3-030. 教皇庁緊急会合
俺が目を開けると、白い天井が目に入った。
「ここ……は……?」
「聖堂宮近くの医療院」
すぐ隣からネフラの声が聞こえた。
横に目をやると、俺の顔を覗きこんでいるネフラの顔があった。
眼鏡越しに美しい碧眼が輝いて見える。
「よかった。目を覚ましてくれて――」
俺と目が合うなり、彼女の硬かった表情が柔らかくなる。
「――凄い大怪我だったから」
「無茶したからな」
「無茶、しすぎ」
ネフラの小さな指先が、寝ている俺の頬をつついた。
「ネフラ。無事で良かった」
「うん。守ってくれてありがとう」
彼女の顔から笑みがこぼれたところで、俺は身を起こした。
体は少し重いが、全身の痛みはほとんど消えている。
俺の傷はすでに聖職者が癒してくれた後らしい。
見渡すと、大部屋にはほかにも多くの人間がベッドに寝かされていた。
何人もの癒し手が慌ただしく室内を駆け回り、怪我人達に癒しの奇跡を施して回っている。
「げっ」
その時になって、俺はようやく自分が下着姿であることに気がついた。
すぐにシーツで下半身を隠すと、何事もなかったかのようにネフラに向き直る。
とりあえず現状を把握しなければ。
「あれからどうなった?」
「教皇庁は大騒ぎ。虹の都の半分が焼けてしまって、癒し手の手も足りず都中からポーションをかき集めてる。死者が出なかったのが奇跡だって」
「あいつはどうなった?」
「まだ公表はされていないけれど、例の物と一緒に行方不明」
「……そうか」
止められなかった。
それどころか、これだけの被害をもたらしてしまった。
〈ジンカイト〉の次期ギルドマスターとして、己の資質を疑わざるをえない。
「ジルコくんが目を覚ましたら、議場へ来るようにってリッソコーラ卿が」
「……行こう」
◇
血の渇いたチュニックとズボンを着た後、俺はネフラと医療院の議場を訪れた。
議場に入って最初に目に留まったのは、中央にある琥珀のテーブル。
そこでは、すでに何人かが集まって白熱した議論が展開されている様子だ。
……フローラ。リッソコーラ卿。教皇様。
そのほか、俺の知らない顔ぶれも何人かいる。
おそらくは教皇庁のお偉いさん方だろう。
「ジルコさん、お加減は?」
議場に入って早々、ヘリオが話しかけてきた。
彼は瀕死の重傷だと思ったが、治療されてすっかり元気になったようだ。
「大丈夫だ。ありがとう」
「すでに協議は始まっています。着席を」
そう言って、ヘリオは道を開けた。
神聖騎士団によって監視される中、俺達はテーブルへと向かった。
途中、壁際に立つカイヤと目が合ったが、気まずくて目を逸らしてしまった。
「……これで全員揃いましたな」
俺とネフラが着席するや、リッソコーラ卿が周囲に目配せした。
「きみが〈ジンカイト〉のサブマスターかね。エーテル銃を操るとかいう?」
「……はい」
棘のある言葉とともに、訝しげな眼差しを向けてくる初老の男性。
白と赤の鮮やかなローブをまとっていることから、彼も枢機卿なのだろう。
リッソコーラ卿と違うのは、見た目の派手さだ。
首からは金の刺繍がされている襟飾りと白金のネックレス。
両手の指先には宝石が煌めく指輪をいくつもはめている。
「まったく、とんでもない災難を招き入れてくれたものだ」
「口が過ぎますぞ、オーライ卿」
「彼が部下を御しきれなかったせいで、この惨事を招いたのではないか。肩を持つ相手が違うのではないかね、リッソコーラ卿」
その会話を聞いて、俺は二人の関係性を察した。
加えて、〈ジンカイト〉の立場がよろしくないこともわかった。
そりゃそうだよなぁ……。
「過ぎたことはよいでしょう。それよりも、この先の話をいたしましょう」
枢機卿の口論が始まりそうになったところで、教皇様が仲裁に入った。
さすがは教皇庁のトップだ。
枢機卿の二人が一瞬にして押し黙ってしまった。
「して、お二人とも。クロード殿の行動はあなた方とは一切関係ない。その認識で相違ありませんか?」
「はい。俺はクロードの企みを知りませんでした」
「私も同じです。知りませんでした」
議場のあちこちで宝石が輝くのが見える。
この場の聖職者全員――テーブルに着いた連中を除いて――が、揃いも揃って俺とネフラに看破の奇跡を行っているのだ。
居心地悪いったらない。
「ふん。嘘はついていないようだが、きみ達がきっかけを作ったことは逃れようのない事実だ。私は罪に問うてもよいと思うがね」
オーライ卿が物騒なことを言う。
サブマスターの俺だけならまだしも、ネフラまで裁判にかける気か?
