6-044. 天に昇る地獄の花
海峡都市で捕まったクランクこそがイスタリだと思っていたが、まったくの見当違いだ。
本物のイスタリは捕まるどころか、今まさにクォーツで暗躍している。
エル・ロワ西部の各町へ寄贈された奈落の宝石に始まり、突如クォーツに迫り始めた魔物の群れ、そして魔物と化したサルビアの存在。
これらは裏でイスタリが糸を引いていたのだ。
この地で巻き起こる魔物事変は、すべて奴に仕組まれたことだった。
「グウウゥゥオオオッ」
突然サルビアに異変が起こった。
四肢を震わせ、首を捩じり、背中から生える触手が剣山のように鋭利に突き立ち始めた。
……まるで苦しんでいるようにも見える。
「サルビア!」
「ベリル、外に出ていろっ」
「ダメ! そしたらサルビアを殺す気でしょ!?」
「あいつは魔物なんだぞ! 生かしてはおけない!!」
「そんなの絶対ダメェェェッ」
ベリルは泣きながら俺を叩いてくる。
どうやらサルビアがあんな姿になってしまって混乱しているみたいだ。
サルビアは犬とはいえ、ベリルにとっては長年一緒に暮らしてきた家族のような存在だ。
魔物になってしまったことを受け入れられない気持ちはわかるが、このままだと奴が暴れ始めた時にこの子にまで危険が及んでしまう。
かといって、サルビアを殺すことには納得してもらえないだろう。
こうなったら気絶させるしか……。
「……でも、なぁ……」
どんな理由であれ、サルビアを殺してしまえば俺はきっとこの子に恨まれる。
もう女性に恨まれるのは懲り懲りだけど……仕方がない。
この場はベリルの安全が第一だ。
「ベリル」
「何よっ!」
「ごめん」
「は!?」
ベリルが俺を見上げた瞬間、宝飾銃の銃床で彼女の後頭部を小突いた。
その衝撃でベリルは瞼を閉じ、俺の体に寄り添うように倒れた。
「ネフラ、ベリルを外へ運んでくれ!」
「じ、ジルコくん……」
ネフラの声が震えている。
彼女は驚愕した面持ちで俺の背後の天井を指さしていた。
とっさに振り返ると、天井の穴から俺を見下ろしているサルビアと目が合う。
「グゥゥウウウゥゥ……ッ」
サルビアはうめき声を漏らしながら一階へと飛び降りてきた。
着地と同時にホールの床を踏み砕き、俺の足元まで亀裂が走ってくる。
奴の態度からは怒りを感じる。
魔物に感情が残っているなんて信じ難いが、明らかに俺に対して怒っている。
なぜだ?
……俺がベリルを殴ったからか?
「グゥウウウゥゥゥゥッ!!」
荒々しいうめき声と共に、サルビアの体に燃え盛る黒い炎が一層勢いを増した。
「待て! 俺がこの子を殴ったのは、この場から安全に逃がすためで――」
「グウゥゥッ」
「――って、犬に弁解してどうすんだ!」
「グウゥゥオォォォッ」
サルビアは前足で床を押し潰し、前傾姿勢へと変わっていく。
まずい。攻撃態勢に入った。
「ネフラ。フロスを連れて外に出ろ」
「でも……」
「急げ!!」
外へと向かうネフラ達の足音が聞こえた瞬間、俺は片方の銃をホルスターに戻してベリルを肩に担いだ。
直後、サルビアが床を蹴る。
元が大型犬のブラックハウンドとはいえ、今では全長5mほどの巨体にまで膨れ上がったサルビアは、暴走して突っ込んでくる馬車よりも怖い。
ベリルを抱えている以上、こいつに追いかけまわされるリスクは避けるべき。
ならば理想は早期決着――真正面から撃ち殺してやる!
「くらえ!!」
サルビアが俺に向かって前足を上げたタイミングで、宝飾銃の引き金を引いた。
一筋の光線がサルビアの胸部を貫き、奴の体を廊下の方へ吹き飛ばす。
「やったか……?」
倒れてピクリとも動かないサルビアだが、いまだ炎が消える様子はない。
……間もなくして、サルビアは触手を支えにして立ち上がった。
光線が貫通した胸部の穴は黒い炎が蓋をしてしまい、まったくダメージがないようにすら見える。
「なんで直撃を受けて動けるんだ!?」
宝飾銃の光線は魔物にとって致命的なダメージとなるはず。
それなのにサルビアは何事も無かったかのようにこちらへ向かってくる。
山のように大きな魔王クラスが相手なら納得もいくが、こいつは魔物の中でも中型程度のサイズだぞ。
そんな奴が宝飾銃の直撃を受けて平然としているなんてどういうわけだ?
