6-043. 終わっていない
「ひゅうぅ……ひゅうぅ……」
男は瀕死だった。
正直、よくこんな状態で生きていられるものだと感心する。
アガパンサスは俺達に部屋を使わせることを拒否し、代わりに空き部屋のベッドをホールまで引っ張り出してきた。
俺とムシリカはそのベッドに男を寝かせるや、手持ちのポーションを手当たり次第に傷口へとぶっかけた。
「傷口には触れるなよ」
「触れるかよ! ネズミに噛まれた傷口なんて、どんな病気を移されるかわかったもんじゃねぇっ」
ムシリカが渋い顔をしながら男の傷口に包帯を巻いていく。
急遽用意した道具では応急処置が精いっぱいだ。
この男が死ぬのは構わないが、情報を引き出すまでは生きていてもらわないと困る。
とは言え、顎がもげて口を聞くこともできないんだよな……。
どうやって情報を聞き出せばいい?
俺が頭を悩ませていると、ホールの奥から小さな足音が近づいてきた。
「あれ? ジルコお兄さんじゃん。それに狼の人」
「ベリル!?」
「……うわ。何その人? ぐろっ」
ベッドに寝かされた男を見るや、ベリルが顔をしかめた。
「引っ込めベリル! 子供が見ていいものじゃない」
「ちょっとぉ、子供扱いしないでくんない?」
「いいから下がるんだ。他の人達と一緒に奥の部屋にいろっ」
「何よまったく。こっちはお買い物の時間だから出てきたってのに……ん?」
不意に、ベリルが足元に視線を落とした。
彼女は爪先で何かを踏んでいた。
それはどうやら首飾りのようで、革紐が千切れている。
「なんだろこれ。真珠……かな?」
ベリルは身を屈めて首飾りを拾い上げた。
彼女が拾った真珠の首飾り――俺はそれに見覚えがあった。
「ベリル、買い物なんて行ってる場合じゃないよ!」
「あっ。館長」
「すぐに寮棟へ戻るよ!!」
「え? でもお買い物――」
「いいからっ」
いつの間にか目を覚ましていたアガパンサスは、ベリルの手を掴んで奥へと引っ張っていってしまった。
この場に留まっていた娼婦達も後に続き、ホールは俺達だけが残ることに。
ベリルが拾ったのは、歪んだ真珠の首飾りだった。
革紐はどうやらネズミに噛まれて千切れたもののようだ。
となると、落とし主はこの男か……?
「お前、〈ワン・トゥルース〉じゃなくて〈バロック〉の人間か!?」
「……ひ、ひひっ、ひっひっひ」
男がボロボロになった顔に気色悪い笑みを浮かべる。
この態度は〈バロック〉の関係者であると認めたようなものだ。
「お前の目的はなんだ!? 答えろ!」
「……」
……ダメだ。
口がきけなきゃ尋問もできやしない。
その時、ネフラがミスリルカバーの本を開いて近づいてきた。
ネズミの衝撃をまだ引きずっているのか、彼女の顔色はよくない。
「ジルコくん」
「ネフラ?」
「本にはまだ癒しの奇跡を抑留してある。事象解放でその男の顎だけでも治療を……」
「そうだな……助かるよ。でも、大丈夫かネフラ?」
「大丈夫。さっきは……その、ごめんなさい」
「気にするな。ネズミの大群を見たら誰だって気分を害するさ」
「……うん」
ネフラは先ほどのことを失態だと思っているようだ。
ネズミの大群を目の当たりにして気を失うのは、確かに冒険者としては不甲斐ないと言わざるを得ないが……。
「フロスは大丈夫か?」
