに懐いていたっけか?
「まぁ、常連客が突然来なくなったら心配もするよな」
「そうじゃなくて。ゾイサイトのおかげで良い食材を買えるお金ができてたの。あの人、必要以上のお金を気前よく置いて行ってくれるから」
……なるほど。
アンが怖がっていたはずのゾイサイトを気に掛けるのは、そんな事情があるからか。
苦労をかけてすまない、アン……!
「ジルコくん、そろそろ」
「ああ」
ネフラに声をかけられ、俺は席を立った。
「少し出てくる」
「はい。いってらっしゃい」
アンに笑顔で見送られ、俺とネフラはギルドを後にした。
向かうは、ゴブリン仮面のいる王立公園だ。
◇
王立公園を目指してシルバーヴィアを西へと向かうさなか。
俺は、澄ました顔をしているネフラに尋ねてみた。
「アンとは仲直りできたのか?」
「うん」
「何か話したか?」
「私がハーフエルフだということ……話した」
「どうだった」
「驚いてた。泣いて謝られた」
「そうか」
「今朝はもういつも通り」
「良かったな」
「うん」
ネフラが笑顔で答えた。
その表情を見て俺も安堵する。
「私も誕生日プレゼントをあげることにしたの」
「へぇ。何をあげるんだ?」
「考え中。ただ――」
ネフラが恥ずかしそうに、もじもじし始めた。
「――お返しに、私の誕生日にも何か贈り返してもらう約束」
「それはいいな」
親友との約束。
俺には果たせなかったことだけど、ネフラとアンには果たして欲しいと思う。
親友を失うのも、親友との約束を果たせないのも、嫌なことだからな。
その時――
「ジルコ殿?」
「え?」
「ジルコ殿じゃないか、奇遇だな!」
――道端でばったり出くわしたのは、ルリ率いる冒険者パーティー〈朱の鎌鼬〉だった。
だが、今日は一人足りない。
「ルリ姫と……タイガじゃないか」
ルリが明るい顔で声をかけてきたのに対して、後ろにいるタイガは不愛想に俺を一瞥しただけだった。
こいつは俺に興味がないのか、それとも嫌っているのか……。
「今日はトリフェンは一緒じゃないんだな」
「あの子には駅逓館で馬車を押さえてもらっている」
「またよその町に遠征かい? 最近多いな」
「少々、西の衛星都市にな。最近は王都の依頼も減ってしまったから仕方ない」
この復興の時代、冒険者の悩みは総じて依頼数が激減していることだ。
それもあって、ルリ、タイガ、トリフェンの三人は、王都の外で依頼をこなすことが増えている。
おかげで、この三人がギルドに留まる時間が減り、アン以外の従業員がいない件について突っ込みを受けずに済んでいる。
……もっとも、ルリも馬鹿じゃない。
ギルドの変化にはとっくに気づいているだろうが、時世を察してあえて深く追求しないのだろう。
まさか闇の時代の英雄が集う〈ジンカイト〉が、解散危機にやむなく解雇通告しているとは夢にも思わないだろうけど。
「それにしても――」
ルリが並んで歩く俺とネフラをじろじろ見てくる。
「――ジルコ殿とネフラは、いつも仲睦まじいな!」
ルリの言葉に俺は面食らった。
そんなことを言われると、急に気恥ずかしくなってしまう。
隣を歩くネフラの様子をうかがってみると、耳まで赤くして抱きかかえた本へと顔をうずめている。
「仲良きことは良きことかな!」
ルリは嬉しそうに笑いながら、俺達に隣り合って歩き始めた。
「逢瀬のさなかだったのなら邪魔をした」
「違うよ! これから情報屋のところへ行くんだ」
「情報屋か! もし腕の良い情報屋がいれば私にも紹介してほしいな」
「また今度な」
まさか逢瀬なんて言葉を聞くことになるとは。
とっさに強く否定してしまったからか、隣から強い視線を感じる。
それはそれで事実だろう……。
「情報、と言えばなのだが――」
ルリが急に顔色を変えて話し始めた。
「――〈バロック〉なる組織をご存じか?」
「〈バロック〉? 聞いたことないな」
「まだ全貌は掴めていないのだが、どうやら裏社会の輩によって構成されている地下組織らしい」
「初耳だ。ヤバい連中なのか?」
「うむ。昨今、エル・ロワで起こる不可解な事件に彼らが何らかの形で関わっているようなのだ」
「不可解な事件て?」
「各地で起こる要人の不審死だ。例えば、教皇庁の枢機卿の事故死もそれに含まれると私は見ている」
枢機卿が事故死したというのは、以前に誰かが言っていたような気がするな。
あれ。誰だったっけ……?
