6-048. さよなら、先生②
サルビアを中心に拡がる黒い波はとどまる気配を見せない。
建物の上から町を眺めるとよくわかるが、すでに娼館街を飲み込んで、表通りにまで侵蝕を始めている。
遠目には、建物に閉じこもる者、屋根の上に登る者、波から逃げようと馬車を走らせる者など、混乱が見て取れる。
俺がアイオラ先生に向けて引き金を引こうとした瞬間、彼女が口を開いた。
「私を撃つ前に、することがあるのではなくて?」
「なんだと」
「彼女達を戦いに巻き込む気かしら?」
「……!」
先生が言っているのは、ラチアと母さんのことだ。
あろうことか、銃口を向けた相手からそんなことを指摘されるなんて……。
「ムシリカ。お前に頼みたいことがある」
「あぁ!? なんで今だよ!?」
「ラチアと母さんを安全なところまで連れて行ってくれ」
「おいおい。俺をパシリ扱いする気かよ?」
「頼む」
「……わぁったよ。武器もねぇんじゃ足手まといだしな」
そう言うと、ムシリカは磔刑台に磔にされていたラチアの鎖を解き始めた。
「友からの頼みだ。死ぬ気で果たせよ、ムシリカ」
「友ねぇ。〈ジンカイト〉の連中と馴れ合うつもりはねぇけど、頼まれちゃしょうがねぇよな!」
ムシリカは鎖を解いてラチアを肩に担いだ後、横たわっていた母さんも担ぎ上げた。
「二人が起きたらなんて説明すりゃいいんだ?」
「説明は必要ない」
「なんで?」
「サンストンまで送っていってほしい。二人には、この場で起こったことを知られたくない」
「はぁっ!? ここからサンストンまで何日かかると思ってんだよ!?」
「頼む」
「ったくよぉ! 勝手な奴だぜ、お前はよぉ!!」
そう言いながらも、ムシリカは二人を担いだまま屋根の上を走り出した。
「あとで上手い酒を奢りやがれ!!」
「ああ。約束するよ」
その会話を最後に、ムシリカは隣の民家へと飛び移っていく。
俺はその背中を見送りながら、家族の無事を祈った。
「もう間もなくブルームが完全に開花します――」
空から先生の声が聞こえてくる。
「――今はまだ五分咲きといったところですが、満開となった暁にはクォーツをまるごと飲み込み、さらに遠方へと種子を飛ばすことでしょう」
俺は二丁の宝飾銃を構えながら、再び先生を見上げた。
彼女はサルビアの頭頂部に割いた巨大な花を見つめている。
その表情はなぜか……寂しそうに見えた。
「ブルーム――察するに、その植物のような魔物を指しているのね」
ネフラはミスリルカバーの本を開きながら、敵意いっぱいの眼差しを先生へと向けている。
「こんなもの西でも東でも見たことがない。貴様、何をした!?」
鞭を構えながら、ジェリカも同じ眼差しを先生へと送っている。
その隣ではフォインセティアも睨みを利かせる。
「この世には多くの欲がありますが、知識欲は特に罪深いと言えますね――」
ネフラとジェリカに応えるかのように、先生は俺達の方へと視線を落とした。
「――魔物の種子を研究し続け、あの方はとうとう魔物が進化するプロセスを解き明かしました。このブルームは、その理論を証明するための最初の実験体と言えましょう」
実験体だって?
クォーツを巻き込んだこの騒動は、イスタリにとっては実験に過ぎないって言うのか!?
「仮説が正しいかどうかは、実践してみなければわかりません。しかし実験が成功すれば、この世界の解明へとまた一歩近づくことができるのです」
世界の解明……?
たしかガブリエルもそんなことを言っていたな。
それがイスタリの真の目的だとするならば、闇の時代を復活させることが世界の解明に繋がるって言うのか!?
……馬鹿げている!
