3-011. 疑惑
三つ星の宿〈風来亭〉のラウンジにて。
俺とネフラ、クロードとフローラは、ひとつのテーブルを囲んで賊の件について話し合っていた。
「――ではきみは、教皇庁の関係者が我々を襲わせたと考えていると?」
「ありえませんわっ!!」
クロードが俺の意見を確認した後、興奮したフローラがテーブルを叩いた。
加減もせずに叩くものだから、テーブルの脚が折れて天板が傾いてしまった。
「落ち着きなさい、フローラ」
「ですけど……!」
クロードにたしなめられるも、フローラの睨むような視線は変わらず俺を貫いている。
「一体何の根拠があって、我がジエル教の同志を疑うのですの!?」
「俺達が教皇領に向かうことを決めて王都を発ってから、半日もしないうちに襲われたんだぞ」
「偶然ではなくて? 以前から街道には野盗が出没していたようですし」
「相手は俺達が〈ジンカイト〉だと認識した上で攻撃してきた。普通の野盗だったら俺達を襲おうなんて思わないはずだ」
「……私達の身ぐるみを剥げば当分は働かずに済みそうだから、とか」
「あのなぁ。賊が誰かに命令されて俺達を襲ったこと、お前にも話したじゃないか」
「そ、そうでしたかしら」
フローラの目が泳いでいる。
話を聞かない。聞いてもそれを覚えていない。
昔から治らない――治す気のない――フローラの悪い癖だ。
「我々が教皇領に向かうことを決める以前から、襲撃する手はずだったのかもしれません――」
クロードは顎に手を当てた姿勢のまま続ける。
「――復興の時代、目的地なき放浪者はいくらでも現れます。彼らのような無法者を丸め込み、東西南北の王都の門――果ては、そこからよそへと続くすべての街道に、刺客として配置されていた可能性もゼロではない」
確かにその可能性もあるだろう。
しかし、そもそもどうして〈ジンカイト〉の冒険者が狙われるんだ?
「我々が狙われることに心当たりはありますか?」
クロードの問いに、俺は考え込んだ。
狙われること。
つまり恨まれること。
俺が恨まれることってなんだ?
〈ジンカイト〉の冒険者や従業員になら恨まれても仕方ない。
でも従業員からは裁判という形ですでに報復を受けているし、解雇者第一号のジャスファに到ってはギルドマスターの監視下にある。
〈サタディナイト〉の連中は、恨みがあるなら先日のようにすぐ突っかかってくるだろうし。
直近で俺を恨むような相手は――
『ここで会ったが千年目! 今度こそ僕の勝負を受けてもらうぞ!!』
――あっ。
俺はある貴族のことを思い出した。
ジャスファの一件で絡まざるを得なかった男――ウェイスト・グレイストーン。
「ジルコ。何か心当たりでも?」
「いや。恨まれるようなことは特にない、かな」
突然クロードに声をかけられたものだから、思わず否定してしまった。
いくらなんでも、あんなボンボンが本気で俺を殺すように立ち回ることはないだろう。
……ないよな?
「ネフラはどうです?」
「わっ、私、王都の写本屋さんから強引に売ってもらった本が何冊か……」
ネフラがミスリルカバーの本を抱きしめながら、あたふたしている。
理由も素振りも可愛いなぁ。
「フローラはどうでしょう?」
「清廉潔白な私に、人から恨まれるような過去があるとお思いかしら?」
この女、よくもそんな得意顔で言えるな。
意にそぐわない相手を平気でぶん殴るじゃねぇか。
それにゴブリン仮面からの報告書には、暴力よりも厄介なことがいくらでも書かれているんだからな。
「そう言うあなたはどうですの、クロード!?」
「身に覚えがあり過ぎて、とても絞り込めません」
……今回の件、クロードのせいじゃないのかな。
もしかしたら、人造人間の製造疑惑に関わることで、クロードが命を狙われているってこともあり得る。
ちょっと遠回しに探りを入れてみるか。
「クロード。お前、万能薬の研究過程で錬金術師界隈と何か揉め事とかなかったのか」
「万能薬は独自に研究を進めていましたからね。よその錬金術師と関わりはありませんよ」
「本当に?」
「納得のいく答えではなかったようですね」
今度はクロードの鋭い視線が俺へと突き刺さる。
うかつなことを言うと、こちらの企みをあぶり出されてしまいそうだ。
「まぁ、私のせいで評価を失くした錬金術師や立場を悪くした者は大勢いますからね。彼らからの報復も考えられないわけではない。醜い嫉妬や逆恨みですよ」
嫉妬に逆恨みか。
そう考えると、個人ではなく〈ジンカイト〉自体への復讐という線もあるな。
世界最強ギルドとして周知されている〈ジンカイト〉は、闇の時代から多くの人と関わりを持ってきた。
国内外の平民に貴族に聖職者。
ヒト以外にもセリアンやドワーフ、エルフといった他種族。
知らず知らずのうちに他ギルドの仕事を奪ったり、後援組織の忖度によって被害を被った人物もいるかもしれない。
「……容疑者はとても絞り込めないな」
手掛かりが少なすぎる。
現時点の情報で考えても時間の無駄だな。
