3-042. 男の戦い ジルコVSクロード②
ミスリル銃の装填口から宝石に亀裂の入る音が聞こえた。
さすがは教皇庁で洗礼を受けたブルーサファイヤ。
一度の斬り撃ちでも潰れることのない、ありがたい宝石だったか。
「クロード――」
真っ二つに裂かれたかと思ったクロードの体は、マントが焼き切れただけで無事に済んでいた。
奴の羽織っているマントは強い魔法耐性がある。
ならば、宝石のエーテルを利用したミスリル銃の光線に耐えられても不思議じゃない。
「――そこをどけっ!」
今さら攻撃の手を緩めることはしない。
しかし利き腕が切断された今、片腕ではミスリル銃の照準が定まらない。
俺は片膝を床について腿の上で銃身を支えながら、標的へと銃口を向けた。
「やらせるものかっ!!」
クロードは半分裂けたベッドの上で、人造人間をかばいながら魔法陣の描画を再開した。
奴が空中に描いているのは水色の魔法陣だ。
水の膜を張ることで俺の攻撃を無力化する狙いか。
「!?」
その時、唐突に全身の毛が逆立った。
俺は半ば無意識に横へと転がり、一瞬前まで居た場所が猛獣の爪痕のように切り裂かれるのを目にした。
身を躱すのがコンマ一秒でも遅れていればと思うとゾッとする。
クロードの攻撃に魔法陣は不要。
無言無挙動で、風の精霊による攻撃がどこからでも襲ってくるのだ。
「切り裂けっ!!」
クロードの命令が狭い部屋に響き渡る。
その声に従うかのように、見えない刃が天井から壁を切り裂きながら俺へと迫ってきた。
俺は床を転がりながら風の刃を躱し続け、その間もクロードを狙って何度も引き金を引いた。
クロードはマントを盾にしてことごとく人造人間を守り切ったが、ミスリル銃の光線を受け続けて無事に済むはずがない。
強力な魔法耐性を誇るクロードのマントも、二度、三度と光線を浴びたことで焼け落ちてきている。
「見えた――」
床を転げ回って風の猛威から逃げるさなか。
焼け落ちるマントの隙間から、人造人間の顔が垣間見えた。
「――そこっ!」
俺が確信を持って引き金を引いた瞬間。
なんとクロードは、左手をさらして射線を塞いだ。
光線が手のひらに触れるのと同時に、クロードの手首から先が爆散する。
それがクッションの役割を果たし、その先の標的には光線が届かなかった。
「くそっ」
体勢を変えようと足を踏ん張った時、俺は後ろから追ってきた見えない刃の旋風に巻き込まれた。
体をひねって全身が覆われることだけは避けられたものの、右足の大腿部から右胸にかけて肉が抉られ血が噴き上がる。
ゾンビポーションを飲んでいなければ、激痛に気を失っていただろう。
一方、クロードの魔法陣は完成直前だった。
「させるかぁっ!!」
風の精霊の攻撃が止んで間もなく、魔法陣に向かってミスリル銃の引き金を引いた。
銃口から射出された光線が魔法陣に衝突するや、互いのエーテル光が四方に弾けて空中に霧散する。
エーテル光に触れた床や天井は焼け爛れ、壁側に並べられたガラス管は次々に割れていく。
床へと流れ出した液体は瞬く間に部屋を水浸しにしてしまった。
「ジルコ……よくも!」
視界を塞いでいたエーテル光が消え失せ、クロードの顔が露になった。
魔導士の魔法を妨害するには、術者本人を狙う以外にも有効な方法がある。
それは、術者による円陣構築模様の描画を阻害する方法だ。
魔法陣とは案外脆く、描画中に意図せぬ干渉を受けると著しく安定を損なう。
模様が乱れた魔法陣は崩壊し、ただのエーテル光として空中へ霧散するわけだが、光自体にも触れると火傷する程度の危険はある。
「ちぃぃっ!」
クロードは人造人間の小さな体を抱きかかえて、ベッドの奥へと下りた。
次いで、ベッドの縁を蹴って俺に向かって滑らせてきた。
