4-005. もう首が回らない
俺とシリマが占いの館へ戻ると、ネフラが紅茶を淹れて待ってくれていた。
彼女の顔は心配そうな色を浮かべている。
「ジルコくん、何か悪い未来でも視えたの?」
ネフラは察しが良いな。
と言うよりも、俺の顔に出ていたのかもしれない。
「まぁ、良くはない未来だったかな……かなり」
「そうなの……」
その時、つま先に突然の痛みが生じた。
「痛ぇっ!」
「いきなり心配させてんじゃないよ!」
シリマが思いっきり俺の足を踏みつけたのだ。
この人、ネフラの前でもこんな癇癪起こすのかよ……。
「だ、大丈夫だ。シリマが未来を変えるチャンスをくれた。ちょっと高くついたけどな……」
「シリマ、そんなに高額を要求したのですか?」
ネフラが不満げな顔をシリマへと向ける。
一方のシリマは、悪びれた様子も見せない。
「成るも成らぬも金次第、と言うしね。死ぬよりマシだろ」
「し、死ぬって……どういうこと?」
婆さん、少しは言葉を選んでくれよ……。
あんたがネフラを不安にさせてどうするんだ。
「そろそろ次の予約客が来る頃合いだ。お前達はさっさとお帰り!」
「鑑定料はすぐに持ってくるよ」
「ふん。遅くとも日が暮れるまでには戻ってきなっ」
そう言われてすぐ、俺とネフラは館から追い出されてしまった。
「まったく気難しい婆さんだ」
「ごめんね。でも、本当は優しい人なの」
……それがネフラのシリマ評か。
俺にはあの婆さんが優しいかどうかなんてわからない。
でも、ネフラをとても大事に思っていることは伝わったよ。
◇
その後、俺とネフラはシルバーヴィアの並びにある小公園を訪れた。
平民の子供達が追いかけっこをする様子を見ながら、俺はネフラに自分史の館で視た未来について話した。
「……そう。クリスタリオスに」
「ああ。あんな未来が実現しないように、今後の方針を見直す必要がある」
「私もそう思う」
「クリスタは宝石収集家だ。俺は彼女に希少な宝石を進呈することで、遺恨なくギルドを離れてもらえると思った。でも、根本的にその考え方は間違っていた」
宝石はクリスタが真に望むものではなかった。
その逆鱗に触れた結果、どうなるかもわかった。
早急に別の方法を考えなければならない。
俺とネフラとの間にしばしの沈黙が流れた後――
「彼女を不意打ちして、やっつけてしまうのは?」
――らしくない過激な提案がネフラの口から飛び出してきた。
「ダメに決まっているだろう!」
「どうして? 殺される可能性があるのに」
「仮にもギルドの仲間だ」
「でも解雇対象」
「解雇した後だって、敵になるわけじゃない」
「そうだよね。ごめんなさい」
……強く言い過ぎてしまっただろうか。
ネフラがしゅんとしてしまった。
「宝石での交渉は保険にして、本命のプランを考え直そう」
「結局、宝石探しは続けるの?」
「念には念をだ」
クリスタが美しい宝石をこよなく愛するのは事実。
もしもの時に使い道があるかもしれない。
それに、より美しい輝きを放つ宝石は俺にとって戦力アップにも繋がるしな。
「当面は宝石を探しながら、本命の当てを考えよう」
「彼女が心から欲しているものを探すのね」
「ああ。それはもしかしたら物じゃないかもしれない」
「わかった。私も考えてみる」
ネフラの真剣な眼差しを受けて、俺は自然と口元が緩んでしまった。
やっぱりこの子は頼りになる。
そして、最悪な未来をたどってこの子を悲しませたくないと心から思う。
「ありがとな、ネフラ」
俺はネフラの頭にポンと手のひらを乗せた。
「子供じゃないから!」
「わかっているよ」
「もうっ!」
ネフラが必死に俺の手を除けようと抵抗してくる。
顔を耳まで赤くして、可愛いな。
その時、俺は不意に思い出した。
ネフラに聞かなくてはならないことがあったことを。
「前から聞こうと思ってたことだけど」
「何?」
「どうして身を危険に晒してまで、俺を助けてくれるんだ?」
「……」
「お前がいなかったら、クロードとは決裂したままだった。それどころか、俺はあいつに殺されていたよ」
俺が手を下ろすと、ネフラはじっと俺を見つめていた。
「……気になるの?」
「ああ」
「それは、ジルコくんに――」
不意にネフラが口ごもった。
「どうした?」
「……ジルコくんは無茶ばかりする。だから、私が傍にいて無茶しないように見張っているの」
「それが理由なのか。……本当に?」
「……本当。クロードの時なんて酷かったじゃない」
ネフラがジトリと俺を睨んでくる。
でも、ほんの一瞬だけ口ごもった彼女の言葉。
本音ではないように感じられたのは、俺の思い過ごしだろうか?