「待ちたまえ、オーライ卿。彼はクロード殿を止めるために命懸けで我々と共闘してくれた」
「だから?」
「彼一人に責任を追及するのは間違っている」
「で?」
「冷静に建設的な解決策を議論するべきだと思うが」
「私は冷静だよ、リッソコーラ卿」
リッソコーラ卿とオーライ卿が、また場の空気を悪くしている。
この二人、表面的には落ち着き払っているが、相当こじれた関係らしい。
「議論するまでもなく、お二人は不問です」
再び教皇様が割って入り、場の空気を引き戻した。
口を開くたびに周囲が水を打ったように静かになる。
凄いなこの人……。
「教皇庁はすでに神聖騎士団をクロード殿の追撃に出しています」
「追撃、ですか」
「いかにも。彼は、都より東の空へと飛んで行ったと報告を受けています。あなたに心当たりはありますか?」
……東。
確かにクロードは太陽の昇る方角へと飛んで行った。
教皇領から東にあり、あいつと関係ある場所と言えば……。
「王都の東――ヴァーチュに、クロードの研究施設があります」
「ふむ。彼の目的地はそこだと?」
「……いえ。クロードも追われることはわかっているでしょうから、ヴァーチュに留まるとも思えません」
エル・ロワ国内はジエル教徒の目も光る。
国内で王都に次ぐ大都市であるヴァーチュなら尚更だろう。
賢明なクロードなら、ヴァーチュに留まろうとはしないはず。
「東へ向かったと言うならば、奴の目的は国境を越えることですわ!」
フローラがテーブルに身を乗り出しながら言った。
……ちょっと待て。
この女、俺の記憶が確かなら右腕が吹っ飛んだ状態だったはずだぞ。
それなのに、全身どこにも傷ひとつなく右拳を握りしめているとか……。
「国境――海峡都市、ですか。なぜそう思うのです?」
「クロードはドラゴグ出身ですもの! きっと勇者の聖剣を奪ったのも、ドラゴグからの要請だったのですわ!!」
「そう決めつけるのは早急だと思いますが……」
「勇者の聖剣は平和の象徴以外に、力の象徴でもあります! ドラゴグがそれを欲するのは自然ですわ!!」
「力を欲するのは軍事国家の性だと?」
「クロードがドラゴグの間者であるなら事は単純! 追撃隊をこのまま国境へと向かわせ、罪人を捕縛し、処刑すべきですっ」
フローラが熱を帯びてきたな。
少し冷静になってもらわないと、この場でテーブルだって叩き割りそうだ。
「ふむ。リッソコーラ卿、オーライ卿はいかがです?」
教皇様が意見を求めた際、二人の枢機卿の反応はあからさまに違った。
「私はフローラくんの意見に賛成ですな。すぐに追撃隊を海峡都市へ向かわせるべきかと存じます。リッソコーラ卿も愛弟子を見習うべきでは?」
「……オーライ卿は性急すぎる。こんな大それたことを彼一人で実行したとは思い難い。国内に協力者がいるかもしれませんぞ」
「いたとして、もはやどうにもならんでしょう。教皇領より東にいる住人すべてに看破の奇跡でうかがいを立てろと?」
「そうではない。私は慎重に事を運ぶべきだと――」
この二人、目を合わせるたびに口論になっているな。
……と言うよりも、一方的にオーライ卿が絡んでいる感じか。
「ジルコ殿はいかがですかな?」
教皇様が俺に意見を求めてきた。
その瞬間、二人の枢機卿の口論が止んだ。
議場に居る全員の視線が俺に集まっているのを肌に感じる。
まったく嫌なプレッシャーだ……。
「クロードは依頼でパーティーを組む時以外、たいてい単独行動でした」
「あなたは単独で事を起こしたと?」
「教皇庁を敵に回すなど、国と敵対するのと同じです。事が事だけに、うかつに口外もできないでしょうし、そんな覚悟を持てる人間がほかにいるとも思えません」
「裏で糸を引く黒幕がいるとしたらどうでしょう?」
「培った名声を捨ててまで、しかも他人のためにここまでの大事を起こすとはちょっと。そもそも誰かの意のままに……っていうのがクロードらしくないんですよね」
