4-008. 勃発! ネフラVSアン
すっかり日も暮れて、窓の外が真っ暗になった頃。
俺はランプの灯りに照らされた執務室で宝石の手入れをしていた。
宝石というものは手入れを怠ると輝きが失われてしまう。
輝きの鈍った宝石では、内包されたエーテルを圧縮して撃ち出すミスリル銃は本領を発揮できなくなる。
そんな致命的な問題を避けるためにも、暇があれば宝石の手入れをするように心がけているのだ。
宝石はデリケートだから、手入れも慎重に行う必要がある。
ぬるま湯を入れた小皿に浸し。
ブラシで優しく撫でるようにこすり。
真水ですすぎ。
柔らかい布で乾拭きして水気を取る。
定期的にそれを繰り返すことで、宝石の輝きは保たれる。
手間はかかるが、この手入れの時間はものを考えるのに最適だ。
昨日まで考えていたクリスタ篭絡作戦は、最悪の未来を視て失敗は確定的。
新たに本命のプランを用意する必要があるのだが、これがなかなか思い浮かばない。
クリスタが本当に欲しているものは何なのか?
それを突き止めることができなければ、自分史の館で視た未来のように彼女の怒りを買う可能性が高い。
そうなれば、クリスタとの戦いも覚悟しなければならないわけだが……。
「仮にもクリスタを相手取るとなると、戦力が心もとないな」
今、俺の手元にある宝石は――
ひとつは、クロードから譲られた虹色に輝くダイヤモンド。
元は冒険者タグ用に加工されたものだが、すでに金具は外して懐に入れられるようにしてある。
これほどの虹色の輝きなら大型の魔物も一撃で倒せるだろう。
もうひとつは、教皇庁からの褒賞でもらったルビー。
5カラットもある上、存在感あるこの深い赤色の輝きは、売ればきっと20000グロウは下らないだろう。
勝利の石言葉を持つこの宝石を贈ってくれるとは、教皇様も粋な計らいをしてくれる。
その他は、宝石とは名ばかりの屑石ばかりが5個。
いずれも骨董市で手に入れた50グロウにも満たないものばかり。
一度の射撃で崩れかねない、まさに屑石だ。
――まさに玉石混淆。
宝石を武器とする宝飾銃使いがこれでは、親方に顔向けできない。
闇の時代、後援組織が充実していた頃はこんな悩みはなかったのだが、今はとにかく財布の中が寒い。
「以前と同等の戦力を揃えるには、金がかかり過ぎるな。雷管式ライフル銃の銃弾の方がよっぽど安上がりだ」
シリマのせいで、ただでさえギリギリだった資金が底をついた。
アンの気遣いで毎日なんとか食っていけているが、いつまでも彼女にツケを頼むわけにはいかない。
この多忙の中、資金繰りのために依頼をこなす必要も出てきそうだ。
眉間に寄るしわを指先で撫でていると、ノックの後に扉が開いた。
ドアの方に顔を向けると、アンがトレイに湯気の立つカップを乗せて執務室へと入ってくる。
「お疲れ様、ジルコさん」
「まだ残っていたのか」
「開店休業状態とは言え、一応みんなにお酒も料理も出してますからね」
そう言って、アンが執務机の上にコーフィーの入ったカップを置いた。
「眠気覚ましにどうぞ」
「ありがとう。でも、湯気を宝石には近づけないでくれよ」
「わかってます。これでも宝石職人の娘ですから」
にこやかに言うアンに、俺も釣られて笑ってしまう。
「宝石の手入れ、自分でしてるんですね」
「よそに依頼できるほど資金的余裕はないからね」
「あはは。確かに!」
アンがひょこっと机の上に身を乗り出す。
「綺麗。宝石は永遠の輝きと言いますけど、人が手入れをしないとこの輝きは保てないんですよね」
興味深そうに、布の上に並べられた宝石を見入っている。
傍にあるランプの灯りを受けてキラキラと輝いているのだから、女性の興味を惹くのは当然と言えば当然か。
「宝飾銃は強力だけど、それがネックだな」
「割れたりしたら、新しいものを買い直さないといけないんですよね?」
「ああ。だから扱いには十分注意しないとな。下手うったら破産しちまう」
「もしかして、この中にプレゼントがあったりして」
「えっ」
アンに言われて、再三要望されている誕生日プレゼントのことを思い出した。
この子には申し訳ないが、次々と立ち塞がる問題の過程で、優先度の低い約束はついつい失念してしまうのだ。
猛省すると同時に、俺はふと思った。
クリスタが欲しがるものがわからないのは俺が男だからかもしれない。
ならば、同じ女性に聞けば何か手がかりが得られるのでは?
