3-026. 激震の聖堂宮③
「素晴らしい! これが聖剣の――〈ザ・ワン〉の輝きか!!」
浮遊する岩塊から、ずるずると引き千切れた魔封帯が落ちていく。
その岩塊の中央では、クロードが勇者の聖剣を掲げて恍惚とした笑みを浮かべていた。
「ふ、不敬な! その手を離しなさいっ」
フローラの声には先ほどまでの元気はない。
彼女はふらりとよろめき、岩塊の前で片膝をついてしまう。
その体からはすでに白い発光は消え去っていた。
右腕の再生も滞り、どうやら奇跡の効力が失われつつあるようだ。
「フローラ。あなたのおかげで、労せず封を解くことができました」
「は?」
「封印ばかりは魔法や奇跡による解除もできそうにありません。そこで有用となったのはあなたの怪力」
「お前……私を利用して……っ!!」
フローラはクロードに飛びかかろうとしたものの、すでにその力はなく、頭から床に倒れてしまった。
右腕が吹っ飛んでいるのに加えて、大量の血液を失っているのだ。
さすがのフローラもまともに動けるわけがない。
「うぐっ。私を、私をコケにしやがって……!」
「あなたのように傍若無人な存在にも家族に対する情があって良かったですよ。おかげで私の計画も滞りなく進められます」
「ふざっ……けんなっ!」
フローラはもはや立ち上がることすらできないらしく、地べたを這いずりながら少しでもクロードへと近づこうと足掻いている。
「仮にも聖女が床を這うなどはしたない。もう退場してもらって結構ですよ」
クロードは空いている方の手をフローラに添えるようにかざした。
その瞬間、フローラの体が床に押し付けられる。
「あぐぅ……。な、何、これ……!?」
風の精霊魔法による重力支配。
このままフローラを押し潰す気か!?
「いいかげんにしろ、クロード!」
俺がミスリル銃を構えた時には、すでに遅かった。
フローラは床にめり込み、そこから生じた亀裂が先ほど彼女が作った裂け目と結びついて、さらに圧し掛かる重力も加わって床に大きな穴を開けてしまった。
穴は宝物庫の床をゆっくりと拡がっていき、安置された飾り台や木箱を次々と飲み込んでいく。
あわやヘリオが穴に落ちる寸前、俺は彼の体を抱え上げた。
「うおおおっ!」
床に拡がる亀裂は、まるで俺を追いかけてくるように迫ってくる。
俺はヘリオを抱えながら乱雑に倒れている展示物を飛び越え、なんとか亀裂から逃れて宝物庫の入り口までたどり着くことができた。
振り返れば、亀裂の拡がりはちょうど扉の敷居の手前で止まっている。
「なんと……なんということだ……」
外の広間から宝物庫を覗いていたリッソコーラ卿は顔を青くしている。
彼が動揺するのも無理はない。
こんな大惨事、教皇領では闇の時代にもなかったことだろう。
「フローラは!?」
彼女の安否を確認しようと、俺が裂け目の中心へと目を向けた時――
「……なんてこった」
――フローラがうつ伏せのまま穴の側面を階下へ滑り落ちていくのが見えた。
死んだか……フローラ?
否。あの不死身の怪物が死ぬなんて考えられない。
「リッソコーラ卿! フローラが階下に落ちた!!」
「あ? え?」
「すぐに癒し手を向かわせてくれっ! この階の下にだ!!」
「わ、わかった!」
広間に集まっていた聖職者達にリッソコーラ卿の指示が飛ぶ。
彼らは俺から見ても頼りないほどに、おろおろとしながら通路を戻っていく。
ヘリオの治癒もようやく始まったところだ。
……上の人間も下も人間も、判断が遅い。
教皇領は闇の時代、直接的に魔物の脅威にさらされることはなかった。
地理的な理由もあるが、そのことが教皇庁の人間を平和ボケのような感覚に陥らせたのかもしれない。
それは奇跡の妄信へと繋がり、結果としてクロードにしてやられた。
「他の神聖騎士団は?」
「現在、虹の都にいるのはあと四人だが……教皇聖下ともう一人の枢機卿を守っている。ここには来れない」
「そうですか……」
この場で戦えるのは俺しかいない。
狼狽えてばかりの教皇庁の連中には期待できないし、俺がやるしかない……!
