3-028. 激震の聖堂宮⑤
空中から放たれた勇者の聖剣の投擲。
ネフラの事象抑留が無敵なのは、あくまで魔法に対してのみだ。
つまり、魔法が関わらない直接攻撃においては、彼女を守る力は働かない。
「避けろっ!」
とっさにネフラの肩を押して、回転する聖剣の刃から彼女を守った。
「ジルコくん!」
「うかつに動くなネフラ!」
聖剣は床にぶつかって、再び空中へと舞い上がった。
そして一定の高さでピタリと止まると、今度は切っ先をネフラに定めたまま空中で静止している。
俺はすぐに聖剣とネフラの間に割って入った。
「なんだよ、こりゃあ!?」
空中に静止する勇者の聖剣に対して、ミスリル銃の引き金を引く。
だが、光線は鍔にはめ込まれた宝石〈ザ・ワン〉へと吸い込まれてしまって意味をなさない。
次に聖剣は、ネフラを守る俺へと突っ込んでくる。
「うおおおっ!」
耳をつんざく金属音。
飛んできた聖剣の刃を、かろうじてミスリル銃の銃身で弾き返した。
しかし、その衝撃は生半可なものではなかった。
銃身を持っていた両腕が痺れてしまうほど、とてつもない速度と重さの乗った一突きだった。
材質がミスリルでなければ、銃身が折れるか砕けるかしただろう。
弾かれて床へと叩きつけられた聖剣は、またもや空中へと舞い戻っていく。
それを目にしたネフラは、動揺した面持ちで俺にすがりついてきた。
「ジルコくん、私の魔法で止められない!」
「あれは魔法で操っているんじゃない。風の精霊が射出だけしてるんだ!」
「そ、それじゃ……」
「あくまで物理的な投擲! お前の魔法じゃ防げない!!」
聖剣が切っ先をこちらに向けたまま、空中を水平に移動し始めた。
俺へと――否。ネフラへと狙いを定めて、投擲のタイミングを図っているのだ。
「ネフラ、抱き着くなっ」
「だ、だって」
本で多くの物語を読んできたネフラにとっても、串刺しなど想像しがたい結末だろう。
ましてや、いつ刃が飛んでくるかもわからないこの状況では、ネフラがすがりつきたくなる気持ちもわかる。
こんな状況でなければ嬉しいが、今は嬉しんでいる余裕はない!
「ジルコくん、私はいいからクロードを撃って! 今ならミスリル銃が届く!!」
ネフラが震えるような声で提言してきた。
しかし、そんなことを俺が認められるわけがない。
「ダメだ!」
「でもっ」
「俺に任せりゃいい!」
……とは言ったものの、この危機を脱するには覚悟を決めるほかない。
せっかくゾンビポーションを服用したのだ。
こうなったら、とことんその恩恵を利用してやる!
「俺が合図したら、銃身を支えてくれ」
「え? どういう――」
ネフラが言い終える前に、彼女に向かって聖剣が飛んできた。
俺はその小さな体を背中に隠すようにしてかばうと、真っ向から聖剣の刃を受け止めた。
「ジルコくんっ!?」
ネフラの悲痛な叫び声が響き渡る。
俺の脇腹には、勇者の聖剣の剣身が深々と突き刺さっていた。
刃先は背中に突き抜け、傷口からは焼かれるような熱さを感じる。
奇妙なことに、この状態でも痛みだけは感じない。
「捕まえた……!」
体に突き刺さる剣身を、俺は空いている左手で力いっぱい掴んだ。
風の精霊が俺の体に食い込んだ聖剣を引き抜くのを止めるためだ。
痛みを感じない今だからこそできる苦肉の策。
だが、これで聖剣を自由に操ることはできまい。
「きみ、もしや――」
俺がクロードを睨みつけると、クロードが訝しげな表情で話しかけてきた。
「――ゾンビポーションを服用しましたね」
「お前の置き土産を勝手に使わせてもらっているよ!」
「馬鹿なことを……。以前に副作用の説明をしたはず。痛みを和らげる代償に、人間としての感情まで失いかねないと」
確かに昔そんな話をされたように思う。
しかし、もう何年も前のことだから細かいことなど覚えていない。
むしろ今さらそんなことを言うクロードに対して、俺が思うことはひとつだ。
「殺そうとした相手の心配かよっ」
俺は噛みつくような勢いで、クロードへと鋭い視線を向けた。
右手に握るミスリル銃とともに。
「無茶が過ぎますよ。きみは」
呆れた面持ちでクロードが言った。
銃口を向けられている人間が呑気なものだ。
銃を構える俺の手が震えているのを見て、まともに照準も定められる状態ではないと高をくくっているのだろう。
だが、今の俺には指先に引き金を引く力が残っていれば十分なのだ。
なぜならば――
「ネフラ、頼む!」
「はいっ」
――俺には信を置ける相棒がいるからだ。
ネフラは本を投げ出し、両手で俺の銃を支えてくれた。
おかげでクロードに向けて真っすぐと狙いを定めることができる。
あとは引き金を引くだけだ。
「羨ましいですね、きみ達は」
「……!?」
不意につぶやくような声が俺の耳に届いた。
それに、なんだその顔は?
