B-005. 冒険者への道
〈ジンカイト〉に保護されてから数ヵ月。
私はエル・ロワ王国の王都アークエンで多忙な日々を送っていた。
後見人となってくれたエルフのもとに身を寄せ、雑用の毎日。
『ネフラ! 方位盤を掃除しておけと言ったろう!』
『ごめんなさい。これからやるところでした』
『誰のおかげで不自由なく暮らせてると思ってるんだい。さっさとおしっ!』
『はい。すぐに』
怪しい天幕が吊り下がる部屋で、私を怒鳴りつけているのは占星術師のシリマ。
彼女は長寿のエルフでありながら、顔に深いしわを刻んだ老婆だった。
長い銀髪は三つ編みに。
頭には魔女のとんがり帽を。
顔以外の肌はことごとく漆黒のドレスで隠し。
物珍しい黒いガラスレンズの眼鏡をかけている。
『さっさとおし! 今日はお得意様の予約がわんさか入っているんだよ!?』
『はい。ただいま』
シリマが箒で床を叩きながら、私へと檄を飛ばす。
私が部屋の棚に並んでいる方位盤の水洗いを始めると、彼女はふん、と鼻を鳴らして読書に戻る。
そんなやり取りが毎日続いて、当初は私も面食らってしまった。
でも、今まで世俗的な暮らしをしてこなかった私にとって、掃除や洗濯、炊事に水汲みはなかなかに新鮮で楽しいことでもあった。
シリマはとても気難しい人だけれど、これから人間社会で暮らしていく私に最低限の常識を与えようとしてくれたのだと思う。
『ネフラ。掃除が終わったら、昼までは書庫で休んでな』
『はい』
シリマは無類の本好きで、エル・ロワ各地の骨董市に赴いては写本を買い漁り、読み飽きたら王都の図書館へと寄贈していた。
そのため、彼女の書庫には本棚に納まりきらないほどたくさんの本がある。
すでに本に強い関心を持っていた私にとって、書庫で過ごす時間はまさに至福の時だった。
◇
占いの館〈シリマナイト〉。
王都のシルバーヴィアにある、シリマが経営する占星術のお店。
ここには事前に予約したお客のみがやってくる。
なぜなら、シリマは決まった時間以外はほとんど館におらず、外出していてどこにいるかもわからないから。
そんなある日のこと。
夕方に入っていた予約がキャンセルになり、日が落ちる前に店を閉めた私達は久しぶりにゆっくりと時間を過ごしていた。
居間の食卓で本を読むシリマに蜂蜜酒を注いだ後、私は新聞に目を通した。
新聞には、トップニュースに〈ジンカイト〉の記事が書かれていた。
アムアシア東部にて、彼らが魔人を倒したという内容だった。
『そんなに気になるのかい。冒険者どもの活躍が』
新聞を見ていた私に、シリマが不機嫌そうに話しかけてきた。
『命懸けで戦って、苦しむ人々を救うなんて凄いなって思います』
『あいつらが頑張るのは報酬と名誉のためさ』
『それでも他の人にはできないことをやっているから、私は――』
この時、私はジルコくんの顔を思い浮かべた。
『――好きです』
それを聞くや否や、シリマは蜂蜜酒を注がれたジョッキをあおいだ。
『まさかお前、冒険者になりたいなんて言うんじゃなかろうね?』
『え』
『冒険者だけはやめときな! 欲望に忠実なろくでなしばかりだよ』
『そんなこと――』
『あるよ。あたしの知り合いにゃ、女に二十股以上かけた大たわけがいるし、聞けば報酬のために仲間を裏切ることも珍しくないって連中だ』
冒険者となった今、シリマの言っていたことは理解できる。
でも、冒険者に正義の側面しか見ていなかったこの時の私には、彼女の言葉はただの言いがかりにしか聞こえなかった。
『本好きのお前には、司書が天職だよ。成人を迎え次第、あたしのツテで王都の図書館に勤められるようにしてやるよ』
図書館の司書には確かに憧れていた。
何百冊という本に囲まれて暮らす生活は、今でも夢に見ることがある。
独特な紙の匂いは、私にとって香水よりも魅惑的なのだ。
『ごめんなさい、シリマ。私は――』
この時、私自身思いもかけずに。
『――冒険者になりたい』
そんなことを口にしてしまった。
その途端シリマの眉が吊り上がり、黒眼鏡で目元を隠していても怒っているのが丸わかりだった。
