B-004. 自由を得た少女
『逃げられると思うなよ、悪党ども!』
当時のジルコくんは18歳。
今よりも少しだけ若かったけど、やっぱり今と変わらない正義感の強い人。
この頃はまだミスリル銃を持っておらず、人並み外れた射撃の腕のみで戦っていた。
たった今もその腕前で私を助けてくれたもの。
『ジルコ。なぜ急所を狙わないのですか』
『えっ。そんなことしたら死んじゃうじゃないか』
『きみのやり方は非効率ですね。カスを相手に聖人ぶってどうするのです』
『酷い言いようだなぁ』
……クロード。
彼はこの頃から凄い精霊魔法の使い手だった。
広間の煙や瓦礫の火は、すでに風の精霊によって消し去られている。
『そう言ってやるなクロード殿。ジルコ殿は無駄な殺生を好まないのだ』
『そりゃあね。後味悪いのは好きじゃないし』
『ジルコ殿の考えは嫌いではないよ。しかし、斬り捨てた方がいい人間も世の中にごまんといることは覚えていてほしい』
『……斬る気まんまんじゃない?』
……ルリ姫。
初めて見た時、黒曜石のように綺麗な黒髪だと思った。
こんなに美しい人があんな恐ろしい一面を持っているなんて、この時は想像もしなかった。
『ちっ。〈ジンカイト〉のクソどもが……!』
『剣士に、魔導士に、銃士の組み合わせときたか』
『舐めやがって。たった三人ならどうとでもならぁな』
『痛ってぇ……! てめぇジルコ・ブレドウィナーだな? 雷管式ライフル銃で百発百中の腕前だとか聞いたことあるぜ』
手を撃たれた男を含めた四人組がジルコくん達と向かい合った。
この頃の〈ジンカイト〉は、すでに最強ギルド候補として名前が上がるほど有名になっていた。
それだけに、たった三人であっても四人組の見立ては大きな誤りだったと言わざるを得ない。
『魔導士ですって? 私は錬金術師ですよ』
『剣士ではない! アマクニの勇士――侍だ!!』
『いちいち否定しなくていいよ!』
私を間に挟んで三対四の睨み合いが続いた。
遠くから破壊音が聞こえる中、張り詰めた空気が流れる。
最初にその均衡を破ったのは――
『はぁ。カスの相手はごめんですよ』
――クロードだった。
『ジルコ、ルリ。この場はあなた達に任せます』
そう言うなり、クロードは廊下へと向かって歩きだした。
それを目の当たりにした四人組は激昂する。
『……!』
『てっ……てめぇっ! 舐めてんのか!?』
『殺すぞコラァッ!』
『おい、こっち向けやぁ!!』
クロードは暴言を吐く男達に一瞥もくれず、廊下の奥へと消えて行った。
『くっ。舐めやがってぇぇぇ!』
『この二匹を始末したら、てめぇもすぐにぶっ殺してやるからなっ!!』
四人の怒りの矛先が一斉にジルコくんとルリ姫へと向かった。
『ったく、クロードのやつ。挑発だけして去りやがって』
『彼の気持ちもわかる。ここは私ひとりに任せてもらおう』
『いや、しかし……』
『手出し無用。女児に乱暴狼藉を働くような悪党は、私の剣の錆びにしてくれる』
女児……。
私はこの時13歳。
それほど子供にも見えないはずだけど。
その後、ルリ姫は本当に一人で四人組へと向かい始めた。
ジルコくんは彼女の背中を見送りながら困った顔をしている。
『なんだこの女ァ。頭おかしいのか?』
『アマクニってどこだ? エル・ロワの属国かぁ!?』
『きっと文明遅れの頭の悪い猿どもの国だろうよ』
『違いねぇ!』
男達の野次を受けてルリ姫は顔色を変えた。
アマクニのことを揶揄されるのは、ルリ姫のもっとも嫌うことのひとつだから。
『尋問には一人いれば十分だ。貴様らのような下衆には泣いてくれるような者もいないだろう?』
ルリ姫の利き手は、腰に差してあるアマクニ刀の柄に掛かっていた。
『けっ。ハッタリがお上手なこった』
『アマクニの女は口先だけでも良い服が買えるようだなぁ』
『前衛クラスがたった一人で俺達にかなうとでも思ってんのか?』
『ブレドウィナー! この女を片付けた後はてめぇだ』
四人組は、それぞれ両腕の袖からジャマダハルの刃を露にした。
ジャマダハルの波打った刀身は相手を殺すことに特化している。
そのことから、彼ら四人のクラスは暗殺者だと推測できる。