「単独犯で黒幕もいないとお考えなのですな。……ならば、彼の今後の動きをどう読みます?」
「あいつは言っていました。何を捨ててでも叶えたい願いがある、と――」
クロードの一連の不可解な行動。
それが叶えたい願いとやらに起因するとしたなら。
「――勇者の聖剣がそれに必要であるなら、時間を掛けて研究するための場所が必要なはず。国内に留まっていてはジエル教徒の目が気になるでしょうから……」
「今は一刻も早くエル・ロワから脱出することを念頭に行動している、と考えるのが自然ということですか」
「……たぶん」
そこまで話すと、オーライ卿が突然、席を立った。
「カイヤ。先行している騎士団長に鳩を飛ばしたまえ。海峡都市へ急ぐようにと」
「かしこまりました」
「それと海峡都市の司教達に連絡し、軍を動かして緊急配備を敷くようにとも。プラチナム侯爵に働きかければ容易だろう」
敬礼した後、カイヤが議場を去って行く。
ひとつ嫌な視線が消えてホッとした。
「教皇聖下。私はクロード・インカーローズの手配書の件を進めて参ります」
「ええ。よろしくお願いします」
手配書と聞いて、俺は冷や汗が滲んだ。
そんなものを発行されたら、世間的にも〈ジンカイト〉の立場が悪くなる。
「待ってください!」
「ジルコ殿。何か言いそびれたことでも?」
「お願いがあります、教皇様――」
全員の視線を一身に浴びて、俺は息が詰まりそうになった。
だが、もう後には退けない。
「――クロードの手配を待っていただきたいのです!」
「はあぁぁ!?」
俺の意見に噛みついてきたのはフローラだった。
見れば、今にも飛びかかってきそうな顔で俺を睨みつけている。
「クロードは腐っても〈ジンカイト〉の冒険者です。身内の不祥事は、身内で解決したい。そのチャンスを俺にください!」
「正気か? 自分が何を言っているのかわかっているのかね」
オーライ卿までもが怒気のこもった声で俺を威嚇してくる。
緩和していた場の空気が、俺を中心に重々しく張り詰めていく。
……しかし、今さら退く気はない。
改めて思い起こせば、クロードは変わった。
徹底して合理性だけを追求していた以前とは明らかに違う。
半年ぶりに会って、あいつに足りなかった人間らしさが表れているように感じたのだ。
俺は、何がクロードを変えたのか知りたい。
その変化の原因こそがすべての発端なのではないだろうか……?
俺が納得してあいつを送り出すためにも、それを知る必要がある。
「俺が必ずクロードを捕らえ、勇者の聖剣を取り返します。どうかそれまではこの件を公表しないでいただけませんか!?」
「〈ジンカイト〉の評判がどうとかの問題では済みませんのよ!? これは教皇庁への宣戦布告! 決して妥協してはならない大事!!」
ついにフローラが席を立って、俺のもとへとズカズカ歩いてきた。
彼女の手が俺へと伸びようとした時――
「よろしいでしょう」
――静かに教皇様が言った。
「きょ!? おお、お言葉ですが教皇様! 誉ある教皇庁がこのままコケにされたままでは――」
「よいのです。ジルコ殿には我儘を通す資格がある」
「えっ……えぇっ!?」
「なぜなら、今この世界があるのは、彼が命を懸けて魔王と戦ったからです。彼がそれを望むのならば、教皇庁は全力でサポートするだけです」
「そんなぁ……」
茫然自失となったフローラは、その場にへなへなと座り込んだ。
一方、オーライ卿は溜め息をついた後、教皇様に一礼して議場から去って行った。
「ありがとうございます。教皇様」
「友を想うあなたの心……彼に届くことを祈っています」
そう言い残して、教皇様は席を立った。
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