6-049. さよなら、先生③
上空から翼のはためきが聞こえた。
直後、屋根の上にフォインセティアの足に掴まってネフラとジェリカが降りてくる。
二人は俺の両隣に立つや、先生と向かい合う。
「ジルコくん、一人で戦う気!?」
「よもや一人で解決しようなどとは思うまいな、ジルコ!!」
ネフラはミスリルカバーの本を開いて。
ジェリカは鞭を構えて。
すでに臨戦態勢に入っている。
「……まさか。今さら一対一なんてこだわりはない」
空を見上げると、上空ではフォインセティアが旋回し始めた。
彼女も含めればこっちの頭数は四人だ。
「二人とも聞いてくれ。サルビアはあと数分足らずで完全に開花する。そうなれば周辺に毒を撒き散らす悪魔になっちまう」
「それは止めねばなるまいな」
「でも、簡単にはいかない」
「まずはあの女を仕留めねばならないということか」
「そう。先生を――あの人を倒して、直ちにサルビアを破壊する。二人の力を貸してくれ」
「皆まで言うな。これまでも共に戦ってきた仲間ではないか!」
「ありがとう、ジェリカ。それに――」
俺が顔を傾けた先には、ネフラの顔がある。
彼女は覚悟を決めた表情で、俺にこくりと頷いた。
「――ネフラ。決着をつけよう!」
こちらの士気が高まる中、先生はじっと俺達を見入っていた。
彼女は片手にそれぞれ宝飾杖と宝飾付け爪を装備し、さらに支援型魔法武装を操る。
その気になれば、一人で瞬時に複数の魔法陣を描けるだろう。
四対一でも油断はできない相手だ。
「準備は整いましたか。では、参ります――」
車輪型の支援型魔法武装が横に回転しながら、先生の頭上へと移動していく。
まさに天使の輪のような構図だ。
「――いざ!!」
回転する光輪が赤い輝きを放った。
「熱殺火槍×7!!」
支援型魔法武装の側面から炎の槍がいくつも飛び出した。
それらは武装の高速回転によって真っすぐ飛んでくることはなく、撃ち出された直後に大きく弧を描いて俺達へと向かってくる。
「躱せっ!!」
降りそそぐ熱殺火槍の雨。
それらを躱すさなか、視界の端に赤色と緑色のエーテル光が見えた。
魔法陣の光――先生が右手の宝飾杖と左手の宝飾付け爪で二つの魔法陣を描いている。
そのうち、いち早く完成したのは杖で描かれた魔法陣だった。
「九つ頭の炎蛇の鞭舌!!」
魔法陣から九つの炎蛇の鞭舌が放たれ、蛇のようにうねりながら屋根の上を打ち付けてくる。
それらはたった一撃で屋根を砕き、建物を傾かせてしまう。
「隣の建物に!」
俺が言うまでもなく、ネフラとジェリカは建物を飛び移っていた。
その一方で、他の二人と距離が開いていた俺は熱殺火槍と炎蛇の鞭舌の破壊の余波を背中に感じながら、際どいところで隣の屋根へと飛び移ることができた。
しかし、気を抜く暇はない。
最後の熱殺火槍が今になってこっちの屋根へと直撃したのだ。
「うおおっ!」
間近に落ちた熱殺火槍の衝撃波に煽られ、俺は危うく斜面を転げ落ちそうになった。
なんとか踏み留まった矢先、今度は真横から斜面を滑るようにして炎の鞭が迫ってくる。
体勢が悪い。
このままじゃ跳ぶことも避けることもままならない。
……やられる!?
