6-058. 少女の願いは死に至る病
「ジィルゥコォォさぁぁぁぁんっっ!!」
四つん這いになったアンが俺へと直進してくる。
その背中からは無数の触手を伸ばし、周囲を威嚇しながら走る姿はまるで獣だ。
「く、来るなアン!!」
俺は混乱していた。
魔物が相手なら即座に宝飾銃で撃ち殺す。
魔物を束ねて大海嘯を起こしかねない魔人が相手なら、尚更のこと。
しかし、目の前にいるのはアンだ。
魔人と化したとしても、俺の頭からはその認識が消えない。
……撃てない!!
「撃てぇぇぇっ!!」
耳をつんざく銃声。
それと共に、アンへと立て続けに銃弾が撃ち込まれていく。
「ぐうぅぅっ!?」
アンが足を止めた。
その赤い目は銃声の聞こえてきた先へと向き直る。
王立公園には、逃げ出す人々と入れ替わりに王国兵が集まってきていた。
攻撃したのは、そのうちの雷管式ライフル銃を持つ銃士達だ。
「やめ――」
「撃てぇぇぇぇぇぇっ!!」
リーダーらしき王国兵の号令で再び銃士達が銃撃を始める。
すべての弾はアンに命中したが、まったく怯む様子はない。
……当然だ。
魔物を鉛の弾丸ごときで倒せるくらいなら、闇の時代なんて訪れていない。
「邪ぁぁ魔ぁぁぁぁっ!!」
アンが動いた。
まるで四足歩行の獣の如く、一気に床を跳ねて王国兵へと突っ込んでいく。
「抜刀!!」
リーダーの一声で銃士達は引っ込み、入れ替わりに剣士達が剣を抜いて陣形を作る。
彼らが持っているのは宝飾剣だ。
あれならば雷管式ライフル銃よりは効果的。
しかし――
「うおおおっ!?」
「ぎゃああああ!!」
「ぐああぁっ」
――まったく話にならない。
アンは斬りかかってくる王国兵を踊るように躱すや、すれ違い様に首を引き裂いていった。
もはや人間と身体能力のレベルが違う。
「くっ! おのれ化け物ぉぉーーっ!!」
アンと相対したリーダーが斬りかかっていく。
だが、剣を振り下ろす前に、彼は触手によって貫かれてしまう。
瞬く間に黒い炎で全身を焼かれたリーダーは、炭のようになって崩れ落ちた。
「邪魔だってぇぇぇ、言ってるでしょぉぉぉ」
アンは四つん這いになって走り回り、背中から槍のような触手を無数に伸ばして兵達を串刺しにしていく。
その速度に対応できる者は誰もいなかった。
「だ、ダメだ! 近接戦闘じゃ押さえられんっ」
「くそがぁぁぁぁ」
「ぎゃあああぁぁぁ!!」
兵達の断末魔が上がっていく。
銃声の音がひとつ、またひとつと消えていき――
「デートのぉ邪魔ぁするなんてぇぇ、サイッテェェェェ」
――アンが俺へと向き直った。
「アン……!」
「邪魔者、消えた、から、デートに、戻ろ……?」
彼女は身を起こすと、二本足でふらふらと俺に近づいてくる。
わずかにシルエットにアンの面影が残っているものの、もはや彼女は人間じゃない――まごうことなき魔人だ。
始末……しなくては……。
「くっ」
宝飾銃のグリップを握ったものの、やっぱり俺は彼女に銃口を向ける気になれない。
どうにかならないのか?
魔人と化した者を元の姿に戻す方法はないのか?
アンの正気を取り戻させる方法は?
何か……何かないのかっ!?
その時、アンの体に炎の矢が降りそそいだ。
「熱ぅっぐぅぅぅっ!?」
熱殺火槍の雨……一体誰が!?
「何をしているのだ、ジルコ・ブレドウィナー!!」
「!?」
「目の前で魔物が暴れている中、何をぼんやりしているのだっ!!」
「あんたは……!」
マントをひるがえしながら、俺の目の前に降りてきた魔導士達。
俺に話しかけてきたのはそのうちの一人――いつかのちょび髭金髪の優男だ。
「魔導士隊か!!」
エル・ロワ王国軍の最高戦力。
闇の時代には、各々が遠征に参加して魔人討伐にも貢献したと聞くが、そんな連中が早くも現れたか……!
