6-041. 撃墜
朝だというのに、通りには人気がほとんどない。
たまにすれ違うのは、巡回する兵達や、忙しそうに馬車を走らせる商人達。
クォーツの民は今朝の時点で魔物の接近が伝えられているため、大人しく家に閉じこもってくれているのだ。
「兵士長は機転を利かせたな」
「それってどういう意味だ、ジェリカ?」
「あやつが事実をそのまま伝えていたら、民は大混乱に陥っていただろう。こぞって町から逃げようとして、悲惨な事故が起こっていたに違いない」
「……魔物の数を控えめに通達しているらしいからな。おかげでこんなに静かなわけだ」
「わらわ達が対処を損なえば、犠牲は取り返しのつかない数になる。各々、肝に銘じておけ」
ジェリカの言葉に身を引き締め、俺達は娼館街に通じる路地に駆け込んだ。
路地を抜けるや、俺は視界に映る光景に驚いて足を止めてしまった。
「……マジかよ」
娼館街の通りには、昨晩と変わらず娼婦達が立ち並び、その間を往来する男達の姿が見られた。
おいおい。まだ朝だぞ?
この町の娼館街は朝も夜も関係ないのか!?
「お兄さん、ウチの店に寄っていかない? 死ぬ前に楽しんでいこうよ!」
「死ぬ前にって……魔物が近づいていることをわかってて仕事に出てるのか?」
「そりゃそうさ。あんただって、こういう時に人肌が恋しくなったから娼館街に来たんじゃないのかい?」
「……まったく逞しいな」
これも人間の保存本能なのか……。
男と女は死に直面した時に互いを求め合うと聞いたことはあるが、今がまさにそんな状況なのかもしれない。
「ジルコくん。昨日はこんなところを行き来してたの」
「そ、それはリドットを追いかけてだな……っ」
ネフラから軽蔑するような眼差しが……。
さっさと〈ゼフィランサス〉を訪ねてリドットを連れ出すことにしよう。
俺は率先して通りを駆け抜け、娼館〈ゼフィランサス〉へとたどり着いた。
すぐにアガパンサスを呼び出そうと娼館の扉を開いたところ、ホールでは何やら騒ぎが起こっていた。
その騒ぎの渦中には、娼婦達と向かい合う男性の姿がある。
なんとそれは――
「ムシリカ!?」
――ジェリカの弟ムシリカだった。
宿に戻っていないからどうしたのかと思っていたが、どうしてこんなところにいるんだ?
「ここはガキの来るところじゃないって言ってんだろう。さっさと帰りな坊や!」
「ガキ扱いすんじゃねぇ! 俺は弓矢を返してもらいにきたんだよ!!」
「弓矢は昨晩ジルコに渡したよ。何も聞いてないのかい!?」
「あの後は会ってねぇから知らねぇよ!!」
アガパンサスとムシリカが怒鳴り合っている。
しかも、その原因はムシリカの弓と矢筒にあるらしい。
……やっべぇ。
そう言えば、あいつの弓矢は宿の部屋に放置したっきり忘れていた。
「それにお前さん、酒飲んでるね!?」
「悪いかよ!」
「ガキの癖に……しかもこんな朝っぱらから酒に酔ってご来店とは、大した身分だよ!」
「そう思うなら、もう少しまともな接待しろや!」
「客として来たわけでもない癖に、なんだいその言い草は!?」
「うるせぇ! おばさんはさっさと俺の弓と矢筒を出しやがれ!!」
「だからそれは――」
アガパンサスが繰り返し弓矢の所在を伝えても、ムシリカは理解していない様子。
しかも、明らかに足元がおぼついていない。
体毛のせいで顔色からは判断できないが、すっかり酔っぱらっているな。
「……はぁ」
ジェリカの溜め息が聞こえたと思ったら、俺の横を彼女が通り過ぎていった。
表情は見えなかったが、その後ろ姿にはただならぬ怒気を感じる。
「誰か水を持ってきておくれ! 話にならないよっ」
「俺は酔ってなんかねぇぞ。ついでだ、リドットの野郎も呼んでこい!」
「いいかげんにしておくれよ。仕事の邪魔――」
その時、ムシリカの背後にジェリカが立った。
「こぉの馬鹿者がっ!!」
彼女は怒声と共にムシリカの後頭部をグーパンチ。
ムシリカが床に倒れる一方で、アガパンサスは驚いて黙り込んだ。
「あががっ。い、痛ってぇぇぇ~~! 何するんだこの野郎っ!?」
「ムシリカ。なぜお前がここにいる」
「へ?」
「故郷の一族を任せてきたのに、なぜお前がここにいるのかと聞いている!!」
「ああぁぁああぁぁ、姉貴ぃぃぃっ!!!?」
ジェリカの存在に気付いたムシリカは、一気に酔いが醒めたようだ。
床を尻で這いながら、壁まで逃げていって置き物のように動かなくなってしまう。
「まったく……。子供とは言え、酒に飲まれて我を忘れるとは情けない」
「あんた、ムシリカのお姉さんかい……!?」
