3-032. もしも
教皇領を出て二日目。
悪路のウィンディ山麓を越えて、俺達は山間の村に立ち寄っていた。
すでに日が傾いてきている。
この後の山道を考えると今日はこの村で休んだ方が無難だ。
教皇領を出てからこっち、無茶な走らせ方をしてきたこともあって馬も疲労しているしな。
「フローラ。今日はこの村に泊まろう」
「何を言ってるんですの? 準備を終えたらすぐに出発ですわよ!」
俺の提案はすげなく却下された。
と言うか、馬のことをまったく考えていないじゃないか。
「なんでだよ! 馬達だって相当疲れてるだろう」
「アムアシアン・ブルー・ホースはそんな柔じゃありませんわ」
厩舎の水桶に口を突っ込んでいる馬を撫でながら、フローラがツンとした態度で言い放った。
この女は乗っている馬が自分並みに頑丈だと思っているのだろうか。
……フローラを説得するのは諦めた。
仕方なく同じ厩舎で馬を休ませているカイヤへと同意を求める。
「カイヤ。あんたもそう思うだろう?」
「いいや。まったくそうは思わんね」
真っ向から斬り捨てられた。
……なんだこいつ!
「馬を潰す気かよ」
「そこまで無理はさせんよ。だが、今日はこのまま日が落ちるまで走るべきだ」
「今日も野宿か? また山賊に襲われるぞ」
「聖女様からありがたいお言葉が伝わっていることだし、そんな輩は現れないと思うがね」
山麓を越える際、俺達は山賊団に襲撃された。
とは言え、俺が馬から下りるまでもなく、山賊は神聖騎士団によってあっさりと撃退されたのだが。
その時、苛立ったフローラが殺意のこもった警告をしていたな。
確か、次に山賊の姿をチラリとでも見かけたら、一帯の輩を皆殺しにしてやりますわ、だったか……。
あんな戦鬼みたいな形相で凄まれたら山賊も怖くて引っ込むわな。
それよりも、問題は必要以上に馬の脚に負担を強いている現状だ。
ヴァーチュまではあと二日か三日はかかる。
今、馬を潰してしまったら、クロードには絶対に追いつけない。
この蛇野郎、それをわかって言っているのか?
「馬の筋肉疲労は癒しの奇跡でどうとでもなる。我々はただの馬乗りよりも有利なのだよ」
「馬にも奇跡って効くのか?」
「奇跡は生きとし生けるものすべてを救うのだ」
……なるほど。相手の信仰は関係なし、と。
癒しの奇跡で馬の疲労を取っ払って無理やり走らせ続けるわけか。
まさに馬車馬のごとく、とは言ったものだ。
「各々自分の馬を癒したら、村の教会で水と食料を分けてもらってこい。すぐに出発するぞ!」
「仕切らないでくれます?」
「たかが助祭風情が、副団長代理の命令は聞けないと?」
またフローラとカイヤの睨み合いが始まった。
リッソコーラ派とオーライ派の仲が悪いことは、この旅で嫌と言うほど思い知らされた。
初日の野宿でも両派の言い争いを止めるのに骨を折ったほどだ。
……ん?
待てよ。そう言えば、俺達の馬はどういう扱いなんだ?
「なぁ、俺とネフラの馬は誰が癒してくれるんだ?」
「きみ達の馬を世話する余裕まで我々にはない。悪いがね」
そう言うと、カイヤは同じ派閥の騎士達を連れて教会へと歩いて行ってしまう。
聖堂宮の一戦で俺を恨みに思っているのだろうが、あんまりの態度だ。
絶対に意趣返しだろう……大人げない奴。
「……フローラ?」
「悪いのですけど、宝石のエーテル消費はできるだけ抑えたいのです。この後、クロードをぶち殺すためにも」
……殺気が漏れているぞ、聖女様。
目を合わせているのも嫌になって、俺は早々に彼女から視線を切った。
フローラは残りの騎士達を連れて、カイヤを追うように教会へと向かった。
結局のところ、俺とネフラはこの村で一晩休む選択肢以外ないということだ。
「仕方ない。馬を厩舎に預けて宿を探そう」
「うん」
ネフラの素直な返事に、俺はほっこりした。
◇
村のあちこちに松明が備えられた頃。
俺とネフラは村の酒場で食事をとっていた。
ちなみに、フローラとカイヤはあれから俺達と顔を合わせることなく、村を出発してしまった。
「こんなに落ち着いて飯を食っている場合じゃないんだけどな……」
「構わない。落ち着いて食事するの、好きだから」
「そっか」
「そう」
確かにネフラの言う通り、身も心も休めておくに越したことはないな。
次にクロードと対面した時には、前回以上に命懸けの説得になるだろうし……。
久々に穏やかな時間を過ごしていると、にわかに酒場が騒がしくなってきた。
近くのテーブルで酒盛りしていた村の男達が伝説がどうたらと騒いでいる。
耳を傾けてみると――
「本当に見たのかぁ?」
「信じねぇのか!? ありゃ間違いなくマゴーニアの一部だって!」
「おめぇさん、また酔ってたんじゃねぇのかい」
「朝っぱらから飲むかっ! 本当に岩みたいなものが東へ飛んでったんだって!」
――ひときわ顔を赤くしている男が、二人の連れに疑いの目を向けられていた。
マゴーニア……どこかで聞いたことのある言葉だ。
「知っているかネフラ?」
酒の肴にと思い、歩く百科事典ことネフラに訊いてみた。
彼女はこくりと頷くと説明を始めた。
「マゴーニアは、主にアムアシア東部で知られる空に浮かぶお城の伝説。そのお城を浮かべる大地のことをマゴーニアと呼ぶ」
「思い出したよ。昔、マゴーニアを探すギルドに勧誘されたことがあった」
「マゴーニアの実在を証明した者は今までいない。空高くにお城ほどの建物を浮かべるなんて、どんな魔導士や精霊奏者にだって無理だもの」
「相変わらずよく知ってるな、そんなこと」
「本に書いてあった」
そこで俺はハッとした。
マゴーニアなんて伝説を信じるつもりは毛頭ないが、あの酔っ払いが見たものは事実ではないのか?