「断っておきますけど! 教会関係者が〈ジンカイト〉と敵対する理由なんてありませんのよ!!」
「なんで?」
「だって教皇庁の人間は、勇者様に次いで〈ジンカイト〉の皆を英雄として敬っているのですのよ!? それにジエル教では裏切りや人を陥れる行為は教義に反します!!」
顔を真っ赤にしたフローラの熱弁。
どちらも教会関係者が関わっていないという理由にはならないが、彼女の熱い気持ちだけは伝わった。
「しかしフローラ、人の本心は目に見えないところにあるものですよ」
「……っ!」
否定的な発言を受けて、カッとしたフローラがクロードを睨みつける。
一方で、クロードは傾いたテーブルを見下ろしていて彼女と視線を合わそうともしない。
ラウンジの空気が張り詰めてきた。
「今日はもうお開きだ! 明日に備えて休もう」
険悪な空気の中、俺は手を叩いて会議を無理やり打ち切った。
そうでもしないと、せっかく改善したクロードとフローラの関係がまた悪化しそうだったからだ。
「各々、朝まで用心してください」
クロードは椅子から立ち上がるや、俺達に言った。
「何にだ?」
「現時点で何者かが〈ジンカイト〉を狙っていることだけは確かです。もっとも警戒するべきは就寝後ではないですか」
「それはそうだ」
勝手知ったる王都ならばいざ知らず、旅先の地で寝込みを襲われたらひとたまりもない。
とは言え、朝まで寝ずに起きているのも嫌だな。
「全員で大部屋に泊まるか」
「嫌ですわ!!」
俺の提案を真っ先に否定したのはフローラだった。
まぁ、敬虔な聖職者である彼女ならそう言うと思った。
「男女が同じ部屋で眠るなどありえません!!」
「四人で一部屋なら交代で見張りができる」
「そう言って、私やネフラにエッチなことを企んでいるのではなくて!?」
子供みたいなことを言いながら、激昂したフローラが俺に詰め寄ってくる。
こんな状況なのに、そんなつまらない動機で提案するかよ!
「フローラ落ち着いて。ジルコくんはそんな人じゃない」
「わかるものですか! 男というのは人間の皮をかぶった狼なのですよ!!」
仲裁に入ったネフラにまで噛みつくか。
人間の皮をかぶった狼がいるなら、お前のことじゃないのか。
……とは言えない。
「ならば二人一部屋! 男女で分かれればよいでしょう!?」
「仮に襲撃された場合、四人揃っていた方が安全だろう」
「いいえ! 男女揃って就寝する方が不健全ですわ!!」
俺は安全かそうでないかの話をしてるんだっつーの。
フローラの独善的な一面は、こういう時に足を引っ張るから困る。
「健全かどうかよりも、寝込みを襲われた時に対処できるかどうかの方が重要じゃないか!」
「そんな理屈は二の次ですわ! この場合には女性の貞操が第一ですの!!」
……こりゃこのまま議論しても平行線になりそうだ。
以前〈ジンカイト〉の冒険者総出で遠征した際も、宿泊施設の部屋分けでフローラが騒いでいたことを思い出した。
確かその時は、女性陣も数が多かったから男女分かれて寝泊りしたな。
しかし、今回は敵の正体が知れない以上、少数で分かれるのは危険だ。
なんとかフローラを説得できないものか……。
俺はチラリとクロードを見やる。
目が合ったクロードは溜め息をついて、面倒くさそうに口を開く。
「フローラ。私はジエル教に宗旨替えすることを約束しました。そして、ジルコは曲がりなりにもジエル教徒です」
「それが何か!?」
「性別は違えど、同じジエル教徒の心を持つ者を信じることができませんか? もしそうなのであれば、私は悲しい」
「うっ」
クロードが悲痛な面持ち――絶対に演技だ――で訴える。
すると……。
「わ、わかりましたわ。今回は緊急事態ということで例外を認めます……」
「きみならわかってくれると思っていましたよ、フローラ」
渋々ながら、フローラは四人一部屋に泊まることを承服した。
あれだけ駄々をこねていたくせに、同じジエル教徒だからって理由で納得するのか。
「ただし! ジルコ、あなたは窓際の床の上で寝なさい!!」
「なんでだよ!?」
「あなたはジエル教徒でありながら、信仰心が足りないからですわ!」
「礼拝にだって行ったじゃないか」
「ただその場にいるだけでは意味がないのですよ!?」
フローラのこめかみにピキピキと青筋が立っていくのが見える。
この間参加した礼拝で、俺が讃美歌も祈りも手を抜いていたことが彼女にはバレていたらしい。
これは一刻も早くこの話題を終えた方がよさそうだ。
「最初の見張りは俺がするよ。さっそく部屋の変更を宿の亭主と相談してくる」
俺は逃げるようにラウンジの扉を開いた。
その時、クロードの声が掛かる。
「亭主には我々の泊まる部屋には近づかないように言っておきなさい」
「え?」
「念のため、窓やドアには設置魔法を仕掛けます。不用意に触れれば手足が爆散する程度のトラップですが、何もしないよりはマシでしょう」
「……それはやりすぎかな」