6-040. 飛翔
〈火竜の癒し亭〉の応接室は、急遽作戦会議の場となった。
クォーツの門楼に隣接した監視砦より魔物接近の報があってから十五分――兵士長の号令で、早くも西側と南側の門楼には宝飾武具で武装した兵達が警備についた。
想像以上に軍の動きが早いので、あまりの準備の良さに驚いてしまう。
まるでこうなることが事前にわかっていたかのようだ。
「兵士長。もしかして魔物の侵攻に備えていたんですか?」
「先日の海峡都市事変で、意図的に魔物を増殖させようとする連中が確認されましたからね。エル・ロワの各都市には、優先的に宝飾武具の配備が進んでいたのです」
「そういうことですか」
「ジルコ殿の活躍の甲斐あって、軍内部で権勢を振るっていた不穏分子も失脚しました。おかげで今の王国軍はずいぶんと風通しが良くなりましたよ。感謝します」
「どうも……」
確か軍のお偉方にはプラチナム侯爵と蜜月の軍将がいたな。
侯爵は捕らえられ、ガブリエルは死亡――〈バロック〉に強い影響力を持っていた二人を失ったことで、連中と通じていた軍将も失脚したということか。
「しかし、これほど早く魔物の襲撃が起きたのは想定外でもあります。すでに王都やパーズに応援要請を出しているとは言え、クォーツの駐屯兵には魔物との戦闘経験のない者が多い。この町にあなた方がいたのは僥倖でした」
「俺達もできる限り手を尽くします。……な?」
俺は傍にいるネフラ、ジェリカ、フロスの三人に同意を求めた。
しかし、みんな暗い顔をしていて元気がない。
三人とも昨日から今朝にかけて色々あったからなぁ……。
「相手は魔物だぞ! みんな気合を入れてくれよ!!」
「うん」
「承知した」
「はい……」
ネフラもジェリカもフロスも空返事だ。
本当に大丈夫か?
「キュウゥ」
ジェリカの腕に静かに留まっていたフォインセティアも、元気のない主に気が気ではない様子。
ジェリカはまだリドットとの一件が堪えているのだろう。
弟のムシリカが励ましてくれることを期待したのに、そもそもあいつは宿に戻っていないし……どこで油を売っているんだか。
「監視砦からの報告では、魔物は二グループに分かれて侵攻してきています――」
テーブルの上に広げられている地図を指さしながら、兵士長が続ける。
「――グロリア火山方面の西グループは約四十匹。西方玄関口方面の南グループは約七十匹。最低でも百匹を超える魔物の群れが迫っています。途中、動物が襲われればさらに数を増す可能性もあります」
「では、俺達は南グループの対処に加勢しましょうか?」
「いえ。あなた方はクォーツに留まっていただきたい」
「クォーツに?」
「先ほどお話しいただいた奈落の宝石――その効能が確かなら、この町のどこかに魔物を引き寄せている輩がいる可能性は高い。しかも混乱に乗じて宿にある宝石を狙ってくるでしょうから、宿には最高戦力を置くのが肝要」
「なるほど。でも、ただ待ち構えるなんてことはしません」
黒幕はおおむね見当がついている。
モルダバとムアッカに奈落の宝石を盗むことを依頼した謎の女が、今回の黒幕と見て間違いないだろう。
そいつが宝石を狙ってくる前に、こっちから攻めてやる。
「ジェリカ。フォインセティアの力を借りたいが、いいか?」
「……空から追跡させるのか。だが、時間が掛かるのではないか」
「奈落の宝石はネフラが正視できないほど邪悪なエーテルを放っている。そんな物が一ヵ所に集まっていれば、フォインセティアの目なら発見できると思う」
「承知した。彼女もお前に協力するのはやぶさかではないだろう」
フォインセティア――というかサンダーバードという種――は、目が良すぎてエーテルの流れを事細かに見通しているという。
それゆえに、いかなる雷雨の中でも飛び続けることができるし、攻撃魔法を当てようとしても直撃は極めて困難。
さらには、屋内に身を潜めている魔導士や聖職者すらその居場所を看破してしまう。
クォーツ内で奈落の宝石なんて物を持ち歩いている人間がいれば、必ず見つけてくれるはずだ。
「頼むぞ、フォインセティア」
「キュウゥ!!」
俺が声を掛けるや、威嚇(?)してきたので思わず身構えてしまった。
……もしや今のは威嚇じゃなくて、同意の返事だったのか?