「そうだ。弟が朝から騒ぎを起こしてすまなかった」
「ってことは、あんたがリドット様の――」
そう言いかけたところで、アガパンサスが俺の存在に気付いた。
「――なるほど。そういうこと」
彼女からの刺すような視線が痛い。
事態を察したのか、アガパンサスは唐突に手のひらを叩いた。
それはその場にいた娼婦達への合図だったようで、それを受けて彼女達は各々の持ち場へと戻っていく。
「アガパンサス、弓矢の件はすまない……」
「あんたのおかげで面倒事が増えたよ。いい加減にしてほしいね」
「リドットと会わせてくれないか」
「魔物の件は聞いてるよ。あの方は武装して、とっくにここから出てっちまった」
「出ていった? どこに!?」
「そりゃ門楼じゃないかい? 兵達と合流して魔物の攻撃に備えるつもりだろうね」
「くそっ! 一足違いだったか!!」
読み違えたな……。
リドットなら、魔物の話を聞いた時点で動き出すと考えるべきだった。
「ねぇ、あんた。ジェリカさん……だったっけ?」
「わらわを知っているのか」
「リドット様がいつも自慢げに言うもんだからね。あの方の言っていた通り、本当に綺麗な女性だね」
「そ、それは……どうもありがとう」
思いがけないことを言われたからか、ジェリカが恥ずかしがっている。
「あの方の名誉のために断言しておくけど、娼婦にとってあの方は救世主であって、異性として接したことなんて一度もないよ」
「……そうか」
「ま、誰も相手にされなかったってのが本当のところだろうけどね」
「どういう意味だ?」
「添い遂げる相手が決まっちまってんのさ。そういう男は、どんな誘惑にも乗ってきやしない。なんせ理屈じゃないからねぇ」
「……」
今のアガパンサスのセリフ、リドットをフォローする上で思いのほか効果的かも知れない。
年の功もあって、俺なんかよりも言葉に重みがあるし。
「惜しいね。ヒトとセリアン――異なる種族とは言え、お似合いだったろうに」
「わらわと……リドットが?」
「酒の席で何時間も嫁自慢を聞かされてごらんよ。こんな商売やってるウチらには眩し過ぎて、まさしく理想の夫婦像に思えたね」
「わ、わらわのことを……酒の席で話していたのか」
「馴れ初めやら初めてのデートやらね。まぁ、大半は私達が上手く引き出したんだけどさ」
「そ、そんなプライベートなことまで勝手に……! あの男、許せんっ!!」
「まだ愛してるんだろ?」
「えっ」
「腹を割って話してないから未練があるのさ。正面切ってすべてをぶつけて、すっきりするのが健全だよ。それが夫婦ってもんさ」
「……あなたの言う通りだな。それが夫婦、か……」
なんとまぁ、さっきから和んだり怒ったり……。
ジェリカがこんなに感情豊かに振る舞うのは珍しいぞ。
最初からアガパンサスに二人の間を取り持つよう頼めばよかったかも。
俺が頼ったのは、よりによって子供だからなぁ。
「あらやだ。私ったら、部外者が首を突っ込むなとか言っておきながら……」
「あなたの助言に感謝する」
ジェリカに言われて、アガパンサスは気恥ずかしそうな表情に。
……この人、なんだかんだ人が好いのか?
「さ、もう行きな。今追いかければ、まだ話をするくらいの時間はあるだろう」
「すまない館長殿。気を使わせてしまったようで」
「とんでもない! せっかく結婚してるんだし、酸いも甘いも骨までしゃぶり尽くした方が人生お得だからね。女の青春なんて短いんだしさ」
「はは。確かにそうだ」
「リドット様はたぶん西か南の門楼に――」
その時、娼館に衝撃が走った。
床が上下に揺れ動いたので地震かと思ったが、どうやら違う。
上階の方から何やら壁を破る音が聞こえてきて、とうとうホールの天井をぶち破ったかと思うと――
「!?」
――火に包まれた何かがホールへと落下し、床を砕いた。
舞い上がる埃の中、焦げた臭いがホールに広がる。
それには火がついていて、ジタバタと床の上をもがいている。
視界が回復した時、俺はそれの正体を目にして思わず声を荒げてしまう。
「フォインセティア!?」
ホールに落ちてきたのは、身を焼かれたフォインセティアだった。
なんと背中と翼半分に火がついていて、激しく翼を動かして消火しようと努めている。
俺はすぐに防刃コートを脱いで、彼女を燃やす火を払った。
「キュウゥ……ゥ……」
火は消えたものの、フォインセティアはぐったりしてしまった。
あのバイタリティ溢れるサンダーバードが、ここまで弱々しい表情を見せるなんて初めてだ。
傷を見る限り、火属性魔法が直撃したのか?
