3-027. 激震の聖堂宮④
ネフラを前にして、クロードの顔色が変わった。
「〈奇跡無用の魔法殺し〉のご登場ですか」
「その二つ名で呼ばないで。好きじゃない」
クロードは浮遊する岩塊の上にたたずんだまま、ネフラを見据えている。
対するネフラは、その視線を切ることなく真っすぐとクロードを睨みつけている。
「……」
「……」
ネフラとクロードの無言の睨み合い。
先に動いたのはクロードだった。
クロードは手にした宝飾杖で空中へと弧を描いた。
それは瞬く間に赤い魔法陣として顕現し、火炎放射が俺とネフラへ向かって吹き出してくる。
ネフラは逃げる素振りも見せず、再び本を開いた。
開かれたページがカッと光を放った瞬間、炎が空中で渦を描きながら、本の中へと吸い込まれていった。
「無駄なこと。私に魔法攻撃は効かない」
「……実に厄介ですね、あなたの不明魔法種目は。クリスタリオスが躍起になって研究したがるわけです」
不明魔法種目。
それは、正体不明かつ研究途上の魔法現象に対して用いられる言葉だ。
ネフラへと向けられた魔法効果は、敵意の有無を問わず自動的に無効化され、彼女の持つ本へと抑留されてしまう。
俺にはまったく理解できないが、彼女はそういう謎魔法を持っている。
ネフラは対魔法という事態においては絶対無敵なのだ。
「クロードお願い。抵抗はやめて、投降してほしい」
「そういうわけにはいかないでしょう」
「私の事象抑留は、あなたのどんな魔法も受け付けない。二対一ではあなたにもう勝ち目はない」
「……果たしてそうでしょうか?」
クロードは勇者の聖剣を足元の岩塊へと突き刺すと、宝飾杖を構えた。
「せっかくの機会ですし、いくつか検証させてもらいますよ」
クロードがそう言うと、開いたままにしていたネフラの本がひとりでに1ページはらりとめくれた。
直後、俺とネフラの周囲にふわりと風が起こる。
「……っ!!」
俺はぞわりと背筋が凍って、全身が硬直した。
この感じは先ほど体験した風の精霊魔法の気配だ。
「……あ、あれ?」
しかし、何事も起こらなかった。
俺の隣に立つ少女が手にしている本の異変――強い輝きと共に、見開かれたページへと緑色に光る粒子が吸い込まれていくことを除いては。
「今の……精霊魔法だよな!?」
「そう。風の精霊を操って起こさせた切断魔法の類……だと思う」
ネフラは輝きの止んだ本を見下ろしながら言った。
俺が立ち上がって本を覗き込むと、見開きに奇妙な絵が浮かび上がっていた。
それは、丸くて小さなぬいぐるみのような子供(?)と、木の葉が何枚も吹き荒れている様子の絵だった。
この子供の絵が風の精霊を指し、木の葉が風の刃、ということだろうか。
よくよく見れば、木の葉は刃のように研ぎ澄まされているような印象を受ける。
「なるほど。術者の意識外の攻撃すらも抑留対象……となるわけですか」
「クロードお願い」
ネフラの懇願も空しく、クロードは次の行動に移った。
大きく腕を回して、自らの体を覆い隠すほどに巨大な魔法陣を描き始めたのだ。
それは半径40cmほどの魔法陣で、魔導士が一人で描くものとしては最大級の魔法陣と言える。
しかも、円に描かれる模様は複雑に入り組んでおり、あのクロードが十分な時間を労して描いている。
今から放たれようとしているのは、間違いなく極大級魔法だ。
「クロード! 屋内でそれはいくらなんでも――」
「やらせてあげて。あの人の気が済むまで」
ネフラが俺の静止を遮った。
希代の賢者が全力で描く極大級魔法すら、ネフラの魔法で抑留の対象にできるのか……!?
