3-038. 在りし日の記憶②
さすがのクリスタもクロードの質問に面食らったようだ。
目を丸くして、彼女らしからぬ表情を見せている。
『酔った勢いの冗談……ではないのよね?』
『冗談で言えることではありませんよ』
『不妊を促す魔法、ね。確かに呪いと言えるわね。……誰にそんな不幸が?』
『婚約者です。もう二ヵ月以上も……まったく兆候がありません』
クリスタは考えるしぐさを見せながら、少しずつ困った顔になっていった。
『……私の専門外ね』
『魔女だけに、そちらの分野にも詳しいと思っていたのですが』
『貞操を大切にする魔女だっているのよ』
『そうですか』
クロードが酒をあおるのを見て、クリスタもジョッキのワインを飲み干した。
『正直、手の打ちようがなくて困っています』
『あなたのことだから、その女性の体のことはもう調べたのでしょう?』
『私が知りうる知識と技術を総動員して隅から隅まで調べました。しかし、彼女の体からは直接的な原因は見つかりませんでした』
『何もないなら、なぜ呪禍魔法の類だと?』
『彼女の外見に明らかに常人とは異なる特徴が見られるからです』
『ふぅん……。見た目に変化が表れているのなら、その可能性もなくはないか』
『しかし呪いにしても高度すぎる。一切の痕跡を残さず、特定の臓器だけを機能不全にする魔法など……』
『そんな魔法が存在すれば、立派な不明魔法種目だわ』
解決の糸口すら見つけられず、二人の間に重い空気が漂い始めた。
だが、ただ悩み相談をするだけなら、クロードがこの記憶を残すようなことはしないはずだ。
つまり、この後に何らかのヒントを得られたに違いない。
『私のお師匠様が言っていたのだけれど――』
クリスタは胸の谷間から煙管を取り出すや、火をつけて続けた。
『――数百年前、あるいは数千年前には、今よりも遥かに多くの魔法があったそうよ。それが現在ではずいぶん数を減らしてしまった。体系化されずに淘汰された魔法、危険すぎて存在を抹消された魔法、引き継げる者がおらず失伝した魔法。その中に、生命の誕生を否定する反出生魔法とでも呼ぶべきものがあった』
『非人道的な魔法ですね……』
『大昔の粘土板に、その魔法の存在が示唆されていたとか』
『あなたの師匠は今どこに?』
『最近までドラゴグにいたけれど、今はもう行方知れず。放浪好きな人だから、今はどこにいることやら』
『会うのは難しそうですね』
『でも、お師匠様の故郷であるリヒトハイムなら、同等の知識を持った者がいるかもしれない』
『リヒトハイム――エルフの国ですか』
『よそ者を嫌う連中だけれど、〈ジンカイト〉の一員なら快く受け入れてくれるのではないかしら』
また雑音が響いてきた。
自分のやるべきことを整理している、といったところだろうか。
『ありがとう、クリスタリオス。やるべきことが見えたようです』
『元気になってくれたようで何よりだわ』
クロードはテーブルを離れる際、煙管をふかしているクリスタへと告げる。
『お礼に、テーブルに残った酒はすべて奢りますよ』
◇
五つ目の記憶。
クロードの視界に映っているのは、アレクサンドラの邸宅のテラスだ。
風の悪戯で中庭の花々が花びらを散らす中、テラスのテーブルにはアレクサンドラが腰かけていた。
……彼女の顔に笑顔はない。
クロードを見る彼女の顔は、酷くやつれたものになっていた。
目の下には隈ができていて、さんざん泣き腫らしたことが見て取れる。
『こんな顔を見せてしまってごめんなさい。部屋に閉じこもっているのは辛くて』
『アレク。何かあったのですか?』
『誰かに言えるようなことでは……』
『聞かせて』
『姉達に……なじられたわ。子供も作れない女が、英雄の伴侶になろうだなんて自惚れも甚だしいって』
『……そんなカスどもの戯言を真に受けてはいけませんよ』
『お父様もね。私を家から出さないように監視を強めているの。このままじゃ私、あなたと出会う前の世間知らずな箱入り娘に戻ってしまいそう』
『籠の中の鳥だったきみはもういない。きみは自由ですよ』
『メイド達もね。私を陰でなんて言っているか知っているの。老人のような白い髪に、死人のような白い肌、そして血のような赤い目が気色悪くて、まるで雪国の妖怪のようだって』