「……アンが欲しいものって何?」
「えっ!?」
俺の質問を受けて、宝石を見入っていたアンが顔を上げた。
「そ、それはもう……指輪ですよ。もちろん宝石が装飾された」
「ふぅん」
女性が宝石の指輪を欲しがるのは、ジエル教が国教であるエル・ロワでは定番のことだ。
ジエル教は女性の割合の方が多いと言われているくらいだしな。
アンからは参考になる答えは得られなかったが、年齢もあるだろうか。
今度、もう少しクリスタに近い歳の女性に尋ねてみよう。
例えば……ルリあたりかな。
同じ冒険者である彼女からなら、参考になる意見を聞けるかもしれない。
「あの、今の質問て何? 私、期待しちゃいますよ?」
アンが赤面しながらもじもじ言うのを見て、俺はしまったと思った。
今の話の流れだと、彼女に期待させてしまうのは当然じゃないか。
「いや、そういうつもりで言ったんじゃ――」
「それにしてもダイヤモンドって素敵ですよね。石言葉に永遠の愛っていうのがありますし」
アンはうっとりしながら机の上のダイヤモンドを眺めている。
彼女のご所望はどうやらダイヤの指輪のようだ。
ごめん、いくらなんでも無茶だ。
……とは言えない。
「女をこんなに期待させるなんて、悪い男ですねぇジルコさんは」
突然アンが机の上に両腕をついた。
何をするのかと思えばいきなり顔を近づけてきた。
「アン、ちょっと……」
俺が仰け反ると、アンは一層身を乗り出して俺の顔へと迫ってくる。
こ、これは……!
親方に見られでもしたら、ぶん殴られそうな状況だ。
と思った瞬間、ドンッと床を叩くような音がして俺はビクリとした。
「「誰!?」」
俺とアンが同時に音のした方へ視線を向けると――
「手紙」
――開かれた扉の前に、ジトリと俺を睨みつけるネフラの姿があった。
その足元には、いつも抱きかかえているミスリルカバーの本が落ちている。
さっきの音はそれだったか。
「新しく一通、届いていたから」
ネフラは足元の本もそのままに、執務机へと向かってきた。
そしてわざとらしくアンとの間に割り込むと、手にした手紙を俺の顔へと押し付けてくる。
……ずいぶん機嫌が悪いな。
「なんだ、ネフラじゃないの。驚かさないでよ」
「そんなつもりなかった」
「裁判所の書類整理は終わったの?」
「もう終わった」
「なら、さっさと宿に戻ればいいのに」
ネフラはジト目の視線を俺からアンへと移した。
一方のアンも、強気の態度を崩さずにネフラへと向き直る。
交差する二人の視線に、火花が散っているように感じるのは気のせいか?
