3-008. 物静かな殺意①
天地が逆転した客車の中。
俺は自分の顔から大量の血が垂れていることに気がついた。
天井に思いきり鼻を打ちつけたようだ。
「やられたな……」
鼻血を拭いながら、ひっくり返った客車の中を立ち上がる。
一方、クロードは俺のすぐ後ろで横たわっていた。
目をつむり、まるで初めからそこへ寝ていたかのようにピンと足を伸ばした姿勢で仰向けになっている。
「クロード、無事か!?」
俺が呼びかけると、クロードはゆっくりと目を開けた。
「……不愉快なことが起こったものです」
怒っている。
この男は、本気で怒ると目を細くして無表情になるのだ。
クロードは足を伸ばした姿勢のまま、すうっと弧を描くように立ち上がった。
今の動き、風の精霊の力か?
この状況でまったく怪我が見られないのも、精霊魔法の恩恵なのだろうか。
「次の攻撃が来る前にここを出るぞ!」
俺は客車の扉を蹴破り、ミスリル銃を抜いて外へ飛び出した。
外に出た途端、焦げ臭いにおいが鼻をつく。
臭いの元をたどると、逆さまに横転した車体に炎が燃え広がっていた。
「魔法攻撃か! どこのどいつだ!?」
被害状況を見て、何者かの魔法攻撃に遭ったことを確信した。
亀裂が入って傾いている御者台には、御者の姿はない。
代わりに、御者台の下敷きとなって体を半分潰されているアオの姿があった。
「可哀そうに」
ピクリとも動かないアオを前に、俺は奥歯を噛んだ。
状況を把握するため、俺は周囲を見回す。
俺達がいるのは、街道からやや離れた草むらの上だった。
今いる場所からでは敵の姿は見えない。
次に車体と御者台の隙間から、そっと客車の向こう側の様子をうかがった。
まだ新しい轍の残る街道が見える。
その轍が途切れた場所に、大きな黒い焦げ跡があった。
俺達が攻撃を受けた地点はそこだろう。
今いる場所から20mほどの距離……ずいぶん吹き飛ばされたものだ。
これだけの距離を横転して客車がバラバラにならないとは、さすが金持ちの使う馬車には良い素材が使われている。
「さて、問題なのは――」
俺の目には、街道からこちらへと近づいてくる賊の姿が見えていた。
全員得物を携えており、奴らが攻撃を仕掛けてきたことは間違いない。
見たところ、戦士系クラスが6名、魔導士が4名、計10名。
そいつらの中に見覚えのある顔は一人もいない。
そのことから〈サタディナイト〉の報復ではないようだ。
「――魔導士の数が多くて厄介だな。しかも盾衛士がしっかりガードしてやがる」
途中、賊はふたつのグループに分かれた。
どちらのグループも魔導士2名につき盾衛士1名が守りながら、剣士2名がその脇を固めている。
一方のグループは俺達との距離を詰めてきているが、もう一方はどこへ?
俺が視線を横にずらすと、その行き先がわかった。
「あれは……」
御者台に隠れて気づかなかったが、俺達の馬車よりさらに街道に近い地点にネフラ達の乗った馬車が横倒しになっていた。
馬車馬のシロは体の半分以上が黒焦げの状態で草むらに倒れている。
「くそっ。無事なんだろうなネフラ!?」
馬車の状況を見る限り車体は原形を留めているが、ネフラ達が外に出ているのか、まだ中に残っているのかは判断つかない。
ここからあちらの馬車までの距離はおよそ30m。
すぐにでも向こうの馬車へ駆けつけたいが、うかつに身を晒せば魔法で狙い撃ちされる恐れがある。
魔導士の怖いところは、およそ数秒に一度、防御不可の命中精度の高い瀕死の一撃を放ってくるところだ。
銃士が戦場の花形になれない理由は、そこにある。
「やれやれ。ずいぶんな歓迎ですね」
いつの間にかクロードが客車から出てマントの埃を払っていた。
「御者は我々の反対側に倒れているようです」
「わかるのか!?」
道理で視界に入らないわけだ。
となると、車体を回り込んで助けに行く必要があるが……。
「御者はまだ生きているか?」
「息はあります」
クロードが何を根拠に言っているのかはわからないが、生きていると言うのであれば何とか助け出さなければ。
かと言って、魔導士に視認される愚は避けたい。
どうするか……?
