3-046. 二人目
日が昇る頃、赤い屋根の建物跡地には近隣の住人が集まっていた。
早朝から岩盤をブチ抜くほどの轟音が響いては、おちおち寝てもいられまい。
しかも、大きな穴の開いた地面や、瓦礫の山を見ればなおのこと。
騒ぎを聞きつけて王国兵がやってくるのも時間の問題か。
クロードは地下から私物を持ち出して、すべてを火にかけていた。
思い出し玉に、もろもろの書類、そしてアレクサンドラの形見のドレスまでも。
その一方で、俺には勇者の聖剣が、隣に立つネフラには〈ザ・ワン〉が、それぞれその手に抱えられていた。
「いいのか? 全部焼いてしまって」
「ええ。思い出は自分の中にしまっておく方が安全ですから」
……記憶を盗み見たことを根に持っているのか。
「それに、過去との決別にはちょうどいい」
あの子が――ルビィが消えてしまってから、クロードはまるで憑き物が落ちたように晴れ晴れとした顔をしていた。
俺達への敵意も、過去への後悔も、ルビィとの出会いですべて乗り越えることができたのだろう。
「これからどうするんだ」
「こんなことになっては、もうこの国にはいられませんよ」
「やっぱり国を出るのか」
「きみにとっても、それが都合がよいのでしょう」
「いや、まぁ……」
教皇庁との摩擦を考えれば、確かにクロードには国外に出てもらった方がいい。
しかし、今生の別れかもしれないと思うとそれはそれで寂しいものがある。
「なぁ、クロード。俺を恨んでいないのか?」
俺の問いにネフラの顔が強ばる。
だが、クロードは――
「きみのことは嫌いですよ。足手まといで、私に迷惑ばかりかける。しかし、恨む理由はありません」
――笑顔をたたえた顔で穏やかに告げた。
そんなクロードに釣られて、俺も口元が緩んでしまう。
「騒がしくなってきましたね」
「……だな」
敷地の外がざわついてきた。
住人にしてみれば、瓦礫の中にたたずむ俺達三人はさぞかし怪しく見えるだろう。
これ以上、人が増えないうちに退散するのが無難だ。
「お前の始末についてだけど……」
俺が教皇庁への報告について相談しようとした時――
「!?」
――何かが風を切るような音が聞こえた。
何気なしに振り向いた俺が目にしたのは、飛んでくるナイフだった。
「うおっ」
勇者の聖剣でナイフを弾いて事なきを得たものの、今の角度は間違いなく俺の首を狙っていた。
「誰だ!?」
ナイフの飛んできた方向に目を向けると――
「ちぃっ! 外したよ兄貴っ」
「まったく悪運の強い野郎だぁっ!」
――野次馬の中に、ジェミニ兄妹の姿があった。
なぜ、ここにジェミニ兄妹が!?
王国兵に捕まって今頃は檻の中のはずなのに……。
まさか脱獄して俺への報復にやってきたのか?
「妹よ、二投目を構えろ」
ジェミニ妹がベルトの鞘からもう一本のナイフを引き抜く。
その瞬間、兄の方は――
「俺ぁ、こっちを狙うっ!」
――ネフラへ向かってナイフを投擲した。
ネフラは今、本を手離している。
飛んでくるナイフに対して、ミスリルカバーを盾にすることができない。
「ネフラ、避けろっ」
無理だ。
ネフラにそこまでの反射神経は……ない。
「ジルコく――」
青ざめるネフラの顔。
俺はとっさに彼女の体を突き飛ばし――
「ぐふっ」
――代わりにナイフの刃先を脇腹に受けてしまった。
「ああぁっ!?」
聞こえてくるネフラの悲鳴。
ぐらりと傾いた俺の体を、彼女が抱きしめるようにして受け止めた。
……脇腹が死ぬほど熱い。
まるで焼石を体の内側まで押し付けられているようだ。
「ひっ!」
一方で、ジェミニ妹が投げたナイフはネフラの眼前で静止した。
「な、なんでだよっ」
それを見て驚くジェミニ妹。
「くだらない真似を……」
クロードが指を鳴らすと、空中に静止していたナイフが地面へと落ちる。
風の精霊を操って、ナイフを止めてくれたらしい。
「ちっ。まぁいい、これで一人は殺った! ずらかるぞ妹よ」
「キャハハッ! ざまぁみやがれぇ!!」
ジェミニ兄妹が踵を返して、颯爽と逃げ出していく。
あいつら、やるだけやって尻尾巻いて逃げる気か……!