もちろん今思い返すからこそ言える事実なのだけれど……。
『くたばれ馬鹿がっ!』
床を走って一人が真正面からルリ姫に斬りかかった。
さらに瓦礫の上から三人が飛び跳ねて、ルリ姫に三方向から襲撃。
四人組の布陣は、剣士一人を相手にする場合には最適解だったのだろうと思う。
でも、それは相手が並みの剣士であるならば。
ルリ姫が鞘を握る左手の親指で、刀の鍔を押し上げた瞬間――
『永遠一刀流――千皇陣』
――光が走った。
言葉通り空中を無数の白い光が走ったのだ。
気づいた時にはルリ姫は刀を鞘へと納めていた。
……と言うか、いつ刀を抜いたのかすら私にはわからなかった。
彼女へとジャマダハルの刃を向けていた四人の男達は、床に足をつけた途端その場に崩れ落ちた。
あの一瞬で、襲い来る彼ら全員に致命傷を与えていたのだ。
しかも、ジャマダハルの刀身もすべて根元からへし折られていた。
『こ、殺したのか?』
『軽く撫でただけだ。半刻ほど放っておけば死ぬだろうけど』
ルリ姫は倒れる男達を見下ろしながら、冷酷に言ってのけた。
そして、視線を切って今度は私に近づいてきた。
『……っ!』
私はルリ姫の強さに動転してしまっていて、どんな言葉でお礼を述べるべきか迷っていた。
でも、彼女はそんな私に視線を合わせるなり、笑顔で話しかけてくれた。
『大丈夫。きみを脅かす悪人はもういないから』
とても綺麗で……可愛い笑顔だった。
刀を握っていた時の鋭い眼光とは打って変わって、私を見下ろすルリ姫はとても優しい目をしていた。
私は彼女と見つめ合っているうちに少しずつ落ち着いていき――
『きみは不思議な目をしているね?』
――そう言われてドキッとした。
その後、ジルコくんが気絶した四人組を縄で縛り上げ、ルリ姫は館に立てこもっている奴隷商を捕らえることになった。
『ジルコ殿。まずはこの子を安全なところへ。その後、逃亡をはかる連中を押さえているクリスタ殿を手伝ってやってほしい』
『わかっているよ。外のことは任せてくれ』
『では、ごめん!』
ルリ姫はジルコくんにほほ笑みかけると、床を蹴って一瞬にして廊下の奥へと駆け抜けていった。
それは弾け飛んだ破片が床に落ちるまでの短い間のこと。
『凄い人ですね……』
『ああ。ウチのギルドの女性は化け物――こほん。凄い人材ばかり揃っているよ』
それから私はジルコくんに館の外へと連れ出された。
肩を抱きかかえられていたので、とてもドキドキしたのを覚えている。
顔が熱かったから、きっと耳まで真っ赤になっていたのだろうな。
ちょうどその時。
外では恐ろしい光景が広がっていたのだけれど、それは忘れたままにしておこう。
◇
洋館に籠城していた奴隷商は全員捕らえられた。
彼らは〈ジンカイト〉の冒険者によって拘束され、庭へと連れ出されていた。
『ちくしょうめ! 国の狗がっ!!』
奴隷商の一人が、髪の毛のない大柄な冒険者へと悪態をついた。
『あんたら目立ち過ぎだ。エル・ロワは仮にも奴隷禁制の国だぜ?』
『それがどうした! 需要あるところに我らありだっ!!』
『はいはい。さっさと連れてっちゃってぇー』
『ば、馬鹿にしおって――』
さらに突っかかろうとするも、奴隷商は口上の途中で王国兵に馬車へと引っ張られていった。
『奴隷商の名簿に、エル・ロワのお偉方の名前がなきゃいいがなぁ』
その冒険者こそ、ジェット・ブラックパウダ。
冒険者ギルド〈ジンカイト〉の先代ギルドマスターだ。
私は最初、彼の顔を見ることもできないほどに怖がっていた。
だって髪の毛をすべて剃っていて、大柄でムキムキで、全身に凄い傷痕があって、声も大きく粗暴な印象を受けたから……。
『マスターさんよ、言われた通り調べてきたぜ。館にはもう誰もいねぇよ』
『おお、そうかそうか』
『これであたしの仕事は終わりだろ。帰らせてもらうよ』
『そう言うなジャスファ! どうせなら王都への連行も手伝ってくれ』
『冗談じゃねぇ、死ねっ!!』
今でも忘れられない、ジャスファとギルドマスターの会話。
後で二人が親子だと知ったのだけれど、こんな会話をする親子がいるなんて夢にも思わなかった。
