B-006. 最強最悪のお節介
『エーテル素養検査の水晶玉。……懐かしいわね』
クリスタリオスが、物憂げな表情で割れた水晶玉を見つめた。
『エーテル光が白いままなら素質なし。青みがかった空色になれば合格。蒼穹のような澄んだ青色ならば将来有望、だったかしら』
言いながら、今度はサブマスターの男性へと鋭い視線を向ける。
その途端、彼は顔を真っ青にして目を逸らした。
『そ、そうですな。はは……』
サブマスターの口から、乾いた笑いがこぼれている。
顔には尋常でないほど汗が滲んでいて、彼がよほどクリスタリオスを恐れていることが見て取れる。
『私も管理局で冒険者申請したことを思い出すわ。結果は――』
サブマスターから視線を切ったクリスタリオスは、再び私を見つめた。
『――あなたと同じ』
彼女の目は、まるで獲物を観察する狩人のようだった。
『私の時は過去に例がなかったそうでね。ここの連中ときたら、何度試しても水晶玉を壊す私に不正の疑いをかけてきたわ』
修練場がにわかにざわつき始めた。
局員達の中には、修練場からそそくさと逃げるように出て行く者も現れる始末。
『不愉快だったわ。だから実技の方で思い知らせてあげたの』
『……どうやって?』
『修練場の半分を吹き飛ばしてやったわ。死人は出なかったと思うけれど』
『そ、それって……』
『もちろん試験中の事故よ』
クリスタリオスは満面の笑みで答えてくれた。
私はその笑顔の裏に言いようのない冷酷さを感じて、身震いする思いだった。
『水晶玉を砕くほどのエーテル素養が証明している。あなたはエーテルに愛されているわ』
『ありがとう。私も実技に合格できるよう頑張ります』
『そう。でも残念なことに、管理局にはその資格がある者はいないでしょうね』
『そうなのですか』
『だから私が代わりに見てあげる』
それを聞いて、サブマスターが慌てて会話に割り込んできた。
『待った! それはいくらなんでも横暴では――』
『文句あるのかしら?』
『い、いえっ』
クリスタリオスの、まるで虫けらでも見るかのような眼差し。
それに加えて、感情のこもらない声。
たったそれだけでサブマスターはすくみ上ってしまった。
『さて。修練場の裏におあつらえ向きの広場があるわ。そこで見てあげる』
クリスタリオスは私を一瞥するなり、踵を返して歩き始めた。
その足取りは心なしか嬉しそうに見えた。
この時、私は彼女についていくべきか迷っていた。
クリスタリオスが正式な手順を踏まずに事を進めようとしているのは、私の目から見ても明らかだった。
このまま彼女のやり方に従って、私は冒険者の資格を得られるのだろうか?
私は周囲に立ち尽くしている局員の人達に、視線で助けを求めた。
でも、彼らはただ黙って私を見ているだけだった。
否。むしろさっさと行け、とでも言っているように感じられた。
『何しているの。来なさい』
クリスタリオスが私を急かしてくる。
彼女は私に向かって、手のひらを上に手招きをしていた。
……とんでもない人に目を付けられてしまった。
怖いけれど、この場は彼女に従うしかない。
私はできるだけ不安を顔に出さないよう努めながら、彼女の後を追った。
◇
広場の中央で、私はクリスタリオスと向かい合った。
『名乗りなさい。名前、覚えておいてあげるわ』
『ネフラ・エヴァーグリンです』
『そう。さっそく始めましょうかネフラ』
『あの、私は一体何をすれば?』
『まずはあなたのスタイルを聞かせてもらえないかしら』
『スタイル?』
『あなたの扱う魔法は、先制型? 迎撃型? それとも反撃型?』
この頃は魔導士に詳しいわけではなかったけれど、言葉の意味から彼女の意図を察することはできた。
私の魔法特性に合わせて、実技を行うと言ってくれているのだ。
『反撃型です』
『なら、そのシチュエーションを用意しなきゃね』
そう言うなり、クリスタリオスは胸の谷間から宝飾杖を取り出してみせた。
……なんと言うか、凄い。
修練場からは私達を覗く人の目があるというのに、よく恥ずかしげもなくそんな真似ができるものだと感心してしまう。