「グウゥゥクアアァァ~~~~ッ」
サルビアが威嚇するように叫んだ直後、背中の触手が一斉に俺に向かってきた。
宝飾銃で数本の触手を焼き斬ったが、数が多すぎる。
このまま屋内に居ては躱しきることは難しい。
俺は槍のような触手の刺突を躱しながら、なんとか玄関口の扉を蹴り破って外へと転がり出た。
「げぇっ!!」
だが、サルビアが俺を追い立てるように突っ込んでくる。
とっさに躱したものの、サルビアがすぐ真横を弾丸のようにすり抜けていくのを見て肝が冷えた。
しかも、奴は勢い余って対面の建物へと突っ込んでしまった。
「あ、危ねぇ……っ」
サルビアの突っ込んだ建物からは悲鳴が聞こえ、壁に開いた穴からすぐに人が飛び出してきた。
そんな状況を目にしたものだから、通りに居た人達も異常を察して騒ぎ始めた。
クォーツの人達の認識では、魔物はまだ町の外にいることになっている。
それが、一匹とはいえ町の中に現れたのを目にした以上、抑えられていた恐怖が爆発してクォーツ全体に混乱が浸透しかねない。
今すぐサルビアを仕留めなければ……!
「ジルコくん、無事!?」
「ああ」
ネフラとフロスが駆け寄ってくるさなか、サルビアが壁の穴から這い出てきた。
奴は俺に向き直るや、触手を這わせながらゆっくりと近づいてくる。
……不気味だ。
近くに人間がいるというのに、動きが緩慢になっているのが気にかかる。
本来、魔物は本能的に人間や動物を襲う。
そこに理性など存在しないはずなのに、こいつは違う。
動きに迷いを感じる。
「ジルコさん、あの魔物は一体? どこから現れたのですか!?」
「娼館の裏に封印されていたらしい」
「封印? ……魔封陣ですか」
「さすが詳しいなフロス。あの魔導士の男が言っていた地獄の蓋とは、たぶんサルビアのことだ」
「事前に町の中に魔物を隠していたと? クォーツに迫ってきている魔物の群れとは別に……!?」
「黒幕はイスタリという人物だ。死にかけていた犬を何らかの方法で魔物化し、さらに奈落の宝石を使ってクォーツに魔物を引き寄せているのも、そいつの仕業に違いない」
「人為的に魔物を作り出すなんて信じ難いですわ。そのイスタリという人物は、一体何が目的なのです?」
「目的……それはおそらく――」
俺は海峡都市での出来事を思い出した。
ガブリエルによって引き起こされた魔物の種子の散布――イスタリはクォーツでその再現を企んでいるのではないか?
だとしたら事態は深刻だ。
魔物がさらに数を増やせば、起こることは決まっている。
「――大海嘯だ」
クォーツの人口は四千人ほど。
その住民すべてが魔物の種子に触れれば、数人から数十人は魔人と化すかもしれない。
動物型の魔物と違って、人間が魔物化した魔人は知恵が働く分、厄介だ。
そんなのが一匹でも野に放たれたら、魔物の数が一気に膨れ上がり、それこそ大海嘯の発生率が高まる。
海峡都市の時といい、イスタリは何がなんでも大海嘯を発生させるつもりなのだろう。
絶対に阻止しなければならない。
「ネフラは俺の援護を。フロスはベリルを頼む」
俺は肩に担いでいたベリルをフロスに預けた。
ベリルを受け取るや、フロスは少し不満そうな顔を見せる。
「わたくしも隣で戦いたかったです。でも、野暮と言うものですね」
「……」
「魔物はお二人にお任せして、わたくしはこの子を安全な場所へ連れて参ります。とりあえず〈火竜の癒し亭〉にでも」
「ああ。頼む!」
フロスにベリルを託し、俺とネフラは隣り合ってサルビアと向かい合う。
俺は両手に宝飾銃を構え、ネフラはミスリルカバーの本を開いた。
「ネフラ。奴は宝飾銃の直撃を受けても耐えきった。挙動もどこか普通の魔物とは違うから気を付けろ!」
「はい!」
サルビアから大量の触手が飛び出してきた。
俺とネフラが跳んでそれを躱すと、槍のように先端が尖った触手は軽々と床板を粉砕してしまった。
さらに触手は床から跳ね上がり、俺を追随してくる。
「くっ」
サルビアは数十本もの触手をすべて、俺だけに向けて放ってきた。
体をかすめただけでも死に至る必殺の刺突が絶え間なく押し寄せてくるので、とても生きた心地がしない。
しかし、相手はやはり魔物だ。
精密な突きではないので、躱すことは難しくない。
……でも、数が多い。
「事象解放・熱殺火槍!!」
ネフラの放った魔法が俺を追い立てる触手群を焼き尽くした。
その瞬間、サルビアの意識が俺からネフラへと向く。
「今だ――」