「ふんっ。相変わらず貴様からはろくな噂を聞かんな」
「やめろ、ちょび髭隊長! その子は――」
「誰がちょび髭だ! 何もする気がないなら、そこで黙って見ていたまえ!!」
ちょび髭隊長が指を鳴らすと、数名の魔導士達が空に舞い上がった。
同時に、地上に残った魔導士達が魔法攻撃を始める。
アンの体を熱殺火槍の炎が焼いていく。
さらに、飛び上がった魔導士達が上空からも熱殺火槍を降らせていく。
「ぎゃあああぁぁぁっ!!」
……効いている。
爆炎の中心から、アンの悲鳴が聞こえてくる。
聞くに堪えない。
とても聞いていられない声だ。
「や、やめてくれ! あれはアンなんだ、知り合いの女の子なんだよ!!」
アンが傷ついていくのが我慢ならず、俺はちょび髭隊長を羽交い絞めにした。
理性では馬鹿なことをしているとはわかっている。
けど、感情が俺の体を動かしてしまった。
「な、何の真似だブレドウィナー!?」
「あの子をこれ以上傷つけないでくれ!」
「あの子ぉ!? どの子のことを言っている!!」
「お前達が焼いているあの子だよ!!」
「……まさか魔人のことを言っているのか!?」
直後、ちょび髭隊長から顔面に頭突きを受けた。
俺がよろめいた拍子に羽交い絞めから脱した彼は、俺を蹴りつけて距離を取る。
「どういうつもりだ、ジルコ・ブレドウィナー! 貴様、あれと何か関りがあるのか!?」
「か、関わりと言われると……っ」
どう説明するのがいいんだ?
否。どんな説明をしたところで、アンが王国軍にとって討伐対象であることは変わらない。
だとしたらどうする?
俺はどんな行動を選択するべきなんだ!?
「……俺の知っている子が、魔人化したんだ」
「!? どういうことだ! 貴様があれを手引きしたのか!?」
「違う! さっきまで普通にデートしていたんだよ! それが突然、あんな姿に……っ」
「理解できんな! 状況が、ではない。どんな理由であれ、魔人となったのなら即刻始末せねばなるまい! 市街地ならば尚の事だ!!」
ちょび髭隊長の正論には反論の余地がない。
今、この場で間違っているのは俺――それでも、アンを殺すなんてとても……。
「貴様にはあとでたっぷりと事情を聞かせてもらう!」
そう言うと、ちょび髭隊長はアンへの攻撃へと戻ってしまう。
しかし、その戦況は――
「だ、ダメですっ」
「隊長! こいつ、過去の魔人とはまったく違う!!」
「魔法が効かねぇぇぇ!?」
――惨憺たるものだった。
空と地上からの一斉魔法攻撃で圧倒したと思ったのも束の間。
なんとアンは黒い炎を自身の周りに固定させて、熱殺火槍の炎を受け流していた。
「くっ。素体は魔導士か何かか!? だが、魔法陣を描いた素振りも見せていない!」
「隊長。街への被害を考慮していては、犠牲が増すばかりです!」
「むぅぅ~。止むを得ん、王都を傷つけるのは不本意だが、この魔人は早急に滅ぼさねばならん。各員、全力戦闘を許可する!!」
ちょび髭隊長が言った直後、魔導士達が大きな魔法陣を描き始めた。
あいつら、さらに強力な魔法をアンへと撃ち込む気か!