「私が連れてきましょう」
「え?」
突然クロードが右腕を空に掲げ、指先を弾いた。
その瞬間、ビュウッと俺達の周囲に風が巻く。
風が客車の上を吹いていったのを感じて、俺は顔を上げた。
すると、車体の裏からふわりと浮き上がった御者の体が現れ、風に巻かれながら俺の前へと下ろされる。
「風の精霊魔法か……。便利だな」
「障害物のない草原は風が通りやすく、この子達も元気なのです」
クロードがまた見えない何かを撫でるしぐさを見せている。
精霊とは精霊奏者にしか見えないと言うが、何も知らない奴からしたら変人扱いされそうだな。
「クロード、治せるか?」
「もちろん」
気絶している御者にクロードが手をかざす。
「癒しの奇跡」
そうつぶやくのと同時に、クロードの襟飾りにある竜の彫像が光り輝く。
顔の擦り傷や、胴体から腕にかけての火傷。
それらの傷が御者の体から見る見るうちに消えていく。
何度見てもクロードの癒しの奇跡は凄い。
並みの癒し手よりも遥かに精度の高い奇跡だ。
「これでもう大丈夫です」
傷を治された御者は、苦しそうだった顔が和らいでいる。
「よし。それじゃ次の問題を考えよう」
俺がクロードの顔を見ると、彼は目をつぶって耳を澄ませていた。
口を閉じて、俺はクロードの次の言葉を待つ。
「……フローラとネフラも生きていますね。客車の外に出ています。あちらも御者が瀕死の重症だったようですが、フローラが治療しています」
これもおそらくは風の精霊の力だ。
遠くの物音を術者の耳元まで伝える盗聴魔法の類だろう。
「無事なのはわかった。問題は俺達を襲撃してきたや奴らをどう迎撃するかだ」
「いいえ。彼らが何の目的で我々を襲撃したかです」
「は? それを聞き出す前にまずは制圧しないとだろう」
「それは造作もないことですよ」
そう言って、クロードは何の準備もないまま車体の外へ出て行ってしまった。
「おい! 狙い撃ちされるぞ!?」
俺が言った直後、クロードめがけて赤い炎の槍が飛び交った。
殺傷力の高い火属性体系の魔法――熱殺火槍だ。
「危ないっ」
いくつもの炎の矢がクロードへと直撃した!
……と思った。
敵の魔導士が放った熱殺火槍は、クロードの体に命中する直前に空気の膜のようなものに弾かれ、彼の体に届く前に火の粉を散らして消え去ってしまった。
すでに風の精霊に防御魔法を張らせていたのか。
「きみ、私の心配よりも先に、その見苦しい顔を拭いたらどうです」
クロードは俺を横目に呆れた顔を見せている。
俺は言われてようやく、自分が鼻血を垂れ流していることを思い出した。
さっき御者と一緒に治してくれたっていいだろうに……。
「まだ生きてやがるぜ!」
「火加減が悪かったんじゃねぇか!?」
「ならばこれで!」
客車の裏側から男達の声が聞こえてくる。
車体と御者台の隙間から様子をうかがうと、大きな盾を身構える盾衛士の後ろで、二人の魔導士が鏡写しに腕を動かして魔法陣を描き始めたところだった。
二人以上の魔導士がひとつの魔法陣を同時に描く同調魔法だ。
この方法ならば、複雑な魔法陣をより早く描き切ることができる。
魔法の威力は、魔法陣の大きさと円陣構築模様の密度で決まる。
奴らが描いている魔法陣は半径30cmほどの大きさで、構築模様も複雑だ。
いかにクロード級の魔法防御でも貫かれる可能性がある。
「クロード、避けろ!」
「どこにその必要が?」
クロードが自分の宝飾杖を手にして、空中へと魔法陣を描き始めた。
今から描き始めて、奴らより早く魔法陣が完成するわけがない。
俺がクロードを車体の陰に引っ張り込もうと足を踏み出した瞬間――
「遅い」
クロードがそれを口にした時には、すでに彼の魔法陣は完成していた。
しかもクロードが描いたのは、相手と同じ半径30cm程度の土色の魔法陣だ。
……速い!
たったの一、二秒でこのサイズの魔法陣を完成させるとは。
闇の時代末期には別々のパーティーになることが多かったので、クロードがここまで魔法陣の顕現速度を上げているとは思わなかった。
対して、相手の魔法陣は完成度80%といったところか。
一瞬、魔法陣がまばゆく輝いた。
わずかに間を空けて、魔法陣の向いている方向へと地面が盛り上がり始める。
それは、まるでモグラが地面を掘り進んでいくようにして魔導士達へと向かって行った。
「馬鹿な!?」
「早過ぎる!」
地面に立つ限り、クロードほどの魔導士が操る土属性体系の魔法から逃れる術はない。
「激震槌!!」
ドンッ、という鈍い音が響いた。
地面から突き出たぶ厚い石柱が、もっとも近くにいた盾衛士の体を盾ごと空高くへと打ち上げたのだ。
そこを起点として、地面から何本もの石柱が突き出ていき、剣士二人と、魔法陣を解いて逃げ出そうとした魔導士二人を次々と跳ね飛ばしていった。
凄まじい威力……!
盾衛士も剣士も、打ち上げられた際に石柱を食らった盾や鎧が粉々に砕けた。
魔導士にいたっては、石柱を受けて上半身と下半身が千切れて離れた。
しばらくして、空中に舞った三人が順に地面へと墜落する。
その後、彼らが動くことはなかった。
「……魔法なんて、人間相手に使っていい力じゃねぇな」
「人間? もうただの肉塊ですよ」
クロードは吐き捨てるように言った。