「成功なんてさせてたまるか。あんた達の仮説とやらは、ずっと机上の空論でいてもらった方が世のためだ!!」
「そのセリフ、あの方の前でも言えますか?」
「むしろ一番言ってやりたい相手がイスタリの野郎だよ!!」
俺は怒鳴るように感情を吐き出すと、先生に向かって光線を撃ち放った。
二条の光は瞬く間に先生の元へと達したが、やはり支援型魔法武装によって弾き返されてしまう。
「事象解放・激震槌×2!!」
ネフラが魔名を叫んだ直後、通りから二本の石柱が突き出してきた。
石柱は、通りを覆う黒い波を押し退けて、そのまま空高くに伸びていく。
「ジェリカ!」
「応さ!」
俺とジェリカは屋根から跳んで、それぞれ石柱へと飛び乗った。
石柱はさらに伸び続け、とうとう浮遊する先生の元へと俺達を運んだ。
「先生、覚悟!!」
「観念せいっ!!」
俺達と先生の視線が並んだ。
その瞬間、俺は引き金を引き、ジェリカは鞭を振るう。
俺の光線は支援型魔法武装によって阻まれたが、ジェリカの鞭はその外装へと絡みついた。
「うおりゃああああああっ!!」
ジェリカは矢継ぎ早に鞭を引っ張る。
彼女の怪力に加えて、サルビアよりも高くなった石柱に引っ張られる形で支援型魔法武装が傾いていく。
結果、その裏に隠れていた先生の姿が露わになる。
「そこだ!!」
躱す隙も与えない――俺は即座に第二射を放った。
二条の光線は支援型魔法武装の真横を通り抜け、ついに先生の肩口を捉えた。
「うっ!!」
肩をかすめてのけぞったものの、彼女はすぐに宝飾付け爪にエーテル光を灯した。
魔法陣を描かせてたまるか!
俺は石柱を蹴って、浮遊する先生のもとへと飛び込んだ。
しかし、俺が飛びつくよりわずかに早く、彼女は俺から離れるように空中を横に滑っていってしまう。
これじゃ俺はただ投身自殺を敢行しただけ――
「残念! 抱きとめてあげるほど優しくはないの」
――否。そう思わせるまでが、俺の作戦だ!
「やあぁっ!!」
空中を落下する中、俺は利き手に握っていた宝飾銃を先生の顔めがけて投げつけた。
「えっ!?」
彼女は間一髪のところで銃身から身を躱したが、すぐにその表情が硬直する。
後方へと抜けていったはずの銃身が、再び自分の目の前に現れたことに困惑したのだ。
「な、なぜっ!?」
「気付かないか、先生!!」
俺の利き手の手袋からは、目を凝らさないと見逃してしまうほど細いワイヤーが伸びている。
もちろんワイヤーを結んでいるのは、投擲した宝飾銃のグリップだ。
先生は銃の投擲を苦肉の策だと思ったろうが、それは誤り。
グリップに結ばれていたワイヤーは、彼女が躱した直後にその肩へと引っ掛かり、銃身に引っ張られて振り子のような動きを見せる。
結果、後方からぐるりと弧を描いて彼女の手前へと戻ってきたのだ。
ワイヤーはその勢いのまま体へと巻きついていき、先生をがんじがらめに縛りつけた。
「なんですって!?」
「一緒に地上に落ちてもらう!!」
「きゃあああっ」
先生の体は俺の落下に引っ張られ、急降下を始めた。
空中を落ちるさなか、俺はワイヤーを引っ張って先生を手繰り寄せていく。
そうして俺は地面に落ちる前に彼女の体を抱きしめることができた。
「捕まえた!!」
「ジルコくんっ!?」
息が掛かりそうなほど近くに先生の顔がある。
彼女は想定外の事態に顔を青くしており、さすがに宝飾付け爪で新たな魔法陣を描く余裕はないようだった。
このまま地面に叩きつければ、俺の勝ちだ――
「……あっ!」
――と思ったところで、俺は落下先の通りが一面黒い波に覆われていることを思い出した。
このまま黒い波に落ちたら、先生ともども侵蝕されちまう!!
「ぎゃっ!?」
水面が目の前まで迫った瞬間、俺の両肩に尋常でない痛みが走った。
それから急に落下の感覚を失い、逆に体を引っ張り上げられるのを感じた。
「キュウウッ!!」
聞こえてきたのは、フォインセティアの鳴き声。
俺は黒い波に飛び込む寸前、彼女の足に肩を鷲掴みにされて持ち上げられていたのだ。
「フォインセティア……ッ!!」
際どいタイミングだったが、ギリギリで拾い上げてくれて感激だ。
肩は死ぬほど痛いけど……。
「あなたに抱きしめられるなんて、同じベッドで寝ていた時以来ですね」
「せ、先生っ!?」
フォインセティアによる束の間の空中遊泳のさなか、先生がとんでもないことを言い始めた。
否。事実ではあるのだが、それは十年以上も昔――俺が先生に弟子入りしたばかりの頃の話じゃないか。
当時、先生が借りていた物件が一部屋しかない上に、部屋も狭かったので、渋々同じベッドで寝ていたってだけのことだ。
……先生を抱きしめていたのは……ガキの時分に寂しかったから? なんだと思うが、よくは覚えていない!
