B-008. あなたの隣へ
魔王群の頭である魔王を滅ぼした勇者アルマスの失踪。
それは数日の後にエル・ロワ全土へ。
さらに数週の後には諸外国へと知れ渡った。
私が聞き及んだ情報によれば、エル・ロワ近隣に現れた魔物の残党討伐――その何でもないギルドの依頼に協力を申し出た後、彼女は姿を消してしまった。
その時に勇者と同行していたのは、ジルコくんとギルドマスター。
二人の証言によれば、魔物の討伐が終わった時には勇者の姿は無かったとのこと。
勇者の後見人を務める教皇庁の怒りは凄まじく、二人は教皇領への召喚を命じられたけれど、これを頑なに拒否した。
その後、教皇庁とは裁判沙汰にまで発展。
エル・ロワ王侯貴族の介入もあって、最終的に〈ジンカイト〉が教皇庁からの資金援助を断たれるという形で、騒動は幕引きを迎えた。
『教皇庁に睨まれて大丈夫なの?』
『心配するなよネフラ。怒っているのは末端の聖職者で、偉い人達は到って冷静なもんだ』
当時、私がジルコくんと交わした会話。
私を心配させまいと笑顔で答えてくれたけれど、その時の彼はとても疲弊していたように思う。
それが日々続いた教皇庁との揉め事のせいなのか?
それとも勇者が失踪したせいなのか?
……この時の私にはわかりかねた。
◇
最終決戦にまつわる事後報告が概ね済んだ頃。
私はシリマから占いの館へと招かれ、久々に夕食を共にしていた。
『新聞で読んだよ。勇者失踪、謎の鍵を握るのは〈ジンカイト〉の英雄達か! ってね』
スープを飲み干すや否や、シリマが嬉しそうに鼻を鳴らす。
『ふふんっ。これでチャンスが巡ってきたじゃないか』
『チャンス?』
『そうだよ。目の上のたんこぶが消えてやりやすくなったじゃないか』
『何のこと?』
『お前、緊張の糸が切れて頭が鈍ったのかい。愛しの彼氏のことだよ』
突然そんなことを言うものだから、口につけていたスープをあわや吐き出してしまうところだった。
『何を言いだすんですっ!?』
『寂しがってる男なら、ちょっと優しくすり寄れば簡単に靡くよ。次に会った時に試してみるといいさ』
『そんなの……卑怯ですっ』
それを聞いて、シリマが大きな口を開けて笑い始めた。
『笑わせんじゃないよ小娘! この時代、好いた相手と添い遂げられるなんてそうそうあることじゃないんだ。意中の相手が一人でいるなら、サクッとものにしちまいなっ』
シリマの気迫に圧倒され、私は押し黙ってしまった。
私には、こうやって強く言われると尻込みしてしまう悪い癖がある。
『で、でも、あの女性がいなくなったばかりで、彼に言い寄るのは……』
『ふんっ。それじゃあ他の女に先を越されちまうね。ギルドには他にも美人がいるって聞いたよ?』
そう言われて、私はハッとした。
ジャスファ。
粗暴でやんちゃな言動はアレだけれど、黙っていればとても美人。
嫌がっていても仕事は卒なくこなすし、なんだかんだジルコくんとも仲が良い(ように見える)。
ルリ姫。
アマクニの民特有の美しい黒髪。
品格と礼節を兼ね備えていて、非の打ちどころのない美人。
ジルコくんとは友好的で、たまにパーティーを組んで行動することもあった。
クリスタリオス。
傲岸不遜な女性だけれど、それを差し引いても余りある知性と美貌。
私とは違って、彼女には本物の大人の色気がある。
対応は威圧的だけれど、ジルコくんのことを悪くは思っていないようだし……。
フローラ。
……。
……は、ないか。
ああ。
ギルドには本当に魅力的な女性がたくさんいる。
私は勇者ばかりを気にしていて、ギルドの女性達がどれだけ素敵なのかをすっかり見落としていた。
シリマの言う通り、誰かに先を越されかねない状態だ。
このままではいけない……。
『ジルコくんが他の誰かと一緒になるくらいなら、私が……!』
『よく言った! 積極的に攻めりゃ、そんなうじうじした坊や簡単に落とせるよ!』
『坊やって……。それに、ジルコくんはうじうじしていません』
この時のシリマは珍しくお酒が入っていた。
だからいつもよりハメを外していたのかもしれない。
でも、彼女がモタモタしている私を後押ししてくれたことは確かだった。
◇
少し時が経って、世界の国々は復興の時代を宣言した。