私には到底、真似できない芸当だと思った。
『今からあなたに適当な魔法を放つわ。それを無事に凌いでみせなさい』
『わかりました』
私はミスリルカバーの本を開いて、相手の出方を待っていた。
……すると。
『紫苑の徒、クリスタリオス・ルーナリア・パープルオーブが命ずる――』
突然の名乗り口上に私は困惑した。
口を動かす一方、杖では魔法陣を描いていたため、それが詠唱の真似事であることは早々に察せられたけれど……。
なぜ、童話の魔法使いのようにわざわざ詠唱を口にするのか不可解だった。
『――いざ試練の刻。荒ぶる威光の狼よ、金色の炎をもって我が前に顕現せよ』
美しい韻律を響かせながら、魔法陣が描き終わった。
……速い。
半径15cmほどの魔法陣が1秒にも満たない間に完成するなんて。
魔法陣を描くエーテル光が赤い色を発していることから、それが火属性体系の魔法であることは明らか。
あとはどんな魔法であるかだけれど――
『黄熱狼牙!!』
――彼女が魔名を口に出した途端、魔法陣から炎が躍り出た。
それは巨大な狼の姿を模した形となっていて、全身が金色に煌めいていた。
その美しい姿に、私は思わず見惚れてしまうほどだった。
この世にこんな魔法があるなんて思いもしなかったものだから。
その刹那。
金色の狼は口を開いて、私に向かって飛び掛かってきた。
空中を駆けるその姿は神々しさすら感じたけれど――
『事象抑留!!』
――私の魔法が発動した瞬間、金色の狼は形を失い、黄金に煌めく渦となって本へと吸い込まれていった。
完全に炎が――魔法が消え去った後、修練場の方から声が聞こえてきた。
それは、私達を覗き見ていた人達のもの。
『どうなったんだ……?』
『魔法を失敗? あのクリスタリオスが!?』
『炎が本の中へと吸い込まれていったように見えたけど』
『あのエルフがやったのか!?』
驚愕する人々の声。
私の魔法は私の想像以上に異質なものであることを、この時初めて理解した。
一方、クリスタリオスだけは顔色を変えずに私を見据えていた。
『……それがあなたの魔法』
『はい。特殊な技法で精製された本に、魔法を抑留することができます』
厳密には魔法だけでなく、聖職者の奇跡も含まれるのだけれど……。
必要以上の情報をあえて語る必要はない。
『そんな魔法、見たことも聞いたこともないわ』
『ご教授くださった方からは、稀有な魔法としかうかがっていません』
『そう。……至高深淵の領域はまだまだ遠いわね』
『え?』
クリスタリオスは長い髪の毛を払うしぐさを見せると、改めて杖で空中に魔法陣を描き始めた。
『あの、実技試験はまだ……?』
『これで最後よ』
およそ半径20cmの魔法陣が瞬く間に顕現していく。
その速度はあまりに速い。
それなのに、魔法陣の模様は恐ろしく緻密で複雑に描かれている。
先ほどの魔法を見ても思ったけれど、クリスタリオスの魔法陣の顕現速度は異常と言って差し支えないほどだ。
完成した魔法陣は、ぼんやりと赤く輝き始めた。
その色から、彼女が繰り出そうとしている魔法が火属性であることがわかる。
私が新しいページをめくって身構えていると――
『火について、どのくらい理解があるのかしら?』
――突然、クリスタリオスが訊ねてきた。
『酸素を介して物質を燃焼させた時に現れる現象。あるいは、物が燃える際に熱や光を発生させている状態。……といったところでしょうか』
『聡明ね』
少しずつ魔法陣の輝きが強まっていく。
『さらに言えば、熱が高まるほど美しい色を帯びていく神威よ』
その時、魔法陣からポンッ、と真っ白い光球が現れた。
『熱っ!?』
突如として周囲の温度が高まった。
それは尋常な温度ではなく、私は肌を焼かれるような思いだった。
『赤い炎はおよそ1500度で鉄すら溶かし、その倍まで熱が高まると炎は金色を帯びて、人体など容易く炭にしてしまう。さらに熱を高めた炎は白く輝き――』
口上のさなか、クリスタリオスが新たに青い魔法陣を描き始めた。
まさかの多重魔法!?――と私が焦った矢先。
