6-057. 待ち人、来たりて
クォーツを発ってから七日――俺達は王都へと帰ってきた。
今回の旅は――今回も、か?――色々想定外の出来事が重なったものの、当初の予定通り半月ほどで帰還することができた。
ギルドの修復はどの程度進んでいるだろうか。
さっさと拠点に戻って、ピドナ婆さんを安心させてやりたい気持ちもあるけど……。
「うわぁ~。ちょうどいいタイミングで帰ってこれたね、ジルコくん」
「暦はすでに八月半ば。もしや、これが王都の降臨祭でしょうか!?」
馬車の隣に座っているネフラとフロスが、街の飾り付けを見て感嘆としている。
俺も王都に入るまですっかり忘れていた。
八月は、ジエル教の行事のひとつである降臨祭が催される時期だったな。
西門からシルバーヴィアを東へ進んでいくと、そこかしこに天使の飾り付けが施されているのが見える。
通りでは天使に扮した子供達が走り回り、聖職者達が祭りの余興を行う姿も散見される。
八月半ばともなると降臨祭も最終盤。
復興の時代になって初めての降臨祭ということもあって、盛り上がりは最高潮に達しているというわけだ。
「なんだかカップルばかりですね」
「祭りの熱に当てられて、婚約を申し込む人も多いんだって」
「まぁ! でしたら、ネフラさんも大変ですわね」
「どうして?」
「もたもたしていたら、ジルコさんを誰かに取られてしまいますわよ?」
「な、何言ってるのっ」
悪戯っぽく言うフロスに、ネフラが顔を赤くしている。
……二人の会話をさりげなく聞いていた俺も同様。
「だって、ギルドに戻ればジルコさんを待つお仲間の皆さんがいるのでしょう? 〈ジンカイト〉の女性メンバーは美女揃いだと聞きましたわよね」
「そ、それは! そうだけど……」
「でも安心してくださいまし。わたくしはネフラさんを応援していますから! 邪魔者が現れたら、率先してガードして差し上げますわ」
「お心遣い感謝します……」
「な、なんですか。その訝しそうな顔はっ!?」
ネフラとフロスも仲良くなったなぁ。
互いに博識だから話が合うのもわかるけど、ここ数日はなぜか俺の話ばかりで盛り上がっている気がする……。
夕焼けに照らされた街並みを眺めていると、唐突に馬車が停まった。
どうやら通りにごった返す人混みで立ち往生してしまったらしい。
「ありゃりゃ。お客さん、申し訳ないね。停留所までもう少しなんだけど、この先はしばらく通れそうにないよ」
「ここで降ろしてくれ」
御者に運賃を渡した後、俺達は駅馬車を降りた。
通りが人で埋め尽くされるほどの騒ぎとなると、路上サーカスでも開かれているのかもしれない。
現に、空には道化師風の帽子を被せられた小型のワイバーンが飛び回っている。
サーカス雇いの獣使いが宣伝によく使う手だ。
「ジルコくん、どうするの?」
「仕方ない。遠回りにはなるけど、路地を回っていこう」
「ジルコさん! わたくし、王都は初めてですので色々な場所を紹介してくださいねっ」
「わかったわかった」
王都に入ってからフロスが妙に落ち着きないと思ったら、王都は初めてだったのか。
しかも、こんな祭りの最中じゃ気持ちも昂るわけだ。
「ギルドに戻ったら、まずはピドナ婆さんにフロスの説明をしないと」
「ピドナ……さん?」
「ギルドの元料理人兼給仕の女性だよ。今はもうギルドに籍はないんだけど、俺が王都を空ける間、ギルドを預かってくれているんだ」
「まぁ! それは新しい受付嬢として、ぜひご挨拶しなければなりませんわね」
「受付嬢になるって本気だったのか……?」
フロスはすっかり〈ジンカイト〉の一員になったつもりでいるみたいだ。
彼女のことをピドナ婆さんに説明するにしても、人形だとかトロルだとかは伏せておいた方がいいな。
今はどんな小さな混乱も招きたくない。
その時、俺は背中に嫌な視線を感じた。
まるで刺すような攻撃的な視線を受けて、俺は思わずホルスターに収めた宝飾銃に指先を触れてしまった。
「……!?」
俺が振り向いた先――人混みが割れたところに、よく知る人物が立っていた。
「アン!!」
それはアンモーラだった。
以前、〈バロック〉に拉致されたことが原因で、心を病んでしまった俺の妹分。
もう一人で外を出歩けるようになったのか。
見た限り、その表情は前に会った時よりも落ち着いて見える。
「あの少女、お知り合いですか? ドワーフのようですけれど」
