6-056. 六人目と七人目
――目を開けると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたネフラが見えた。
「ジルコくん!!」
「ネフラ……」
ネフラに抱き着かれて、俺は戻ってきたのだと理解した。
視界に見える景色はクォーツの娼館街。
リドット、ジェリカ、フォインセティア、フロスが俺のことを心配そうに見下ろしている。
あの幻想的な野原はもうどこにもない。
否。初めから存在しない――どこでもない場所だったんだろう。
「みんな、心配かけたな」
俺が言うなり、リドット達は安堵したように息をついた。
どうやらずいぶん心配かけてしまったらしい。
「ネフラも、ありがとう」
言いながら、俺はネフラの体をぎゅっと抱きしめた。
「じじ、ジルコくんっ!?」
すると、ネフラが腕の中で突然もぞもぞし始めた。
どうしたのかと思った矢先、顔を真っ赤にしたネフラに突き飛ばされてしまう。
……もしかして嫌だったのか?
「あっはっは! まだまだ初心いな、ネフラ!」
ジェリカが笑っている。
それに釣られて、リドットとフロスまで笑い始める。
「先生は?」
「あそこに寝かせてある」
リドットが指さした先――通りに敷かれた毛布の上に先生は横たわっていた。
顔には白い布が被せられ、その表情は見えない。
「……今度こそ終わったんだな」
「そう願いたいな。これ以上の騒ぎはごめん被る」
ジェリカが肩をすくめながら言った。
サルビアを破壊し、先生と戦い、イスタリに一矢報いた。
クォーツでの戦いは終結したとみていいだろう。
もうクタクタだ。
「先ほど王国兵の方がいらっしゃって、ジルコさんが目を覚ましたら話を聞きたいとのことですわ」
「そうか、わかった」
「それにしても……」
「どうした?」
フロスがマジマジと俺を見つめてくる。
「ドラゴン様をその身に宿したご気分、いかがでしたか?」
なるほど。
フロスが気になっていたのはそのことか。
「最高の気分だったよ。自分が世界とひとつになったようにすら思えた」
「そうですか! 後遺症もないようで良かったですわ」
「どうやらイスタリと戦うためにすべての力を使ってくれたみたいだ。特に体に害はないよ」
「わたくしも見ていましたが、凄い力でした。空まで飛んでしまって……」
「今思うと凄いことをやっていたよな。それに――最後にいい夢も見れたよ」
「夢?」
こればかりは言葉では伝えにくい。
世界の謎の一端を垣間見たような気がするけど、俺には到底理解しきれない体験だった。
ただひとつ確信を持てるのは、向こうへと旅立った者はもう二度と帰ってはこないと言うこと――それだけだ。
俺は立ち上がるや、手に持ったままだった二丁の宝飾銃に気が付いた。
イスタリ戦では色々と不思議な力を発揮してくれたけど、今はもう元に戻っているようだ。
こいつらのおかげで今日の戦いは勝てた。
そろそろちゃんと名前をつけてやらないといけないな。
「任務達成だ! みんな、ご苦労様」
クォーツの長い一日が終わった。
溶岩風呂に入って、ゆっくり疲れを癒したい。
◇
戦いが終わってから三日。
娼館街は建物の被害も少なく、すぐに運営を再開した。
人の性欲とは凄いもので、あんなことがあったばかりなのに、すでに娼館街は以前のような活気を取り戻していた。
いや。あんなことがあったからこそ、人の生存本能が刺激されてこういう場所が繁盛しているのか?