「誰も扉の敷居から宝物庫側には入ってこないでください!」
俺は亀裂を飛び越えて再び宝物庫の床を踏んだ。
宝物庫は広い部屋だが、大穴のせいで半分ほども床がなくなっている。
亀裂は大小含めて床一面に蜘蛛の巣のように張っており、走り回れる足場も限られている。
だが、あちこちに散乱している大量の展示物――これを利用すれば、クロードの死角をついて急所を狙い撃つことも可能なはず。
散乱する展示物に身を隠しながら、クロードとの距離を詰めていると――
「ジルコ、待ちくたびれましたよ!?」
――クロードの声が聞こえてきた。
直後、俺とクロードを遮っていた展示物の山が空中に舞い上がった。
「はぁ!?」
また風の精霊の仕業か!
利用しようとしていた展示物がすべて舞い上がってしまい、俺はクロードと真っ向から睨み合う形となった。
「きみ、まだそんなところにいたのですか」
クロードは浮遊する岩塊に乗ったまま、俺を見据えていた。
その距離は10mほど。
境目には広い亀裂が走っており、歩いて傍まで近づくのは困難。
だが、俺もクロードも中遠距離の戦闘技術を備えたクラスだ。
接近戦は不要。
今、この距離でも決着をつけられる。
「聞け、クロード――」
俺はクロードへとミスリル銃を向けて、言い放った。
「――お前は解雇だ!!」
にいっとクロードが笑った直後、宙に舞っていた展示物の数々が、俺めがけて降り注いできた。
それらはまるで狙いすましたかのように身を躱した先にも落ちてくる。
「くっ。こんなものでっ」
飛び跳ね。転がり。体をひねり。
降り注いでくる展示物を躱し続けながら、俺は射撃タイミングを図っていた。
年代物の巨大なソファーが俺の前に突き刺さった時――
「今だ!」
――弾力のある座面に肩を当てて、ソファー越しからミスリル銃の引き金を引いた。
銃口から射出された青く輝く光線はソファーを貫き、クロードに届く。
……はずだったのだが。
「なるほど」
何事もなかったかのように、クロードの声が聞こえてくる。
ソファーに開いた穴を覗き込むと、向こう側で平然としている彼の姿があった。
あの角度なら、間違いなくクロードの足を撃ち抜いたと思ったのに……。
「さすがは勇者の聖剣ですね。ミスリル銃の光線すら凌いでしまうとは」
俺が穴から様子をうかがっていると、クロードは勇者の聖剣の剣身をまじまじと見据えている。
俺の光線を勇者の聖剣で弾いた、とでも言うのか?
剣術の素人のクロードが……!?
「わっ!」
止んでいた展示物の攻撃が再び始まった。
俺はとっさにソファーを倒し、その下に隠れて盾にした。
激しく空中を吹き荒ぶ展示物の驟雨を耐え凌ぐうち、肘掛けが折れ、底が破け、ソファーはどんどん原型を留めなくなっていった。
「このままじゃジリ貧だ……」
その時、俺は気がついた。
いつの間にか俺の周りには展示物が壁のように積み上げられていたことを。
このままでは閉じ込められる。
もしや最初からそれが目的だった……?