「何してるっ!!」
その時、ジェリカの声と共に何かが俺の腹に巻き付いた。
これはもしやジェリカの鞭――
「うわぁぁぁっ!!」
――と思った瞬間、俺の体が凄まじい勢いで引っ張られた。
間一髪、炎は足の裏をかすめただけで済み、俺は反対側の屋根まで転がってネフラに受け止められた。
「ジルコくん、大丈夫!?」
「あ、ああ……」
……足の裏が熱い。
一瞬でも遅れていれば、炎の鞭に薙ぎ払われていたところだ。
「油断するな、馬鹿者っ」
「ごめん!」
ジェリカの一喝に猛省する間もなく、いくつもの炎の鞭が屋根の上をのたうちまわりながら迫ってくる。
その奥で、緑色の魔法陣が完成するのが見えた。
「死を呼ぶ囁き!!」
先生が魔名を口にしてすぐ、周囲を生暖かい風が吹き抜けた。
撫でられただけで鳥肌が立つような不気味な風だ。
そう思った瞬間、俺は手足が石のように重くなっていくのを感じた――否。すでに全身が重くて動けない。
「か、体が……」
「何の魔法だこれは!?」
「いけない! この魔法は……っ」
俺とジェリカが不可解な現象に困惑する中、ネフラの開いていた本が輝いた。
「事象抑留!!」
直後、俺達三人の体から剥ぎ取られるようにして緑色のエーテル光が本の中へと吸い込まれていく。
光が消えると、手足は元通りに動かせるようになった。
「今のは対象の身動きを封じる魔法! 気を付けて、こんな状況で動きを封じられたら――」
口上の途中、ネフラの背後から炎の鞭が振り下ろされる。
「伏せろ!!」
言うが早いか、俺の指先は宝飾銃の引き金を引いていた。
光線は炎の鞭を撃ち抜き、その魔力を相殺して霧散する。
「あ、ありがと。ジルコくん」
「油断するな!」
同様に、屋根の上を迫ってくる炎の鞭めがけて光線を連射。
間もなくして、炎蛇の鞭舌は火の粉を散らしながらすべて視界から消え去った。
「二分経過。ブルームの開花まであと何分あるかしらね、ジルコくん?」
「くっ」
先生は浮遊する支援型魔法武装に掴まって、隣の建物へと自らを運ばせていた。
撃つなら今か……?
否。まだ早い。
屋根の上まで来て、先生が支援型魔法武装から手を離した。
……ここ!
狙うなら、彼女の体が完全に空中にあるこの瞬間だ!!
「油断したな!!」
俺は避けようがない一瞬の隙を狙って引き金を引いた。
……はずだった。
「何ぃっ!?」
俺の放った光線は先生に届く寸前で方向を変えた。
「蜃気楼の甲殻。もう宝飾銃を受けるのは懲り懲りですから」
「光の屈折による防御魔法、か……!」
宝飾銃の弱点、やはり先生には知られていたか。
俺達が炎蛇の鞭舌を躱している間に、すでに防御魔法を使っていたんだな。
こうなると俺の宝飾銃じゃ先生を仕留められない。
……でも、一人の欠点を補えるのがパーティーの強みだ。
「ジェリカ!!」
「応さ!!」
俺の合図でジェリカが斜面を駆けだした。
彼女が鞭をしならせた瞬間、その動きに反応して支援型魔法武装が先生の盾に。
ジェリカの振るう鞭は武装の装甲に阻まれたが、そのおかげで上の守りは手薄になった。
「キュウゥゥッ!!」
今まで身を隠していたフォインセティアの攻撃。
空から急降下してくるサンダーバードの速度は先生も想定外だったようで、武装を頭上に戻す間もなく、フォインセティアの間合いに入った。
先生はフォインセティアの爪襲を避けたものの、翼にぶつけられて屋根の斜面を転がり落ちる。
「お返し! 事象解放・熱殺火槍!!」
体勢を整えようとする先生に向かって、ネフラがすかさず魔法を放った。
躱せない――そんなベスト・タイミングな一撃だった。
しかし、先生は空に飛び上がってその攻撃すらも躱してしまう。
飛翔戯遊の効果がまだ残っていたとは、策士だな……!