「それってドライト卿のこと? 以前、教皇領にお邪魔した時にリッソコーラ卿がおっしゃられていたけれど」
「そうだな。確かそんな名の御仁だったように思う」
ネフラのフォローがあって俺も思い出した。
あれは教皇領での会食でのことだったな。
ドライト卿が亡くなったことについて、リッソコーラ卿はずいぶんと残念がっていた。
「まさかその〈バロック〉とかいう組織が、事故死に見せかけて枢機卿を暗殺したとでも言うんじゃないだろうな」
「……かもしれぬ」
おいおいおい。
枢機卿の暗殺だなんて、穏やかじゃないな。
そもそも地下組織がどうして教皇庁のお偉方を暗殺しようなんて思うんだ。
「事故はパーズ近郊の小都市で起きた。老朽化のために改築作業が行われていた礼拝堂の前を枢機卿を乗せた馬車が通りかかった際、尖塔が崩れ落ちたのだ」
「それに馬車が押し潰されたってことか」
「左様。枢機卿の亡骸は無惨なもので、顔も見られないほどに潰れてしまっていた。御者も付き人も即死だったそうだ」
「確かにタイミングが良すぎると思うが、それだけで暗殺とは……」
「現場に駆けつけた王国兵は、尖塔の老朽化が招いた事故だと判断した。ところが、尖塔は状態が良く自然に崩れるわけがない、と石大工達は反論したそうだ」
「それが仕組まれたことだって言うのか」
「その他の要人の不審死もおおむね似たような状況にある。そんな偶然がいくつも起こりえるだろうか?」
確かに作為的なものを感じる。
だが、さしたる根拠もなしにルリが動くとは思えない。
彼女はそう疑うに足る根拠を見つけたのだろう。
「何か疑う根拠があるんだな?」
「いずれの現場でも、事故の前に顔も体も黒いフードで覆い隠した連中が目撃されている。彼らは皆、特徴的なアクセサリを首から下げていて――」
ルリは首元の冒険者タグを握りしめながら続けた。
「――それこそが形の崩れた真珠の首飾りだという」
形の崩れた真珠――つまりは歪んだ真珠か。
「元々〈バロック〉とは、何十年か前から東の都市部で民間伝承に語られる秘密結社だった。実在するのかはわからないが、その名を騙って事故死を装う者達がいるのであれば、黙ってはいられない」
正義感の強いルリらしいな。
察するに、よその町への遠征も依頼だけが目的ではなく、〈バロック〉の実在調査を兼ねたものなのだろう。
「と言うこともあり、もしもジルコ殿が腕利きの情報屋を知っているのならば、ぜひとも紹介いただきたい」
「なるほどな。確かにその類の情報なら、あいつらには集まってくるだろう」
「次にギルドに戻った時にでも、その件相談させてほしい」
「わかった」
ルリの凛とした眼差しには、いつもながら圧倒されてしまう。
ゾイサイトの殺意剥き出しの眼光とは違う、純粋で荘厳なものを感じる。
それはどこかしら勇者を思わせるもので、俺はどうしても懐かしく感じてしまうのだ。
「……ルリ姫。前に私とした約束の件は?」
突然、俺とルリの間にネフラが体を割り込ませてきた。
いつの間に背後に回っていたんだ、この子。
「ああ、アマクニの書物のことか。すっかり忘れていた」
「手に入れたなら、すぐに見せてもらう約束!」
「すまない。実はまだ持ち主との交渉が途中で――」
割り込んできたネフラに、俺は後ろへと押し退けられてしまった。
まるで俺とルリの会話を遮るかのような……いや、考え過ぎか。
「女性を困らせるものではないな」
「え?」
突然、俺の隣から野太い声が聞こえてきた。
……タイガだ。
「そういや、あんたもいたっけな。寡黙過ぎてたまに存在を忘れるよ」
「結構なことだ」
タイガは俺の皮肉にも感情の起伏を示さず、平然と答えた。