エーテルの流れを見通すこいつを撃ち落とすなんて信じ難い。
「フォインセティア! お前ともあろう者が、なぜこんな……!?」
「うかつに動かしちゃ駄目だジェリカ! すぐにポーションを――」
リュックに手を突っ込んでポーションを探すさなか、天井の穴から声が聞こえてくる。
「お~やおやおや。通りに落とすつもりだったんだが、悪いことしたねぇ~」
それは男の声だった。
見上げてみると、天井に空いた穴の奥――屋根まで穿たれた穴から顔を覗かせている人物がいる。
「まぁどうせ魔物にメチャクチャにされるんだ。建物ひとつ崩れたところで結果が変わりはしねぇよなぁ~?」
言いながら、男は自ら穴に飛び込んできた。
落ちる――否。まるで羽根のように空中をゆっくりと落下してきている。
「魔導士か!?」
「正解♪」
一階まで降りてきた時、奴は床に足がつくすれすれで浮き上がっていた。
間違いなく飛翔戯遊を使っている。
「初めましてだね、ジルコ・ブレドウィナーくん。……だよね? 合ってるよね?」
俺のことを知っているのか。
そんなことより、なんだこの人を食ったような態度は。
仲間を撃ち落としておいて、軽口を叩きやがって……!
俺は苛立ちを募らせながらも男を観察した。
男は青白く不健康そうな顔色をしている。
顔には深い皺がいくつも刻まれていることから、歳は五十ほどか。
足元まで覆い隠すほどに丈の長い紺色のローブをまとい、首からは草で編まれた輪飾りを下げ、円筒の頂きが潰れたシルクハットを被っている。
その軽薄な顔は初めてお目にかかるが、奴の着る服は見覚えがある。
「個人的に恨みはないが、ちょうどいい機会だ。事のついでに、かつての同志達の仇討ちをさせてもらおうかな」
「仇討ち……? ……お前……まさか!」
思い出した。
この男の着ている衣装は、かつて〈ジンカイト〉で摘発した非合法組織の連中が着ていたものと同じだ。
その組織の名は、確か……。
「〈ワン・トゥルース〉の残党か!?」
「ほぉ。わしの古巣を覚えているとは」
やはりか。
とっくに瓦解した組織だが、今も生き残りが檻の外で暮らしているとは思わなかった。
しかも、フォインセティアを撃墜させるほどの魔導士ともなれば、絶対に放置できない危険人物だ。
「な、なんだいあんたはっ!?」
「お邪魔するよ、お嬢様方。なぁに、怖がる必要はない――」
怯えるアガパンサス達を見回しながら、男は続ける。
「――おぬしらには、死よりも素晴らしい結末が待っているのだからなぁ~」
男が改めて俺に向き直った瞬間――
「ぐおぁっ」
――突如、奴は悲鳴をあげて地面へと叩きつけられた。
何が起こった!?
「わらわの相棒を傷つけておいて、これ以上ふざけた態度を取ることは許さん」
言いながら、ジェリカが俺の前に身を乗り出した。
……今の彼女がやったのか。
「ジルコ。わらわの相棒を頼んだぞ」
「あ、ああ。任せろ」
今になってジェリカが何をしたのか把握した。
彼女はその手に握る鞭を一瞬にして男の顔面へと打ち付け、その勢いを以て床に叩き落したのだ。
さすが鞭術だけならあのタイガすらも凌駕するだけのことはある。
打ち付ける瞬間はおろか、鞭を振る素振りすら気付かなかった。
「興味深い。実に興味深いねぇ」
鞭の直撃を顔面に受けながら、男は平然と起き上がった。
しかし、さすがに無傷では済んでいない。
打たれた頬は千切れ飛び、口内の歯や舌が露出してしまっている。
不気味なのは、奴はそれでも不愉快な笑みを絶やさない点だ。
痛覚がないのか?
鞭で打たれると、のたうち回るほどの激痛が生じるはずなのに……。
「まだ打たれ足りないようだな」
「ええ、ええ。打たれ足りませんともぉ~」
「わらわが躾のために振るう鞭は愛がある。しかし、マゾヒスト相手にはどう鞭を振るえばいいかわからんな」
「ふははは。どうぞどうぞ、そこは殺意を持ってお振るい下さい女王様」
「……ふむ」
ジェリカの気配が変わった。
彼女の全身の毛がにわかに逆立つ――明確な殺意を示した証拠だ。
「望むならば全力で打ってやろう。貴様のような狂人は生きていても世の害だ」