「ギルドの受付嬢が仕事をサボっていていいの?」
「あたし受付ばかりしてられないから。郵便物の受け取りや財務管理、注文があれば食事だって作らなきゃならないし」
アンの言葉に耳が痛くなる。
当代ギルドマスターは国外。
親方は教皇領。
所属する冒険者達は勝手気まま。
確かに今このギルドを切り盛りしているのは、他でもないアンなのだ。
「郵便物受け取れていないし。それに食事といっても、今はゾイサイトにお酒を出すくらいでしょう」
「そんなことより、19日は私の誕生日なんだけど」
「だから?」
「ネフラも何か用意してくれると嬉しいなぁ。ジルコさんとは、とっくにプレゼントくれる約束してるしね」
アンが俺に目配せしながら、自分の誕生日をアピールする。
これは明らかにネフラに対する当てつけだ。
「なら、淑女のマナーが書かれた本をプレゼントしてあげる」
「あたしもうレディですから。そんな本いらないわ」
「じゃあ背が伸びるようにミルクを10L贈ってあげる」
口喧嘩が始まる中、俺は冷めないうちにとコーフィーを口へ運んだ。
こうなっては、二人とも俺の静止など聞かないだろう。
喧嘩するほど仲が良いって言うし、したいだけすればいい。
「いりませーん。あたしの背が低いのは別に栄養不足だからじゃありませーん」
「そうね。ドワーフはヒトよりも成長が遅いのだったわね」
「ドワーフは、若い頃は体の芯にエネルギーを蓄えてるの。あと何年かしたら、ボンッ・キュッ・ボンッの体型に様変わりするんだから!」
「なら、色目を使うのはその何年後かにすればいい」
……だんだんエスカレートしてきたな。
そろそろ口を挟むべきか?
挟んだなら挟んだで、どちらも立ててあげないと後が厄介。
ならばどうする?
「あのねぇ。見た目だけじゃ人の真価は測れないわよ!?」
「見た目は大事。品格はそれ以上に大事」
……黙っているか。
「見た目が大事と言うけど、エルフなんて大変じゃない」
「何が?」
「エルフって何百年も若いままなんでしょ。そんな長生きする子、ヒトの男の人には相応しくないと思うなぁ~」
「……」
「一緒に歳を取っていくことこそ、男女の連れ合いのあるべき姿だと思うな!」
「……」
「その点、ヒトとドワーフはお似合いのカップルよ! ドワーフの国にはそんな夫婦も多いらしいし」
……いけないな。
少々雲行きが怪しくなってきたぞ。
「どんな種族も連れ合いは自由。それに、私だってちゃんと歳を取る」
「でしょうね。でも、あたしが死んだ頃にしわが少し増える程度でしょ?」
「そんなこと……ないっ」
「あたしは愛する人と一緒に歳を取っていきたいな。ネフラはどう?」
「……」
「ああ、ごめん。エルフには無理だよね。若いままずっと過ごせるんだから、人生のスケールが違うもの!」
「無理じゃない!」
「無理でしょ! エルフのくせにっ」
「アンの馬鹿っ!!」
らしくないセリフを口にしたネフラに俺は驚いた。
それはアンも同じようで、その剣幕に動揺した顔色を浮かべている。
「勝手にすればっ」
ネフラは踵を返して、執務室の外へと走って行ってしまった。
「……ジルコさん。あたし、何かまずいこと言っちゃったかな?」
アンが不安げな顔を俺に向けている。
売り言葉に買い言葉とは言え、言い過ぎた自覚はあるようだ。
彼女はネフラがハーフエルフだとは知らない。
エルフだからという理由を引き合いに出されたことが、対等の友人だと思っていたネフラからするとショックだったのかもしれない。
俺はコーフィーカップを机に置くと、アンの肩に手を置いた。
今の俺にできることなんて、戸惑う彼女を後押ししてやることくらいだ。
「今日は少し口が過ぎたな」
「……はい」
「謝ってくるんだ、アン。ネフラは親友だろう?」
「……はい!」
俺に答えるなり、アンは駆け足で執務室から出て行った。
なんだかんだでネフラとアンは仲が良い。
ハーフエルフとドワーフという変わった組み合わせだが、同い年で、同じ場所で、何年も一緒に過ごしてきたのだ。
……ネフラ。
もうアンにハーフエルフであることを黙っている必要はないと思うよ。
お前達の仲なら、そこに今さら差別なんて生まれないさ。
「……とは言えなぁ、アンへのプレゼントはどうするべきか。まさか本当に宝石を贈るわけにも……」
その時、俺は妙案を閃いた。
アンへのプレゼントではなく、クリスタが欲するものに対しての、だ。
「若いままずっと過ごせる、か。……これだ!」
未来で視たクリスタが俺に言った言葉がある――
『宝石の輝きは永遠だけれど、ヒトである私は永遠ではない。私の貴重な時間をこんな茶番で浪費したこと、万死に値する』
――この言葉こそ、彼女が欲するものの答えそのものだったのだ。