3-025. 激震の聖堂宮②
神聖騎士団の五人は、ばらけながらも息が合った見事な足運びでクロードとの間合いを潰した。
クロードは宝飾杖で魔法陣を描くが――
「遅い!」
――ヘリオによる最初の一太刀が描き途中の魔法陣を斬り裂いた。
弾け飛ぶエーテル光を境にヘリオがクロードと向かい合う。
「斬るっ!!」
その瞬間、白銀の剣の軌跡が空中に煌めいた。
……速い!
ヘリオの白銀の剣が、クロードめがけて振り下ろされた。
クロードはかろうじてその一太刀を躱したものの、三枚重ねのマントを一息に斬り裂かれた。
さらに神聖騎士団の四人は、ヘリオの攻撃の間にクロードの四方を取り囲むような陣形を形作っていた。
それによってクロードは常に死角から攻撃を気にせねばならず、さらには畳みかけるような攻撃に身をさらさねばならない。
「魔法陣を描く余裕を与えるな!」
ヘリオの号令とともに、神聖騎士団の息の合った連携攻撃が炸裂する。
一人が斬りかかって躱されれば、死角からもう一人が斬りかかる。
それが躱されれば、さらにもう一人が。時には二人がかりで。
クロードに魔法陣を描かせることなく、五人が徹底して彼の動きを封じるように攻め立てている。
……しかし、その連携攻撃すらもクロードは凌ぎ切っていた。
「あいつ、あんなに身のこなしに優れていたか……!?」
クロードの動きには違和感を覚える。
ヘリオも他の四人も、十分に研鑽された剣技の使い手だ。
しかし、彼らの正確無比な剣閃をクロードはことごとく躱している。
「くっ!」
あまりに攻撃が当たらないことに、ヘリオが渋い顔を見せる。
一見してとめどなく流れる神聖騎士団の連続攻撃は、空しく空を斬るばかり。
ひるがえるマントを斬り裂くことはできても、クロード自身に切っ先が触れることはなかった。
「四突!!」
ヘリオが叫んだ瞬間、彼以外の四人がクロードへと一斉に剣を突き出した。
四人の剣は、クロードの四方から顔、胸、腹、脚へとほぼ同時に突き出されており、素人目にも躱すのは不可能だと感じられた。
しかし――
「なっ!?」
――クロードは、それすらもするりと躱してしまった。
器用にも体を斜めに倒して飛び跳ね、四つの切っ先をギリギリで避けたのだ。
「馬鹿な、あのタイミングで!?」
ヘリオはうろたえながらも、空中を舞うクロードの体を横に一薙ぎした。
だが、それすらもクロードは空中で回転することで凌いでしまう。
「素晴らしい連携でした。しかし、わずかに及ばない」
着地したクロードは、パチパチと手を叩きながらヘリオ達を称賛した。
余裕しゃくしゃくのその様子に、神聖騎士団の連中も面食らっている。
「くっ。おのれ!」
「ヘリオ! このまま攻め続けても……」
「奴の動きには何か秘密があるはず」
「まずはそれを解き明かさねば」
何をしてくるかわからない。
何が起こっているのかわからない。
彼らは魔法使いの策略にかかってしまっている。
……だが、俺は今の攻防を見てわかったことがあった。
剣術については素人のはずのクロードが、なぜこうも接近戦でヘリオ達の攻撃を躱すことができるのか。
躱しているのではない。
押されているのだ。
クロードは、風の精霊魔法によって体の周りを見えない空気の膜のようなもので覆っている。
切っ先がその膜に触れると、クロードの体を押し出して刃から遠ざけるのだ。
見た限りそんなところだろうと思う。
つまり、ヘリオ達の攻撃はどうやっても当たることはない。
「ヘリオ、気をつけろ! クロードは精霊魔法を使っている!!」
「なんですって!?」
俺の声にヘリオが応対した瞬間――
「わかったところで、何ができますか」
――パチン、とクロードが指先を鳴らした。
その刹那、ヘリオを除いた四人の神聖騎士団の鎧がバックリと切り裂かれ、それぞれ鮮血を散らしながら吹っ飛ばされた。
宝物庫の壁や飾り台へと叩きつけられた彼らは、ピクリとも動かない。
今のも風の精霊魔法か……。
剣よりも研ぎ澄まされた斬撃で、鎧を着た神聖騎士団を一蹴するとは。
……だが、妙だな。
ヘリオだけ無事に残されているのはなぜだ?
