3-005. 旅に出る前に①
あの後、フローラからの連絡があった。
信じがたいことに、クロードのためだけに教皇が時間を割いてくれることになったのだと言う。
俺は普段あまり意識しないが、やはり〈ジンカイト〉の看板は大きい。
最後の最後まで魔王群と戦い抜いた唯一の冒険者ギルドだから、周りの人間が俺達を見る目も違うわけだ。
こういう時、俺は得意げな気持ちになれる。
そして日付が変わった今。
俺とネフラはクロードの付き添いとして王都外郭の北門へと集合し、教皇庁からの迎えを待っているところだ。
しかし、約束の時間を過ぎても迎えは一向にやってくる気配がない。
「フローラ。約束の9時はもう過ぎてるのに、どうして迎えが来ないんだ」
「そんなこと言われても、知りませんわよ!」
フローラはムスッとした顔で俺を睨みつける。
……まったく。
時間通りにいかなかった場合の次善策も考えておいてくれよ。
〈ジンカイト〉付きの特務冒険者なのだから、教皇庁との窓口はしっかりと務めてほしいものだ。
特務冒険者。
それは、ある一定の評価を得た冒険者ギルドに教皇庁から派遣されてくる癒し手のことを指す。
ギルドとしては貴重な癒し手が加わるし、教皇庁としてもギルドに恩を売り、なおかつ布教活動にも使えるため、お互いメリット十分の施策となっている。
派遣されるのは、優秀だが年若く下級の聖職者が多い。
フローラも特務冒険者として〈ジンカイト〉に派遣されている。
「何か事情があって遅れているなら、教会に連絡が来てるんじゃないか?」
「わかりましたわ! 見てくればいいのでしょ、見てくればっ」
フローラがプリプリ怒りながら踵を返した。
曲がりなりにも俺はギルドのサブマスターなのに、俺に意見されるのがそんなに嫌なのか……。
「待ちなさい、フローラ――」
背中を向けたフローラをクロードが呼び止めた。
「――教会に戻る前に、駅逓館から教皇領へ伝書鳩を飛ばしておきなさい」
「なぜですの?」
「不測の事態ならば、向こうから伝書鳩は飛んでいないでしょう。ならば事前に教皇領に現状を伝えておくのがよろしい」
「教会にも伝書鳩は飼われていますわ」
「駅逓館のものほど速く飛ぶように鍛えられていますか?」
「……わ、わかりましたわ」
不満そうだが、俺の時よりも素直に従ったな。
フローラにとって、クロードの宗旨替えは本当に嬉しいのだろうな。
もしかして俺に当たりがキツイのは、信仰心の問題なのか?
「でも私、この辺りの駅逓館の場所なんて知りませんわよ」
世話が焼ける奴だな。
俺はネフラに案内を頼むことにした。
今も立ちながら本を呼んでいるし、案内くらい引き受けてくれるだろう。
「ネフラ。最寄りの駅逓館までフローラを連れてってやってくれ」
「うん」
「ついでに教会にも一緒に行ってやってくれ」
「わかった」
本当にネフラは素直でいい子だな。
少しはネフラを見習って、フローラもいいかげん淑女として慎みある行動を心がけてもらいたい。
「ちょっと! ネフラに私のお守りでもさせるつもりですの!?」
「いや、念のためだよ。他意はない」
ネフラに伴われて、フローラは大通りの人混みへと紛れていった。
「俺は馬車が二両あることを願うよ」
王都から教皇領まではおよそ二日の距離。
フローラとずっと同じ馬車に乗るのは気が重い。
同意を求めてクロードに向き直ると、彼は苦笑しながら肩をすくめていた。
◇
「兄ちゃん、ジルコってんでしょ?」
手持無沙汰で呼び売り商から買った新聞を読んでいた時、突然、子供に話しかけられた。
年齢は10歳前後といったところか。
身なりから平民の子みたいだが、一体何の用だ?
