6-059. 永遠の別れ~重なる指先~
宝飾銃を向けた瞬間、アンは足元を殴りつけた。
衝撃でめくり上がった床土がその全身を覆い隠し、とっさに引き金を引きそびれてしまう。
アンはその隙に煙の中へ飛び込み、俺の視界から消えた。
公園の芝生はすでに半分以上が黒い炎に焼かれている。
そのせいで周囲には煙が立ち込めていて、視界は著しく悪化していた。
「どこだ!?」
煙の中から足音は聞こえてくるものの、凄まじい速度で走り回っているようで居場所が特定できない。
仕掛けるタイミングを計っているのか?
この状況で警戒すべきは触手を囮に使われることだ。
魔物の触手は伸縮自在だから、本体と離れたところから攻撃されることもある。
最悪なのは、罠に反撃してしまって不意打ちを食らうことだ。
普通の魔物ならそんな狡猾な手段は使わないが、相手は知恵を持つ魔人。
俺の想像を超えた動きをする可能性は十分にある。
「ジルコさん、風魔法で煙を払いますわ!」
「ダメだ! 火の粉が公園の外にまで散ったら被害が拡大しちまう!!」
「では、わたくしはどうすれば……!?」
「フロスは防御に徹してくれ!」
「承知しました!!」
魔物相手に魔導士のフロスは心強い。
防御は彼女に任せて問題ないだろう。
しかし、ネフラは……。
「ネフラ、しっかりしろ!」
「……いや」
「ネフラ!!」
「アン、どうして……っ」
ネフラは恐慌状態に陥ってしまっている。
親友があんな姿になるのを目の当たりにして取り乱すのもわかるが、このままだと危険だ。
「フロス。次に敵の動きが止まったら、ネフラを連れてここから逃げてくれ」
「えっ!? ですが、それではジルコさんがあの魔物と一人で戦うことに……」
「構わない。この戦いは俺のけじめだ。ネフラを巻き込みたくはない」
「……承知しました」
アンはもう人間には戻れない。
殺してやることだけが彼女の救いだ。
でも、俺がアンを殺す瞬間を、ネフラにだけは絶対に見せたくない。
フロスにネフラを逃がしてもらい、俺が一人でアンを倒す。
それがこの場におけるベストな選択だ。
アンの足音が聞こえなくなった途端、煙の中から触手が飛び出してきた。
特定の方向から一本や二本なんてレベルじゃない。
四方から何十本も一斉に、だ。
「伏せろぉぉぉぉ!!」
俺が叫ぶのと同時に、フロスがネフラを地面に押し倒した。
その一方で、俺は両手に構えた宝飾銃の引き金を引きながら駒のように廻った。
二条の光線が触手の群れごと周囲に立ち込める煙を斬り払っていく。
「やりましたわ!」
「いや、まだだ――」
まだ終わっていない。
一周見回しても、斬り払った煙の隙間にアンの姿は見えなかった。
「――本体はどこだ!?」
直後、俺はすぐ手前に影ができていることに気付いた。
影はどんどん大きくなっていき――
「上か!!」
――頭上高くにアンの姿を見つけた。
彼女は、空中から俺達に向かって真っ逆さまに落ちてくる。
あの一瞬であそこまで高く跳躍していたのか!
「アンーーーッ!!」
俺は落下してくるアンに向かって、二丁の宝飾銃の背を重ねた。
痛みも苦しみも感じさせない――最大出力で撃ち殺す!
「重双撃・大光芒!!」
重ねた銃口から射出された巨大な光条。
それは一瞬にしてアンの巨体を貫き、射出時の衝撃波は周囲の煙をすべて吹き飛ばした。
「今度こそやりましたね!」
フロスの歓声が聞こえる中、俺は自分の目を疑った。
……アンはまだ生きている。
それどころか、体に穴の開いた胴体から頭部が分離し、小柄の魔人が現れたのだ。
その姿は、最初に黒い炎をまとったアンと同じ。
致命傷を負った胴体を捨てて、別の部位から全身を再生できるのか!
「ちぃっ!!」
アンは古い胴体を盾にしたまま落下してきた。
今撃っても、あの小柄な魔人には躱されてしまうだろう。
俺は追撃を諦め、ネフラとフロスを抱きかかえて落下地点から飛び退いた。
一瞬の後、胴体が地面へ激突。
その衝撃は地面を砕き、凄まじい粉塵を巻き起こした。
「ジルコさん、一体あれは何なのです!? 魔人ではないのですか!?」
「……わからない」
動揺するフロスを落ち着かせる答えを俺は持ち合わせていない。
ただひとつわかるのは、イスタリがアンに特別な魔人化を施したという事実だけ。
そしてそれは、俺の中でイスタリに対するどす黒い殺意を湧き立たせた。
「フロス! ネフラを連れて逃げろ!!」
「は、はいっ」
煙は晴れて視界は良好、アンの動きも止まった。
二人がこの場から逃げるには今が好機だ。
俺がアンを警戒する中、フロスがネフラを連れて公園の外へ向かう。
アンが動きだしたのはその直後だった。
一足飛びで俺の真横まで達するや、なぜか俺を無視してフロス達を追いかけていってしまう。
それは想定外の動きだった。
「なんでそっちに!?」
背後から斬り撃ちを放つも、アンは軽業師のようにバック転して躱してしまう。
しかも俺のことなど意に介さず、引き続きフロス達を追いかけていく。
こいつおかしいぞ……!