「う!?」
突然ジェミニ兄の動きが止まった。
それを見て、妹が怪訝な表情を浮かべる。
「何やってんのさ兄貴!? 早く逃げないとあの野郎に――」
「うぅ、動けねぇ! なんだぁこりゃあ!?」
見れば、ジェミニ兄の手足が空中に浮かんだまま、磔にでもされたかのように硬直している。
こんな真似ができるのはクロードの操る風の精霊だけだ。
「素直に敗北を受け入れて、二度と干渉しなければよいものを」
クロードがジェミニ兄に向けて、空中に弧を描いている。
その手には虹色の冒険者タグが……。
「あっ! あっ! 兄貴、早く逃げろよ!!」
「無理だぁ! 手足が何かに掴まれたみてぇに動かねぇぇぇ!!」
懸命に兄をひっぱる妹。
しかし、兄の体はその場から微動だにしない。
そうこうするうち、二人を照らし出すように赤い魔法陣が輝いた。
「炎浄執刑!!」
クロードの声に共鳴するようにして、魔法陣から赤い光がこぼれ落ちる。
それは地面に触れて早々、溶岩のように砂や土を溶かしながらジェミニ兄へと向かって疾走した。
「うああ、兄貴ぃぃぃっ!」
「ひいぃぇぇぇっ!!」
兄の腕を引っ張る手がすっぽ抜けて、ジェミニ妹が尻もちをつく。
その直後、ジェミニ兄の足元から頭頂部まで、一気にぬめぬめした赤い炎が絡みついた。
「あぎゃああああぁぁぁ――」
ジェミニ兄の絶叫。
鼻をつく肉が焼ける臭い。
凄まじい熱量を間近に感じて、俺は自分の肌が焼けるかと思った。
「――ぁぁぁぁ……」
ジェミニ兄の断末魔は次第に小さくなっていき、最後には聞こえなくなった。
炎が消え去ると、そこには滑稽な恰好で炭と化したジェミニ兄……だった物体が浮かんでいた。
「あ……あぁ……」
ジェミニ妹は尻もちをついたまま、黒焦げの兄を目の当たりにして心底震えあがっていた。
ドサッ、と人の形をした炭が倒れる。
その衝撃で、頭だった部分はポロリともげて、妹の方へと転がっていく。
「ひっ――」
それは妹の股ぐらまで転がっていって動きを止めた。
すでに顔の判別すらできなくなったその物体を見て、妹は悲鳴をあげた。
「――ひいいぃぃぃぃ~~~!!」
ジェミニ妹は転げながらもその場から走り去り、野次馬の列を押し退けて通りの向こうへと姿を消した。
「一匹逃しましたが、まぁいいでしょう」
ジェミニ妹を見送ったクロードは、すぐに俺に駆け寄って傷口に目を向けた。
「これは……毒か」
クロードの言う通り、刃に毒が塗られている。
しかも麻痺毒なんて生易しいものではなく、致死性の高い猛毒だ。
まさか本気で殺すために報復してくるとは、少し〈サタディナイト〉の連中を甘く見ていたようだ。
「たぶんこりゃ……臓器に達してる」
「そんな!!」
「こいつは思いのほかヤバいかも、な……」
「クロード、ジルコくんを助けてっ!」
ネフラがクロードに掴みかかる。
しかし、クロードは唇を噛んで苦々しい顔をしている。
「……ダメです。ここでは彼を治す術がない」
「なぜ!? あなたが治せばいい!!」
「無理ですよ。今の私は奇跡が使えない」
「どうして!?」
ネフラが取り乱してクロードを揺さぶる。
クロードは奇跡だって右に出る者はいないほどの凄腕なのだ。
そのクロードがそう言うのであれば、おそらく……。
「先日、教皇から受けた洗礼の奇跡によって、私の属性が竜信仰からジエル教のものへと書き換えられているからです」
「それって……」
「今の私に使えるとすれば、ジエル教の奇跡。しかし、私はそちらの奇跡を実践したことはありません」
「そ、それでもあなたならジエル教の奇跡だって起こせるでしょう!?」
「奇跡は宗派によって教理の詳細が異なります。その理解を疎かにして奇跡を行えば、災難を招きかねません」
「そんな……」
奇跡は、魔法と違って好き勝手学んで自由に使えるものじゃない。
どんな理屈かは知らないが、人間が奇跡を使えるようになるには、洗礼やら何やら色々と儀式が必要らしい。
そうでもなきゃ、野良癒し手が増えて宗教のありがたみがなくなっちまうもんな……。
「せっかくここまでやってきたのに。こんな……こんなの……」
ネフラが俺の胸に顔を当てて、泣き崩れる。
またこの子を泣かしてしまった……。
「く、クロード……」
「なんです」
「お前は天才、だろ……。大丈夫さ、やってくれ」
「しかし……」
