6-042. ジェリカ、舞う
「ヒャハッ! 世の害とは言ってくれるっ」
「名乗ることを許そう。事が済めば忘れてやるがな」
「ふははは。いいねぇ、いいねぇ~。強気の娘は大好きだ! その気丈な表情を一枚一枚剥いでいき、丸裸にした時に心折れ、崩れ落ちる姿を見るのがわしの愉悦なのだよぉ~!!」
「……はぁ」
「一生忘れられぬ名前にしてやるぞ! わしの名はがぼぉっ!?」
一瞬のことだった。
口上の途中で、突然男の顎が弾け飛んだ。
「気が変わった。貴様の名など聞くに値せぬ――」
千切れ飛んだ顎がどこにいったのか探してみると、どうやら壁にめり込んでいるあれがそうらしい。
その一方で、奴の顔からは滝のように血が流れ落ちていた。
「――瀕死で生かしてやる。少しの間な」
ジェリカのマジギレ。
何ら装飾のない単純明快な言葉からは、凍えるほど冷たい殺意を感じる。
それを聞いて、味方のはずの俺までゾッとするほどだ。
「……っ!!」
名乗る以前に言葉すら失った男は、慌てて腰に吊るしてある杖を握った。
しかし、杖の先端にエーテル光が顕れた瞬間に奴の指先は千切れ飛んだ。
バラバラになった数本の指と共に杖が床へと転がる。
「か……っ」
「この間合いで準備もなくわらわと殺り合うなどおこがましい。魔導士にしては考え足らずなことよ」
ジェリカが再び鞭を振るう。
標的との距離はほんの5、6m程度――瞬きするよりも速く、床を走る鞭が男の両足を薙ぎ払った。
男は血だらけの顔面を床に打ち付け、さらに鞭が払った部分の足は皮膚が破れ、深々と刻まれた裂傷からは骨が露出している。
なんて速く、強烈な一撃……!
振り上げる腕、振り下ろす腕まではなんとか俺の目でも追える。
しかし、鞭を握る手首から先の動きだけはどうしても見えない。
あまりにも速くスナップしているため、残像すらも視界に捉えられないのだ。
まさに音速の鞭術。
仕掛けてから敵に着弾するまでの攻撃速度は、ルリの剣閃や俺の宝飾銃すらも凌ぐかもしれない。
「さぁ、共に踊ろうか……死の円舞を」
ジェリカが鞭を肩の高さまで構えた。
そのさなか、男は四足獣のように床を跳ねて、娼婦の列へと向かった。
……外道!
奴は彼女達を盾にする気だ!!
「下衆の極みよ」
ぼそりとジェリカがつぶやいた刹那――
「ぎゃっ!!」
――男の背中が鞭で打たれて、弓なりに反って床へとめり込んだ。
鞭とは思えない、まるでハンマーを叩き込んだかのような重さを感じる一撃だ。
その威力を物語るように、男は全身が痺れて身動きできずにいる。
「不利と思うや人質を取ろうなどという下衆の考え、わらわが読めぬと思ったか? 浅はか過ぎてあくびが出るわ」
「あぐっ……ぐうぅっ」
「それに加えて、わらわの誘いを断って他の女に走るとは何事か。こちらは貴様をダンスの相手に選んでいるのだぞ?」
「ごぉごぉぐぅ……っ!!」
「うん? 何を言っているかわからぬな。ああ、その口では当然か?」
「ぐぢごごぢでがずっ!!」
ジェリカの挑発的な物言いに男は激昂した模様。
奴は血を撒き散らしながらも、指先で空中に弧を描き始めた。
見る見るうちにエーテル光が魔法陣を描いていく。
一見して気付かなかったが、奴は指に宝飾付け爪をつけていた。
「がぁっ!?」
……しかし、次の瞬間には魔法陣も霧散。
宝飾付け爪は男の指先ごと抉られ、粉々になったその破片が辺りに降りそそいだ。
それだけでは終わらない。
ジェリカは鞭の持ち手を握ったまま、まるで指揮棒を振るかのように手首をしならせながら歩き始めた。
始めは彼女の前方だけを鞭が軽く叩いていたのに、その音は次第に速く、そして鞭の撃つ範囲は拡がっていく。
すでに俺の目にも鞭の動きは追いきれず、ついにはジェリカの周囲を目に見えない鞭の打撃音が包み込んだ。