「もしかしてクロードの乗る岩塊だったんじゃ」
この村は教皇領からちょうど東に位置する。
しかも、道なりにもう150kmほど進めば、ヴァーチュへとたどり着く位置関係にあるのだ。
いくらクロードが空を飛んで移動しているといっても、あんな岩塊で山より高く飛べるわけがない。
精霊魔法による消耗を抑えるためにも、地面からそれほど離れていない高度で飛んでいるはずだ。
ならばこの村を通過する際、その姿を目にする者がいても不思議じゃない。
「ジルコくんの考える通りだと思う。クロードはこの村の上空を通過した」
「あいつが東へ向かったのは間違っていなかったわけだ」
「空を飛んだまま海峡都市も越えるつもりなのかな」
「さすがにそれは難しいだろう。そんな不審物が飛んできたら、王国軍の大砲のいい的にされちまう」
海峡都市は仮にもドラゴグとの国境だ。
エル・ロワ側も体面を保つために、生半可な警戒はしていないだろう。
王国軍の魔導士隊から対空迎撃班が配属されていたっておかしくはない。
いくらクロードでも無傷で突破するのは無理だと断言できる。
ならば、あいつはどうやって国境を越える気なのだろう……?
「やっぱり協力者が?」
「……あいつに限って、そんなものはいないと思うんだけどな」
「あくまでも一人で国外に脱出するつもりだと思う?」
「ギルドの依頼ならまだしも、仕事以外で組む相手がいるとは思えないんだよ。ましてや国賊ものの犯罪を敢行するわけだぞ」
「あの人、慣れ合いが嫌いと言うか……他人に興味ないって感じだったものね」
「何もなければ、ずっと研究室に引きこもっているような奴だからなぁ」
「逃げずにエル・ロワのどこかに引きこもるなんてこともあるのかな……」
ネフラがさりげなく言ったことに俺は引っかかった。
クロードがエル・ロワに留まると仮定した場合。
国内に残っていれば、いずれ必ず所在を突き止められてしまうだろう。
時が経てば事が公になり、捜索のために王国軍が介入してくるからだ。
ましてや、手配書が出回れば隠れて暮らすことすら困難になる。
勇者の聖剣で何をするにしても、クロードが国外脱出を選ばないわけはないと思っていたが……。
そもそも逃げているのではなく、目的地に向かっているだけだとしたら?
「あいつ、何が目的で勇者の聖剣を奪ったんだ」
「え? それは……やっぱり聖剣を独占して研究するためなんじゃ」
「……研究じゃない。あいつは叶えたい願いがあると言っていた。勇者の聖剣を手に入れた時点で、願いを叶えるための準備が整ったのだとしたら」
……例えるならば。
ボードゲームで相手の王が取れる状況下にあって、周りの兵隊を全滅させてから王手はありえない。
あと一手ですべてが解決するのなら、他を無視するのが普通だろう。
「クロードはエル・ロワのどこかに留まり、勇者の聖剣を使って何かをしようとしている。それはたぶん……とんでもないことだ」
「とんでもないことって?」
「……世界を敵に回すようなこと……」
俺の話を聞いて、食器を操っていたネフラの手が止まる。
「何にせよ、クロードに追いつかないことにはな」
「うん」
食欲も失せ、俺は手持無沙汰だった手で新調した携帯リュックを開いた。
中から一枚の記章を取り出す。
聖堂宮にて、クロードが去り際に俺へと投げてよこしたものだ。
本来ならば、俺の解雇通告はこれを受け取った時点で終わりだった。
ギルドの立場が悪くなれど、危険を冒してまでクロードを追い続ける必要はないのだ。
しかし、どうにも放置できる気分にはなれなかった。
「ねぇ、ジルコくん――」
記章を眺めている俺に、ネフラが話しかけてきた。
「――なぜクロードにそこまで目をかけるの?」
「えっ」
「記章さえ取り戻せれば法的にも彼の解雇は成立する。その後のことは無関係で通すことができるのに」
「あいつをこんな状況で放っておけるわけないだろう」
「なぜ?」
「なぜって……」
……なぜだろう?
ふと、過去の記憶が俺の脳裏によみがえった。
クロードがギルドに加わって間もない頃。
俺はまだ新米冒険者で知らないことも多かった。
そんな俺に、年長者のクロードは色々なことを教えてくれた。
それはギルドマスターの命令で嫌々だったのだろうか。
それとも進んでだったのだろうか。
なんにしても、俺がクロードを頼ったことは多い。
大恩あるギルドマスターにも。
銃の師匠になってくれた親方にも。
ましてや故郷の弟や妹達にも。
これほど誰かを頼ることはなかった。
「兄貴がいたら、あんな感じだったのかなって」
「え、今なんて?」
「……なんでもない」
俺には年上の兄弟がいない。
もしいたら、クロードといる時のような感じだったのだろうか。
そんなことを考えたところで答えは出ないな……。
冒険者がもしもを考えることほど空しいことはない。
……この疑問は俺の心の中に秘めておこう。