「あの時は、ちょっと俺も無理したからなぁ」
「ちょっとどころじゃない。本当に死ぬかもしれなかった」
……返す言葉もない。
クロードとの戦いでは、確かに酷い有り様だった。
片腕が吹っ飛んだし、全身傷だらけで、マジで死にかけた。
人造人間のルビィが治療してくれなければ、間違いなく死んでいたな。
クロードの件で、ネフラに相当な心配をかけたことは事実。
今になってシリマを紹介してくれたのも、俺にこれ以上の無茶をさせないためだろう。
「とりあえず銀行に行こう。シリマへの金を用立てないと」
「ジルコくん。それなら私が――」
「俺の責任で視た未来だ。金は俺が用意するよ」
相変わらず心配そうな顔だが、ネフラは黙って頷いた。
女の子に金を出してもらうとか、そんな格好悪い真似できるわけがない。
とは言え、俺に自由に使える金がないのも事実。
格好つけた手前、銀行から借り入れできなかったらどうしよう……。
◇
俺達が訪ねたのは、シルバーヴィアの並びにある銀行だった。
王都にはいくつか銀行があるが、〈ジンカイト〉の記章さえあればどこの通りにある銀行でも借り入れは可能だ。
「〈ジンカイト〉のジルコ様。どうぞこちらへ」
記章の効果はすさまじく、俺はすぐに応接室へと通された。
その際、衛兵が武器の一時預かりを求めてきたが、見ず知らずの人間に大事なミスリル銃を預けたくはない。
俺はネフラに銃一式を預けて、彼女には外で待っていてもらうように頼んだ。
しばらく応接室で待っていると、頭取が側近と身辺警護を伴って部屋へと入ってきた。
頭取が俺の対面のソファーへと座るや、側近の男が机に緑色の布を敷いた。
これは銀行員が金勘定や取引を行う際の場作りのひとつだ。
「お久しうございますな、ジルコ様」
「メディッチ卿もご壮健で何よりです」
「ほほほ。礼儀正しき若者は歓迎いたしますよ」
メディッチ卿。
男爵の爵位を持つ、医師家系にして元商人の銀行頭取、というのが彼の肩書き。
見た目は枯れ木のようにか細い壮年の男性なのに、その目から発せられる凄みは熟練冒険者の俺でさえ尻込みしてしまう。
さすがは闇の時代、混乱する経済を手練手管で支えてきただけのことはある。
「昨今、王都の冒険者ギルドは経営が大変だそうで」
「ええ。〈ジンカイト〉も例外ではありません」
「あなたが訪ねてきたと聞いて、用件は察しております」
「でしょうね……」
メディッチ卿は静かに言いながらも、吟味するような眼差しを向けてくる。
俺はさっそく背中に嫌な汗をかき始めた。
「恐れながらジルコ様。ここ最近、〈ジンカイト〉の方による借り入れが多く、我々としても資金繰りに苦慮しておるのですよ」
……そんなことだろうと思った。
「特にクリスタ様、クロード様、ジャスファ様、リドット様には、ここ半年で相当額を融資しております」
よく知る名前が挙げられたことに、俺は辟易した。
クロードとジャスファはいいとして、クリスタは現在進行形で火種をばら撒いてくれているようだな。
しかし、リドットまでもが銀行からの融資を受けていたとは意外だった。
リドットは品行方正な男で、我欲に溺れる人物じゃない。
そんな彼が多額の融資を受けているというのは少々気にかかる。
ここ数ヶ月ギルドに顔を出さないし、彼に限って何かトラブルに巻き込まれたとも思えないが……。
「彼らに融資いただいた資金は、必ずギルドでお返しします」
「そうしていただけますと幸いですな。最近、巷で英雄不要論が広まり始めてからというもの、冒険者に対する融資も風当たりが強くて」
……英雄不要論、ね。
以前、ゴブリン仮面からも聞いた嫌な論調だ。
世の趨勢を考えれば、銀行側もその論調には賛同せざるを得ないのだろうが。
「どうしても必要なのです。なんとかご融資いただけませんか」
「もちろんお貸しいたしますよ。あなた方が英雄であることには変わりない」
「ありがとう」
「して、おいくらご入用ですかな」
シリマからの請求は――
探し物の占い料金が、4000グロウ。
自分史の館の利用料金が、40000グロウ。
未来の白紙化の料金が、50000グロウ。
――計94000グロウ。
改めて考えると信じられない額だな。
こんな大金、即日用意してもらえるのか?