「あっちで兄ちゃんのファンていう女の人が待ってるよ。行ってあげてよ」
「ファン? 俺の?」
「ちゃんと伝えたからね。それじゃ!」
そう言うと、その子は足取り軽く通りの人混みへと消えていった。
「なんだったんだ、今の」
俺は子供が指さした方向へと目を向けた。
視線の先には、廃屋に挟まれた路地裏への薄暗い入り口が見える。
……めちゃくちゃ怪しいな。
「行かないのですか?」
俺が訝しんでいると、クロードが話しかけてきた。
「いやいや! 明らかに怪しいだろう」
「どうせしばらく出発できないのですから、相手をしてくればいい――」
クロードは俺に近づいてくるなり、手元から新聞をひったくった。
「――これは私が預かっていますから、ご随意に」
そう言って新聞へと目を通し始める。
こいつ、新聞を読みたいがためにこの状況をダシに使いやがったな!
「早く行きなさい。女性を待たせる男はどうかと思いますよ」
「……」
本当は察しているくせに、人が悪い奴。
昨日の今日だから、俺だって気づいているよ。
この誘いは十中八九〈サタディナイト〉の連中の仕業に違いない。
親方の忠告通り、ビズの報復にでも動き出したのだろう。
なんでクロードではなく、何もしていない俺が狙われるのか……。
俺は溜め息をつきながら路地に向かって歩き出した。
途中、右足のホルスターに利き手を掛ける。
「教皇領にまでついてこられたら迷惑だしな。ここで始末つけてやる」
ミスリル銃のグリップを握りながら、俺は路地の入り口を覗き込んだ。
すぐ傍に北門の高い壁があるおかげで路地には陽光が入らず、そこから先は夜のように真っ暗だった。
「顔くらい見せろよ。わざわざ誘いに乗ってやったんだ」
路地へ入るのと同時に、ミスリル銃をホルスターから抜いて構えた。
左手で銃身を支え、指先を用心金にかけて準備を整える。
……見える。
暗闇の中に隠れているつもりだろうが、夜目が利く俺には無意味だ。
5mほど先から、一人こちらに近づいてくる。
銃士相手に、不用心にも真正面から堂々と現れるとは〈サタディナイト〉の冒険者も焼きが回ったものだ。
「きゃっ! 何!?」
「……!?」
近づいてきた人物が、黄色い声をあげた。
相手側からは、通りから差し込む光で俺の姿は見えている。
声の主は俺に銃を向けられていることに気づいて、悲鳴をあげたのだろう。
しかし、これは――
「そ、そんなもの下げてくださいっ」
――予想外。
俺を待ち構えていた人物は、年若い女性だった。
丈の長いスカートのあるチュニックを着ており、取り立てて特徴のない顔だが、反面、青みを帯びた鮮やかな紫色の髪が印象に残る女性。
「きみは……?」
知らない顔だ。
身なりも雰囲気も〈サタディナイト〉の冒険者とは思えない。
「私、サリサと申します。あなたの……ファンです」
「えっ」
今、この女性ファンと言ったか?
そんなこと、面と向かって言われたの初めてだ……。
「去年の凱旋パレードの時にお見かけしてから、お慕い申しておりました」
「ええっ!?」
お慕い申しておりました、なんて言葉も初めて言われた。
「ジルコ様とはずっとお話したかったのですけれど、いつも傍に綺麗な方を連れていらしたので近寄りがたくて……」
「……!?」
おいおいおい。
話が違うぞ。罠じゃないのか?
なんだこれは!? なんなんだ!?
「でも、今日。偶然に北門でお見かけして、勇気を振り絞って……お声がけしました。ご迷惑でした……よね?」
サリサと名乗った女性は頬を染め、恥ずかしそうに顔をうつむかせた。
声の緊張、身振り手振り、どれも嘘があるとは思えない。
彼女はおそらく普通に王都で暮らす平民の娘だ。
裏があると思ったのに、見事に勘が外れたな。
昨日、クリスタに戦いの勘が鈍るとかなんとか言われたが、確かにこんな様では勘が鈍っていることも否定できない。
さて、落ち着いて考えてみよう。
この娘を相手に俺がするべきことは――
「ぜんっぜん迷惑じゃないよ。ありがとう」
――何を言っているんだ、俺は。