魔物は間近の生き物を優先的に狙うという本能があるはず。
なのに、その本能に逆らってまで離れたフロス達を優先するのはなぜだ!?
「フロス! 魔人が向かったぞ!!」
「えぇっ!?」
今のフロスはネフラをかばっているから無防備だ。
俺がなんとか対処するしかない!
「アン! 俺はこっちだ!!」
俺はアンが地面を踏む瞬間に合わせて光線を放った。
光線の撃ち込まれた地面は爆ぜ、彼女は崩れた土に足を取られて転倒する。
「……今だ!」
体勢を崩したアンに向けて、もう片方の宝飾銃を撃ち込んだ。
しかし、それすらも身を捻って躱されてしまう。
「なんて動きだよ!?」
さらに連射するも、一撃たりとも当たらない。
アンは舞うような動きですべての光線を躱しきってしまった。
装填口の宝石が砕けたことで、二丁とも攻撃は打ち止め。
宝石の入れ替えを行う間も、アンは二人との距離を縮めていく。
「仕方ありませんっ」
突然、フロスがネフラを突き飛ばしてアンと向かい合った。
「何やってんだフロス!」
「わたくし、覚悟を決めました。この身を友人方のために捧げます!」
「馬鹿、逃げろっ!!」
正気か!?
素手で魔人に触れたら全身を黒い炎に焼かれるぞ!
「ジルコさん、わたくしが魔人を押さえ込みます! その隙にわたくしごと撃ってください!!」
そう言うと、フロスは本当にアンに抱き着いてしまった。
瞬く間に黒い炎がフロスの全身へと伝わっていく。
しかし、彼女はアンの体をガッシリと抱きしめたまま動きを封じている。
「フロス!!」
「だ、大丈夫です! わたくしは人形。黒い炎に覆われても、しばらくは耐えられます。それに、この体が燃え尽きても魂が元の体に戻るだけですから!」
「しかし……っ」
「さぁ今です! わたくしごと、この魔物をお撃ちになって!!」
「……すまない!!」
フロスに向けて引き金を引こうとした瞬間――
「なっ!?」
――アンから燃え上がる黒い炎が球状に広がっていき、フロスを引き剥がしてしまった。
あれは、先ほど魔導士隊の一斉魔法攻撃を防いだ能力だ。
「きゃあぁっ!!」
フロスは黒い炎に焼かれながら弾き飛ばされてしまう。
一方、ネフラは膝をついたまま放心している。
アンが次に狙いを定めたのはネフラだ。
否。まさか最初からネフラを狙っていたのか……?
「やめろぉぉぉぉ!!」
俺の言葉などアンは聞きもしない。
このままじゃネフラが殺される!
だが、今の位置関係で宝飾銃を撃つのはまずい。
光線の射線上にはネフラがいる――アンが躱す躱さないにかかわらず、彼女に当たってしまう。
どうすればいいんだ……!?
「はっ!!」
不意に、俺はレッドダイヤの存在を思い出した。
以前、このダイヤをアンに渡そうとした時、彼女は露骨な拒絶反応を示した。
魔物は宝石を嫌って近寄りたがらないという事実もある。
もしかしてこのダイヤなら……!
「えぇい、ままよ!」
俺はレッドダイヤをアンに向かって投擲した。
すると――
「!!」
――アンはダイヤから逃げるようにその場から飛び退いた。
やっぱり!
アンは特異な魔人であっても、魔物には違いない。
宝石が弱点というのは変わっていないんだ。
エーテル密度の濃いレッドダイヤとなれば尚更のこと。
「あ……あううぅぅ……っ」
アンが獣のように身を屈めてレッドダイヤを警戒している。
俺はその隙にネフラの元へと駆け寄り、彼女をかばってアンと向かい合った。
「ネフラ、しっかりしろ! この場から逃げるんだ!!」
「……いや。こんなの、いや……」
ネフラはまだ恐慌状態か。
ならば仕方がない。
危険はあるが、この場でアンを倒すしかない。
さっきまでの宝石では出力不足で即死させることは敵わなかった。
でも、今ならレッドダイヤがある。
これを弾に使えば、確実にアンを消滅させることができる!
