3-035. 花園の行方
「まさか本当に来てくれるとは思わなかったわ」
サンライズヴィアの一角にある高級酒場で、俺とネフラはトルマーリと同じテーブルで飲み交わしていた。
と言うよりも、俺とネフラはグラスに注がれた酒を眺めているだけで、対面に座る彼女が一方的に酒をあおっているだけだったが。
「私の舞台、どうだった?」
「え?」
「えって……。あなた、私の舞台を観てくれたのではなくて?」
そういえば、舞台を観に来てね、と言われていたことを思い出した。
「……すまない。そのためにヴァ―チュに来たんじゃないんだ」
「なんだ。ただの偶然だったの――」
トルマーリは残念そうな顔をしながら、酒を一口あおった。
「――まぁ、それもいいかもね。偶然は必然。運命って言葉もあるし」
「運命、ね」
「男と女の出会いは運命。ちなみに男と男は宿命。女と女は前世からの腐れ縁」
「……ゼンセ?」
「死んだ人間の魂が浄化されて生まれ変わるという思想よ」
「聞いたことないな」
「五十年も前に魔物に滅ぼされた国の宗教だから」
「きみの出身?」
「冗談! 私まだ24よ? それに私はここの貧民街出身だから」
彼女、俺より年上だった。
まぁそれは良いとして、女優なんて華やかな職に就いている彼女が貧民街出身とはちょっと意外だな。
「私、次はドラゴグで舞台があるの。その時こそ観に来てね」
「ドラゴグでも活動しているのか。凄いじゃないか」
「旅芸人の一座ってやつ? 国から国を旅して劇を興じてるのよ。〈アブラメリンの旅団〉と言えば、それなりに名が通っているのだけれど」
興行で国から国へ、か。
この時代、国境の警備はどこも厚いだろうに、旅を続けられているということはよほどの後援者が後ろについているのだろう。
これだけの美人が一座にいるなら、貴族のファンも多そうだ。
「で、話を戻すけれど。男と女の出会いは運命なわけよ」
「はぁ」
「私は旅をしながら運命の相手を探しているの」
「ふぅん」
「あなた、運命の赤い糸の伝説って知ってる?」
トルマーリの手がテーブルを滑って、俺の指先に触れた。
その目も、しぐさも、妙に艶っぽい。
……とんだアプローチの仕方だ。
「悪いが俺は――」
さっきからずっと、真横からピリピリとした視線を感じる……。
「――仕事中でね。遊んではいられない」
「あらら。振られちゃったかしら」
彼女はテーブルからすっと手を離し、髪の毛を掻き上げた。
そして次に彼女が目を向けたのはネフラだった。
「美人ね」
「は?」
突然の称賛に、ネフラが困った顔を見せた。
「エルフは美男美女の種族だと聞いたことがあるけど、確かにその通りね。しかもその美貌を何百年も保てるなんて、羨ましいわ」
「私はハ――」
ネフラがハーフエルフだと言おうとしたのを俺は静止した。
エルフと違って、ハーフエルフは実のところあまり立場のある存在ではない。
うかつにハーフエルフと名乗れば、問題が起こることもある。
ネフラには外ではエルフを自称するように伝えているのだが、今の彼女は少し冷静さを欠いているようだ。
「エルフが相棒だとヒトには贅沢かな?」
「いいえ。いいコンビじゃない」
そう言うと、彼女は席を立った。
「どこへ?」
「女にそれを聞くわけ?」
トルマーリがテーブルを離れようとすると、ふらりとよろめく。
幸い転倒は免れたが、思いのほか酔いが回っているらしい。
「う~ん……」
「大丈夫か」
「平気よ。……ね、あなたちょっと付き合って」
トルマーリがチラリと視線をネフラへと向けた。
……ぜんぜん平気じゃないじゃないか。
「ネフラ。付き合ってやってくれ」
「うん……」
不満げな顔だったが、ネフラは了承してくれた。
(たぶん)行き先はトイレだろうから、俺がついていくわけにもいかない。
ここはネフラに任せるぞ。
ふらつくトルマーリをネフラが支えながら、二人はホールから出て行った。