「ああ。ウチのギルドの受付嬢だよ」
「受付嬢! と言うことはわたくしの前任者……ライバルですわねっ!?」
「いや、なんでライバル?」
フロスが勝手に盛り上がっている。
臨時の受付嬢にとは俺が言い出した手前、冗談でしたとも言いにくい。
かと言ってアンがそれを知ったら揉めることは確実。
どう説明したものか――と思った矢先、ネフラがフロスの手を引いてその場を離れ始めた。
「ネフラ、どこ行くんだ?」
「私とフロスは先にギルドに行ってる――」
言いながら、ネフラは俺へと振り向く。
「――ジルコくんは、約束を果たしてあげて」
「約束?」
「あの子と降臨祭にデートするって約束してたでしょ。今日だけはアンに譲ってあげる」
「あ……」
ネフラに言われて、俺はアンとの約束を思い出した。
彼女の誕生日を祝えなかった詫びとして、俺はアンと降臨祭にデートすることになっていたんだった。
それと、彼女にずっと返しそびれていたレッドダイヤのこともある。
「え? え? デートというのは、男女が親密な時間を過ごすことですよね? なぜあの少女がジルコさんと? ちょ、ネフラさん?」
「アンはちょっと複雑な事情があるのっ」
「……なるほど。恋のライバル、というわけですか」
「そ、そゆんじゃないってば!」
ネフラが顔を真っ赤にして否定している。
……が、図星には違いないよな。
ネフラは不安とも不満とも取れる微妙な表情だった。
それを見て、俺は申し訳なく思う。
「悪い、ネフラ。約束を果たしてくるよ」
「ジルコくん!」
「ん?」
「て、手を繋ぐまで、なら許します。それ以上はダメッ!!」
「……はい」
ネフラは困惑気味のフロスを引っ張って、人混みに溶けていった。
旅が終わって間もないのに、ネフラにはまた気を遣わせてしまった。
この埋め合わせは後で必ずしないとな。
俺は鞄の中にしまっておいたレッドダイヤを確認した後、すぐにアンの元へと駆け寄った。
「アン、待たせてごめん! まさかこんなところで会うとは思わなくてさ」
「……」
「なんだか顔を合わせるのが久しぶりになっちゃったな」
「……」
「アン? どうした、大丈夫か?」
「……大丈夫。ジルコさんと会うの、半月ぶりくらいだね」
「そうだな」
「約束、覚えていてくれたんだ」
「もちろん! 忘れるわけないだろ?」
……ごめん、嘘。
ちょっと後ろめたいけど、このくらいのこと言ってあげないと示しがつかない。
「うふふ。嬉しい」
アンが笑ってくれた。
俺は彼女のその微笑みを見た瞬間、心から安堵した。
どうやらずいぶん良くなったみたいだ。
きっと親方や奥さんが献身的に向き合ってきた成果なのだろう。
それに、看護師のアファタも頑張ってくれたに違いない。
「そうだ。アン、いつだったかお前にプレゼントしたレッドダイヤなんだけど――」
「行こ」
アンは俺がレッドダイヤを取り出す前に、踵を返して通りを歩いて行ってしまう。
俺は慌てて彼女を追いかけた。
「アン! ちょ、待てってばっ」
「王立公園では降臨祭のためにイベント会場が設営されてるんだよ。せっかくのデートなんだし、行ってみようよ――」
言いながら、アンは足取り軽く通りを歩いていってしまう。
むしろスキップしているような軽快さだ。
「――ねぇ。ちゃんと追いかけてきてね」
「え?」
一瞬、アンが振り返って見せた表情。
ちょうど夕日が照らして、まるで血まみれのように真っ赤に見えた。
◇
賑やかなシルバーヴィアの大通りを抜けて、俺は王立公園へとたどり着いた。
先に着いているはずのアンを捜すと――
「ジルコくん。こっちこっち」
――公園にいる群衆を、まるで踊るように躱していく彼女を見つけた。
……? なんだか変だな。
やっぱりいつものアンと様子が違うぞ。
「アン、そんなフラフラしていたら危ないだろう!」
「大丈夫。今のあたしはとっても体が軽いから」
「おいってば!」
「うふふ♪」
アンが身を傾かせながら移動する先に大工の男が通りかかる。
あわやと思った瞬間、彼女は蝶のように優雅に男の体を躱した。
……いつの間にか、アンは本当に踊っていた。
群衆の中、アンはくるくる回りながら舞いを魅せ始める。
一体どんなダンスなのかは俺にはわからないが、とにかくその優雅な舞いはプロの踊り子も遜色ないほどに見えた。
現に、アンのダンスに目を止めた周りの人々の興味を釘付けにしている。
何秒? 何十秒?