今回の事件は、大規模魔物出現事案としてすぐさま各国へと共有された。
有名な町で起こった出来事なのでさすがに隠しきれず、それ以上にエル・ロワだけで抱えるには大きすぎる問題だったからだ。
兵士長は怪我が完治しないまま医療院から出てきて、王都の軍本部との連絡に奔走している。
そんな中、今にも倒れそうな顔色で働く彼から報告されたことが二つある。
まずはひとつ。
今回の件で、俺、ネフラ、リドット、ジェリカには勲章が授与されるとのこと。
近々王宮から召喚状が届くというが、ギルドメンバーの解雇を進めている過程でこんなことになってしまって、素直に喜べない……。
そして、もうひとつ。
イスタリの正体がスフェン・エウローラだと判明したことで、王国軍がその人物の捜索に着手したこと。
奴は〈バロック〉の真の首領にして、各地で発生した不可解な魔物事件の黒幕ということで、エル・ロワ全土に指名手配となった。
近々、ドラゴグやその他の国でも手配書が回るだろう。
アンバー侯爵も今回の件には責任を感じているようで、軍部に働きかけてスフェン捜索に注力していくそうだ。
一番の問題は、侯爵にスフェンを紹介してきた人物――リッソコーラ卿だ。
教皇庁の顔である枢機卿に、あんな悪党と繋がりがあるとは思いたくないが、奴に近しい人物ということで近々聴取を行うらしい。
とは言え、相手が相手なので聴取も内々に進められることになるだろう。
俺がイスタリだと勘違いしたばかりに、王国軍に捕らえられたクランクについては……まぁ日頃の行いが悪かったってことで。
しばらく投獄されて、あのイカレ野郎も少しは懲りたはずだ。
それと、すっかり忘れていた。
モルダバとムアッカ――二人の行方についてはわからずじまい。
〈火竜の癒し亭〉が先生の襲撃を受けた際、傭兵ギルド〈アンブレイカブル〉の連中がさっさと逃げ出す二人組を見たとのことだから、きっともうクォーツには留まっちゃいまい。
まぁ、縁があればまたどこかで会うこともあるだろう。
今日、王国兵と共にアイオラ先生の遺体が焼かれるのを見届けた。
遺体の灰は近くの川へと流され、これで彼女の肉体もこの世界の土へと還ったというところか。
寂しくはなく、むしろ前向きな気持ちになれた。
軍の聴取を終えて、一等級溶岩風呂も満喫し、ジェリカとリドットの夫婦関係も改善――正直、胸焼けするくらい――した。
これでもうクォーツでやり残したことはない。
俺とネフラは、クォーツの停留所でサンストン行きの駅馬車を待っていた。
サンストンに向かうのは、ムシリカがちゃんと母さんとラチアを町まで送り届けてくれたのかを確認するため。
王都へ戻るのはその後になる。
馬車を待つ傍ら、ネフラは名残惜しそうに街並みを眺めていた。
「たった数日しか留まっていないのに、なんだか数ヵ月はいたような気がするな」
「うん」
「一等級の溶岩風呂はどうだった?」
「とても気持ちよかった」
「すっかり疲れは癒えたよな。あんな風呂にタダで入れるなんて、モリオン町長の厚意には感謝しかないな!」
「……」
「どうした?」
ネフラが気恥ずかしそうに顔を本へとうずめた。
「またジルコくんとお風呂入りたかった……」
「あー」
ネフラとは事件前に二等級の溶岩風呂に入って以来、また一緒に入ることはなかった。
俺が積極的に王国軍の聴取に協力していたせいもあって、宿ではネフラとあまり顔を合わせられなかったんだよな。
今さらながら、この子にはちょっと申し訳なかった。
「ごめんな。休暇のはずが、結局俺は働いちまってる」
「ジルコくんは本当に仕事人間。たまには仕事を忘れてほしい」
「そうだな、面目ない。サンストンに戻った時、また一緒に入るか?」
冗談で言ってみたら、ネフラが顔を真っ赤にして本に顔をうずめてしまった。
これ、セクハラになるかな?
「……いいよ」
ネフラから許可が出た。
これはまた、ラチアに覗かれる形で露天風呂に入ることになりそうだ。
……悪い気はしないな、ぜんぜん!
