3-001. 一週間後
執務室にある窓の外から時計塔の鐘の音が聞こえる。
机の置き時計を見ると、長針と短針が合わせて正午を指していた。
「もう昼か」
ジャスファの名がギルド名簿から消えて一週間。
俺は、執務机の上に並べた裁判の訴状とにらめっこしていた。
これもサブマスターとして――否。次期ギルドマスターとしての大事な仕事だ。
本当は冒険者の解雇通告だけに集中したいが、裁判に負ければ俺自身が拘束されたり、多額の賠償金の支払いを命じられる。
こちらの方も手を抜くわけにはいかないのだ。
現在、訴状は三枚。
それぞれ〈ジンカイト〉の元従業員から訴えられたものだ。
元専属給仕。元専属大工。そして、元専属公証人。
……公証人に訴えられたのが特にヤバい。
「ネフラ遅いな」
助言をもらおうとネフラを呼び出しているのだが、来る気配がない。
約束の正午は回っているのに……。
その時、廊下を誰かが走ってくる足音が聞こえたので、ドアに目を移した。
この歩幅と軽い足運び――アンだな。
「ジルコさん、大変っ!」
ドアをバン、と開けて入ってきたのは、予想通りアンだった。
何やらただ事ではない様子。
「どうしたんだよ。そんなに慌てて」
「いいからすぐ一階に下りて! 酒場でネフラが絡まれてるの!!」
執務室に来ない理由はそれか。
今度は一体誰に絡まれているんだネフラ……。
俺は椅子から腰を上げると、空のコーフィーカップを持って執務室を出た。
◇
「いつになったら良い返事をもらえるのかしら?」
「そ、そんなこと言われても……」
酒場に入るや、クリスタがネフラを壁際に追い詰めていた。
彼女はネフラの顎を指先で持ち上げ、息がかかりそうな距離からその顔を覗き込んでいる。
一方のネフラは、今にも泣きそうな表情だ。
……よりによってこの女とは。
前回はフローラで、今回はクリスタか。
ネフラは厄介な相手に絡まれてばかりだな。
「その辺にしておいてやれよ。クリスタリオス」
俺の声で、クリスタがこちらへ顔を向けた。
一瞬ギロリと睨まれたが、すぐに澄ました表情に戻る。
「これはこれは。次期ギルドマスター様」
クリスタはネフラから手を離すと、胸を揺らして俺の方へと歩いてくる。
昔からの力関係のせいか、不敵な表情を浮かべるクリスタに近づかれると冷や汗が出てしまう。
ここで浮足立っては、クリスタの思うがままだ。
次期ギルドマスターとして凛とした姿勢で臨まなければ……!
「最近、退屈しているようね」
突然、何を言い出すんだこの女は。
俺の気苦労も知らずによくもそんなことを!
「何のことだよ」
「だってそうでしょう。裁判所を往復したり、不良娘とじゃれ合ったり。それでは戦いの勘も鈍ってしまうのではなくて?」
んん? おかしいな。
裁判の件は冒険者には伏せているのに、どうして知っているんだ?
それにジャスファの件も把握している様子だ。
「裁判やジャスファのこと、誰から聞いた?」
「答えたくないわ」
……そこは答えてくれよ。
「思えば、このギルドも寂しくなったものね」
「え?」
「まぁ、この復興の時代なら仕事はいくらでも見つかるでしょう。恨みさえ買わなければ何事もなく、ね」
また引っかかる言い方をするなぁ。
もしかしてこの女、俺が何をしているかわかっているのか?
解雇対象の冒険者には極力俺の行動を悟られないように努めてきたが、完璧に隠し通すことは難しい。
クリスタのように勘のいい奴なら尚更だ。
「まぁ、私なら裁判なんて回りくどい真似はしないけれど」
「……っ!」
こいつ、まさか俺に釘を刺してきたのか!?
「汗」
「えっ」
クリスタに頬を伝う汗を指摘され、俺は慌てて顔を拭った。
「まったく情けないことね。仮にも私の上に立つ人間ならば、もっとシャキッとなさいな」
溜め息をつくや、彼女から向けられる冷めた眼差し。
心臓が凍りつきそうだ。
……クリスタは間違いなく解雇通告のことを知っている。
しかし、誰から聞いたんだ?