独り残された俺は、目の前の酒を一気にあおる。
さすが高級店だけあって美味い酒を出す。
解散する時には、この料金を俺が払うのだろうな……。
念のため財布の有り金を調べておこう。
◇
二人が(たぶん)トイレから戻ってくると、俺は解散を切り出した。
トルマーリがどうしてもと言うから付き合ったが、いつまでも酒場で飲んでいる場合じゃない。
「そんなに急ぎなの? もう暗いし、それなりの宿を紹介するわよ」
「悪いな」
「何々? もしかして貧民街に指名手配犯でも隠れていたりするのかしら?」
当たらずとも遠からず、か。
しかし、部外者の彼女から花園のヒントが聞けるとも思えない。
「トルマーリさんは花園という場所を知っていますか?」
突然、ネフラが口を開いた。
そんなことをトルマーリが知っているわけが――
「あなたみたいな子が、あんな場所に興味を持つものじゃないわね」
「知っているのか!?」
――意外な返答に、俺は思わずテーブルに身を乗り出してしまった。
「……どうどう。あなた達、その場所を探してるわけ?」
「ああ。その場所にどうしても用があるんだ。知っているなら教えてくれ!」
「ジルコ、あなたどこの育ち?」
「パーズの近くにある農耕地だ」
「なら、知るわけないわね。その花園っていうのは貧民街の符牒よ」
符牒?
仲間内だけで通じる隠語のことか。
「何を指す言葉なんだ?」
「娼館通り」
……うん。
ネフラの前ではあまりしたくない話だった。
まさか娼館とはねぇ。
「なんで娼館通り?」
「売春婦のことを花売りって言わないかしら」
「……初耳だ」
「ヴァーチュの貧民街は花売りが多くてね。特にファベーラは売春宿が立ち並んでいる区画があって、そこを俗に花園と呼んでるのよ」
「なるほど……」
俺は横にいるネフラの様子をうかがったが、彼女は何事もないかのように澄ました顔でグラスをあおっている。
年頃の娘には衝撃的な話だと思うが、平然としているな。
例のコックローチの著書の影響で、そういった知識も持っているのだろうか。
「そこに何かあるのかしら?」
「それを調べにここまで来たのさ」
俺は立ち上がり様、財布から出した3枚の小金貨をテーブルの上に置いた。
ネフラも空のグラスをテーブルに置いた後、席を立った。
「ありがとう、助かった。ここは奢らせてくれ」
「困った時はお互い様。彼女、大事になさいな」
トルマーリと目が合ったネフラは、恥ずかしそうに彼女から顔を逸らした。
この二人、何かあったのだろうか……?
「ドラゴグで会えるのを楽しみにしてるわ」
「それが運命ならば」
そう言い残し、俺は酒場を後にした。
◇
その後、俺達はファベーラの娼館通りを訪れた。
娼館通りに限ったことではないが、日が暮れた後の貧民街を歩くには、各所に吊り下げられたランプか、月明かりを頼りにするしかない。
俺は夜目が利くので問題はないが、ネフラにはそういった灯りがないと真っすぐ歩くことも困難なのだ。
道中、彼女にチュニックの袖を掴まれながら、俺は娼館通りを巡った。
「……ここか」
娼館通りを端から端へ巡って、ようやく赤い屋根の建物を見つけた。
窓は板が打ち付けられて塞がっており、人の住んでいる気配は一切感じられない。
外観は通りに並ぶほかの建物と大差ないが、軒下にはツタが這うようにして伸びており、長い間まったく手入れされていないことは明らかだった。
一見すると、打ち棄てられた廃屋にしか見えない。
「ここ、本当にクロードの研究施設だと思うか?」
「錬金術師は研究成果を暗号化して、料理の本を書き記すと言われるくらいだし……」
「見てくれより中身、ってことか」
俺は周囲を警戒しながら雑草が生い茂る敷地へと足を踏み入れた。
ここがクロードの隠れ研究室だとしたら、どこにどんな罠があるかわからない。
「こんな時、ジャスファがいたら役立つんだけどな……」
ジャスファはギルドの斥候役だった。