不安が募る中、俺は万が一に備えてネフラの前に出た。
ネフラ自身は慌てる様子もなく、手にした本のページをめくるだけだった。
……そうこうしているうちに、クロードの魔法陣が完成した。
「絡み衝く百腕巨神の絶掌!!!!」
クロードの言葉が響くと同時に、土色の魔法陣から激しい光が発生する。
瞬間、宝物庫がぐらりと揺れ動いた。
ガタガタと床や壁の敷石が振動する中――
「く、来るか……!?」
――俺が想像していたような大惨事は起こらず。
土色の光を灯した大量の粒子がゆっくりと渦を巻きながら、ネフラの本へと吸い込まれていった。
本の輝きが止むと同時に、クロードの手前に顕現していた魔法陣は音もなく掻き消えていく。
「これはお手上げですね」
クロードが苦笑いを浮かべながら、肩をすくめた。
「抑留対象の魔法はエーテル量の多寡も関わりないらしい」
「気は済んだ?」
「ええ。ひとまずは、ですがね」
「クロード。もうやめましょう」
「ひとまずは、と言ったでしょう」
クロードが意味深なことを言う。
ひとまず……とは負け惜しみのつもりで言っているのか?
否。〈理知の賢者〉ともあろう者が、ただの負け惜しみを言うとは思えない。
俺は警戒を緩めず、何かあればすぐにネフラを守れるように身構えながら、クロードへと最後通告を突きつける。
「いいかげん降参しろ! お前の魔法はすべて封じられたに等しい。等級Sの冒険者とは言え、魔法が使えなきゃふんじばるのは難しくないぜ」
「女性の助けがある前提で、よくそんな大口が叩けますね」
「う、うるさいなっ」
クロードから想定外の反撃を受けて、俺はとっさに言葉に詰まってしまった。
俺だって格好悪いのは重々承知で言っているんだ!
そこをいちいち突っ込むな!!
……とは言えない。
「少しは見直してくれた? ジルコくん」
当のネフラは得意げな顔で俺を見上げている。
見直すも何も、今俺が生きているのはネフラのおかげと言っても過言じゃない。
できることなら、すぐにでも頭を撫でてやりたいくらいだ。
「ここまでだな、クロード!」
俺は改めてミスリル銃をクロードへと向けた。
クロードの魔法が恐れるに足りないのなら、あとは一方的な決着だ。
このまま足でも撃って動きを封じ、事を収めさせてもらう。
「まだ終わりませんよ」
クロードは岩塊に突き刺さった勇者の聖剣を左手で引き抜いた。
あれを持たれると厄介だな……。
せっかくネフラのおかげでこちらが有利になったのに、俺のミスリル銃が封じられるとまた五分の状況に戻されてしまう。
だからって何から何まで思い通りにはさせない。
「俺だって馬鹿じゃないんだぜ、クロード」
曲がりなりにも俺は次期ギルドマスターだ。
敵対しているとは言え、仲間に舐められたまま。
ネフラに助けられてばかりで、格好悪いところを見せたまま。
終われないのは、俺の方だ……!
「それは馬鹿の言う常套句ですよ」
「試してみるか?」
……わずかな沈黙の後。
クロードが勇者の聖剣を垂直に構えた。
その瞬間。
クロードが次の一手を講じる直前。
俺はミスリル銃の銃身から左手を離し、左足のホルスターからコルク銃を抜き取った。
そして、銃口がクロードに向くのと同時に、その引き金を引いた。
「うっ!?」
コルク銃から空気圧により撃ち出されたコルク栓は、勇者の聖剣を握るクロードの指先へと命中した。
ただのコルク栓ではない。
鉛玉をコルクで覆った、れっきとした弾丸だ。
さすがのクロードもそれをまともに受けては激痛に耐えられるはずもなく、手元から勇者の聖剣を取り落とした。
「剣がっ……」
クロードの手から解放された勇者の聖剣は、浮遊する岩塊を一度バウンドすると、下へと落ちて床の上を滑った。
あわや穴へと落ちそうになった直前、聖剣は動きを止めた。
「ジルコ。きみがここまで私の邪魔をするとは、よもや……」
クロードがギロリと俺を睨んでくる。
ようやくその顔から余裕の笑みが消えたようだ。
「クロード。お前が相手にしてるのは誰だ?」
「何?」
「腐っても世界最強ギルド〈ジンカイト〉のギルドマスターだぞ!!」
……言ってやった。
さんざん俺をコケにした〈理知の賢者〉に一矢報いてやった!