時折かろうじて目に映る鞭の軌跡が、彼女の周りに半球の残像を作り出しているのがわかる――あれこそまさに死の円舞の領域。
あの領域内で生きていられるのは、踊り手本人のみだ。
「があ”あ”あ”っ」
男が領域内に入った。
縦横無尽に舞い踊る鞭は、徹底的に奴の全身を打ち続けていく。
一度でも死の円舞に巻き込まれれば脱出は不可能。
肉体が朽ちるまで、踊り続けることになる。
「があ”ぁあ”ぁあ”ぁ~~~~~っ!!」
奴が円舞に巻き込まれて数秒。
その上半身は衣服ごと肉を抉り取られ、皮膚は破れ、筋肉は千切れ、骨すらも露わとなった、見るも無残な状態になり果てていた。
その上でまだ立っているのは、男の頑張りじゃない。
「~~~~~~!!!!」
男の膝が折れて、倒れるように身を傾けた瞬間。
真下から奴の体を打ち上げる一撃が炸裂。
倒れようとしていた体はピンと背筋を伸ばしたかのように立ち上がり、さらに四方八方からの打撃の嵐に踊り出す。
これがジェリカの死の円舞の恐ろしさだ。
鞭で徹底的に打ち付けた上、倒れることすら許さない。
本来なら害獣や魔物相手に使うような必殺の技を、人間相手に使うとは……。
表情こそクールだが、フォインセティアを痛めつけられた怒りがその冷酷な行動に表れている。
おそらくその気になったジェリカは、クリスタよりもフローラよりも残酷だ。
「がぐあ”あ”……っ」
鞭打ちの嵐に見舞われる中、男が唐突に右手を掲げた。
すでに杖は手放し、宝飾付け爪も失っているのに、一体何の真似だ?
「あい”あ”だぁぁ~~~~っ!!」
まるで断末魔のような絶叫。
それから間もなくして、天井の穴から巨大な物体が落下してきた。
「!?」
それはジェリカの放った鞭を弾き飛ばし、奴の身を守った。
……盾か?
否。これは五芒星の形状をした支援型魔法武装だ。
この土壇場であんな奥の手を呼び寄せるとは……!
「あ”|じああ”ぞろあ”《(× × × × × × ×)》じあ”、あ”ぶぁあ”あ”っ!!」
……顎が吹っ飛んでいるから、何を発音しているかまったくわからない。
とにかく怒っていることは伝わってくるが、想定以上のダメージを受けたことでかなり焦っている様子だ。
「支援武装とは用意がいいな! だが、それしきの防御!!」
ジェリカが再び死の円舞を舞い始める。
しかし、先ほどとは打って変わって、射程内にいるはずの男にジェリカの鞭は届かない。
奴の手前に浮遊する支援型魔法武装が鞭の打撃をすべて肩代わりしてしまっているため、攻撃が届かないのだ。
しかも、その装甲はミスリル製のようで傷ひとつつかない。
「……ちぃっ! 硬い!!」
ジェリカが横に跳んで攻撃角度を変えても、支援型魔法武装は彼女の動きを正確に捉えて追随してくる。
鞭の打撃はその装甲に阻まれて、まったく決定打にならなくなってしまった。
支援型魔法武装を盾に身を隠す傍ら、武装にはめ込まれた宝石群がにわかに輝き始める。
「ヤバい! ジェリカ、奴が魔法を放つぞ!!」
「わかっているっ!!」
支援型魔法武装は大量の宝石を装備できる上、その表面にはいくつもの魔法陣が刻まれている。
それはつまり、術者が魔法陣を描かなくとも、魔法を顕現する円陣構築模様が万全の状態で備わっているということ。
あとは術者が魔力で働きかければ、武装に刻まれた円陣構築模様の魔法を即座に発動できてしまう。
このままでは娼館もろとも吹っ飛ばされる魔法を使われかねない。
「ジェリカ、俺も援護に!」
そう言って、俺が宝飾銃を抜いた瞬間――
「……えっ!?」
――支援型魔法武装にはめ込まれた宝石の輝きが、ひとつ、またひとつと消えていく。
何が起こっているのかと思えば、ジェリカが武装の凹凸に鞭の先端を差し込んで次々と宝石を打ち砕いていた。
この状況で、しかも鞭のように精密な操作が難しい武器を操って、あれほど小さな凹凸へと的確に打ち込むなんて神業だぞ……!?