だが、まだこちらの攻撃は終わっていない。
「キュウウッ!!」
ネフラの魔法に気を取られた一瞬の隙をついて、先生の背後からフォインセティアが仕掛ける。
「後ろ!?」
背後からの接近に気付いた先生は、自分を守らせるために支援型魔法武装を動かす。
しかし、その行為こそが俺達の付け入る隙となる。
「させぬわ!!」
その瞬間を狙っていたジェリカが支援型魔法武装へと鞭を絡みつけた。
ジェリカの怪力に引っ張られて、さすがの支援型魔法武装も移動できずにその場に留まっている。
今この瞬間、先生を守る盾はない。
「今だフォインセティア、叩き落せっ!!」
ジェリカの言葉に答えるように、フォインセティアが三度先生へと襲い掛かった。
無防備だった先生の胸元をその爪撃が一閃――破れたワンピースの胸元から、装飾品の白い花が散ると共に赤い血が噴き上がるのが見える。
「やったか!?」
……否。
先生は衝撃で吹き飛ばされたものの、空中に留まっている。
わずかに体を傾かせて、致命的なダメージを避けたようだ。
「廻転斬輪!!」
先生はフォインセティアとすれ違い様、魔法陣を描いていた。
それは車輪のように回転する風の斬撃魔法で、先生に背を向けていたフォインセティアの背中を叩き斬ってしまう。
「キュウッ!?」
フォインセティアが路上へと落ちていく。
カーネリアにやられた火傷もあって、風魔法のダメージに耐えられなかったか。
このままじゃ路上を流れる黒い波に落ちてしまう。
「ネフラ、フォインセティアを!」
「もちろん!!」
俺が指示を出す前にネフラは動いていた。
「事象解放・騒乱の架け橋!!」
ミスリルカバーの本から土色の輝きが起こった瞬間、足場に異変が生じる。
屋根に敷き詰められていた瓦が滑るように路上側へと落ちていったかと思えば、空中に即席の渡り廊下を作っていく。
それが対面の建物へと届いた時、瓦で出来た橋の上にフォインセティアが墜落した。
「キュゥゥ……?」
ヘトヘトのようだが、フォインセティアはなんとか生きている。
俺はホッとする間もなく先生へと視線を戻したが――
「素晴らしい連携です。さすがは世界最強ギルド〈ジンカイト〉」
――すでに彼女は空中に多数の魔法陣を描いており、まばゆく輝くエーテル光によってその姿は隠されていた。
その魔力は凄まじく、多重魔法陣が展開する余波で建物が激震するほど。
「あなた達とともにクォーツの全住民の命を断ちます。せめて、死よりも辛い地獄を味わわせぬように」
俺の視界に映ったのは半径30cm以上の大型魔法陣ばかり。
その数は、ざっと目算したところ10個――それらの魔法陣が規則的に並び、陣と陣の間を光の線が繋いで、空に描かれた巨大な図面のようになっている。
しかも、いずれも赤色の魔法陣――高火力の火属性体系の多重魔法だ。
支援型魔法武装の助力があるとは言え、たった一人の魔導士がほんの数秒でこの規模の魔法陣を展開するなんて人間技じゃない。
先生の実力はクリスタと同等か、それ以上か……!?
