2-019. ギルドマスターの帰還
正午になり、ギルドの外から時計塔の鐘の音が聞こえてくる。
酒場では、俺とネフラとアン、そして縛られたままのジャスファと彼女を見守る取り巻き達で、ギルドマスターの帰りを待っていた。
親方はあれからずっと工房に閉じこもったままだし、ゾイサイトは少し前にふらりとギルドから出ていったきり戻ってこない。
「そろそろ帰ってくる頃かな」
「知らないっ」
ネフラに声をかけたら、ふん、とそっぽを向かれてしまった。
半日、半裸で放置していたことをまだ怒っているようだ。
……そりゃ怒るよな。
「帰ったぞぉー!」
入り口の扉が開かれ、ひさびさに聞く声。
ギルドマスターが帰ってきた。
「おかえりギルドマスター。……何持ってんです?」
出迎えて早々、俺はギルドマスターがやたら大きな木箱を肩に担いでいるのが気になった。
ギルドマスターは木箱をドスン、と床の上へと置く。
「土産だ!」
そう言ってギルドマスターが木箱の蓋をはぎ取ると、中には肉やらチーズやら酒やらがごっそり詰められていた。
他にも宝石や小さな武器類、そして衣類が収まった袋が見られる。
「ん。ジャスファじゃないか!」
ギルドマスターがジャスファの存在に気づき、彼女に歩み寄って行く。
それを見てジャスファは顔を青くし、床の上を這うようにしてギルドマスターから逃げようとした。
だが、逃げられるわけもなく、あっさりと彼に捕まってしまう。
「どこへ行くんだジャスファ?」
ギルドマスターはジャスファの鎧の襟を掴むと、軽々と宙に持ち上げた。
「んーっ! んんーっ!」
空中でジタバタと暴れるジャスファ。
何を言っているのかは、猿轡のせいでさっぱりわからない。
「言いたいことがあるなら、ハッキリしゃべれ」
ギルドマスターはジャスファの口を封じていた猿轡をむしり取った。
「てめぇ、離せよこのクソ野郎! 死ねっ!!」
突然の暴言……。
ギルドマスターに向かってなんてこと言うんだ。
「ジャスファ。なんでお父さんと呼んでくれない」
「恥ずかしいこと言ってんじゃねぇ! ぶっ殺すぞコラァッ!!」
う~ん。ぜんぜん噛み合わないな、この親子。
七年前からやり取りがまったく変わっていないのは驚きだ。
「そんなこと言って照れてるんだな? お父さん、今日はお前のためにプレゼントを持ってきてやったんだぞ」
「何がお父さんだ! そんなもんいるかボケェ!!」
「おっ。今お父さんって呼んでくれたな」
「違ぇよ! さっさと下ろせ、この野郎っ」
娘を溺愛する父親。
そんな父親を煙たがる娘。
そういうありがちな構図なのだが、この親子は少々複雑な関係なのだ。
以前、俺が酒の席でギルドマスターから聞いた話――
若い頃のギルドマスターは稼いだ金を博打と女遊びで浪費しまくっていた。
博打で大負けして借金を作る一方で、なんと20人以上の女性との間に子供を設けてしまったらしい。
その上で誰とも結婚せず、しかし母親と子供には律儀に生活費を工面していたと言う。
子供達が成人するまでの15年間、20組以上の妻子の生活費を肩代わりした結果、借金は目もくらむような額になった。
で、仕方ないからギルドを作ったと言うのが、世界最強ギルド〈ジンカイト〉誕生の経緯だ。
〈ジンカイト〉のギルド名も、どん底からの復活を意図して名付けられた名前だとか。
――ジャスファはちょうどギルド設立前後に母親が亡くなり、14歳だった彼女を無理やり彼が引き取ったということだが、その結果が今のジャスファだ。
「ジルコ。ジャスファが何かやらかしたのか?」
「お、おいジルコっ! 変なこと言ったらぶっ殺すかんな!?」
ここまで取り乱すジャスファを見るのは初めてだなぁ。
もちろん正直に全部話すぞ。
お前の始末はギルドマスターにつけてもらうんだからな。
◇
「なんてこった……」
ギルドマスターは、らしくなく頭を抱えていた。
「ジャスファよ。王国兵に突き出されなかったことをジルコに感謝しろ。本来ならば冒険者の資格剥奪の上、鞭打ちに加えて焼印刑だったろうからな」
「うるせぇ! あたしは、あたしのやりたいように生きてるだけだ。誰に何を感謝しろってんだ!!」
娘の啖呵を聞いてギルドマスターが溜め息をつく。
「俺はお前を甘やかしすぎたようだ。冒険者となった娘を傍に置いておきたいという親心が、お前をそんな我儘な頑固者に育ててしまったんだな」
傍に置いておきたいって……。
あんた、ずっと放任してたじゃないか!
……とは言えない。
「お前の罪は俺の罪。俺は覚悟を決めたぞ!」
「は? あんた何言って……」
「今日からお前は俺と寝食を共にし、淑女として生まれ変わるまで大陸横断花嫁修業だ!!」
「はあぁぁぁぁっ!?」
……あれ?
話がおかしな方向に進んできたぞ。
ギルドマスター、あんた何言ってるのか自分でわかってます?
「まずは恰好から入ろうじゃないか!」
ギルドマスターは木箱の中にあった袋を掴みあげると、ジャスファを持ち上げたまま廊下へと向かって行った。
「ジルコ。ちょっと応接室使うぞ」
「は、離せっ! ふざけんじゃねぇぞ!?」
いくら暴れても、ジャスファの足は空中を蹴るだけ。
そのまま廊下の奥へと連れて行かれるのだった。
「なんだよ淑女って! なんだよ花嫁修業って!? あたしに何させる気だっ!?」
応接室の扉が閉じられた後は、しばらく部屋の中からジャスファの怒声と悲鳴が聞こえてきた。
「いったい何が起こってるの……」
「あたしの知らないギルドマスターの一面を見た」
ネフラとアンが廊下を覗き込んで、興味深そうに応接室の扉を眺めている。
「あの……姐御はどうなっちまうんでしょ?」
取り巻きの一人が、おろおろしながら尋ねてくる。
「どうなっちまうのかは、俺も知りたいよ」