「想像していたよりも多額ですな」
……ですよね。
「しかし、用意させましょう。〈ジンカイト〉には依頼で世話になることもありますし」
「助かります」
「それはそうと、名前を挙げた方々には借り入れを控えるようお伝えください」
「はい……」
どうにか銀行からの融資は叶った。
その一方で、俺はクリスタに顔を焼かれたことを思い出し、身が震えた。
借り入れを控えろなんて言って、彼女の機嫌を損ねたらと思うと……。
「当面は〈ジンカイト〉への融資もこれを最後にしてほしいですな」
「はい……」
……もう首が回らない。
◇
あの後、銀行で何枚の書類にサインをしたことか。
ようやく現金を手にした俺は、ネフラと合流してすぐに占いの館へと向かった。
94000グロウと一口に言うのは簡単だ。
しかし、大金貨にして55枚、小金貨にして7枚、銅貨にして10枚。
こんな額を麻袋に入れて持ち運ぶのは、さすがに目が泳いでしまう。
「重そう。私も少し持つ?」
隣を歩くネフラが、凄く手伝いたそうな顔をしている。
大金貨の重量を考慮して三袋に分けてもらったが、総重量1.5kg程度なので大したことはない。
とは言え、せっかくの好意なので彼女にも一袋分持ってもらうことにした。
「心配しないで。しっかり守るから」
ネフラの細い腕では、500g程度でもそれなりに重いだろう。
でも、そんな風に強がって見せるネフラは可愛い。
……そうこうしているうち、占いの館へと到着した。
館内へと入って早々、俺とネフラはシリマに約束の金を渡した。
「これで文句はないだろう」
「なんだい。思ったより早かったじゃないか」
机の上に置かれた麻袋を開けると、シリマはさっそく金勘定を始めた。
よほど嬉しいのか、彼女は金貨を数えながら鼻歌を歌っている。
この人、絶対に守銭奴だ。
「確かに約束の額だ。少しは見直したよ、坊や」
まだ坊や呼ばわりか……。
当日中に要求通りの金を持ってきたのだから、もうちょっと感心してほしい。
「最後に覚えておきな。人の運命とは、まこと揺蕩う波間の如し――ってね」
今のシリマの言葉。
俺は以前に何度か聞き覚えがあることを思い出した。
誰が同じことを言っていたっけな……?
「今の何かの格言か?」
「占い師としての教訓さね。未来なんてものは、過去の積み重ね次第でいくらでも変わるってことさ」
「料金を払えた今だからこそ素直に聞ける言葉だな」
「未来が不安になった時は訪ねてきな。相応の額でまた視せてやるよ」
また何万グロウも払えって言うのか?
冗談じゃないぞ……さすがにもうそんな額を払う余力はない。
呆れた俺は返事もしないまま、ネフラを連れて入り口に向かった。
ちょうど館の敷居をまたいだ時――
「待ちな坊や!」
――シリマに声をかけられた。
振り返ると、さっきとは打って変わって真剣な表情で俺を見据えている。
「探し物を占った時にも思ったんだが、お前さんの運命はどうも波があるよ」
「波?」
「とりあえず今日は気を付けるこったね」
「なんだよそれ」
「過去の積み重ねの果てに未来はある。日々の選択を誤るんじゃないよ」
そう言ったきり、シリマは机の上の金貨に目を戻してしまった。
どうして帰り際にそんな不安を煽るようなことを言うのかね。
気を付けろ、だなんて占い師に言われたくない不吉な言葉ナンバーワンだ。
それから占いの館を出て、ギルドまでの帰り道。
吹き付ける風の冷たさに俺は胸騒ぎが止まなかった。
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