「なんてことを!」
「ヘリオ。あえてあなたは残しました」
クロードの言葉を受けて、ヘリオは明らかに動揺していた。
彼が今の一手で勝機がないと悟っても無理はない。
それにしても、あえてあなたは残したというクロードの言葉が気にかかる。
ヘリオだけ無事に済ませる理由ってなんだ?
「ん……」
その時、俺が抱きかかえていたフローラが目を覚ました。
「目が覚めたか! しっかりしろっ」
「うぅ……。目覚めに悪い……顔ですわ……」
全身大火傷の状態でも口の悪さは相変わらずか。
本人が気を失っていても廻生の奇跡によって、ゆっくりと焼け焦げた肌の治癒は進んでいた。
だが、黒く焼けただれた肌が治ったことで、俺はフローラが裸同然であることに気がついてしまった。
期せずして、フローラの乳房や腰の下を見てしまったことに罪悪感が……。
「い、今はヘリオが戦っている。お前は少し休んでろ」
俺は彼女を床に下ろした後、防刃コートを脱いで肩から掛けてやった。
すっぽんぽんでいられると目のやりどころに困るからな。
「……? これ、内側がぬるぬるしてますけど」
「この状況で文句言うな!」
すまん。それは俺の血だ。
……とは言えない。
「どういう状況ですの?」
「ヘリオ以外やられた。ヘリオがピンチ。俺がこれから助けに入る」
簡潔に状況説明を終えると、俺はミスリル銃を構えた。
すると、銃身をフローラに押さえられた。
「何すんだよ!?」
「手出し無用。この場は教皇庁の人間で収めますわ」
そう言うや、フローラは立ち上がってコートに袖を通した。
「手段を選んで勝てる相手じゃないぞ……!」
「選ぶなんて言ってませんわよ!」
フローラは床に落ちていた自分の冒険者タグを拾い上げると、両手で握り込んで祈り始めた。
「我が身を害意ある事象より救済し給え。魔効失効の奇跡!!」
彼女が奇跡の言葉を発すると、体がまばゆい光に包まれていった。
光が止んだ時、フローラの体は髪も肌も羽織ったコートも、一様に白く発光する姿となっていた。
「今の私は魔法に対して無敵。魔法さえ封じてしまえば、あんな男ちょちょいのちょいですわ!」
「げげっ……。魔法を無力化する奇跡なんてあるのかよ!」
……ジエル教の神様。
いくらなんでもこの奇跡はちょっとずるくありません?
「さぁ、部外者は下がって私の活躍でも見ていなさい!」
フローラは俺を押し退け、意気揚々とクロードのもとへと向かった。
本当に魔法が効かないのなら勝ち目も見えるが、それだけで本当にクロードを抑えられるのか……?
その頃、ヘリオはクロードの反撃を受けて防御に徹していた。
いつの間にかクロードは赤い魔法陣を大量に描いており、それらから散弾のように射出される熱傷吹き矢をヘリオが耐え忍んでいる状態だった。
神聖騎士団の盾は、言うなれば宝飾盾――洗礼された鋼鉄の表面に宝石を散りばめ、魔法効果を軽減する特殊武装だと聞いたことがある。
何十発と絶え間なく熱傷吹き矢を浴びせられながら、原形を保っている盾は確かに凄い。
しかし、盾が耐えられても持ち主には疲労が蓄積していくはずだ。
現にヘリオはじわじわと後退している。
このままでは盾を押し退けられて炎の直撃を受けるのも時間の問題だろう。
「くそっ! 今度はヘリオが……!」
俺がヘリオに加勢しようとした時、フローラが走り出した。
兄の危機にフローラも焦りを覚えたのか。
そう思った矢先――
「邪魔ですわっ!」
――そう言って、フローラは兄の頭を踏み台にしてクロードへと飛びかかった。
この女、マジで横暴すぎる……。
「クッロードォォ!!」
仇敵の名を叫びながら、フローラが空中で拳を振り上げる。
クロードは熱傷吹き矢の標的を切り替え、自分へと飛びかかってくる彼女を迎撃。
だが、炎の矢はフローラの白い体に触れた瞬間に消え去ってしまう。
「効、か、ねぇ、よっ!!」
怒気のこもった声を張り上げながら、フローラは渾身の右拳を振り下ろした。
クロードがその一撃をひらりと躱すと、勢い余って彼女の拳は床へと突き刺さる。