クロードは何とも言えない表情を浮かべている。
その時になって、俺は違和感を抱いた。
あわや撃たれるという状況で、クロードは棒立ちしたまま避けようとする素振りすら見せない。
これまでの攻防で、攻撃手段も防御手段もクロードには残されていないはず。
なのに、この落ち着きようはどうだ。
……迷うな、引き金を引け!
俺は躊躇いながらも、ミスリル銃の引き金を引いた。
銃口から撃ち出された青い光線は、刹那よりも速く、一瞬より前にクロードへとたどり着いた。
丸腰のクロードを守るものは、もう何もない。
直撃する!
……そう確信した瞬間。
クロードに到達した光線は、その体を貫く直前であらぬ方向へと曲がってしまい、見当違いな壁を撃ち抜いた。
「な……!?」
想像だにしなかった結果に、俺は困惑した。
寄り添って銃身を支えてくれていたネフラも同じ様子だ。
「きみには、私がただ突っ立っているように見えましたか」
「今度は何をした……!?」
「見えませんか? 私の前方、きみ達の射線に何があるのか」
そう言ってクロードは手前の空間を指先でなぞってみせた。
すると、まるで水の波紋のようなものが空中に発生した。
「きみ達が勇者の聖剣に夢中になっている間、即興ですが魔法陣を描いておきました」
「宝飾杖はもう無いはずだろ……!?」
「冒険者にはこれがあるでしょう」
クロードが指さしたのは、首に下がっている冒険者タグだった。
……そうか。
冒険者タグは宝石を素材にしている。
つまり、いざと言う時に魔法の媒介にだってできる。
「だ、だけど今の現象は一体!?」
「……水面に対する光の屈折」
ネフラが思い出したかのように言った。
「正解ですネフラ。さすが本の虫と呼ばれるだけのことはある」
「なんだよ! 光の屈折って!?」
「きみには説明が必要のようですね――」
空中に広がる水の膜を撫でながらクロードが続ける。
「――空気中から水に光が差し込む時、光は一定の法則に従って屈折します。屈折の度合いは光が差し込んだ角度で変わり、このような薄い膜であっても影響は絶大です」
話を聞いて、過去の経験から俺もそれを見てきたことを思い出した。
海の中から見上げた時の海面。
窓ガラス越しに部屋へと差し込む陽光。
光が屈折する状況など、さして珍しくないのかもしれない。
「実弾ならば、この水の膜を破って私にダメージを与えられたでしょうね。試しにコルク銃を撃ってみますか?」
意地悪なことを言う奴だ……。
コルク銃の空気圧では、水の膜を突破できても現状を逆転する余地はない。
「……余裕ぶりやがって。物知り博士って呼んでやろうか?」
「知識こそ、才能を凌駕する真の力です。そして知識を高めるのに、錬金術師ほど素晴らしいものはない!」
クロードのご高説を聞いている間、じわじわと腹部に違和感が出てきた。
いつの間にか全身から汗が噴き出てきて止まらない。
いよいよ痛覚が戻り始めているみたいだ。
「ゾンビポーションの持続時間はごく短い。きみ、服用したのはいつ頃です?」
カイヤとの戦いから、まだ30分も経っていない。
それなのに体が重い。
まともに立っていることすら辛くなってきた。
「ジルコくん凄い汗……」
「大丈夫だ、問題ない」
そう言いながら、俺を心配そうに見上げるネフラへと笑いかけた。
もちろんそれは強がりだ。
だけど、女の子の前で情けない顔なんてできるものか。
「そろそろ幕を引きましょう」
クロードの声と重なって、頭上から破壊音が聞こえてくる。
見上げると、真上にある天井に広い裂け目が現れ、そこから砕けた敷石が降り注いできた。
風の精霊の悪戯にしては、殺意がありすぎだ。