『ネフラ、お前は現実をわかってない。闇の時代、冒険者なんてのは魔王群との戦いで使い捨てにされる駒だ。捨て駒にもなれない連中は、底辺の掃き溜めでチンピラ同然のろくでなしに成り下がる』
『それは言い過ぎ……』
『言い過ぎなもんかい。特にお前は誰よりも恵まれた容姿だ。ギルドに入れば常に面倒事がつきまとうし、未所属なら尚更だ』
『でも、冒険者になりたいんです』
『なんでそこまで?』
『それは……』
『私にこき使われるのが嫌になって、一人立ちするための資金でも貯めようと?』
『そういうわけでは……』
『成人して稼げるようになったら出て行けばいいが、それまではここにいな。エルフはヒトの都じゃ生きにくいんだ』
それがシリマの親心からくる言葉だったのはわかる。
でも、一度口にした私の目標は、すでにより強い動機となってしまっていた。
彼の――ジルコくんの隣で誰かのために共に戦う。
この時、私が具体的にイメージできた未来はそんな光景だった。
『……はぁ。本気みたいだね』
『はい』
『まさか男じゃないだろうね』
『はい?』
『ハゲのごっついオッサン目当てだったりしたら――』
『? 誰のことだか』
『ならまぁ……』
シリマは納得できていない様子だったけれど、私の希望を尊重してくれた。
翌日から、私はシリマから魔法を学ぶことになった。
◇
エーテルに類する事象に対して絶対無敵を誇る高次元魔法。
クロードやクリスタリオスは、それを不明魔法種目と呼んでいるけれど、私も詳しくは知らない。
師事する私に対して、シリマも多くは語らなかったから。
ただ、多用を控えるようにと常々言われていたことを覚えている。
二年ほどの修行で私はいくつかの高次元魔法を会得した。
修行を終えた時、シリマは言った。
『お前が手に入れたのは盾。魔王群を相手にしても、身を守ることくらいはできるだろう。ただし矛が足りない』
その通りだった。
私は自分の身を守れても、攻撃の手段を持たない。
それでは冒険者として満足な働きができないのは明白だった。
『だからこそ、お前が絶対的に信用できる矛を見つけるんだ。お前はその矛と共に在ることで、ようやく一端の冒険者を名乗れる』
絶対的に信用できる矛。
それを聞いた時、私にはそれが誰になるかわかっていた。
『できるなら女がいい。しかも、冒険者としても人間としても経験豊富な年上の。その方が安心だからね』
『どうしてですか?』
『お前、いろんな本を読んでる割には危機感ないね……』
その時のシリマの顔ときたら。
黒眼鏡の上からでも、呆れているのが手に取るようにわかった。
◇
その後、私は冒険者の申請を行うためにギルド管理局へと訪れた。
ギルド管理局はゴールドヴィアの一等地にある役所で、エル・ロワ国内のギルドを管理・統括する役割を担っている。
冒険者の申請自体は他の町の国営ギルドでも行うことができる。
でも、王都からスタートする方が箔がつく、という理由でわざわざよそからやってくる者もいるらしい。
何にせよ、管理局に足を踏み入れた私は――
『エルフ……!?』
『エルフだ』
『めちゃくちゃ可愛い!』
『超美人。何あれ人形みたい』
『眼鏡とは珍しい。……だが、それがいい』
――めちゃくちゃ注目された。
受付では、局員の女性が訝しみながら私の要件を聞いてくれた。
『――書類への記載は以上です。最後に適正試験を受けていただきます』
『どんな試験なのですか?』
『先ほどあなたのクラスは魔法使いとうかがいました。具体的には、どの属性の魔導士でしょうか? 杖をお持ちではないようですが、魔道具の類をお使いですか?』
……意外と聞かれることが細かい。
『あの、魔法の区分がよくわからないのですが。あと、魔道具……というかは微妙ですが、私はこの本を使います』
私は胸に抱いていたミスリルカバーの本を受付カウンターへと乗せた。
この本は高次元魔法を学ぶ折、シリマから譲ってもらった物だ。