床は円形に広く深く窪み、破壊の衝撃が宝物庫を駆け抜けた。
床に壁に大きな亀裂を生じさせ、爆心地には階下にまで穴が開いたのではと思わせるほど大きな割れ目が出来上がっていた。
「……っ痛ぇぇぇっ!!」
フローラが悲鳴をあげる。
見れば、彼女が床を打った右拳は粉々に吹き飛び、右手前腕部も半分ほど裂けてしまっていた。
明らかに癒しの奇跡でも完治不可能なレベルの損傷だ。
しかし、それもフローラだけは例外らしい。
骨が。皮膚が。筋肉が。
粉々に飛び散ったはずの右手が、時間の経過とともに元通りに再生しているのだ。
奇跡とは、信仰心の強さでもたらされる結果が変わる。
優れた奇跡を扱えても、信仰心が凡庸ならば大した効力は発揮されない。
その一方で、尋常ならざる信仰心を持つ者の起こす奇跡ほど、規格外の効力を発揮する。
フローラの化け物じみたタフさと回復力は、それゆえのものなのだろう。
「前から思っていましたが、あなたのそれ。さして魔物と変わらない人外っぷりですよ」
クロードも俺と同じ見解のようだ。
まるで奇異なものを見るような目で、フローラを眺めている。
「不信仰者め! 神からの恩寵と知れっ!!」
フローラが今度は左拳でクロードへと殴りかかる。
だが、足元の亀裂につま先を引っ掛け、盛大に空振りしてしまう。
「くっ」
その空振りによって発生した圧はすさまじく、クロードを背後に浮かぶ岩塊まで押し飛ばしてしまった。
あんなものが人体に接触したら粉々に弾け飛ぶだろうな……。
「なるほど。ジエル教の奇跡も馬鹿にできませんね」
「何を今さら! 次こそ、この黄金の右で頭を砕き割ってやりますわ!!」
フローラが右手を掲げながら、拳を握る。
手首から先は粉々になっていたはずだが、もう元通りになっているとは。
本当に人間か……?
「確かに凄まじい膂力です。ですが、まだ足りませんね」
「はぁ?」
「全力を出させるために色々と煽ってみましたが、もう一押しですかね」
「何を言ってるのかしら? 神の御業を前にして頭がおかしくなった?」
「それをこれから見せてもらいたいのですよ――」
クロードが不意にフローラを指さした。
否。人差し指は、フローラではなくその後ろのヘリオへと向けられていた。
「――怒りこそ、人を強くすると言いますから」
バツンッ、という乾いた音が俺の耳に届いた瞬間。
突然ヘリオの鎧が前後から切り裂かれ、内側から大量の血を吹き上げた。
俺も、振り返ったフローラも、血まみれのヘリオを見て目を丸くする。
剣と盾を床に落とした後――
「ごほっ。何、が……っ!?」
――吐血したヘリオは、床へと転がるようにして倒れた。
「……兄さん」
ぼそっとフローラがつぶやくのが聞こえた。
その直後。
「貴様ぁーーーっ!!」
フローラがクロードへと向き直り、これ以上ないほどに右腕の筋肉を膨らませて渾身の右拳を放った。
その時だった。
フローラとクロードの間に、突如として聖剣の突き刺さった岩塊が割り込んできたのだ。
「ーーぁぁっ!?」
フローラの渾身の一撃は、勇者の聖剣を覆う封印へと直撃した。
その凄まじい衝撃はフローラの右腕を肩まで爆裂させ、聖剣の封印までもバラバラに粉砕してしまった。
外側に何重にも巻かれていた魔封帯は引き千切れ。
内側に滞留していた封印は穴の開いた風船玉のように縮こまり。
勇者の聖剣の剣身が露になった。
「よくやってくれましたね、フローラ!」
クロードは浮遊する岩塊に飛び乗り、勇者の聖剣の柄を掴んで地面から引き抜いた。
「な、な、何が……私は一体何を……!?」
フローラが困惑した面持ちでクロードを見上げている。
一方のクロードは、勇者の聖剣を掲げながららしくもない高笑いをあげている。
「ふはははっ……! ようやく手にしたぞ、勇者の聖剣!!」
その時になって、俺はようやく思い立った。
クロードが必要以上にフローラを煽っていたこと。
ヘリオだけを最後まで残していたこと。
すべては、怒りでさらなる力を引き出したフローラの渾身の一撃によって、物理的に聖剣の封印を破壊させるためだったのだ。