コンマ数秒で顕現した魔法陣は、クリスタリオスの全身を水の膜によってすっぽりと覆い隠してしまった。
『――すべてを焼き尽くす太陽となる』
しゃべり終えるのと同時に、光球が彼女の頭上高くへと上昇した。
それを見て、私は背筋に冷たいものが走った。
……その魔法のおおよその効果を察したから。
『火輪より出でる神の熱!!』
空中に浮かび上がった光球が、カッと弾けるように閃光を放った。
その閃光は広場だけに留まらず、修練場の壁や管理局の建物、さらには周辺の民家までをことごとく照らし出した。
肌をチリつく熱と、喉が焼けるような感覚を覚えた刹那――
『やめて!』
――私の叫び声に呼応したかのように、閃光もろとも光球が白く輝く渦を巻き、本の中へと吸い込まれていった。
熱されていた周囲の気温も急激に元へと戻っていく。
『標的をあなただけに絞らない魔法も、抑留の対象というわけね』
私がクリスタリオスに視線を戻すと、彼女を覆っていた水の膜がバシャリと地面へと流れて落ちた。
そして――
『素晴らしいわ!』
――興奮した面持ちで、私を称賛する言葉を投げかけてきた。
彼女は胸の谷間に杖を押し込んだ後、私へと駆け寄ってくる。
その時の胸の揺れときたら……凄い。
『まさか魔効失効の奇跡の使い手以外に、私の魔法が通じない人間がいるなんて』
私が本を閉じた時には、すでにクリスタリオスの顔が目の前にあった。
息がかかるほど近くに詰め寄ってきたので、私は驚いて後ずさってしまった。
けれど、そんな私の腰に彼女はするりと腕を回してきた。
……逃げられない。
『試験はお終い……なんですよね?』
『もちろんよ。合格だわ』
なんて嬉しそうな顔をするのだろう。
でも、私の気持ちなど歯牙にもかけない身勝手な振る舞いには当惑した。
『ありがとう。あの、離して……くれますか?』
『あなた、本当に興味深いわ。ぜひとも今度、あなたの魔法を研究させてくださらない?』
……聞いてくれやしない。
さらにグイグイくるので、私は堪らずに彼女を押し退けてしまった。
『ふふふ。初心で可愛いわね』
ドギマギしていた私に、彼女は悪戯っぽく笑いかけてくる。
『とにもかくにも、あなたは晴れて冒険者の仲間入りよ。おめでとう』
『ど、どうも』
『私のいるギルドに来なさいな。あまり良い男はいないけれど、資金も待遇もエル・ロワ随一よ。〈ジンカイト〉と言えば、聞いたことくらいはあるでしょう』
『よく……知っています』
『決まりね』
クリスタリオスは返事も聞かずに私の手を引いて歩き始めた。
あまりの強引さにされるがままだったけれど、結果として〈ジンカイト〉に入れるのならと、私はやぶさかではなかった。
『ああ、そうそう――』
途中、彼女は足を止めて近くの局員へと話しかけた。
それは私を受付してくれた女性局員だった。
『――この子の登録手続きはしっかり済ませておきなさい。承認されたら、冒険者タグと書類一式を〈ジンカイト〉へよこすこと。いいわね?』
『は、はいっ』
直立不動での即答。
まるで直属の上司からの命令であるかのように彼女は返事をした。
『い、いいのでしょうか……』
『いいのよ』
常識的に考えて、絶対にいいわけがない。
……なんて言えない。
修練場を出る時、私はクリスタリオスに尋ねた。
『あの、ひとつだけ質問が』
『何かしら』
『魔法に詠唱など必要なのですか?』
『不要よ』
『なら、あの時なぜ詠唱なんて』
『仰々しい過程を加えた方が、魔法の凄みが増すでしょう』
そう言うと、クリスタリオスは私に片目をまばたいた。
『……なるほど』
あの詠唱が、まさか完全な趣味の産物だったなんて。
でも、そんな奇矯で珍妙な振る舞いも、彼女が行うと不思議と様になる。
それがクリスタリオスという魔導士の魅力なのだろうか。
『あなたも相応のフレーズを考えるといいわ』
『遠慮しておきます』
私には到底、真似できない芸当だけれど。
◇
こうして私は晴れて冒険者となることができた。
この後、クリスタリオスの親切さもあって、〈ジンカイト〉への加入も滞りなく進んだ。
私がジルコくんと再会するのは、それから間もなくのことだった。