外の世界は小説より奇なり、だった。
『せめて亡骸を布にくるむの手伝ってくれ』
『ざっけんな! 瓦礫に潰された死体だっていくつもあるんだ。そんなのは王国兵どもにやらせなよっ』
それを聞いた私は、胸が締めつけられる思いだった。
私をかばって命を落としたマダム・シェバ。
瓦礫の下敷きになったゴリアテ。
奴隷の子達だって、みんなもういなくなってしまった。
私は急に心細く、寂しくなった。
その時――
『ジェットくん。これで私もお役ごめんだろう』
――ギルドマスターに初老の男性が話しかけてきた。
その男性は、丈の長いサーコートの上からローブを羽織り、つばのある円筒状の帽子をかぶっていた。
白髪と口髭が印象的な老紳士という風情。
私はこの人の声に聞き覚えがあった。
以前、マダムの仮宿に何度も押しかけてきたお客の声と同じなのだ。
『奴隷商を一網打尽にできたのも、プラチナム侯爵の力添えがあってこそですわ』
『そもそも発端は身内の不祥事だったからね。とは言え、私自ら客として潜入させられるとは思ってもいなかったよ』
『仮にも五英傑のおひとりだ。そのくらいの胆力はお持ちでしょ』
『私にそんな無茶を言えるのは、きみくらいだよ』
プラチナム侯爵と呼ばれた男性は、不意に私へと向き直った。
『エルフ、か。久しく見なかったな』
彼は感情のこもらない顔で、私を見下ろしていた。
一言で言うと不気味な……嫌な目だった。
『この子の後見人に立候補しよう』
『侯爵、幼女趣味があったんすか?』
『訴えるぞ。エルフは貴重な人材ゆえに、力を持つ者が保護するのが道理だ』
『まぁそれは落ち着いた後、この子に決めてもらいましょうや』
私の後見人?
この得体の知れない男の人が?
……嫌だ。この時、率直にそう思った。
『リドット、ジェリカ! 海峡都市までプラチナム侯爵の護衛を頼む』
ギルドマスターの言葉に、少し離れた場所にいた男女が手を上げて応えた。
彼らは侯爵を挟んで箱馬車へと先導していった。
それを見送った後、ギルドマスターは私へと向き直る。
『さて、お嬢ちゃん』
『は、はい』
『俺の知り合いに占い師をやってるエルフがいる。お前さんさえ良ければ、成人するまではその人の世話になるといい』
『エルフ……』
『お前さんはもう奴隷じゃない。これからの身の振り方を考えるんだ』
そう言われて私は自分の立場を思い出した。
奴隷として誰かに縛られる生き方をする必要なんてないのだ。
これから先、私は自由に生きられる。
……でも、自由って何だろう?
『私はこれからどうすれば……』
『読み書きできりゃあ、王都でもそれなりの仕事には就ける。今のご時世、役所は人手が足りないし、見込みがあれば学者を目指すのもいい。特に信仰がないなら、ジエル教の聖職に就くのもありだな』
役人に、学者に、聖職者。
今までの生活では考えられなかった職業。
それらの道を歩む自分の姿はちょっと想像がつかない。
『まぁ、将来のことはおいおい考えな』
そう言うと、ギルドマスターは私の頭を撫でた後、口論している冒険者達の輪へと混ざっていった。
その代わりに――
『やぁ。気分はどう?』
――ジルコくんが気を使って話しかけてくれた。
この時の私は、澄ました顔をする裏で半ばパニックに陥っていた。
ジルコくんの前に立つだけで胸が熱くなる。
彼と目を合わせるだけで顔が熱くなる。
……だからだろうか。
この後、私が口にした支離滅裂のセリフ――
『私、信じていました』
『ん?』
『白馬の王子様が助けに来てくれること』
『んん?』
『あなたが助けにきてくれて、夢が叶いました』
『お、俺が? なんで?』
『本に書いてあったから』
『……あそう』
――今思い返しても、死ぬほど恥ずかしい。
ジルコくんの訝しむ顔ときたら。
私のことを夢見がちな女の子と思ってくれたなら……まだ救われる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「おもしろい」「続きが気になる」と思った方は、
下にある【☆☆☆☆☆】より評価、
またはブックマークや感想をお願いします。
応援いただけると、執筆活動の励みになります。