その頃には、ジルコくんも元気な姿でギルドに顔を出すようになった。
私は積極的に彼とギルドの依頼を共にした。
でも、私は彼の頼れる仲間にはなれても、それ以上の相棒になるには及ばなかった。
……だけれど、そんな私にも大きな転機が訪れる。
『ネフラ。相談したいことがあるんだ』
それは〈ジンカイト〉の冒険者解雇の相談。
詳しい事情を聞くまでもなく、私は協力することを承諾した。
私とジルコくんが一蓮托生となる隠密任務。
彼の相棒として、これ以上ないアピールのチャンスが期待できる。
そしてその期待通り、今までの旅で私とジルコくんの絆は一層強くなった。
だけれど、私の心に後ろめたい気持ちがあるからなのか。
今に到っても、私がジルコくんの必要以上になることはできていない。
そのせいだろうか。
私は、ときどき彼に置いていかれてしまう。
彼の隣に立ち続けようと努めているのに、後になって追いつくのがやっと。
それは私の理想じゃない。
理想へと近づくには、あと一歩を踏み出す勇気が必要だ。
◇
一歩、と言えば――
『あなた、彼のこと好きなの?』
『えっ!?』
――ヴァーチュの高級酒場での出来事を思い出す。
クロードを追跡中、街中で出会った役者の女性――トルマーリ。
彼女に高級酒場へと連れ込まれ、私とジルコくんは彼女との世間話に付き合わされたことがあった。
酔いが回ったトルマーリがお手洗いに行く際のこと。
私はふらつく彼女に同行して、手洗い場で二人きりとなった。
『わかるわよ。あなたの彼を見る目、私の胸がキュンとしちゃうくらいだもの』
『そんなにわかりやすい……!?』
トルマーリがそんなことを言うものだから、私は顔が熱くなった。
『あはは。赤くなっちゃって、可愛い~』
『からかわないでっ』
『心配しないで。役者としての観察眼あってこそよ。でも――』
彼女は赤らんだ顔で私を見据えながら続けた。
『――いまいち彼には届いていない感じ』
『まだ何も言っていませんから』
『やっぱりね。いい年頃の男女が一緒に旅をしてるのに、何もないなんて純真すぎるでしょ、あなた達』
『そうでしょうか』
『そうよ。あなた、もっと積極的に迫ってみてもいいんじゃないの。こんな良いもの持ってるんだし』
そう言うと、トルマーリが私の胸を揉みしだいた。
完全な不意打ちに驚いて悲鳴を上げそうになってしまった。
『あっはっは。可愛すぎるわネフラ!』
『悪ふざけはやめてっ』
『ま、あなたの初心いところも問題だけど、もっと大きな問題はあの男の方よ』
『え?』
『彼、他に好きな女がいるでしょ』
突然の指摘に、私は頭を殴られた思いだった。
とても動揺を隠せない。
『私のアプローチにも動じなかったし、あなたのこともなんと言うか……妹扱い? してる感じがするのよね』
『……』
『でも、妹以上に大切に思っているような気もする』
『それってどういうこと?』
トルマーリは眉間にしわを寄せて考え始めた。
そして――
『昔の女が忘れられない、ってところじゃないかしら?』
――あけすけに言った。
私の心がどんどんダメージを負っていく。
そのことは私も予感していた。
予感していたけれど、あえて意識しないようにしていたのに……。
『たぶん彼は実直で一途なタイプなのね。恋人がいるなら、その女性以外の異性と二人旅はしないでしょ。だけど、あなたを連れているのはなぜ?』
『仕事だから?』
『仲間として信頼してる。でもそれ以上に、あなたのことをまんざらでもなく思ってるからじゃない』
『異性として見てくれていると……?』
『見てると思うけど、必要以上に意識しないようにしてる気がする』
『な、なぜ!?』
『元カノを忘れられず、気になる子ができちゃった負い目?』
それを聞いて、また私の心にダメージが。
『元カノとは復縁できない。新しい恋に進みたいけれど、忘れられずにいるせいで後ろめたい気持ちが邪魔している――とか?』
『とか!?』
『全部ただの勘だけどね』
『そ、そんなぁ……』
『でも、いいセンいってる気はする。彼から元カノを忘れさせることができれば、ワンチャンありよ!』
忘れさせる……?
私が、ジルコくんからアルマスを……?