「男性の臭い。大人になりましたね、ジルコくん」
「ちょっ!?」
先生が俺の胸元に顔をうずめている。
まさか臭いを嗅いでいるのか?
こんな状態で!?
「キュウッ!!」
フォインセティアが鳴いた直後、俺達は空中へと投げ出された。
目の前には民家の屋根。
「うわあああっ」「きゃあああっ」
俺と先生は突然の落下に悲鳴を上げ、揃って屋根の上へと墜落した。
不運だったのはそこが三角屋根だったことで、俺は先生を抱きしめたまま、斜面を滑り落ちていく。
もちろん屋根の下には黒い波――落ちれば死ぬ。
「こ、来いぃっ!!」
突発的な先生の掛け声。
直後、空から支援型魔法武装が降ってきて、民家の軒先に突き刺さった。
おかげで支援型魔法武装が壁となり、黒い波に飛び込むことだけは避けられた。
「……は、あ、あぁ……っ。し、死ぬかと思った……」
「ほ、本当。命拾いしましたね……」
殺し合いをしているはずなのに、お互いの口から出たのはそんな言葉。
俺は思わず先生と顔を見合わせてしまった。
「……」
「……」
沈黙。
互いの鼻が触れそうなほどの近距離で、俺は先生と見つめ合った。
彼女は先ほどまでの冷たい表情は消え失せ、俺のよく知る表情に戻っていた。
そう。優しい先生の顔に、だ。
「先生」
「ジルコくん」
先生は頬を赤くしていた。
俺も心なしか顔が熱い――きっと同じ顔をしているのだろう。
「ジルコくんーーーーっ!!」
その時、遠くからネフラの声が聞こえてきた。
声のした方に向き直ると、向かいの民家の屋根からネフラが叫んでいるのが見えた。
「戦闘中でしょ! 敵同士でしょ!! くっついてないで離れなさいぃーっ!!」
……確かにその通りだ。
俺と先生は敵同士。
互いの目的を果たすために、殺し合いをしなければならない仲なのだ。
でも、本当にそうすることが正しいのだろうか?
また俺の心に迷いが生じてしまった。
以前、トルマーリに優柔不断と言われたことがあるが、まったく俺ときたらすぐに決意が緩んでしまう。
……相手が先生だからか?
「ネフラさんの言う通りです。離れましょう」
「……」
「私もあなたも十年前とは違う。お互いに犠牲を押し付けてでも、押し通さなければならない意地がある」
「俺達、本当に戦わなければならないんですか?」
「そう。残念だけれど、それが私達の運命だったということです」
「俺達の……運命……」
先生と再会した時、まさかこんなことになるなんて思わなかった。
あの日以来、一人になった時に思い出すのは、不思議と昔のことばかり。
懐かしい過去の情景。
子供の頃の淡い想い。
運命なんて言葉で片付けられるほど、俺の思い出は軽くない。
しかし、世界の危機には代えられないのも事実だ。
「……」
俺は先生の背中に回していた腕を解いた。
続けて、宝飾銃とワイヤーを回収して斜面を登る。
俺が屋根の棟に立った時には、先生も斜面を上がってきていた。
先生は支援型魔法武装を浮かせた後、俺と向かい合うようにして棟の対面に立った。
そして、胸の谷間からおもむろに宝飾杖を取り出してみせる。
……クリスタと同じところに杖を隠しているんだな。
「ブルームには段階があります。あなた達が奈落の宝石と呼ぶ六つの忌み物を捧げることで、ブルームは限界まで成長し、満開の花を咲かせます」
「そんなことは俺が絶対に阻止する」
「……焦らないで。六つの忌み物がブルームの内側で完全に同化するには、まだ数分ほどの猶予があります」
「なぜそんなことを俺に?」
「だってその方がフェアでしょう。勝負事にはズルはよくありませんから」
「確かに、先生はロウ・カードでもズルはしていなかった」
「ですから、数分以内に私を倒し、ブルームを破壊できればあなた達の勝ち」
「……簡単じゃないな」
「当然です。私が命を懸けて守りますから」
「俺も――」
結局迷いは晴れていない。
でも、それでよかったのかもしれない。
先生を憎しみのままに殺してしまったら絶対に後悔する。
だけど、救うためならば殺すことにもきっと後悔はない。
殺してでしか止められないのなら、彼女がこれ以上罪を重ねることを防ぐために俺は彼女を殺す。
それが自分に対する精一杯の言い訳……。
「――命を懸けてあなたを止めます、アイオラ先生」
その言葉をかけた後、先生はにこりと笑った。
「立派になりましたね、ジルコくん。さぁ、殺し合いましょう」