地面に転がっているレッドダイヤを拾い上げた直後――
「ああぁ……ジル、コ……ジルコォさああぁぁぁんっ!!」
――アンが耳をつんざくような奇声をあげた。
空気を震撼させるほどの凄まじい声量に、俺は体が強張ってダイヤを取り落としてしまった。
奇声が止まった時、アンの体に再び変化が生じる。
片方の腕を異様に巨大化させ、その腕を地面に叩きつけたのだ。
それは地面を粉砕して土を弾き飛ばし、弾丸の雨のように俺を襲った。
「うあああぁぁっ!!」
広範囲に及ぶ土つぶてをまともに食らい、俺はその場に倒れた。
まるで鉛玉を全身に打ち込まれたような衝撃と激痛に襲われ、意識が朦朧としてくる。
「く、くそぉ……っ」
……ヤバい。
想像以上にダメージがデカい。
肋骨や腕の骨が折れたようで、身を起こすのも一苦労だ。
「ジルコ、さん、すき……あたし、あなた、けっこん……あかい、だいや……」
アンがくぐもった声で何かをつぶやきながら近づいてくる。
一見落ち着いているが、正気に戻ったわけじゃない。
背中には再び蝶のような翼が形成され、肥大化した片腕には処刑刀のような刃が現れた。
「くっ」
なんとか身を起こした俺は、目の前に転がっているレッドダイヤを拾い上げた。
それを宝飾銃の装填口へと押し込め、なんとか照準を定めようとするも――
「そんなもの、むけ、ないでっ」
――アンの翼に煽られて、俺とネフラは揃って吹き飛ばされてしまう。
「ぐはっ!」
俺達がぶつかったのは、通りに置き去りにされた箱馬車だった。
御者が助けてくれることを期待したが、残念ながらそこには誰もいない。
ネフラは俺のすぐ横に倒れたまま起き上がらない。
気絶しちまったのか……。
「ねふら、すき……じるこ、だいすき……すき、すき……」
アンは処刑刀を水平に構えて、俺達の方へと近づいてくる。
「宝飾銃は……どこだ!?」
手元から消えていた宝飾銃を探すも、それを見つけた時に俺は絶望した。
今まさにアンが通り過ぎた場所に宝飾銃は転がっている。
レッドダイヤをセットしたのはあの銃だ。
あれでしかアンを倒せる可能性はない……!
「ダメ、だ……動けない」
……終わりか。
大切な人を――ネフラを守ることもできずに、俺は死ぬのか。
イスタリへの報復も叶わぬまま、このまま殺されるのか。
……無念……だ……。
「ジルコさん!!」
俺を正気に戻したのはフロスの声だった。
「これを――」
彼女は黒い炎に焼かれながら地面を這いつくばっている。
その手には、レッドダイヤをセットしてある宝飾銃を持って。
「――受け取って!!」
フロスが宝飾銃を放り投げた直後、彼女の体はアンの処刑刀によって叩き潰された。
彼女の体はバラバラに砕け散り、黒い炎に焼かれて炭となっていく。
砕かれた直後、フロスの顔は俺にウインクしていた。
彼女は俺がこの危機を乗り越えると信じているんだ。
そのために貴重な体を犠牲にして、俺に希望を繋げてくれた――
「うおおおおおっ」
――受け取らなけりゃ男じゃねぇ!!
かろうじて動く右腕で、目の前に転がってきた宝飾銃を拾い上げた。
それを見たアンは処刑刀を振り上げて走ってくる。
「ジィィルゥゥコォォォーーーーッ!!」
宝飾銃を取った。
今までこれほどこの銃が重いと感じたことはない。
なんとか銃口をアンへと向けることができ、あとは引き金を引くだけ。
しかし――
「ちくしょう、ち、力が……っ」
――肝心要の人差し指が動かない。折れていやがる……。
「ジルコォォォーーーッ!!」
……ダメだ。
最後の最後で、どうしても引き金を引くことができない。
アンを救うために殺す覚悟はできているのに。
あと1cm指を動かす力が足りなかった。
でも……諦めてたまるかよ!!
「うおおおおおおおっ!!」
必死に指先に力を込める。
しかし、やはり動いてくれない。
その時――
「ごめんね、ジルコくん」
――俺の右手に誰かが手を添えた。
「もう、大丈夫だから」
それはネフラだった。
彼女は凛とした眼差しでアンを見据えている。
「……いいのか、ネフラ?」
「うん」
「二度と忘れることはできないぞ」
「決めたから。私も一緒に背負うこと――」
ネフラの人差し指が俺の指と重なる。
彼女の助けで、俺の指は引き金へと運ばれていった。
「――この罪を」
目前でアンが処刑刀を振りかぶった瞬間。
「「さよなら、アン」」
俺とネフラで宝飾銃の引き金を引いた。
血のように赤い閃光が周囲を照らし、真紅の光線がアンを貫く。
その一撃でアンの体は崩壊し、黒い炎は空中へ霧散した。
俺の大切な妹分――笑顔の絶えないドワーフの少女は、もうどこにもいない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回で第六章は終了となります。
次話より幕間を挟んだ後、第七章を開始します。
物語はクライマックス。
すべての決着は近い……。
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