そんなことできるのだろうか。
『どうすれば?』
『誘惑してみれば。あの手の男は、既成事実さえ作っちゃえば責任は取るわよ』
『そういうやり方はちょっと……』
『なら、とことん真っ向勝負で押してみなさい。きっと絆されると思うから』
『絆されるかな?』
『千里の道も一歩からと言うからね。焦らずじっくり攻めなさいな』
彼女は洗面台で顔を洗うと、ホールへと戻る扉に向かった。
その背中に、私はすがるような気持ちで声をかける。
『あのっ! 何か助言をください!!』
『助言ねぇ』
『なんでもいいからっ』
『後悔しないうちに告白しちゃいな。冒険者やってたら、万が一もあるしね』
『えぇっ!?』
『応援してるよ』
ウインクした後、彼女は手洗い場から出て行った。
なんだか彼女と話して、気が楽になったような気がする。
『……千里の道も一歩から、か』
◇
王都――王立公園からやや離れた橋の上。
私は夕日に照らされる中、橋の欄干にもたれ掛かりながら川を眺めていた。
「お早いお付きで」
私の背中に、聞き覚えのある男の声が聞こえてくる。
私が振り向くと、いつの間にか橋の真ん中にゴブリン仮面の姿があった。
「情報は得られた?」
「西方の事情は明るくないですが、蛇の道は蛇。お望みの情報は得られました」
「ありがとう。聞かせて」
数日前のこと。
クロードの解雇通告を終えて王都へ帰還した直後、私はゴブリン仮面にある人物の行方について調査依頼していた。
今日がその調査の返答期日だった。
「この場でよろしいので?」
「構わない」
「左様で」
ゴブリン仮面は音もなく私の隣まで歩いてくると、欄干に手を添えて川の流れを見下ろした。
一方で、私は彼から目を離さずに逐一その動向を追う。
「ネフラ様。あなたの母君の行方ですが、現在はリヒトハイムにおられます」
それを聞いて、私は静かに息を吐きだした。
……やっぱり母は捕まっていた。
私という荷物を捨てても、結局逃げきることは叶わなかったのだ。
「五年前、ルス高原の遊牧民と旅しているところを追手に発見され、連れ戻されたようです」
「そう」
「その後、彼女は裁判で有罪となりました。土牢刑を宣告され、即日執行。刑期は100年ですので、少なくともあと95年は出てこれません」
「長い罰……」
「エルフの寿命は1000年ですから、刑期としては軽い方かと」
「私はもう二度と会えないから」
「しかし、あなたはエルフ――」
そこまで言うと、ゴブリン仮面はハッとした様子で押し黙った。
「そうでしたか。その耳、あなたは……」
さしものゴブリン仮面も、私の素性は調査不足。
昔マダム・シェバが言っていたように、耳の長さで純血のエルフか否かを判断できる者はそうそういない。
「私の情報はさぞ高く売れるでしょう」
「……これでも紳士です。ご安心ください」
「ありがとう」
橋を照らす夕日が、建物の影に隠れ始めた。
「母君とお会いに故郷へは?」
「私達は袂を分かった関係。それに、私に故郷なんてない」
「ならば、なぜこの情報をお求めに?」
「過去に決着をつけたかったから。前へ進むために」
「なるほど」
「おかげで、私はもう後ろを向くことはなさそう」
「しかし、帰る場所を失うということは寂しいことですよ」
「そんなことない」
「?」
「私が帰る場所ならもうあります」
「……ああ。〈ジンカイト〉ですか」
「いいえ――」
私はふと、ジルコくんの顔を思い出す。
「――相棒の隣です」
「それがあなたの帰る場所、ですか」
私が顔を傾けると、すでにゴブリン仮面の姿は橋の上になかった。
「……今日も、帰ろう」
私は夕日に独り言ち、ギルドへ――否。ジルコくんのもとへと帰途についた。
私はもうあなたと共に進むだけ。
近い将来、きっとあなたに面と向かって言ってみせます。
私の相棒ジルコ・ブレドウィナー。
あなたのことを、愛しています、と。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次話から第四章(女魔導士クリスタ編)が始まります。
舞台はエル・ロワ国外にまで拡がり、
ジルコ達の行く手に陰謀の影が表れ始めます。
「おもしろい」「続きが気になる」と思った方は、
下にある【☆☆☆☆☆】より評価、
またはブックマークや感想をお願いします。
応援いただけると、執筆活動の励みになります。