『本が魔道具代わりとは変わっていますね。体系化されている四属性以外をお使いになるということですね』
『はい』
『そういった方でも魔導士と名乗ってもらって結構ですよ。自信をお持ちください』
『はぁ』
なぜか励まされてしまった。
『では、隣の修練場にて適正試験をお受けください』
『わかりました』
『試験内容は、エーテル素養の検査と、実技です』
◇
管理局の隣には、国営ギルドに所属する冒険者達の修練場があった。
この時の私には知る由もないけれど、修練場の建物は外観も内装も素晴らしいものだった。
さすが国営だけあって資金を潤沢に使っている。
『ようこそ、エルフの少女よ』
そこで私を待っていたのは、国営ギルドのサブマスターを名乗る男性だった。
彼も魔導士であるらしく、腰には宝飾杖を下げていた。
『ネフラと申します。よろしくお願いします』
『うむ。礼儀よし、装いよし、きみは良い冒険者になりそうだ!』
『ありがとうございます』
『もっとも、これから行うエーテル素養検査で最低水準を下回れば、別の仕事をおすすめするがね!』
彼が言うと、周りからくすくすと笑い声が聞こえてきた。
修練場には他にも多くの冒険者や局員の人達がいて、私と彼のやり取りをうかがっているのだ。
『頑張ります』
『素直さはよし! では、さっそく検査を始めよう』
その後、私は大きな水晶玉が乗せられた台座へと案内された。
その水晶玉は私の頭くらいの大きさで、内側ではエーテル光がぼんやりと白い輝きを放っているのが見えた。
説明によれば、この水晶玉に触れてエーテル操作を行うことで、どれほどの素養を持つかが光の色で判断できるのだという。
便利な魔道具があるものだ、と感心した。
『……』
修練場に居る人達は、一人残らず私の動向に注目していた。
こんな大勢の視線を一身に浴びたことなどないので、私はとても緊張したことを覚えている。
『どうしたのかね? 緊張したのならまた今度でも構わんよ』
サブマスターの男性が、明らかに皮肉を込めた言い方をしてきた。
周囲からはくすくすと笑い声も聞こえてくる。
私はちょっとだけムッとした。
『いいえ、大丈夫です。今この場でやらせていただきます』
そう言って、私は利き手で水晶玉へと触れた。
そして、魔法を使う要領でエーテル操作を意識した時――
『!?』
――突然、水晶玉が粉々に弾け飛んだ。
『えっ』
予想もしていなかったことに、私は驚いた。
水晶玉に留まっていたエーテルも空気中に霧散して消失してしまった。
『ちょっと、どういうこと』
『なんで水晶玉が割れたんだ?』
『ありえないだろ……』
『おいおい、マジか』
周りがざわめき始めた。
私は何かまずいことでもしたのかな、と思ってしまった。
『あの、ごめんなさい……?』
『あ。いや、えぇと……ちょっと待ってね』
サブマスターは引きつった顔で私に言うなり、集まってきた局員達のもとに走って行った。
一体何が何やら、この時の私にはわからなかった。
……しばらくして。
『ネフラくん。エーテル素養検査は合格です』
『あれで良かったのですか?』
『まぁ、ね。次は実技なんだけど、う~ん……』
『何か?』
『いや、どうしようかと……。お、俺で務まるのかな』
サブマスターは冷や汗を掻きながら、目を泳がせている。
なぜか私と目を合わせようとしない。
その時――
『面白い人材が現れたわね』
――女性の声が聞こえた。
私が振り向くと、そこには。
『エルフの女の子……ね。可愛い耳をしているわね』
周囲が彼女の存在に気づくなり、場は静まり返ってしまった。
静寂の中、女性は軽やかな足取りで私の前へと歩いてきた。
『私は、クリスタリオス・ルーナリア・パープルオーブ――』
その顔を間近にして、〈ジンカイト〉に助けられた時に見かけた魔導士であることに気がついた。
『――少しは名の知れた魔導士よ』
同性の私から見ても、見惚れてしまうほどに美しい容貌。
思わず聞き入ってしまうほどに艶のある声。
そして、その視線を受けた私は言い知れぬ悪寒に襲われた。
『あなた、実に興味深い存在だわ』