その危機回避の勘は相当なもので、彼女とパーティーを組んでいる時には一度も罠に掛かったことはない。
叶うことなら、今一番協力を仰ぎたい相手だ。
……あんなことがなければな。
「うわっ」
俺の目の前を何かが横切った。
暗がりの中、俺の鼻先をかすめてふらふらと飛び回っている。
羽音が聞こえる……それはハエだった。
「驚かすなよっ」
目の前を行き交うハエを払い除け、気を取り直して歩を進めた。
ボロボロの扉の前まで特に罠らしきものはない。
俺がドアノブを掴もうとすると――
「待って!」
――突然、背後からネフラに肩を掴まれた。
「ど、どうした?」
驚いてネフラに向き直ると、彼女は俺を押し退けて扉の前に立った。
「この扉、設置魔法が施されてる」
「本当か」
「さすがクロード。すごく巧妙に隠されているけれど、彼がよく使っていた侵入者迎撃用のものだと思う」
「と言うことは――」
「ドアノブに触れれば手足が爆散……していたかも」
それを聞いて、俺は肝を冷やした。
確かにクロードならばその類の罠を平然と仕掛けるだろう。
むしろ、爆散よりももっとタチの悪い目に遭う可能性だってある。
「で、どうする?」
「こうする」
ネフラが抱きかかえていたミスリルカバーの本を開いて、扉へと近づける。
すると、扉にうっすらと魔法陣が浮き出てきて、そこから針のような炎が見開きのページへと吸い込まれていった。
「これでもう大丈夫」
魔法陣が消えた時には、本の見開きに熱傷吹き矢を連想させる絵が描かれていた。
ドアノブに触れていたら、この魔法で手を――酷ければ腕を吹き飛ばされていたかもしれない。
「よくやってくれたな」
「ふふふ」
俺が褒めたことに気を良くしたのか、ネフラが照れ笑いを浮かべる。
この屈託のない笑顔にはいつも心が癒される。
しかし、頭を撫でてやろうとすると本でガードされてしまった。
「クロードのことだ。まだ油断はできないぞ」
「わかってる」
その後、念には念をということでドア枠や敷居なども調べたが、設置魔法が仕掛けられていたのは扉だけだった。
扉に耳を当てて探った限り、向こう側に人の気配はない。
鍵穴を覗いても室内は真っ暗なので、どうやら無人のようだ。
「きっとどこかに隠し扉でも作ってあるんだろうな」
「隠し部屋……? 地下室……?」
「さぁな。中に入ってからのお楽しみだ」
俺はドアノブを掴んだ。
しかし、少し思うことがあって、それを回す前に隣にいるネフラの顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「ネフラ。俺、今さら思い出したんだけど――」
眼鏡越しに彼女の碧眼を見入る。
わずかな月明かりに輝いて、とても美しい。
「――お前は、どうして俺に協力してくれるんだ?」
「……気になるの?」
「ああ」
「……聞きたいの?」
「命懸けの仕事に付き合わせているんだ。知っておきたい」
「……」
ネフラは黙ったまま答えず。
俺達は、じっと見つめ合っていた。
「クロードの件が無事に済んだら、話してあげる」
「気になって集中できない」
「理由を聞きたければ、無事に済ませて」
今、この場であえて答えを明かさない。
彼女は俺に無茶をせず、無事にこの件を解決しろと言っているのだ。
ネフラなりの気遣いなのだろう。
「……わかったよ」
俺だって彼女の気遣いには応えてあげたい。
しかし、クロードはそんなに甘い相手じゃない。
ネフラの顔を見るのだって、これが最後になるかもしれないのだ。
それほどの相手が、クロード・インカーローズという男だ。
「もしもの時は、援護を頼む」
「うん」
ネフラは俺の目を見据えて、こくりと頷いた。
「行くぞ」
俺は彼女から視線を切って、扉へと向き直った。
そして握っていたドアノブを回し、一気に押し開いた。
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