今の右足の状態では左に飛んで躱すのは無理だ。
俺は左足で床を蹴り、右横に転げることでベッドを躱した。
俺が身を起こした時、クロードは人造人間を背後に隠して新たな魔法陣を描き始めていた。
赤い色から火属性体系の魔法だとわかる。
「こんな狭い部屋で!」
「四の五の言っている場合だと!?」
その時、俺は自分がどこにいるのか気づいて凍り付いた。
ここは部屋の四隅の一角。
左右に飛び退いても、上に飛んでも、魔法の射程から逃れられない。
俺は間抜けにも逃げ場のない場所へと追い込まれていたのだ。
「くっ!」
正確に狙いを定めている余裕はない。
俺は脇の下に銃身を挟み込んで、クロードの居る方向へとしゃにむに光線を撃ちまくった。
いくつもの光線がクロードの足元にある敷石を砕き、そのうち一発がクロードの足をかすめ、もう一発が描画途中の魔法陣へと当たった。
またも弾け飛ぶエーテル光によって、周囲の物が焼け爛れていく。
「往生際の悪い!」
「悪いかっ!!」
ミスリル銃を撃ち続ける俺に対して、クロードは自らの体を覆い隠すように次々と魔法陣を描き始めた。
クロードは魔法陣を完成させるのではなく、魔法陣を盾にして、俺の銃撃を防ぎ切る手段を取ったのだ。
しかも、奴が描いている魔法陣はすべて赤色。
即興で描かれた雑な魔法陣でも、ひとつ完成させてしまえば一撃で戦闘不能に追い込まれかねない。
加えて、いつ風の精霊の攻撃にさらされてもおかしくない状況だ。
その不安が頭をよぎった矢先――
「うあっ」
――背中をざっくりと風の刃に叩き斬られた。
クロードの支配力が弱まっているのか、背中を撫でられた程度で済んだが、ダメージは大きい。
足元に広がっていく血溜まりを見やり、俺は限界が近いことを自覚した。
俺が視線を戻すのと、赤い輝きが発したのは同時だった。
赤い炎が魔法陣から噴き出て、床を這いながらこちらへ迫ってくる。
「うっ、おおおぉぉーーっ!!」
とっさに迫りくる炎を光線で薙ぎ払い、軌道を逸らしたものの――
「しまった!」
――薙いで千切れた炎までは躱し切れず、左足に浴びて焼かれるはめになった。
そこに、風が渦を巻いて追い打ちを掛けてくる。
俺の体は四方から斬り裂かれていったが、その斬撃は意外にも弱く、幸いなことに切り傷程度で済んでしまった。
狭い部屋に火属性魔法を発生させたことで酸素が失われ、風の精霊の力が弱まったのだろう。
クロードのうかつな采配が、結果として俺を助けた。
「クロードォッ!!」
改めてクロードへの射撃を試みる。
射出された光線は、折り重なる魔法陣の隙間を縫って奴の脇腹を抉った。
「ぐふっ。……もはやこれまで、か」
クロードが小さく漏らした声が、俺の耳に届いた。
諦めの言葉?
否。そんなわけがない。
クロードは描画途中だった魔法陣をすべて放棄し、ひと際大きな魔法陣を描き始めた。
半径30cmほどの土色の魔法陣。
狭い地下室でこれほど大きな土属性の魔法を使おうものなら、部屋ごと潰れて全滅しかねない。
クロードにしてみれば、人造人間が傷つくことも辞さない覚悟の一撃。
「私はここで負けるわけにはいかない――」
クロードの声が、魔法陣の奥から聞こえてくる。
俺は魔法陣を相殺するべく、描画途中の魔法陣へと光線を撃ち込んだ。
引き金を引きっぱなしにして光線を浴びせ続けるも、魔法陣はわずかに安定を欠いただけで崩壊には至らない。
どうやら衝突で乱れた円陣構築模様をすぐさま描き直すことで、魔法陣を無理やり維持し続けているようだ。
そんな真似、並大抵の術者には実現不可能な荒業だ。
「――娘を守るのが父親の使命!!」
……クロード。
お前がどんなに耳ざわりの良い言葉を並べようとも、世界に混乱を招く恐れのある怪物を目覚めさせるわけにはいかない!