「多分。さすがに彼女もあの光景は衝撃的だったみたいで……」
「まぁ、普通の感性があればキツイよな……」
ホールの隅では、ジェリカにもたれ掛かっているフロスの姿が見られた。
彼女はいまだ顔が青ざめていて、ぐったりしている。
体は人形でも、心は人間だからな……トラウマになってもおかしくはない。
……さて。
フロスの介抱はジェリカに任せて、俺は俺でやるべきことをやるか。
「ムシリカ。顎を持ってきてくれ」
「顎ぉ!? んなもんどこにあんだよ!」
「あそこ」
俺が壁を指さすと、ムシリカは露骨に嫌そうな表情になった。
壁には男の吹っ飛んだ顎がめり込んでいるからだ。
「マジで俺が持ってくんの?」
「早くしろ!」
「……ちぃ。わぁったよ!!」
ムシリカはふてくされながらも素直に言うことを聞いてくれた。
彼が引っこ抜いてきた顎は、確かに男のものだった。
俺が布越しに掴んだ顎を男の口元へとくっつけるのを待って、ネフラが癒しの奇跡を解放する。
数秒を経て、男の千切れた顎はほぼ元通りにくっついた。
「これで喋れるだろう。洗いざらい吐けば、最低限の治療をして王国軍に引き渡してやる」
「……よ、げいな、ごど、を”……」
男は天井の穴に向いていた目を俺の方に向けた。
決定的な敗北を喫しておきながら、まだ敵意に満ちた目をしているな。
「言っておくが、支援型魔法武装にはめ込まれていた宝石はすべて回収してある。あれはもうデカいだけのガラクタだ」
「……」
「抵抗は無意味だ。俺の質問に答えてもらう」
「愚か、な……」
「〈バロック〉はすでに壊滅したはずじゃないのか? 目的は俺への復讐か!? お前は何をしに娼館へ現れた!!」
「不覚、だった……。よもや、魔法を使う間も、なく、この有り様、とは……」
「俺の質問に答えろよな」
「時間稼ぎ、など、面白くもなかった、が……任務ついでに、同志の、仇討ちをと……しかし、結果が、これでは……」
「時間稼ぎ?」
「ひっひ。すでに地獄の蓋は開かれた。もう間もなく始まるぞ、地獄のショーが……!」
「何を言っているんだ、お前……!?」
「ひっひっひっひ」
男は大口を開いて笑い始め――
「我が師よ! 来世があらば、再び御身の僕となりて尽くしましょう!!」
――その言葉を最後に、自ら舌を噛み切った。
「な……っ!!」
男は目を見開いたまま――不気味な笑みをたたえたまま――事切れた。
「なんだよこいつ! 頭おかしいんじゃねぇのか!?」
「……かもな」
男の最期を見届けたムシリカが悪態をつく。
その気持ちはわかる。
やりたい放題やった上、言いたいことだけ言って死にやがった。
この男は一体何者だったんだ?
クォーツが魔物の脅威に晒された矢先、いきなり現れて襲い掛かってきた。
ジェリカが魔法を使わせずに倒してくれたから被害は少なくて済んだが、支援型魔法武装まで操るこの男の本来の実力は、相当なものだったに違いない。
それに時間稼ぎと言っていたが、一体何の……?
「ジルコくん。これからどうする?」
「……そうだな」
ネフラに問われて、俺は我に返った。
娼館に立ち寄った目的はリドットを捜すためなのだから、ここに彼がいないのであれば長居する理由はない。
リドットを追って門楼に向かうか?
それとも、この男のことを兵士長に伝えるため〈火竜の癒し亭〉に戻るか?