しかし、その冷めきった口調には毎度毎度ムッとさせられる。
ルリもトリフェンも愛想がいいのに、こいつだけはいつもこんな調子なのだ。
「……」
「……」
……気まずいなぁ。
目の前でキャピキャピしゃべる女性達を見ていると、尚更そう思う。
この寡黙な男と隣り合って歩くのも息が詰まる。
なのでこれを機に、以前からこの男に感じていた不満をぶつけることにした。
「タイガ。ちょうどいい機会だから言っておきたいことがある」
「なんだ」
「ルリ姫が暴走しがちなのは、あんたも知っているだろう」
「ああ」
「なぜいつも彼女の傍にいながら、その暴走を止めてくれないんだ」
それが常日頃からタイガに感じている不満だ。
ジャスファの時も。
フローラの時も。
この男はルリと同じ場にいたにも関わらず、彼女を諫めることをしない。
主従関係があるわけでもあるまいに、どうして好き放題させているのか。
「俺はルリと共に戦うために彼女の傍らにいるだけだ。それ以外のことには関知しない」
「それ以外のことって……。あんた達は〈ジンカイト〉の一員なんだから、自分らのパーティーのことだけ考えられちゃ困るよ」
「……善処しよう」
これはまた素っ気ない返事だな。
本当にわかっているのか、この男は……?
「特にジャスファやフローラはルリ姫と相性が悪いんだ。ルリ姫と彼女らが殺し合いにでも発展したら、お前だって困るだろう!?」
「そんな心配はしていない」
「はぁ?」
「ルリがあの二人に劣る要素はどこにもない」
「それってどういう意味?」
「死合をしてもルリが負けることはありえない」
……ルリの強さによっぽど信頼を置いているんだな。
いやいやいや。
だからって、仲間としてその考え方はどうよ?
「タイガ。お前、いつかルリ姫を殺すかもしれないぞ」
「その時は命を懸けてルリを守る。それだけだ」
タイガとルリ。
この二人の関係はいまだによくわからない……。
友情を超えた信頼関係が二人の間にあることはわかるが、かと言って恋人同士というわけでもない。
男と女の関係には、俺の理解できない領域がまだまだあるのだと思わされる。
まぁ、二人の関係なんて俺にはどうでもいいことだ。
「とにかく今後、ルリ姫がフローラやジャスファとはち合うことがあったら、あんたが仲裁してくれよ。俺がいつもその場にいるわけじゃないんだから」
「善処しよう」
本当に俺の話を聞いていたのか、この男は……。
◇
それからしばらく〈朱の鎌鼬〉と同じ道を歩いた後。
途中の分かれ道で、駅逓館へ向かう彼女達とは別れることになった。
「ったく。タイガの考えてることはサッパリわからないな」
二人の背中を見送りながら、俺は思わず愚痴をこぼしてしまった。
そんな俺の袖をネフラが引っ張ってくる。
「どうした?」
「最近、ルリ姫との距離が近い気がする」
ネフラがジト目で俺を見上げている。
ルリとの距離が近いって、ただ話していただけじゃないか。
その内容だって妙な地下組織の話をされただけだし。
「いや、別に普通だと思うけど」
「ふぅん……」
しばらく俺を睨んでいたネフラだったが、ぷいっと顔を背けたと思うと俺を置いて歩いて行ってしまう。
な、なぜだ?
何が機嫌を損ねた……!?
「待てよネフラッ」
駆け足でネフラに追いつくと、彼女はまた足取りを早めて先へ行ってしまう。
俺に追いつかせまいとしているようだが、一体何がしたいのか……。
こんな真似をするネフラの意図が掴めない。
何度か追いかけっこを繰り返すうち。
横からわずかに覗けたネフラの顔には、楽しそうな笑顔が見えた。
「……女の子って、わからないなぁ」
気づけば、王立公園が見えていた。