「ジィィルゥゥゥコォォォォ~~~~!!!!」
アンの口が上下に裂け、凄まじい声量で俺の名を叫んだ。
その声は辺りの空気を著しく振動させ、取り囲んでいた魔導士達を吹っ飛ばしてしまった。
「ぐわっ! ひ、怯むな!!」
魔導士達はそれぞれ飛翔戯遊を駆使してその場に留まり、アンの雄たけび(?)を耐え忍んでいる。
離れた場所にいる俺でも足の踏ん張りを利かせるだけで精一杯なのに、まったく大した連中だ。
「隊長! このままでは魔法陣を描けません!!」
「ちぃっ。一旦距離を取るぞ!!」
その時、俺はアンから伸びる触手が地面に突き刺さっているのを見た。
触手は伸縮自在――それを思い出し、俺は彼女が何を狙っているのか察した。
「みんな、避けろっ!!」
俺が叫ぶのと、地面から触手が飛び出すのは同時だった。
「なっ!!」
「にぃぃぃ~~~!?」
地上にいた者はもちろん、空中にいた者も揃って触手に貫かれた。
急所を射抜かれた者は当然即死。
それを避けた者でも、見る見る全身へ黒い炎が巡って焼かれ始める。
「うぐおおおおっ! 小癪な真似をぉぉぉ!!」
他の隊員同様、ちょび髭隊長も攻撃を受けていた。
不幸中の幸いだったのは、彼が貫かれたのが足首だった点だ。
黒い炎は彼の片足を登り始めたが、まだ間に合う!
「今助けるっ」
俺は宝飾銃を抜いて、ちょび髭隊長の足を撃ち抜いた。
光線が大腿部を貫いた瞬間、黒い炎が這い上がってきていた膝が千切れ飛ぶ。
「ぎゃああぁっ! き、貴様、殺す気かっ!?」
「助けたんだろうがっ」
仰向きに倒れたちょび髭隊長を引きずって、追撃を仕掛けてきた触手から一気に距離を取る。
触手は追跡を諦めたのか、地面に開けた穴へと戻っていった。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫なわけ、なかろう……っ」
「すぐに近くの教会まで連れて行ってやる!」
「わ、私のことより、あの魔人をなんとかしろっ。貴様ならできるだろう!!」
「……っ」
すでに魔導士達はアンの触手に全身を焼かれてしまっていた。
ちょび髭隊長を残して、魔導士隊は全滅だ。
「おのれ、なんと口惜しい。私の部下達がこれほど容易く……! あの魔人は一体何なのだ!?」
「……俺が聞きてぇよっ」
邪魔者を一掃したアンが、再び俺の方へと迫ってくる。
公園の芝生を焼く黒い炎も延焼を始めた。
いよいよ取り返しのつかない状況になりつつあるが、いまだにアンへと銃口を向けることに躊躇いがあった。
「アン! もうやめてくれ、頼む!!」
「ジルコさん、ジルコさん……っ」
アンが両手を差し出しながら、俺へと迫る。
抱きしめてくれと言っているのか?
「ごめん、アン。俺には……できない……っ」
「ジルコさん、と、デート、もっと、したい」
「ごめん! できない!」
「ジルコさんと、幸せに、なりたい……それが、あたしの、願い」
「ごめん……っ!」
炎の熱をすぐ目の前に感じる。
アンがその気なら、すぐにでも俺に飛び掛かれる距離までやってきている。
「何をしているブレドウィナー!? は、早く撃ち殺さんかぁぁっ!!」
「黙ってろ!!」
とっさに銃床でちょび髭隊長のこめかみを殴りつける。
彼はバタリと倒れて動かなくなった。
……すまないが、しばらくそうしていてくれ。
「ジルコさん……」
「アン。俺はお前の気持ちに応えられない」
「どう、して……?」
アンは静かに俺を見上げている。
背中から生えた触手は、地面に横になったまま動く気配はない。
彼女はこの姿になってから初めて気を落ち着かせている。
……今なら話が通じる。
「アン、よく聞いてくれ」
「うん」
「俺は、ネフラのことが好きだ」
「……」
「彼女を愛している」
「……」
「だから、お前のことを選べない」
「……そう」
こんな告白をして何の意味があるのか――きっと意味なんてない。
でも、アンには伝えなければならないと思ったんだ。
ずっと俺のせいで苦しんでいたであろうこの子に、俺はこの口でちゃんと伝えなければならない。
それが、俺の男としてのけじめだから。
「ごめん。アンの気持ちをわかっていながら、ずっとこのことを伝えるのを先延ばしにしていた」
「……」
「許してくれとは言わない。けれど、これが俺の本心だ」
「知ってた」
「そう、か……」
「ジルコさんとネフラは、すっごくお似合い。あたし、ずっと嫉妬していたの」
「……」
「あたしなんかじゃ、とても入る余地なんてないとわかってたけど、諦めたくなかったの」
「……」
「でも、気持ちを伝えた上で断られたんなら……仕方ないかな……」
「ごめんな、アン」
「ジルコさんの、そういう真摯なところ……大好き」
「アン……」
不意に、真っ黒に燃え上がるアンの顔に小さな笑みが見えた。
……そんな気がした。
「ジルコさん、あたしを、殺し――」
直後、真横から飛んできた熱殺火槍によってアンの体が吹き飛ばされた。
「アン!?」
彼女の体は最寄りの建物に突っ込み、倒壊させていく。
今の熱殺火槍は一体誰が……!?