……順を追っている場合じゃないな。
「リドットの捜索と、兵士長への伝令に分かれよう。俺はリドットを捜して門楼へ向かう」
「なら、私も一緒に行く」
ネフラが真っ先に同行を申し出た。
もちろん断る理由はない。
「わたくしもお二人に同行しますわ」
「フロス! 大丈夫なのか!?」
「……ええ。先ほどはお恥ずかしいところを見せてしまいました。慣れないものを目にして、少々衝撃を受けましたの」
「気にする必要はないよ。俺でも気分が悪くなったからね」
「でも、もう大丈夫。わたくしも一緒に戦わせてくださいまし」
フロスはまだ顔色が優れないが、すでに覚悟は決めている様子。
魔物との戦闘になれば、彼女の魔法はきっと戦力になるだろうし同行してもらおう。
「ならば、わらわが兵士長殿への伝令を務めよう。途中、フォインセティアの治療に教会へ立ち寄りたいし、構わぬな?」
「なら、俺も姉貴と一緒にいくぜ!」
「お前など必要ない。ジルコを手伝ってやれ」
「嫌だね! 俺は姉貴をリドットから守るためにやってきたんだ!!」
「お前……」
ジェリカが呆れた顔で弟を見入る。
一方、ムシリカは姉の気持ちなど露知らず、俺に向き直って凄んでくる。
「ジルコ、弓矢を返せよっ」
「あっ」
「あっ、てなんだよ!?」
「悪いな。お前の弓矢は〈火竜の癒し亭〉の俺の部屋に置いてある。ジェリカと宿に戻るなら、勝手に部屋から持ち出してくれ」
「〈火竜の癒し亭〉? お前もあそこに泊まってたのか? ってことは、姉貴も!?」
「そうだけど」
「お、お前! 姉貴と同じ宿に泊まってやがったのかぁ!!」
何を誤解したのか、ムシリカがいきなり掴みかかってきた。
直後、ジェリカが鞭の持ち手で弟の後頭部を殴りつけ、昏倒させてしまう。
容赦ないなぁ……。
「この粗忽者が。昔から本当に手間ばかりかかる」
「弟さんの気性は昔からかい」
「すまないジルコ。ムシリカがとんだ迷惑をかけた」
「いや。……まぁ、そうだな」
「こやつはわらわが連れて行く。リドットのことは……任せる」
「ああ」
ジェリカはムシリカを肩に担ぎ、続いてフォインセティアを抱きかかえるや、娼館から飛び出して行った。
鞭で人体をこそぎ落とすだけあって、けっこう怪力なんだよな彼女……。
「よし。俺達も行くか」
「ちょっと待ちなって!!」
娼館を後にしようとした矢先、アガパンサスから怒鳴られた。
「なんです?」
「なんですも何も、これをこのまま娼館に置いてくなんて許さないよっ!!」
アガパンサスは廊下の陰から男の死体を指さしていた。
……確かにこっちの都合で作った死体を置いていくのは申し訳ないな。
でも、教会の死体安置所に運び込んでいる時間なんてないぞ。
「すみません。後で対処するので――」
「ふざけないでよ! ここをどこだと思ってんの!? 娼館だよ、娼館! どこの世界に死体を置いている娼館があるのさっ!?」
「ぐうの音も出ないな」
さすがにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないし、死体を教会まで運ぶくらいの骨は折るべきかな。
そう思った時――
「誰かぁぁぁ~~~っ!!」
「た、助けてぇぇっ」
――建物の奥から女性達の悲鳴が聞こえてきた。
「今度はなんだ?」
廊下の方に目を向けると、娼婦達がホールに向かって走ってくるのが見えた。
しかも、彼女達を追うようにして真っ黒い触手が床や壁を這っている。
触手はまるで黒い炎が燃え盛っているよう。
……俺はすぐにその正体を察した。
「魔物だ!!」
なぜ魔物が町の中に!?
クォーツの外から迫っている群れとは別に、警戒網をすり抜けて町へと入り込んだ個体がいたのか?