「あ”にい”ぃぃ~~っ!?」
奴も状況を理解したのか、支援型魔法武装の裏から困惑したような声が聞こえてくる。
宝石の輝きが残り三つ程度に減った直後、ジェリカが前方に跳び出した。
目と鼻の先に支援型魔法武装がある状況で、彼女は鞭を武装の縁へと思いきり打ち付けた。
武装の後ろに隠れた男を直接狙うのかと思ったが――
「円舞で踊らぬ馬鹿がいるかっ!」
――違った。
ジェリカは男もろとも支援型魔法武装に鞭を巻きつけたのだ。
魔法の妨害? 動きを封じるため?
否。彼女の考えは俺の予測を超えていた。
「最期まで踊れぇぇぇぇっ!!」
巻きつけていた鞭を引いて、支援型魔法武装を駒のように勢いよく回転させたのだ。
武装はぐるぐると回転し、引っ付いていた男は途中で空中へと投げ出される。
「……っ!!」
男が天井に背中を打ち付けた後、改めてジェリカが鞭を構えた。
しかし、彼女が鞭を振るう直前に男はふわりと浮き上がり、天井の穴へと飛び込んでしまう。
奴の飛翔戯遊がまだ持続していたとは、うかつだった。
俺が天井の穴を覗き込んだ時には、奴は娼館に穿たれた穴を外に抜け出る直前。
しかも、支援型魔法武装が奴を追いかけるように追随しているため、宝飾銃で狙うこともできない。
このままじゃ逃がしちまう!
「くそっ! フォインセティアは飛べるような状態じゃないし、このまま逃がすわけには……っ」
「案ずるな。奴の逃走も計算の内だ」
「えっ」
「根城をこうまでされて、彼らが逃がすわけがないだろう」
「彼ら?」
何を思ったか、ジェリカは鞭を脇に抱えた。
そして、両の手のひらを強く打ち付けて叫んだ。
「今だ! 目にもの見せてやれ、お前達っ!!」
お前達――それが誰のことを指しているのか、俺にはまったくわからない。
困惑するさなか、空の見えていた穴が急に塞がった。
否。露出した各階の天井裏の隙間から、穴を覆い隠すほど大量に何かが飛び出してきたのだ。
それらは穴を昇っていく男めがけてわらわらと落ちていく。
「ぐっ!? ぎ……ぎゃああ”あ”ぁぁっっ!!」
まるで断末魔にも似た男の悲鳴。
俺が見上げていると、男は真下に浮かんでいた支援型魔法武装の上に落ちて、それと一緒に一階の床へと墜落した。
舞い上がる砂埃の中、灰色の小さな物体が四方に散らばるように動き始める。
それは――
「ひぃっ!?」
「きゃああーーっ」
「うわぁぁぁっ」
「ひー! ね、ネズミぃぃーっ!?」
――ネズミの大群だった。
数匹ではきかない。
何十匹もの大群が、一気に俺達の足元を通り過ぎていくのだ。
マジで背筋が凍った。
娼婦達の悲鳴でホールが騒がしくなる中、ネズミ達は壁のわずかな隙間へと潜り込んでいく。
あれだけいたネズミ達は、あっという間にホールから姿を消し、残っているのは男をかじっている数匹のみだった。
「この建物に入った瞬間、ネズミの声は聞こえていた。そして、娼館の天井を突き破った男に対する憎しみもな」
「例の動物の言葉がわかる能力か……」
「ああ。だが、それは正確ではないな」
「え」
「わらわは動物の言葉を解するが、わらわの言葉を伝えることもできる」
「まさか……さっきの呼びかけはネズミにしたものなのか!?」
「うむ。上手くこちらの意図を汲んでくれて助かった」
「……」