「ジルコさん! 大丈夫でしたか!?」
「ジルコくん、無事!?」
フロスとネフラが黒い炎を避けながら公園へと入ってくる。
今の熱殺火槍はフロスの放ったものだったか。
でも、タイミングが……悪過ぎる。
「あれは魔物――いいえ、魔人ですわよね!?」
「どうして王都にあんなものが現れたの!?」
二人とも俺の傍までやってきて足を止めた。
特に、ネフラは俺を心配してか身を寄り添わせてくれている。
「ネフラ……」
この子があの魔人の正体を知ったら、一体どうなっちまうんだ?
こんな惨い真実、とても言えない……!
「ぎゃきゃああぁぁぎゃあきゃあぁぁぁぁっ!!!!」
アンの突っ込んだ建物から奇声が聞こえた瞬間、瓦礫がバラバラに飛び散っていった。
中から這い出てきたのは、黒い炎を一層激しくほとばしらせるアンだ。
「あ、あんな魔人、わたくし見たことがありません……っ」
「黒い炎が竜巻みたいに噴き上がってる! すぐにやっつけないと、王都が大変なことになっちゃう!!」
フロスとネフラが臨戦態勢を取る。
一方、俺はどうだ?
やっぱりあの子を撃つ気になれない……。
「どぉぉして邪魔するのぉぉぉ!?」
「喋りましたわ! 魔人には言語能力が残っているのですね!?」
アンが怒号を上げながら距離を詰めてくる。
背中の触手は再び激しく蠢き、互いに絡み合って一対の翼のような姿になってしまった。
まるで漆黒の蝶のような姿だ。
「ジルコさん、どうしてぇぇぇ!? どうしてあたしより、そんな子をぉぉぉ選ぶのぉぉぉ!?」
「!? なぜ魔人がジルコくんの名前を……?」
ダメだ、ネフラ。
あの子の声を――言葉を聞いちゃダメだ。
「あたしはぁぁぁ! ジルコさんとぉぉぉ!! デェトしたいだけなのにぃぃぃ!!」
「デ……?」
もうやめてくれ、アン。
頼むからそれ以上何も言わないでくれ。
「あたしの方がぁぁぁ! あたしの方が相応しいのにぃぃぃっ!!」
「……あれって……ア……ン……?」
ネフラが抱えていた本をバタリと落とした。
唖然とした顔で変わり果てたアンを見つめている。
……そりゃ気付くよな。
付き合いの長い親友、だもんな。
「嘘」
「ネェフゥラァァァ~~~!!」
絶叫と共に、アンの姿が変貌を始めた。
四肢が膨れ上がり、身長が伸び、全身の肥大化が進んでいく。
顔に煌めく真っ赤な双眸はそのままに、髪の毛――らしきもの――がおびただしく揺れ動きながら逆立ち、背中の翼が二対に割れる。
もはや可愛らしいドワーフだった頃の面影はない。
「あんたさえぇぇ! あんたさえいなければああぁぁぁ!!」
「嘘……っ」
「あんたなんかよりぃぃぃ、ジルコさんはぁぁぁ、あたしの方がぁぁぁ」
「いや……」
「殺してぇやぁぁるぅぅぅ!!」
「いやあぁぁぁ~~~!!」
ネフラの絶叫に俺は胸が締め付けられる。
二人を会わせたくはなかった。
最初から助ける余地なんてなかったにしても、これは余りにも……。
余りにも残酷過ぎる。
「ジィィルゥゥコォォォ~~~!!」
今になって俺は――
「ごめんな、アン」
――ようやくアンへと銃口を向ける覚悟ができた。