とにかくしばらくアンはその場で踊り続け、そして静かに舞いを終えた。
彼女が深々と頭を下げると、周りの人々から拍手が贈られた。
「いいぞ、お嬢ちゃん!」
「素敵なダンスね。何の催しかしら?」
彼らはアンのダンスが降臨祭の出し物だとでも思ったようだ。
拍手が止んで人だかりが散り始めた頃、アンが俺の元へ近づいてきた。
今の彼女は、にわかに笑みをたたえたまま鬼気迫る表情で俺を見入っている。
「どうだった?」
「……あ。いや、驚いたよ。まさかアンがあんなダンスを踊れるなんて。しかも凄く上手だったし」
「アファタから教わったの。じっとしているより、体を動かした方が気休めになるって。いくつか提案してくれた中から、ダンスを選んだんだ」
「そうなのか。凄く……良かったよ」
こういう時にもっと上手く褒められないのか、俺は。
自分の語彙のなさが情けない。
「嬉しい。ジルコさんに褒めてもらいたくて、あたし頑張ったの」
「アファタから教わったってことは、ほんの二、三週間で覚えたのか? それだけの短期間でプロ顔負けのダンスが踊れるなんてマジで凄いな!」
「うん、うん」
俺が褒める度、アンの表情がどんどん緩んでいく。
強張っていたその表情も、今ではすっかり笑みをたたえていた。
「アファタの指導も上手かったのかな? 今度は俺も教えてもらうかな――」
「他の女の話やめて」
突然、アンの表情が変わった。
眉が釣り上がり、鋭い眼光が俺を突き刺してくる。
……これはさっきも感じた嫌な視線だ。
「アン?」
「ネフラはダンスできないでしょ」
「え? ……さぁ、どうだろう」
「できないよ。あの子、案外運動オンチだもん」
「確かにあいつは体を動かすのは得意な方じゃないけど」
「そう。外でも中でも、ずっとかび臭い本と睨めっこしてる本の虫。一緒にダンスを踊るなら、あたしの方がいいに決まってる」
「アン、何を言っているんだ?」
「それに、あの子とじゃ一緒に添い遂げることなんてできないから」
「な、なんだって……!?」
「だってあの子、エルフじゃん。ヒトの何倍も長く生きるエルフがヒトと添い遂げるなんて無理でしょ」
「待て。一体何の話をしているんだ? それにネフラはただのエルフじゃ――」
この人混みの中、それ以上は言えない。
そもそもアンはどうしてこんな話を始めたんだ?
なんだかおかしいぞ。
「知ってるよ、本人から聞いたもん。でも、半端だからって寿命がどんなもんかわからないでしょ。むしろ千年や二千年も生きたりして」
「やめろ、アン。そういうことは言うもんじゃない」
「ネフラなんかやめなよ。あたしの方が、ずっとジルコさんに相応しいよ」
「な……っ!?」
アンの目がまるで燃えるように赤くなっている――ような気がする。
いやいや。そんなことあるわけがない。
夕日が顔に当たって、そう見えるだけだろう。
「もう復興の時代だよ。冒険者なんて流行らないよ。命を懸けて仕事する時代はもう終わったの。だからジルコさんが戦う必要なんてない。あたしも、戦える必要なんてないの。だから、あたし達お似合いのカップルになれるよ」
「待ってくれ、アン。お前が何を言っているのかわからない!」
「わかるでしょ。あんな半端者より、あたしの方がずっとずっと何倍も何倍もジルコさんのこと愛してる。あたしの方が相応しいの!」
困惑……しかない。
まさかアンに面と向かってそんなことを言われるなんて。
アンの気持ちはわかっていたけど、俺にとっては可愛い妹のようなもの。
だから真面目にその気持ちを受け止めるようなことは避けてきたけど、まさかそのことで思いつめていたのか?