「ネフラ、逃げろ!」
「そんな――」
周囲に瓦礫が降り注ぐ中、俺はとっさにネフラの胸を突き飛ばした。
彼女が俺から離れるのと同時に、俺とネフラの間にひときわ大きな床の破片が落下してきた。
その後も天井の倒壊が続き、俺は降り注ぐ瓦礫の衝撃に吹き飛ばされた。
立ち込める砂埃の渦中。
地面を舐めるように腹ばいとなっている俺へと、クロードの声が聞こえてくる。
「無様ですね、ジルコ」
「ク……ロード……」
俺の5mほど前方でクロードはたたずんでいた。
すでに自分の勝利を疑っていない顔だ。
「返してもらいますよ」
クロードが床を這う俺に手をかざした瞬間、腹に食い込んでいた勇者の聖剣が一気に引き抜かれた。
「ぐあああっ!!」
聖剣が引き抜かれた瞬間、熱と鈍痛が襲ってきた。
俺は右手からミスリル銃を落とし、体を丸めて傷口を両手で押さえた。
傷口に重ねた手のひらが熱い。
血が止まらないのだ。
さらにこの痛み……もうゾンビポ―ションの効果は切れる寸前らしい。
「苦しいでしょう。今、楽にしてあげます」
……いよいよ最期が近づいてきたのか。
しかし、このまま終わるわけにはいかない。
無駄だとわかっていても、最後の最後まで抵抗をやめてたまるか!
俺がミスリル銃へ血まみれの右手を伸ばそうとすると――
「諦めなさい」
――クロードはミスリル銃を蹴飛ばして、遠くへやってしまった。
ミスリル銃は床を滑りながら、亀裂に飲まれて階下へと落ちていく。
「くっ……そぉ……」
クロードは勇者の聖剣の剣身についた俺の血を払うや、トドメを刺すために近づいてきた。
「きみを殺した後、私はすぐに引き上げます。ネフラは――」
「あの子に手を出したら……ぶっ殺してやる」
「――まぁ、捨て置いてあげましょう」
近づいてくるクロードの足元を見やった時。
床に這いつくばる俺の視界に、大小の瓦礫とともに見覚えのある物が映った。
それは真っ黒な帯革だった。
たしか勇者の聖剣を外側から縛り付けていた封印用の魔道具だ。
『あの帯革は魔封帯と言ってね。外部からの魔法効果を著しく妨げる働きをする』
不意に、リッソコーラ卿の言葉が脳裏によみがえった。
……そして、ひとつの考えに到る。
外からの魔法効果を妨げるのならば、外へと働きかける力も妨げるはずだ。
「さようならジルコ!」
俺の視界の外で、クロードが勇者の聖剣を振りかぶった。
その切っ先を振り下ろすだけで俺の命は消える。
その前に!
なんとしてもそれより先に!
俺は最後の力を振り絞って右腕を伸ばした。
「!? まだ抗うつもり――」
クロードが俺の抵抗を目にして、わずかに動きを止める。
数瞬後、俺が手を伸ばした先に何があるのかはクロードも気がつくだろう。
だが、もう遅い。
俺の手はクロードが剣を振り下ろすよりも早くそれを掴むことができた。
「魔封帯、だっ!」
俺はその瞬間だけ、すべての痛みを忘れるように努めた。
床に膝を立てて体を起こし。
魔封帯を握る右腕を振り上げ。
鞭を振るように黒い帯革をしならせて。
クロードが勇者の聖剣を握る手へと打ちつけた。
魔封帯が彼の腕に絡みつくように計らって。
次の瞬間――
ドンッ、という重い音をたてながら、今の今までクロードの後ろで浮遊していた岩塊が床へと落ちた。
それは風の精霊への支配力が遮断された証明だった。
「ジルコォォォッ!!」
クロードの顔が怒りで歪んだ。
それは、およそ賢者には相応しくない焦燥混じりの形相。
……事ここに至っては、銃も剣も魔法もない。
原始的な方法での決着しかないだろう。
「クロードォォォッ!!」
目の前に立つ男の端正な顔へと、俺は左拳をぶち込んだ。