俺は左右の宝飾銃の引き金を引いたまま、光線が標的の胴体に交差するように斬り上げた。
「――斬り撃ち・罰天!!」
交差した光線が×の字にサルビアの巨体を斬り刻む。
斬り抜けた光線によって奴の体は四つに分かれ、それぞれ地面に崩れ落ちた。
魔物でなくとも、即死は免れない一撃。
にもかかわらず――
「グウゥゥゥウウッ」
――サルビアは死ぬどころか、バラバラになった体で暴れ始めた。
まるで海岸に打ち上がった魚が跳ねまわるように。
「こいつ、不死身か!?」
普通の魔物なら死んで蒸発してもおかしくないダメージなのに、サルビアは弱るどころか狂暴性を増しているようにすら見える。
「ジルコくん、離れて! 魔法で焼き尽くす!!」
ネフラが本のページをめくって新たな魔法を解放しようとする。
その時、サルビアの姿に変化が生じた。
斬り分けられた胴体が、それぞれ急速に膨張し始めたのだ。
「なっ!?」
それらは結合した後に、さらに姿を変えていった。
まるで地面から空に向かって巨大な氷柱が生じていくかのように、サルビアの体は歪で異様な姿へと変貌していく。
四足獣だった面影はすでになく、その姿はまるで黒い火柱――否。火のついた樹木のよう。
その足元からは無数の触手が這い出してきた。
触手群は地面に根を下ろすかのように石床の下にまで食い込み、さらには通りに面した建物へと取り付いていく。
「ネフラァァッ!!」
あわや触手の拡がりに巻き込まれそうになったネフラを抱きかかえ、俺はサルビアから距離を取った。
触手の攻撃が俺達に及ぶことはなかったが、状況は悪化するばかりだ。
サルビアの体は見る見るうちに肥大化していき、とうとう化石樹と見まごうばかりの長大な樹木のようになってしまった。
地下に伸びる触手が通りの石床を押し上げ、隣接する建物を傾かせていく。
しかも、炎が地面と建物を伝って拡がり始め、娼館街の一角は真っ黒な火の海に覆われようとしていた。
「くそっ。なんなんだこれは!? サルビアは一体何をされたんだ!」
「凄い。まるで……植物のような……」
ネフラがサルビア――もはやそう呼ぶのも憚られるが――を見上げながら、感嘆としている。
「理解できない。犬型の魔物が植物の魔物になったって言うのか? そもそも植物の魔物なんて聞いたことがない!」
「ジルコくん、見て。頂上――サルビアの頭がある辺りを」
ネフラが指さす先を見上げると、黒く燃える樹木の頂上にサルビアの頭らしき突起が見える。
それは何やら奇妙な形へと変化し始めていた。
まるで花のつぼみのような……?
「嘘だろう。まさか本当に植物――花なのか!?」
「魔物は種とも呼ばれるけど、まさか本当に花を咲かせようとする個体がいるなんて」
「どんな花が咲くのか知らないが、人類にとってろくでもない開花になる予感しかしないな」
「植物は花粉を飛ばす。もしもその仕組みまで再現されているとしたら……」
「まさに海峡都市で起こった魔物の種子の再現じゃないか!!」
サルビアはただの魔物じゃなかった。
イスタリはサルビアを魔物化させる際に、この突然変異を起こさせる因子を組み込んでいたんだ。
あの花を咲かせることは、クォーツを地獄に変えるのと同義。
今すぐ消滅させないと取り返しのつかないことになる!
「ジルコくん、撃って!!」
ネフラが俺の腕から飛び降りた。
その表情は焦燥に駆られている――それほど事態は急を要するということ。
「わかってる。離れていろ!」
俺は宝飾銃を二丁ともサルビアの頭(花?)へと向けて、銃身を重ね合わせた。
そして、同時に引き金を引いた。
隣り合った銃口から射出された二条の光線はひとつに重なり、花へと向かって直進していく。
直撃する確信をもった直後――
「何っ!!」
――突如、空中に黒い影が現れて光線を弾いた。
何かと思って目を凝らすと、それは雪の結晶のような形をした支援型魔法武装だった。
宝飾銃の光線二発分の威力を受けて無事なところを見ると、高密度のミスリル製に違いない。
そして、その後ろからは漆黒のローブに身を包んだ人間が姿を現した。
「魔導士!? さっきの男の仲間か!」
空に浮遊していることから魔導士には違いない。
サルビアを守るということは奴もイスタリ側なのだろう。
フードを深くかぶっているため、その表情はうかがい知れないが……あるいはこの人物こそが?
「お前がイスタリ……なのか!?」
漆黒の魔導士は、無言のまま俺を見つめているばかり。