「アン。俺は……きみとはそういう関係には……」
「なんでよっ!?」
アンの悲鳴にも似た声が王立公園に響いた。
そのせいで、周りの連中の視線が改めて彼女に――否。俺達へと向けられた。
「アン、ちょっと場所を変えよう」
「ダメよ! あたし達、デートでこの場所に来てるんだから!!」
「声がでかいって……」
「答えてよ! ネフラより! あたしの方が! ずっとジルコさんに相応しいって!!」
「……っ」
「今はこんなに背も小さいし、胸も小さいけど、あと二、三年もすれば大きくなるよ! ドワーフの女の子は成長がヒトより少し遅いだけだから! すぐにジルコさん好みの女になるよ!!」
アンが俺に必死に訴えかけているのはわかる。
しかし、俺はもう覚悟を決めたんだ。
彼女と一緒に道を進もうと心に誓ったんだ。
そんな俺に、アンが望む答えを返せるわけがない。
なのに……。
「落ち着いて聞いてくれ、アン」
「それに、あたしはドワーフの国王の又姪なんだよ! 分家だけど王族の血を引く凄い血統なんだよ!? あんなどこの馬の骨とも知れない女より、あたしと結婚した方がずっとずっと何倍も何倍も幸せになるに決まってる!!」
「アン!」
「お父さんにだって世話になったでしょ!? ドワロウデルフ王の甥であるお父さんの武器で、ジルコくんは英雄になれたの!! ジルコくんはあたしを幸せにする義務があるのっ!!」
「……アン……」
なんだこれは?
一体どうしてこんなことになったんだ?
アンの目が赤く燃えるような輝きを放っている。
まるで獣のような敵意溢れる眼光で俺を貫いてくる。
この邪悪な感じ――俺には覚えがある。
「おいおい、お二人さん。せっかくの降臨祭に痴話喧嘩かい?」
野次馬の一人が俺とアンの間に割って入ってきた。
アンの意識は即座に俺からその男へと移り――
「そんなんじゃ愛の天使様が――」
「邪魔すんなっ!!」
――鼓膜が破れるかと思うほどの声で威圧した。
……否。威圧じゃ済まない。
男は上半身と下半身が分かれ、壊れた人形のように公園に転がった。
今のは何だ?
俺はハッキリとこの目に見た。
男に向かって、アンが右手を振り上げた。
その時に彼女の体から噴き上がるように現れた黒い炎。
それが男の体を真っ二つに焼き切ったのだ。
魔法? ――否。
何らかの武器? ――否。
そんなものとはまったく違う。
そして、俺はその黒い炎を知っている。
「アン……お前……!!」
公園にいた人々から悲鳴が上がる。
彼らは真っ二つになった男の死体を避けるように、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
入れ替わりに公園に入ってきた王国兵達は困惑しながら、黒い炎をその身に宿したアンへと向かう。
「やめろ! 彼女に近づくな!!」
俺の警告も意に介さず、王国兵達がアンに剣を突きつける。
直後、彼らの上半身は黒い炎によって焼かれてしまった。
「邪魔すんなって言ってんのぉぉぉーーーーっ!!」
絶叫するアンの体を黒い炎が包み込んだ。
否。彼女の体を焼きながら、蒸気のように噴き上がっている。
「なんだこいつは!? 魔物!?」
「いや、違うぞ! これは……こいつはぁぁぁ!!」
生き残った兵達が怯えながらアンを見て叫ぶ。
「魔人だ! 化け物だぁぁぁぁ!!」
人間に憑りついた絶望。
人の形をしたそれは、生きとし生ける者を襲う。
真っ黒い炎に包まれた顔には、俺を睨みつける赤い双眸が煌めく。
魔王群を先導する魔なる者――魔人。
それがどうして……今、俺の目の前にいる?
なぜアンがあれの姿をしている?
「ジルコさぁん! あたしがぁぁ一番んんあなたにぃぃ相応しいぃぃぃっ」
アンを覆う炎の火力がさらに勢いを増した。
可愛かった彼女の顔は皮膚もろとも焼け落ちて、美しかった深紅の髪の毛は真っ黒な炎に染まって漆黒の輝きを煌めかせる。
人の形をした魔物が、芝生を焼きながら俺へと迫ってくる。
「アン~~~!!」
「ジルコさん、あたしをぉぉあたしだけを見てぇぇぇぇ!!」
ホルスターに収めた宝飾銃に指先が触れた。
しかし、俺はグリップを握ることができない。
アンが魔人。
魔人は滅ぼさねばならない存在。
だからってアンを撃ち殺せっていうのか?
……俺がアンを?
「ジルコさぁん! あたしをぉぉぉ! 抱きしめてよぉぉぉぉ!!」
「なんなんだよ……なんだってんだよっ!?」
イスタリがなぜアイオラ先生の遺体を取り返そうとしたかわかった。
どうしてティタニィトがアンを無事に帰したのかわかった。
宝石を嫌う理由も。
情緒不安定な原因も。
人間の魔人化実験――あの下衆どもは、世界の謎解きを言い訳に、世界に不幸を振り撒いていやがる!!
「イスタリィィィィィーーーーッ!!!!」
怨嗟の混じった俺の声が、夕空にこだまする。