今、火でも放たれれば、魔女狩りの火刑よろしく火あぶりにされてしまう。
「くそっ」
ソファーを盾にしながら、俺は積み重なっていく展示物の壁にミスリル銃で穴をあけた。
壁の外へと転がり出た瞬間、積み上がっていた展示物が崩れ落ちる。
あと一秒でも脱出が遅ければ、ぺちゃんこにされていただろう。
「きみ、この半年でずいぶん呑気になりましたね――」
その声に振り返ると、クロードは今も岩塊の上で勇者の聖剣を観察していた。
「――都暮らしで、牙を抜かれましたか」
俺への皮肉を言っているのに、その視線は物言わぬ剣へと向けられている。
この期に及んで、そこまで俺を舐めてみせるか。
「こっちを向け、クロードォッ!」
俺がミスリル銃から光線を発射した時、それは起こった。
銃口から射出された青く輝く光線が。
真っすぐクロードめがけて放たれたはずの光線が。
クロードに届く直前に、その手に持つ勇者の聖剣の鍔に収まる〈ザ・ワン〉へと吸い込まれてしまったのだ。
「なっ……!?」
「新しい発見ですね。勇者の聖剣は、近くに届いた強い光を吸収し、自らの力に替えてしまう」
「なんだと……!」
「つまり、私はこの剣を傍に置いているだけで、自動的にきみから守られるというわけですよ」
……おいおいおい。
いくらなんでも、それはあんまりじゃないか!?
勇者の剣にそんないやらしい性質があったなんて……。
「ふ、ふざけんなっ!」
「滑稽ですね。最強の武器は封じられ、その発言にも権威がない――」
クロードは空いている手で髪を掻き上げるしぐさを見せた。
「――次期ギルドマスターとは名ばかり。きみはもう退場しなさい」
クロードが覚めた眼差しで言い放った後、突然、俺の肌が粟立った。
とっさに――無意識のうちに、俺はその場に屈んだ。
直後、俺の頭の上を突風が吹きつけていった。
後頭部の髪がパラパラと散る。
……それこそヘリオ達に見舞った、目に見えない斬撃だった。
「よく躱しましたね。きみの勘はたまには冴える」
クロードは腰に戻していた宝飾杖を手に取ると、宙に弧を描くように魔法陣を描き始めた。
……ヤバい。
今、魔法陣を完成させられたら、そこで詰む!
俺は這いつくばった姿勢ながらも、クロードへとミスリル銃の引き金を引いた。
だが、光線はクロードが魔法陣より前に突き出した勇者の聖剣へと吸い込まれてしまう。
二度、三度、引き金を引いても結果は同じだった。
魔法陣の描画を妨げることはできず、完成した陣が輝き始める。
「これで詰みですね、ジルコ」
「う……」
クロードが描いた魔法陣は半径30cmほどで、青色に輝いていた。
水属性体系の魔法だ。
「水刺冷域剣舞!!」
魔法陣が一段とまばゆく発光した後、俺の前方には透明に澄んだ水の剣が何十本も現れ、一斉に俺へと切っ先を向けてきた。
突然の水気に周囲も冷え上がり、肌寒くすら感じる。
「お別れです――」
クロードの冷たい声に、俺は死を覚悟した。
「――せめて安らかなる死を」
周囲に固定されていた水の剣の切っ先が俺へと差し込まれてくる。
ひんやりとした感触が肌に触れた瞬間。
「それはダメ」
聞き慣れた声が、俺の耳に届いた。
その刹那、顕現された何十本もの水の剣が渦を巻くように空中を巡ると、俺の横で輝く本へと吸い込まれて消えた。
「お、お前――」
はらりと揺れるスカート。
そこから、すらりと伸びる白い足。
着崩れた白と緑の民族衣装。
寝ぐせが残ったままのエメラルドグーンの髪。
彼女は、胸の前にミスリルカバーの本を開いていた。
「――ネフラ!?」
「どこに行くのか、ちゃんと言ってほしい」
ネフラは床に這いつくばっている俺を見下ろしながら言った。
にこりと笑ってはいるものの、怒っているようにも感じられる。
実際、彼女を宿に置き去りにしていたことをすっかり忘れていた。
「私が来たからには、大丈夫」
ネフラは俺をかばうようにしてクロードへと立ち塞がった。
彼女が開いている本のページからは強いエーテル光が放たれている。
その光は徐々に小さくなっていき、見えなくなると本を閉じた。
「どんな奇跡からも魔法からも、ジルコくんは私が守る」
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