『きみの白い髪も白い肌も、この世に比肩しうるものがないほどに美しい。その赤い瞳だって、私にはルビーよりも魅力的に映っています』
クロードなりの励まし。
しかし、アレクサンドラは虚ろな目でクロードを見入るのみ。
いつの間にか、その頬には一筋の涙が伝っている。
『こんな体でごめんなさい。私が普通の女だったら、あなたを悩ませることもなかったのに』
『……やめなさい』
『婚約は破棄しましょう。私のような出来損ないと一緒になるなんて、あなたの経歴に傷がついてしまうわ』
『……やめてくれ』
『私は相応しくなかったけれど、あなたの隣に立てる素敵な女性が見つかることを祈っています』
『……やめろっ!!』
クロードはアレクサンドラを抱きしめた。
それは強く、熱い抱擁だった。
『私が! きみを! その苦しみから救い出してみせる!!』
嗚咽が聞こえる。
彼女がは震える手をクロードの背中に回し、大声で泣きじゃくっている。
それ以上クロードは何も言わず、ただ彼女を抱きしめるだけだった。
◇
六つ目の記憶。
最初に映ったのは、ぼんやりと虹色に輝く美しい川だった。
穏やかな川のせせらぎ。
それに次いで、小動物の鳴き声がいたるところから聞こえてくる。
クロードは川の水を水筒にすくうと、一口含んで息を吐いた。
ここまでだいぶ歩いたのだろう。
全身をただならぬ疲労感が巡っている。
『もう少しですよ、クロード様』
『ええ』
すぐ隣には長身で色白の見目麗しい男性が立っていた。
耳が尖っていることから、エルフであることは明白だ。
クロードはすでにエルフの領域――リヒトハイムのある〈大いなる森〉へと足を踏み入れていた。
『ザナイト教授は、この先の聖廟で先人のミイラとお見合い中です』
『面白い趣味の方ですね』
『変わり者ですから』
クロードはエルフの案内のもと、50mはあろう背の高い巨木群の合間を縫うように進んでいった。
しばらく薄暗い密林を歩いていくと、開けた場所へと出た。
そこは林床まで深く太陽の光が差し込んでおり、今までとはまったく違う印象を受ける場所だった。
そんな間隙の中央に巨大な頭蓋骨のような建物が見える。
『あれが〈アールヴの聖廟〉ですか』
『今ではザナイト教授の別荘になり果てています。一年中、あそこに閉じこもって研究の日々ですから』
『なるほど。他人事には聞こえませんね』
『自分は屯所で待機していますので、出立の際はお声がけください』
『見張りがいなくていいのですか?』
『〈ジンカイト〉の方は信用しています。それに自分は邪魔者扱いされるでしょうから』
にこりと笑うエルフに送り出されて、クロードは一人、聖廟へと向かった。
聖廟には立派な門が置かれていたが、門扉は倒壊していた。
その上を踏み越えて廟内へ入ると、敷石の上にはゴミが散乱していた。
入り口正面にある祭壇は机の代わりにでもされているのか、怪しい液体の入った試験管が乱立している有り様。
聖廟というから神聖な場所かと思いきや、そんな気配はまったく感じられない。
『誰?』
祭壇の裏側から女性の声が聞こえてきた。
『クロード・インカーローズです』
『ああ! 連絡は受けてるよ。今手が離せないんだ、上がってきてくれる?』
クロードは声をたどって祭壇の裏へと回った。
すると、祭壇の裏側に二階へと続く螺旋階段を見つけた。
階段を上りきった先でクロードの視界に映ったのは――
『やぁ、お客人。こんな格好で失礼。寝起きでね』
――裸に白衣を羽織っただけの恰好をした女性エルフだった。
彼女はミイラが寝そべっている木棺に腰をかけて、恥ずかしげもなくこちらを見据えている。
「ジルコくん、見ないで」
突然、ネフラの声が俺の意識に割って入ってきた。
クロードの視界でものを見ているのに、無茶言うなよ……。
「わかってる。見てない見てない」
「本当?」
「本当」
とりあえずネフラの訴えをやり過ごし、俺はクロードの視界に映る半裸のエルフ女性を見入った。
雪のような白い肌に、グラマーな体型。
透き通るような碧色の目は寝惚け眼で、なびく金色の髪はボサボサだ。
耳の先は尖っていて、両の耳たぶにサファイヤのイヤリングをつけている。
この女性、寝起きと言うのは言い訳で、ただ単にガサツなだけでは?