「失敗したら……ギルドを頼めないかな……お前なら……きっと……」
「馬鹿な! きみの遺言などいりませんよ!!」
クロードは泣きじゃくるネフラを俺から引き剥がして、ナイフの柄を握った。
そして、覚悟を決めたような顔で俺へと告げる。
「まったく! 本当にきみは私に迷惑ばかりかける!」
「出来の悪い……弟みたいだろ」
「そんな弟はいりませんよ!」
ぐぐっ、とクロードがナイフを引き抜いていく。
傷口から血が溢れ出し、脇腹が一層熱くなる。
それに加えて死ぬほど……痛いぞ。
「ナイフを抜き次第、毒抜きと癒しの奇跡を起こします。失敗しても、私はきみの遺言など聞きませんからね!?」
「じゅう、ぶん、だ」
一気にナイフが引き抜かれた。
「ぐぅあぁぁっ!」
あまりの激痛に、思わず体が反り返る。
そんな俺の体をネフラが抱きしめて、暴れないよう懸命に押さえ込んでくれる。
「ジルコ」
「なん、だ……?」
「きみは、私の出会ってきたカスの中でも――」
言いながら、クロードは傷口に冒険者タグの宝石を押し当て、集中し始めた。
「――ずいぶんマシな方のカスでしたよ」
それを聞いて、俺は思わず笑ってしまった。
最後の最後、言うに事欠いてそれを言うかよ……と。
だがまぁ、そんな評価も悪くない。
……間もなくして、俺の視界は少しずつ真っ暗になっていった。
◇
俺が目を覚ますと、すでに日は真上に昇っていた。
「……生きている、のか」
脇腹をさすると、傷口がない。
どうやらクロードに命を救われたようだ。
「ジルコくん?」
ネフラの声がしたので身を起こすと、彼女が安堵した顔で近づいてきた。
周囲を見渡すと、今いる場所がファベーラの通りの陰だとわかった。
「さっきの場所、騒がしくなってきたからここまで移動したの」
「すまないな。そんなことまでさせて」
「ううん。無事でよかった」
ネフラが俺の前に屈んで傷口のあった脇腹を触ってくる。
……くすぐったい。
「クロードは?」
そう聞くと、ネフラは首を横に振った。
「……そうか」
クロードはすでに発った後か……。
傷の礼をしたかったのに。
と言うか、ちゃんとした別れの挨拶をしたかったのに。
「クロードからの伝言」
「何?」
「真っ黒になったジェミニ兄の死体を、自分のものだと教皇庁に伝えてほしい――って」
……なるほど、考えたな。
クロードとジェミニ兄は背格好も同じくらいだし、あそこまで炭化していれば素性などわかりっこないだろう。
さすがの教皇庁も、死体相手に看破の奇跡など使えまい。
「命を救われたし、そのくらいの頼みは聞いてやるか」
勇者の聖剣と〈ザ・ワン〉は無事に取り戻し、クロードは死亡。
教皇庁としても納得できる結末だろう。
「……ん?」
不意に、俺は首に違和感を覚えた。
いつの間にか、首から冒険者タグがふたつ下げられていたのだ。
ひとつは俺の。
もうひとつは、虹色に光る宝石の。
これは――
「あと、もうひとつ。クロードが迷惑料として、等級Sの冒険者タグを譲るって」
――クロードの冒険者タグ、か。
「冒険者は引退して、これからは隠遁の錬金術師とでも名乗る気かね。……ありがたく、いただいておくよ」
俺は立ち上がってネフラを見下ろした。
彼女は澄んだ目と優しいほほ笑みを俺に向けてくれている。
俺が今この場にいるのは、この子のおかげだ。
感謝してもし足りない。
「ありがとな、ネフラ」
「どうして?」
「お前のおかげで、二人目の解雇通告……完了だ」
「ほとんどそれ以外のことをしてきたような気がするけど」
「はは。まぁ、今回は特別だよ」
「だといいけどっ」
ネフラが悪戯っぽく笑う。
命懸けの使命をこなした後にこの笑顔を見られるなら、俺はまだまだ頑張れそうだ。
しかし、任務完了まで先は長い――
傲岸不遜な魔導士。
独善的な聖職者。
頑固一徹な侍。
他にも、あくが強いやつが何人もいる。
――解雇通告、これからも大変だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回で第三章は完結となります。
次回よりヒロインの過去編を数話挟んだ後、
第四章(女魔導士クリスタ編)を開始いたします。
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