まさか動物に働きかけることもできるとは。
ジェリカがその気になれば、町中の小動物を操ることでクリスタも真っ青な大情報網を築けそうだ。
さすがは〈親愛なる鳥獣公〉の二つ名を持つだけのことはある。
「そ、それはいいとして……どうする? この食い残し……」
「さて。ポーションをくれてやらねば死にそうだな」
支援型魔法武装の上に仰向けに倒れている男は、ネズミにやられてもはや虫の息。
その筆舌尽くしがたい凄惨な姿を見て、俺は吐き気を催した。
ほんのわずかな間にここまで酷い状態にさせられるとは、ネズミの噛みつきも侮れるものじゃない。
この男もこんな状態で生きているのは地獄だろう……。
「とりあえず宝石の類はすべて奪い、固く縛り付けておこう。その後、部屋を借りて意識を取り戻すくらいの治療を――」
「冗談じゃないわよっ!!」
俺とジェリカが話していると、アガパンサスが割り込んできた。
彼女は――否。他の娼婦達含めて、彼女達は全員顔色が真っ青になっている。
「これ以上、私の娼館をめちゃくちゃにしないでくれない!?」
「いや、この騒ぎはわらわ達が起こしたわけでは……」
「同じことでしょ! しかも、何よさっきのネズミの群れは!? あんなの一体どこから湧いたわけ!?」
「どこからも何も、彼らは元々この娼館に棲んでいた者達だぞ」
「嘘でしょ!? あんな数のネズミがいるなんて……冗談きついわ!」
「冗談では……というか、彼らはあなた方に感謝をしていたからこそ、今回の件に協力してくれたのだ」
「感謝ぁぁっ!?」
「うむ。いつもこっそり餌を拝借していて、お礼をしたいと常々思っていたそうだ」
「……お礼……ネズミが……アハハ、マジかいな」
ばたり、とアガパンサスが白目を剥いて倒れた。
他の娼婦達も同様に、めまいを起こしている者が多数。
……気持ちはわかる。
「おい、ムシリカ!」
「は、はいっ」
「この男を運んで最低限の治療をする! いつまでも隅に座ってないで、お前も手伝え!」
「わ、わわ、わかったっ!」
ムシリカは強張った表情のまま、ジェリカの元へと駆け寄っていく。
……こいつが姉を怖がる理由もなんとなくわかってきた。
俺もまだ怖気が残っているものの、このまま突っ立っていたらジェリカに怒られそうだ。
撃ち損ねた宝飾銃をホルスターに戻し、ジェリカ達と一緒に男のもとへ向かおうとした時、俺はようやくネフラとフロスのことを思い出した。
二人の存在をすっかり忘れてしまうほどの衝撃だったわけか……。
「ネフラ? フロス?」
ホールを見回していると、入り口近くの壁際に二人の姿を見つけた。
ネフラもフロスも互いに抱き合って隅で縮こまっている。
……何やら様子がおかしい。
「二人ともどうした?」
「……」
「……」
返事がない。
俺が声を掛けても反応を見せず、しかも二人とも目の焦点が合っていない。
「おい、ネフラ! フロス!?」
慌てて二人に駆け寄ってみたものの、原因はすぐにわかった。
「……マジかよ」
二人とも失神していた。
ネズミの大群が人をかじる光景は、色々なものを見聞きしてきた彼女達にもさすがに衝撃が強すぎたか。
それは俺も同様……しばらく肉は食えそうにない。
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