「ジルコくん、かっこいい」
俺のすぐ隣から、ネフラのささやかな賛辞が飛んでくる。
正直、今この瞬間にそれに勝る言葉はない。
「少しは見直したろうネフラ」
俺はそう言いながら――けれど気恥ずかしいからネフラに視線は向けず――、懐から取り出した予備のコルク栓を銃口へと詰め直した。
そして、コルク銃をクロードへ――じゃなかった。
コルク銃はホルスターに戻して、ミスリル銃を――
「詰みだ! 認めろクロード!!」
――クロードへと向けた。
一方のクロードは、へし折れた左手の指をかばうようにして身を屈めながら、俺へと敵意を込めた眼差しを向けている。
「嫌です。決してそんなことは認めません」
クロードの口から出た言葉はそれだった。
……この期に及んでガキみたいなこと言うなよ!
「追い詰められて馬脚をあらわしたか。〈理知の賢者〉が情けない!」
「言ってくれますね……。挑発のつもりですか?」
クロードは浮遊する岩塊から飛び降りると、床の上へと着地した。
彼の目と鼻の先には勇者の聖剣が落ちている。
そして、そのすぐ傍には階下へとブチ抜かれた大穴も。
「……聖剣を持ってトンズラとはいかないぞ」
俺の言葉を受けて、クロードが鼻で笑ってみせた。
彼の目は敗北を認めたとか、事態を諦めたとかのものではない。
すでに次の一手を考えている者の目だ。
……考えろ。
ここでクロードの一手を読み違えれば、事態は悪化する。
そんな嫌な確信があった。
「もうひとつ検証が残っているのです」
「やめろ! もう動くな!!」
クロードは俺の警告を無視して、右手に握っていた宝飾杖を指揮棒のように振りかざした。
「動くなって言っただろう!」
「撃たないのですか?」
「いつでも撃てる! もうお前に勝機はない!!」
「きみは相変わらずとろけそうなほど甘い」
言うが早いか、クロードはなんと宝飾杖を俺に投げてよこした。
まさか、と思った。
最重要アイテムの杖を捨てるなど、夢にも思わなかったのだ。
そのせいで引き金を引く指が一瞬遅れてしまった。
「何をっ!?」
飛んでくる宝飾杖を光線が撃ち抜いた時、粉々に砕けた破片が俺とネフラへと浴びせられる。
「くっ」「きゃあっ」
一瞬、俺の視界からクロードの姿が消える。
破片を浴びて、不覚にも俺は目を閉じてしまった。
人間の生理的な反応とはいえ、これ以上ない不覚。
「しまった!」
クロードの次の一手は、まさかの目隠し!?
だとしても、これは目的を果たすための手段に過ぎない。
ならば、奴はこの一瞬の隙に何をしようとしているのか。
俺が目を開いた瞬間、クロードは――
「!?」
――勇者の聖剣を拾い上げていた。
「に、逃げるつもりかと……」
「まさか。穴を滑り降りるなど、よい的ではないですか」
クロードは右手に持った勇者の聖剣を前方高くへと垂直に構えてみせた。
それはコルク銃で撃つ直前と同じ構えだった。
……状況はまだ五分と言えるだろうか。
クロードは一歩踏み出せば階下へ続く穴に落ちることもできる。
よい的とは言うが、勇者の聖剣を持つ相手にはミスリル銃も効果がない。
「何を企んでやがる」
「きみ達を殺してこの場を脱する。そのことだけを考えています」
クロードの視線はじっとネフラへと向けられていた。
ネフラ自身は、そんな視線などお構いなしに破片で汚れた服をはたいている。
……この状況で気を緩めるのはうかつだぞ。
「やはり、と言うべきか。魔法に対して絶対的な防御力を持つ反面、魔法以外には何ら主人を守りえないわけですね」
「魔法以外……だと?」
「私がぶつかる難問の答えは、いつだって単純でした」
クロードは手にしていた勇者の聖剣を頭上高くに放り投げた。
聖剣は床に落ちることなく、空中で延々と回転し続けている。
それ自体は風の精霊の力なのだろう。
だが、一体何のためにこんな真似をさせているのか……!?
「ただの投擲。それが答え」
次の瞬間、空中で風車のように回転していた聖剣が。
風を切るような音とともに、廻る車輪のごとく俺達の方へ飛んできた。