解雇通告を知っているのは、協力者以外にはジャスファのみ。
そのジャスファも今は所在が知れない。
今後のことを考えると、情報源を知っておきたいが――
「ネフラに何の用だったんだよ」
――真っ向からその疑問を問いただす勇気はない。
いたたまれなくなった俺は、無理やり話題を変えざるをえなかった。
「別に」
「さっき詰め寄っていたじゃないか」
「用があったのはブラドよ。……彼、どこにいるの?」
おや。目的は親方だったのか。
「工房にいないのか?」
「覗いたけれどいなかったわ」
たしかに工房は扉が開いていて、中から金づちの音も聞こえない。
親方は外出しているようだ。
「お父さんなら、商人ギルドへ素材の買い付けに行ってるわ」
アンの声が聞こえてきた。
見れば、アンが廊下から顔だけ出して俺達の様子をうかがっている。
……無理もない。
アンもクリスタのことは怖がっているからな。
「そう。留守なら仕方ないわね」
クリスタは親方の不在を知るや、踵を返してギルドから出ていこうとする。
「戻るまで待たなくていいのか?」
「お構いなく。急ぎの用でもなし」
「何の用だったんだよ」
「新しい魔法の命名を相談しにきただけよ」
新しい魔法の命名だって?
なんでそんなことをわざわざ親方に……?
「あ」
俺はホルスターに収まっているミスリル銃をちらりと見やり、その理由を察した。
親方も変に名称にこだわる人なのだ。
「時にジルコ――」
入り口の敷居をまたぐ際、クリスタが俺に向き直った。
「――クロードが王都に戻ったことは知っているかしら?」
「クロードが!?」
「彼、ジャスファのように甘くはないわよ」
そう言い残し、クリスタは扉を開いてギルドから出ていった。
今の言葉は忠告のつもりだろうか。
クリスタがいなくなった途端、ネフラが俺のもとへと駆け寄ってくる。
「ジルコくん。クロードが帰ってきたのなら……」
「ああ。もしもの時は力を貸してくれ、ネフラ」
……もしもの時。
そんな時がきたら、ジャスファのように力ずくでなんとかなる相手だろうか。
◇
その日の最初の事件は、俺が昼食の食器を厨房に下げた直後に起こった。
「サブマスターはいるかぁっ!!」
酒場に響くでかい声。
何事かと思って俺は厨房から飛び出した。
入り口には、厚手のファーコートを羽織る小太りの男が立っていた。
コートの下には鎖帷子を着込み、ぶかぶかのズボンを履いて腹をさすっている。
「よう。ひさしぶりだなぁジルコ!」
「……なんだ。ビズか」
ビズ・シード。
俺を大声で呼びつけた男の名前だ。
殴り込みかと思って身構えちまったじゃないか。
俺はホルスターに触れていた手を離し、ビズに憤慨の眼差しを向けた。
「そう睨むな。ついに俺とお前の因縁に決着をつける時がきたんだからよ」
「因縁? 決着? 何を言っているんだお前」
この男は、冒険者ギルド〈サタディナイト〉の冒険者だ。
クラスは剣士だが、銃剣という特殊な得物を扱う。
この〈サタディナイト〉というギルド。
昔から〈ジンカイト〉とは依頼がかちあうことが多く、その都度競争をしてきたギルドだ。
競争の時、俺はいつもこいつの相手をさせられていた。
おかげで今では見慣れた顔になってしまっている。
「裁判所から連絡来てないのか? お前、金庫番に訴えられてただろ。その再審を来月、決闘裁判で行うことになったんだよ」
「なんだって!?」
「で、訴人の代理として俺が決闘裁判の場に立つってわけだ」
先週、すでに決着したものと思っていた裁判が、まさか決闘裁判にまで発展するとは……。
裁判所の連中も、そんなカビの生えたような古式を持ち出すなよ!
「これも巡り合わせってやつだな。資金繰りのためにあちこちに名前を貸していた甲斐があったってもんだ」
どうやら、こいつのギルドも色々と大変なようだ。
「マジで俺と戦り合う気かよ?」
「因縁の決着だと言ったろ。それに被告のお前には拒否できないぜ」
「くっ……!」
ようやく裁判が三つまで減ったと思ったのに、面倒なことになった。
神明裁判で下った判決を不服とするとは……。
金庫番、熱心なジエル教徒じゃなかったのか!
教会の連中も説得くらいしてくれよ。
「これでも多忙なんだ。そんな面倒な裁判に出ていられるか!」
「はは。決闘場も立派な法廷になるんだぜ――」
ビズがムカつく薄ら笑いを浮かべながら続ける。
「――出廷しなきゃお前の負けだ」
「なら、あなたの負けです」
突然ビズの背後から声が聞こえた。
と思った瞬間――
「どわぁっ!?」
――ビズの背中に爆発が起こり、俺めがけて吹っ飛んできた。
すんでのところでビズを躱し、ビズはそのまま受付カウンターに突っ込んで頭から床にずり落ちた。
ぴくぴくと痙攣しているところを見ると、かろうじて生きているようだ。
「決闘裁判の代理の代理は認められません。ひとつ厄介事が減りましたね」
「……! お前は――」
声の主に向き直ると、それは俺がよく知る男だった。
「――クロード!」
クロード・インカーローズ。
〈理智の賢者〉と呼ばれる天才錬金術師。
そして、解雇通告者第二位の男。
「きみの間抜け面は半年経っても代わり映えしませんね」