「ふふふ。そんなに驚くなジルコ。手伝ってあげる、とのことだ」
「あそう」
驚きもするって!
ジェリカのように動物の言葉がわからなければ、日頃から目つきの悪いフォインセティアの意図なんて理解できるはずがない。
……兎にも角にも、俺と相棒のやり取りを見てジェリカに笑顔が戻った。
それはそれでホッとするところだ。
「相手の出方がわからない以上、宿に籠城するよりもこちらから仕掛けた方がよさそうですね。では、黒幕の対処は〈ジンカイト〉にお任せします」
俺の提案に兵士長も納得してくれた。
海峡都市での貢献あってのことだろうけど、融通の利く人でよかった。
「しかし、念のため最後に確認しておきたいことがあります」
「なんです?」
「奈落の宝石とやらを敵に奪われるのは危険。万が一ですが、もしも奪われそうになった場合には、破壊してしまった方がよろしいのではないかと」
「それは――」
確かに奪われるくらいなら破壊した方が良い気もする。
でも、ドラゴンにグロリア火山の火口へ投げ込むように言われるほどの宝石を、人間の手で破壊してしまって大丈夫なのか?
「それはやめておいた方がよいです!」
さっきまでうつむいていたフロスが、急に声を荒げて会話に加わってきた。
「奈落の宝石は、怨念に毒された邪悪なエーテルがこもっています。宝石を破壊することで中身が漏れ出したら、何が起こるかわかりません!」
「普通に周囲のエーテルに溶け込んでいくんじゃないのか?」
「魔物を引き寄せるような異常な宝石ですよ? 予測がつかない以上、絶対に破壊するべきではありませんっ」
「……わかった。死守以外にないってことか」
フロスの忠告は素直に受けておくべきだな。
俺が兵士長に向き直ると、彼も了承したようでこくりと頷いた。
「宿には私を含めた精鋭が残り、傭兵ギルドと連携して宝石の警護を行います。〈ジンカイト〉の皆さんは黒幕の確保に注力を。互いの連絡方法ですが――」
兵士長はテーブルに置かれていた雷管式ライフル銃を一丁、薬莢を詰めた袋と一緒に手渡してきた。
受け取ってみてわかったが、通常の薬莢よりもわずかに重く、容器の一部に色が塗られている。
「――空に向かって信号弾を撃ち上げてください。青は任務完了、黄は応援要請、赤は任務失敗の符牒となります」
「赤い煙が空に見えた時は緊急事態ってことですね」
「ええ。その時は覚悟を決めなくては」
「そうならないよう、互いに全力を尽くしましょう」
「ジルコ殿もご武運を」
俺は兵士長と握手を交わした。
その後、彼と入れ替わりにモリオン町長が話しかけてくる。
周りにはメノウを始め、傭兵ギルド〈アンブレイカブル〉の面々も。
「ジルコ・ブレドウィナー殿。お話があります」
「アンバー侯爵のことでしょうか?」
「その通り。緊急事態ゆえ簡潔にお話しますが――」
町長は手に持っていた包みを俺に差し出し、はらりと開いた。
露わになったのは、ダークブルーに煌めく大柄のダイヤモンドだった。
「うっ!」
隣に居たネフラが急に口を押さえた。
……彼女のこの反応、本物だな。
「これがダークブルーダイヤですか」
「はい。トロル襲撃の少し前、旅の魔導士をお世話したことがありましてな。その時の宿賃としていただいたものです」
「宿賃!? これ、相当値の張る宝石ですよね?」
「こちらとしても過ぎた礼だと思ったのですが、本亭の溶岩風呂に痛く感激したとのことで、寄付を兼ねての支払いだったのです。以来、一等級溶岩風呂の竜の彫像に装飾しておりました」
旅の魔導士からの寄付だって?