『私がザナイトだ。なんだっけ、何か聞きたいことがあるんだってね。〈ジンカイト〉には魔王群の件で恩義があるからねぇ。なんでも聞いてよ』
彼女はそう言いながらも、早々に木棺の上に寝かされたミイラへと興味を移してしまう。
ミイラを手取り足取り、隅から隅まで執拗に観察している彼女を見て、俺は案内役がお見合いと言っていたことに納得した。
『霊性生命神秘学のザナイト教授。あなたは古代魔法学にも明るいと聞きました』
『そっちは趣味だけどね。一応、二百年余りは続けてるからそれなりさ』
『反出生魔法についてお尋ねしたい』
それまでお尻を向けていたザナイトが、長い耳をピクリとさせた。
振り返った時の彼女の目は、それまでとは別人のように鋭くなっていた。
『東方の国々が今の形になるより遥か昔、ご先祖が消し去った魔法群があった。その中に、確かに反出生魔法と呼べるものがあった』
『その魔法は今でも存在していますか?』
『安心していい。今の時代に使える者は存在しない』
『失伝魔法ということでは? 誰かが類似した魔法を生み出すこともあり得ると思いますが』
『違うよぉ、クロードくん。この世の誰もが使えない魔法にされたんだ。仮にまったく同じ円陣構築模様を描けても、その効果は今の世界では絶対に発揮されない』
『……? それはどういう意味です』
『ご先祖がそういうことにしたんだよ。何にせよ、その類の魔法は今では使用不能。気にかける必要はない』
クロードの心拍が上がっていくのを感じる。
雑音も響き始めた。
困惑……しているのがわかる。
『そんなはずは……!』
『言ってごらん。何が目的でそれを調べてるのか』
ザナイトはミイラをほっぽり出すと、ずんずんとクロードへと近づいてくる。
……揺れる揺れる。目の毒だ。
『さ。お姉さんに相談してみな』
『……実は』
クロードは事情を説明した。
アレクサンドラのことを詳細に書き留めた羊皮紙まで渡して。
ザナイトはふんふんと相槌を打っているばかりだったが、羊皮紙に目を通し、話もすべて聞き終わると、唐突に指輪で魔法陣を描き始めた。
『ちょっと調べさせてもらうよ』
……速い!
半径10cmほどの白い魔法陣がほんの一瞬で完成した。
複雑な模様にも関わらず、クロードに勝るとも劣らない速描きだ。
『動くなよぉ』
魔法陣が消えるのと入れ替わりに、クロードを四角い光の膜が囲い込んだ。
内側で虹色の光が奇妙に波打ちながら、クロードの全身を撫でていく。
一方で、ザナイトの手元には小さなガラス板のような薄い膜が現れ、それには縮小されたクロードの姿が映り込んでいた。
『ふ~ん。ふむふむ……』
『なんですこれは? 見たことのない魔法だ』
『ちょっとした健康診断さ』
彼女が薄い膜に映るクロードの姿を見入っていると、一部で赤い光がゆっくりと点滅し始めた。
『……わかったよ。きみと愛する彼女の間に新しい生命が宿らない理由』
『本当ですかっ!?』
雑音が止み、代わりにクロードの心拍が一気に高まった。
『何が原因なのか、教えてください!』
我を忘れたようにクロードがザナイトの両肩を掴んで揺さぶった。
『い、痛いよ。クロードくん』
『あっ。し、失礼……』
ザナイトは取り乱す賢者から離れると、木棺に腰かけてクロードを見入る。
そして、ゆっくりと口を開いた。
『クロードくん。生命の誕生には、厳密なルールが存在する――』
ザナイトは自分の腹部を撫でながら続けた。
『――生命の種を、生命の器が受け止めること。それが器に新たな生命を宿す方法だ』
『何が言いたいのです?』
いつの間にか、ザナイトの眼差しは憐れみのそれに変わっていた。
『きみには、その生命の種が無いんだ。クロードくん』