「ぐぐっ! そ、相殺……できない……っ!?」
俺達の間ではエーテル光が互いに押し合うように衝突している。
その反動で、部屋の中には小さな嵐が吹き荒れ始めた。
……ヤバい。
すでに五秒以上もミスリル銃の光線を浴びせているのに、クロードの魔法陣は一向に崩れる気配がない。
魔法陣の強制維持には相当な精神力を消耗するはずなのに。
こちらにしたって、ミスリル銃が媒介とするブルーサファイヤは限界だ。
「ぐぐぐぐっ!」
「うおおおっ!!」
……クロードも必死だ。
一心不乱に魔法陣へと気力を注ぎ込むその顔は、〈理知の賢者〉などという華々しい経歴の持ち主のそれとはほど遠い。
これが父親の顔というものなのか……。
「!!」
わずかにクロードの描画する魔法陣に亀裂が入った。
いよいよ魔法陣の維持に限界がきたのだろう。
……しかし。
クロードの魔法陣が消滅する前に、俺のミスリル銃の方が限界に達しそうだ。
銃口から射出されている光線が徐々に細く萎んでいく。
「う、嘘だろっ!?」
装填口の中で、ビキビキと宝石が悲鳴をあげている。
魔法陣を破ることができずに宝石が砕けてしまえば、俺の敗北は必至。
「あとほんの少しでいい! もってくれぇぇ……!!」
願うような気持ちでミスリル銃につぶやく。
……その時、俺の頭にいつぞやの記憶がよみがえった。
『きみ、ミスリル銃を名前で呼んでいないのですか?』
『名前?』
『せっかくブラドが命名した名前です。それを託されたきみは、名前で呼んであげるべきですよ』
ずいぶん昔のことのように感じる、馬車の中での出来事。
それはクロードとの他愛のない会話だった。
『人にも武器にも魔法にも、この世のすべての事象には名前がある。そして、名前があるゆえに力が宿る。名前無きものはこの世に非ず、と言いますから』
それは、クロードが俺に与えてくれた最後の教え。
ただの名前も言葉にすれば力になる。
否。名前とは……呼んでこそ意味を成すものか。
「あと一瞬、お前の力を貸してくれ――」
俺は手の中の相棒に語りかけながら、引き金に込める力をより一層強めた。
そして、今まで忌避していたその名を叫ぶ。
「――ザイングリッツァーーーッッ!!」
刹那。
銃口から放たれる青い光の束はか細く、しかし力強く収束した。
それは夜空に煌めく流れ星のように。
まるで闇夜を切り裂く一筋の光明のように。
針のごとく微細なその光は、魔法陣のたった一点を貫き、クロードへと届いた。
「なっ!?」
一点の穴から割れるように裂けた魔法陣の隙間から、クロードの驚愕する顔が見えた。
魔法陣は崩壊して弾け、クロードの体は床へと叩きつけられる。
部屋中へと飛び散らばったエーテル光は――
「まるで……花びら」
――俺の目には、そう映った。
そして、装填口からの破砕音が聞こえたのと同時に、銃口から伸びていた青い光線も消え去ってしまった。
「ぐっ……。なぜ急に……出力が……?」
クロードの右肩には大きな穴が開いていた。
彼は傷口を押さえながら、不可解そうな表情を浮かべている。
俺も初めて見る光線だった。
あんな細く、鋭く、収束された光線は今まで見たことがない。
俺が名前を呼んだことに応えてくれたのか。
それとも乱暴に扱い過ぎた結果、偶発的に発生した現象だったのか。
……前者なのだろうと、信じたい俺がいる。
「ずいぶんと手間をかけさせてくれたな」
エーテル光の残滓が消えるのを待って、俺はクロードへと近づいていった。
途中、落ちていた宝飾杖の宝石を踏み砕く。
そして、役目を終えたミスリル銃をそっと床の上に置き、足元に散乱していたガラス管の破片を取り上げた。
「……けど、ようやくだ」
俺は仰向けのクロードに覆いかぶさるようにしてまたがった。
首から下げた冒険者タグを引き千切り、代わりにその首筋へと尖ったガラス片を当てる。
「今度こそ詰みだ、クロード」
生殺与奪の権利は我が手にあり――決着だ。
「……」
俺はふと、クロードからわずかに視線を逸らした。
そこにはクロードと並ぶようにして人造人間の少女の姿がある。
部屋中めちゃくちゃになるほどの戦いがあったというのに、彼女には傷ひとつなく、目をつむったまま眠るように横たわっている。
……本当にただ眠っているだけなのではないか、と思うほどに。
彼女の姿は、あまりにも人間過ぎた。