それにしたって、どうして娼館の中に……。
「ちょっと何よあれ!?」
「アガパンサス! 娼婦達を連れてすぐに建物を出ろ!!」
「そ、そんなこと言ったって、まだ中にはたくさんの子が……」
「いいからっ!!」
触手は壁や天井を這いながら、ゆっくりとホールへと近づいてくる。
おかげで逃げ惑う娼婦達に今のところ被害はない。
ホールで彼女達とすれ違うのを待って、俺は触手へと銃口を向けた。
次第に触手の数は増えていき、とうとう廊下の奥に黒い炎の塊が現れた。
あれが魔物の本体か……。
目を凝らして見た感じ、どうやらこの魔物は四足獣のようだ。
「ネフラ、奴がホールに入ったら魔法で足止めを! フロスはみんなを外へ避難させろ!!」
「わかった!」「承知です!」
ネフラとフロスの返事が聞こえた頃には、魔物は勢いをつけて廊下を走り始めていた。
一直線に走ってきてくれるならこちらとしても殺りやすい。
「シュートッ!!」
両手の引き金を同時に引いて、ふたつの銃口から光線が射出された。
それらは瞬く間に魔物との距離を縮めていったが――
「何ぃっ!?」
――躱された。
なんと奴は、廊下を飛び跳ねて天井を突き破り、二階へと上がってしまった。
光線は一瞬遅れて奴の後ろ足をかすめるだけに留まる。
「勘のいい奴だなっ」
二階に上がったのであれば、奴の次の行動は読める。
俺は大きく後ろに飛び退き、天井に空いた穴へ向かって二つの銃口を掲げた。
読み通り、穴の向こうからこちらを見下ろしている魔物の姿が見えた。
その姿は、闇の時代によく見た四足歩行の魔物そのものだ。
黒い炎が全身から燃え盛り、首や背中からはミミズのように触手がのたうつ。
胴体とそれを支える四本足は膨張し、釣り上がった目は真っ赤な輝きをたたえている。
口は裂けるほどに大きく開かれ、喉から威嚇する声を鳴らしている。
しかし、魔物は前足を穴の縁に置いたまま、いつまで経っても飛び降りてこない。
「……?」
妙だな。
この魔物は一向に襲い掛かってくる気配がない。
顔は明らかに凶悪な魔物のそれなのに、行動が伴っていない。
魔物は生き物を視界に収めた瞬間、なりふり構わず襲い掛かる習性を持っているはずなのに、何故だ……?
「待ってぇぇ~~~~!!」
廊下の奥から子供の声が聞こえてきた。
チラリと目をやると、魔物に踏み砕かれた廊下をベリルが走ってくる。
「お願い、待ってジルコお兄さん!!」
彼女はホールまで駆けてくるや、俺に向かって頭から突っ込んできた。
みぞおちに少女の頭突きを食らって思わず倒れそうになったが、魔物の手前なんとか踏み留まる。
「ベリル!? なんで逃げないんだ!」
「お願い、あの子を撃たないで!」
「撃たないでって……」
「お願い! あの子を――サルビアを撃たないでぇっ」
「サルビア……? あ、あれがっ!?」
改めて天井の穴から二階を見上げてみると、魔物が今にも飛び掛かってきそうな体勢で屈んでいた。
……しかし、やはり行動には移さない。
「嘘だろう、ベリル。あれが――あの魔物がサルビアだって?」
「そうなの! 庭でサルビアのお世話をしていたら、突然暴れ出して……」
「それはおかしいだろう! あれがサルビアなら、いつ魔物化したって言うんだ!?」
「魔物じゃないよ! あれはサルビアだよっ!!」
……あれがサルビアなものか。
あれは魔物だ。人類の天敵だ。
なのに、どうして襲い掛かってこない?
「まさか意識が残っているのか? 魔物になった動物が、以前のままの記憶を残しているっていうのか!?」
思えば、俺はサルビアの姿をしっかり見ていない。
以前に覗き見た時は、犬小屋の外に尻尾だけ露わにしていた。
……尻尾じゃなかったんだ。
「あれは触手か!」
あの時、俺の目に見えていたものは触手。
だとするなら、サルビアはあの時点ですでに魔物だったのか?
でも、町の中に魔物がいて暴れないわけが……。
『円状に宝石類を設置して魔物を閉じ込める魔封陣という結界もありますわ。小さい魔物なら、それで一ヵ所に留めておくことも可能だと思いますの』
不意に、フローラが言っていたことを思い出した。
宝石による結界――魔封陣。
動きを封じられるなら、町の中に魔物を留めておくことも可能だ。
娼館の裏庭に描かれていたのは、子供だましの呪いなどではなく、魔封陣だったのか!
「ベリル! お前に魔封陣を――死神を寄せ付けない結界を教えたのは誰だ!?」
「あの人のこと?」
「そいつの名前を教えろ!!」
「確か名前は……イスタリだったかな」
その名を聞いて、俺は何も終わっていなかったことを悟った。
〈バロック〉との戦いは、今に至るまでずっと続いていたのだ。