「あ。ジルコくん、あれ」
ネフラが向き直った先から、団体さんが歩いてきた。
リドットとジェリカ、そしてベリルを始めとした娼館〈ゼフィランサス〉の子供達だ。
なんだか二人が子沢山の夫婦に見える。
「やぁ、ジルコ」
「見送りには間に合ったようだな」
二人とも寄り添い合って、仲の良いこと。
まだ俺を胸焼けさせる気か。
「わざわざ見送りに来てくれたのか」
「大切な仲間の旅立ちだからね」
「そうか――」
俺の立場上、大切な仲間、と言う言葉は身に染みる。
リドットとジェリカも解雇対象ではあるんだけど……今その話をするのは野暮ってもんだろうな。
「――二人はまだしばらくクォーツに残るんだろ? 子供達の今後について娼館街のお偉方と話し合うとか言っていたけど、どうなったんだ」
「今朝、ようやく折れてくれたよ」
「ってことは……」
「未成年娼婦――ベリル達を全員解放するということで話がついた」
「本当か? よかったじゃないか!」
「ああ。この子達は僕とジェリカで引き取って、面倒を見ることになる」
「これからどうするんだ? この数の子供を食わせるのは大変だろう」
「そのことなんだが、ルスに戻ろうかと思っている」
「ルスへ?」
「まだまだ心にしこりを抱える子も多い。大自然の中で過ごすことで、気が晴れることもあるだろうと思うんだ。特にベリルなんかは獣使いの素養が強いから、きっといい経験になる」
言いながら、リドットはベリルの頭を撫でている。
「そうだな。ベリルは人や動物の心を感じられる。きっといい獣使いになるよ」
「うむ。わらわがみっちり獣使いとして基礎を教え込んでやる。立派な獣使いとなって、牧場を持つもよいだろう!」
「野生動物の多いルスならそれも可能だな。いい弟子が見つかったじゃないか、ジェリカ」
「弟子というより、娘? いや、妹か? まぁ家族には違いないな!」
ジェリカの言葉にベリルが顔を赤くしている。
それを他の子達にからかわれて怒るのを見て、ベリルもサルビアの喪失を乗り越え始めているのだなと思った。
「ジルコさん」
「ん?」
「色々ありがとう。きっとサルビアも天国で感謝してると思う」
「そうかな? そうだといいな」
「ねぇ。サルビアは天国に行けているよね?」
「ああ。きっと天国からベリルのことを見守ってくれているよ」
「うん!」
ぱぁっとベリルの表情が明るくなった。
このお転婆で元気のいい少女が、将来ジェリカみたいになるかもと思うと、非常に興味深い。
その時、ジェリカが俺に何か差し出してきた。
「これは?」
「わらわとリドットからの礼だ。受け取ってくれ」
俺が受け取ったのは、二人分のギルド記章――しかも、冒険者タグがついたままだった。
「ど、どうしてこれを!?」
「わらわ達はしばらく冒険者業を休もうと思う。ルスに戻ってこの子達を一人前にしなければならんからな。もうギルドに世話になることもできん」
「でも、だからって冒険者タグまで……」
「良い。リドットが勝手した件もあるしな」
ジェリカに言われて、リドットが苦い顔を見せる。
……90万グロウの件か。
たしかに、あれは何とか返してもらわないとギルドの維持もおぼつかない。
しかし、冒険者タグを紛失すると、再発行しても等級はFからやり直しになってしまう。
リドットもジェリカも等級Aの冒険者だ。
いざという時、その証は彼らの助けにもなるだろう。
借金の担保に受け取るには、このタグの価値は別の意味で重過ぎるな。
「確かにギルド記章は受け取った。ただ、タグについては気持ちだけ受け取っておくよ!」
俺はリドットとジェリカにタグを投げ渡した。
二人ともキョトンとした顔になる。
「いいのかい? 90万グロウとまではいかないが、等級Aのルビー二つなら少しでも資金になると思うんだが」
「その件はもういいって。今回の件で俺も勲章をもらえることになって、後援者がついてくれるかもしれないしな。それより、今後のためにも等級Aの冒険者である証は持っていた方がいい」
「そうか……。ありがとう」
「気にするな。仲間じゃないか!」
白々しい言葉を吐いてしまい、少し心が痛い。
でも、二人に面と向かって解雇だ、と言わずに済んだのは救いだった。
こういう別れがあってもいいよな……。
「ならばジルコ。これを受け取ってくれ」
「まだ何かあるのか? って、ジェリカ。これは……」
ジェリカから受け取ったのは、前に見せてもらった新大陸の調査団員募集について書かれた紙だった。
「覚えているか? 命懸けで未知を探求する者こそが真の冒険者だと言ったこと」