「セフィロトの図!? 十重奏魔法だなんて!!」
言いながら、ネフラが慌てた様子でミスリルカバーの本をめくり始めた。
彼女の焦り様から事態の悪さが察せる。
あの多重魔法が発動したら、事象抑留でも防ぎきれないだろう。
仮に生き残っても周囲の建物はすべて倒壊し、路上に流れる黒い波に落ちて一巻の終わりだ。
そう考え至った時、すでに俺は両腕を掲げていた。
二丁の宝飾銃を頭上で交差させ、引き金を引いたまま両手ともに半円を描くように振り下ろす。
空に走る二条の光線は大きく0の文字を描き――
「斬り撃ち・零!!」
――魔法陣の輝きが最高潮に達するよりも早く、十の陣のうち外側の七つを斬り裂いた。
「なっ!?」
斬り裂かれた魔法陣の隙間から、驚く先生の顔が覗いた。
斬り撃ちを浴びたセフィロトの図面は見る見るうちに崩れ落ち、虚空へと霧散していく。
多重魔法は威力こそ極まっているが、一方で明確な弱点がある。
展開された多重魔法陣はその多くが密接に干渉し合っているゆえに、半分以上の魔法陣の完成を妨害できれば、すべての陣が自壊してしまう。
仲間のサポートもなく使うには危険な大技なのだ。
「独りで倒せる相手と思うな、先生!!」
「くっ」
とっさに先生の身を支援型魔法武装が隠した。
しかし、同時に彼女の足首へと何かが巻き付く。
「少々油断が過ぎるな!!」
それはジェリカの鞭だ。
彼女はいつの間にか先生の死角へと回り込み、足元から鞭を放っていた。
「しまっ――」
「天使でもあるまいし、ヒトならばヒトらしく地に足をつけんかっ!!」
飛翔戯遊の飛翔力もジェリカの怪力には敵わない。
先生は一気に地上へと引き寄せられ、俺でも跳び上がれば届きそうな位置にまで高度が下がった。
しかし、すでに彼女は杖で新たな魔法陣を描きつつある。
「熱傷吹き矢!!」
「きゃっ!?」
刹那、小さな炎の矢が先生の手元にある杖を砕き割った。
杖の破損によってエーテルが途切れた魔法陣は、完成を見ずして霧散していく。
今のはネフラの事象解放!
いざという時に頼りになる――さすが俺の相棒だ。
「ジルコくん、今!!」
「ジルコ! おぬしの恩師ならば、おぬしが引導を渡してやれ!!」
ネフラとジェリカの声が俺の背中を叩いた。
すでに俺の銃口は先生へと向いている。
支援型魔法武装が守ろうとしても、俺の光線が届く方が早い。
これで決着だ――
「!?」
――そう思った矢先、支援型魔法武装が高速回転しながら落下してきた。
狙いは俺か?――否!!
「逃げろ、ネフラァッ!!」
「えっ」
俺はとっさに声を荒げた。
しかし、ネフラは視線を下げていたため、支援型魔法武装の動きが目に入っていない。
彼女が自力で攻撃を躱すのは不可能だ。
先生の支援型魔法武装は車輪の形をしている。
それが高速回転して生身の人体に衝突した時の威力は想像を絶する。
あんなものをぶつけられたら、ネフラは……!
「うおおおぉぉっ!!」
俺はすぐさま屋根を蹴ってネフラの元へと跳んだ。
宝飾銃で支援型魔法武装を撃ったところで破壊は不可能。
いくらジェリカでも、高速回転して突っ込んでくる武装に鞭を絡ませることは期待できない。
打つ手なしか? ……否!!
あの子を助けるために俺ができることは――
「間に合えぇぇぇっ」
――この身を捧げることだけだ。
「ジルコくん!!」
「ジルコ!!」
ネフラとジェリカの叫び声が聞こえる。
その時、俺の目の前にはネフラの顔があって――
「間に合っ」
――巨大な衝突音が空に響いた。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
鼓膜が破れそうなほどのネフラの悲鳴。
彼女をかばって支援型魔法武装を受けたことで、俺は――
「……あれ?」
――痛みがない。
「ジルコくん!!」
「俺は……生きて……?」
涙目になったネフラが俺にすがりついてくる。
てっきりバラバラに千切れ飛んだと思っていた俺の体は五体満足で、何の痛みもなく彼女の顔を見下ろしていた。
な、なんで……?
「遅くなってすまない!!」
静けさの戻った頃に背後から聞こえてきた声。
それを聞いて、俺は声の主の顔を見るまでもなく口元が緩んでしまった。
「本当、遅いよ――」
振り向けば、そこには俺がさんざん追いかけてきた男の姿が。
「――リドット!!」
全身を覆う白銀の甲冑。
身の丈以上の大きさを誇る巨大な盾。
世界最硬の防御力を誇る盾衛士――〈護国の防人〉リドット・ゴールデンアップル。
これ以上ない、格好いい登場の仕方じゃないか。
「この国も、この町も、そして仲間達も――僕が護る!!」