パーズのブラックダイヤも、トロル襲撃がある以前に寄贈されたものだった。
匿名による寄贈だったため元の持ち主の素性はわからなかったが、今回はその正体にわずかながら迫れそうだ。
「どんな人物でした?」
「背の高いエルフの男性でした。おそらく西方からやってきたのだと思います」
「名前はわかりますか?」
「いいえ。名前までは……」
「そうですか」
エルフの魔導士と聞いて、思い当たるのは一人。
パーズに寄贈されたブラックダイヤに保護魔法を掛けたというのも、スフェンというエルフの魔導士だった。
しかも、その人物を推薦したのはリッソコーラ卿だとアンバー侯爵は言っていた。
リッソコーラ卿が関わっているのは、単に侯爵への厚意なのか、それとも何かを意図してのことなのか――本人に聞いてみなければわからない。
「町がこんなことになっては、こんな宝石を置いておくことなどできません。侯爵閣下の勧めもあり、あなたにお渡ししたいのですが……」
「俺達はこれから作戦行動があります。この騒動が落ち着くまでは、今まで通りの場所で保管を」
「承知しました。どうか我が町をお救い下され、ジルコ殿」
町長がまるで俺を拝むように頭を垂れた。
なんともこそばゆいが、この気持ちを汲んでみせなきゃ最強ギルド〈ジンカイト〉の名折れだな。
◇
宿を出て早々、外で待機していたモルダバ達に声を掛けられた。
「よう。会議は終わったみたいだな」
「待たせた。兵士長と話はつけてきた」
「で、俺達は何すりゃいいんだ? 一応、この町の情報屋を当たってみたが、例の女は見つかりそうにないぜ」
「その女は俺達が捜す。お前達は宿に待機していてほしい」
「そりゃ構わねぇが……王国兵だらけの場所に留まるのは、あんま気分のいいもんじゃねぇなぁ」
「お前達にやってほしいことはただひとつ。それは――」
モルダバとムアッカは戦闘面に特別秀でているわけじゃない。
二人がもっとも力を発揮できるのは、盗みの技だ。
となれば、彼らに任せるべきことはひとつ。
「――宿が敵に攻められた時、王国兵に勝機がないと判断したらダークブルーダイヤを持って逃げてほしい」
「……ずいぶん後ろ向きな仕事じゃねぇか」
「重要な仕事だよ。その場合、お前達にはそのままグロリア火山を登って、ダイヤを火口に投げ捨ててほしい」
「前言撤回。めちゃくちゃ大変な仕事だな」
「黒幕に追われることを考えたら、きっと命懸けだ。頼めるか?」
「まぁ日陰者には十分過ぎる仕事かな。そうだろ、ムアッカ」
モルダバが後ろに立つ相棒を見上げると、相棒はこくりと頷いた。
「協力するぜ。すべからく事態が上手く運んだら、褒賞は期待していいよな?」
「褒賞金が出るようなら分け前を渡す。そうでなくとも何かしら礼はするさ」
「よっしゃ、約束だぞ!」
話が済むや、モルダバとムアッカは宿へと入っていった。
彼らのことは兵士長にも伝えてはいない。
兵達からすれば、この時期に運悪く宿に泊まっている客という認識だから、二人が行動を起こす時にも大きな障害にはならないはず。
懸念すべきは傭兵ギルドの存在だが、あの二人ならなんとかするだろう。
いざという時の保険はこんなところか。
「さっそく捜索を始めよう。ジェリカ」
「承知した。まずはどこから当たる?」
「リドットにも協力を仰ぎたい。まずは娼館街の方から探っていこう」
「……そうだな。わかった」
ジェリカが腕を振り上げた瞬間、フォインセティアが飛び上がった。
二、三回のはばたきで10m以上の高さにまで達し、そのまま彼女はクォーツの上空を娼館街の方角へと滑空し始める。
「よし、行こう!」
いざ出発の号令を掛けた矢先、フロスが話しかけてくる。
「ジルコさん。奈落の宝石の持ち主を発見したらどうしますか?」
「気付かれないうちに近づいて取り押さえる」
「もしも抵抗されたら?」
「街中での戦闘は避けたいけど、力づくで無力化させるしかないな」
その時、フロスの表情に怒りの色が見て取れた。
負の感情などとは無縁だと思っていた彼女の変化に、俺は初めて不安を覚える。
それともう一人、俺が個人的に気がかりな者がいる。
「ネフラ」
「なに」
「昨日はよく眠れたか?」
「えっ。……あ、ごめんなさい……」
ネフラが気まずそうに謝ってきた。
俺を部屋に入れなかったことを気に病んでいるのか。
「いや、なんというか、その、こちらこそごめん」
「ううん。本当にごめんね」
「いやいや、俺の方が――」
「違うの。私が――」
どっちが悪いかで言い合っていると、ジェリカの笑い声が聞こえてきた。
「ふふ。すまない、二人を見ていたら昔を思い出してしまったよ」
「昔って?」
「わらわもリドットとそんなやり取りをした覚えがある。甘い青春時代を思い出して、少々気恥ずかしくなってしまうな」
「青春時代……」
「少し元気が出た。行こうか、ジルコ」
俺達は娼館街の方へ飛んでいくフォインセティアを追って行動を開始した。