「もちろんだ。新大陸は、まさにその冒険の舞台と言っても過言じゃない」
「その未知の冒険をおぬしに託したい」
「俺に?」
「うむ。いつか落ち着いたら〈ジンカイト〉の皆と冒険に臨んでほしい。そして、無事に帰還した暁には、冒険の話を聞かせてくれ」
「……わかった。いつの日か必ず新大陸の冒険に挑んでみせるよ!」
〈ジンカイト〉のみんなと新大陸冒険、か。
話の流れで肯定的な返事をしたものの、残念だけどそれは無理な話だ。
ギルドを維持するためにメンバーのほとんどを解雇しなきゃならない上に、復興の時代になってからは冒険者ギルドも肩身が狭い。
もう以前のように、ギルドメンバー総出で何かに注力するといったことはできそうもないんだ。
「それと、もうひとつ――」
ジェリカが俺に顔を近付けてきて、耳打ちしてくる。
「――ネフラとの式が決まったら、声を掛けてくれるな?」
「なっ! 今その話をするかよ!?」
「あっはっは! 頼むぞ若者、乙女を幸せにしてやれよ!?」
そう言って、ジェリカはバンバンと俺の背中を叩いた。
相変わらず世話を焼いてくれる姐さんだぜ……。
「フォインセティア、お前もジルコに別れを言うといい」
ジェリカが腕に留まっているフォインセティアに告げた。
すると、フォインセティアが俺に睨みを利かせてくる。
じっと俺を見つめているので、最後に撫でてやろうと思って近づくと――
「キュウッ!!」
「ぎゃあっ!」
――フォインセティアがクチバシで俺の額を小突いてきた。
不意打ちを受けて尻もちをついた俺は、子供達から笑われてしまった。
「あっはっは! 本当にお前はジルコのことが好きだな?」
「キュウゥゥゥ」
ジェリカも笑っていないで、たまにはフォインセティアの粗相を叱ってくれよ……。
最後の最後まで、本当によくわからない奴だったな。
「ジルコくん。馬車が来た」
「そうか」
俺はリドットの手を借りて立ち上がり、最後に彼と抱き合った。
「元気で。また会おう、ジルコ!」
「達者でな、リドット、ジェリカ! ……ついでにフォインセティアも」
リドット、ジェリカ、フォインセティア。
ベリルと娼館街の子供達。
そして、通りの影からこっそり見送りに来てくれていたアガパンサス。
この町で出会った温かい人々に見送られ、俺はクォーツを発った。
◇
駅馬車に揺られてしばらくした頃。
「で、フロス。なんでお前が俺達についてきているんだ?」
荷台の隅でフードを深々と被っている女性に言うと、驚いた様子で彼女はフードを下ろした。
……やっぱりフロスだったか。
「さ、さすがジルコさん。よくお気付きで……っ」
「いつの間にか町からいなくなっていたから、ヲピダムに戻ったかと思ったよ」
「うふふ。すでに父や仲間達には話を通してありますわ」
「話って……?」
「わたくし、もう少しだけジルコさん達にお供して、見聞を広めたいと思いますの!」
まさかの申し出に、俺はびっくりした。
そして、俺の隣に座るネフラはもっとびっくり――否。嫌そうな顔をしている。
「それは構わないけど、本当についてくるのか?」
「ええ! それに、お二人の行く末をしかと見届けたいと思っておりますし」
「ゆ、行く末って……」
「戦闘もそこそこできますし、お給料もいりません。臨時のギルドメンバーとでも思ってくださいまし!」
「そういうことなら……臨時の受付嬢ってことでどうかな?」
「はい! それで結構ですっ」
無給で働いてくれる受付嬢ゲット。
……とはいかないか?
「フロス。ギルドの一員になるつもりなら、非常識なことは慎むこと」
「もちろんそのつもりですわ。人間界の常識はそれなりに熟知しておりますので、ご安心を!」
「仮にもジルコくんはギルドマスター代理。気安く傍に寄ってはダメだから」
「わかっております♪ むしろネフラさんを応援していますわ!」
「それならいい」
どことなく満足げなネフラ。
まぁ、フロスは信頼できる女性だし、このままギルドに居ついてもらっても問題はなさそうだな。
無給でいいって言ってるし。
それに、どんどん寂しくなるギルドに少しでも新顔が増えるのはいいことだ。
いつかギルドをやり直す時のためにも……。
「あら? 雨かしら」
「……雨。ジルコくん、雨除けの板を取ってくれる?」
「ああ」
ポツポツと降りそそぎ始める雨。
見上げると、いつの間にか空に黒い雲がかかっていた。
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