6-037. 長い一日の終わり①
「ジルコお兄さんは何か叶えたい願いはあるの?」
「俺の願いか? 俺は――」
願いと言えば、大昔の冒険者のように世界の未知を冒険したいとは思っていた。
それもギルドの仲間達と一緒にだ。
でも、その願いはもう叶わない。
ギルドを守るために、俺はその仲間達を切り捨てているんだから。
「――願いなんて語る資格はないな」
「何それ。カッコつけてんの?」
「違うよ!」
「叶えたい願いもないって、夢のない人生~」
「うるさいな。大人には色々と事情があるんだよっ」
「大人って面倒くさいなぁ」
「お前も大人になればわかるさ」
「大人ならもっとシャキッとしてよ。お父さんと違って頼り甲斐ないなぁ」
……このガキ、人の気も知らないで。
「ガキのくせに生意気なこと言うな! 大人ってのは、色々なしがらみがあって自由が利かないものなんだよっ。お前の先輩達だってそうだろう!?」
「ウチの姉様方を引き合いに出さないでよ。あの人達は、娼館街の方が楽に生きられるからって外の世界に出る気なんてないんだから」
「そうなのか……」
「でも、あたしは嫌だ。男に媚び売って不自由な生活を続けるなんて、人生勿体ないじゃん」
「お前みたいに娼館街を出たいと思っている女性は少ないのか?」
「まぁね。仕事さえすれば衣食住が保証される環境だし、よその町で暮らすよりもよっぽど安全だって聞くし」
確かに彼女達にとって、娼館街の外の方が生きにくいのは事実だろう。
アガパンサスが言っていたように、居場所がなくなった娼婦達が悲惨な末路をたどるというのも決して大げさではないと思う。
でも、ベリルのような小さな子供までこんな場所に留まっているなんて、あまりにもやるせない。
「……そう言えば、リドットに町を出るように促されていなかった?」
「えっ。もしかして、衣装屋での会話盗み聞きしてたの!?」
「そういうつもりじゃなかったけど、聞こえたから……」
「やっぱりお兄さんて泥棒とかやるでしょ?」
「いいから答えろって。あれってどういう意味なんだ?」
ベリルは不満げな顔を見せながらも、話を続けてくれた。
「お父さんはあたし達みたいな子供の娼婦をクォーツから無くしたいんだって。娼館街で働く子供をよその町に連れ出して、そこで別の生活環境を与えたいって館長に相談してたよ」
「なるほど。リドットらしいな」
「ほとんどの子はお父さんの言うことに賛同してる」
「ほとんど?」
「あたしを除いてね」
「なぜだ!? さっきも娼館街から出たいって――」
「だってサルビアが動けないんだもの」
「動けない? それって結界の中に留まっているからか」
俺が犬小屋を覗こうとすると、ベリルに阻まれた。
「ダメ。サルビアはあたし以外の人が近づくと怯えちゃうの」
「……そうか」
ブラックハウンドの寿命は知らないが、犬は十年も生きれば老犬らしい。
兄妹のように育ったという彼女にとって、サルビアの死期が近づいている事実は気が気ではないだろう。
だからこそ、死神を寄せ付けない結界とかいうホラを吹き込んだ奴が許せない。
寿命を延ばすなんて都合のいい魔法が存在するわけないのだ。
「結界のこと、アガパンサスは知っているのか?」
「知るわけないよ。こっそりこんなことやってると知れたら、宝石だって取り上げられちゃう」
「一体誰から結界のことを教わった?」
「質問ばっかり。いつまでここにいるの? もう用は済んだんだけど」
「そんな冷たいこと言うなよ。聞かせてくれたら帰るから」
ベリルは少し黙った後、手元のランタンの灯りを見つめながら口を開いた。
「少し前、サルビアが酷く衰弱したことがあってね。クォーツの獣医さんを訪ね回ったことがあるの」
「うん」
「でも、あたしの素性を知ったら誰も話を聞いてくれなかった。表の人達にとって、やっぱりあたしみたいな人間は煙たい存在なんだって思ったよ」
「……」
「そんな時に偶然出会ったの。……ううん、偶然じゃない。あの人はきっと神様が遣わしてくれた天使だったんだと思う」
「その人が結界を?」
「朝方、こっそり裏庭に連れてきてサルビアを診てもらったの。あの人のおかげでサルビアはすぐに元気になった。魔法陣も描いてくれたし、結界を維持するための宝石までくれたよ」
「ずいぶん気前がいいな」
「近い将来、完全に死神が離れればまた走ることもできるって言ってた。あたしはそれを信じて、ずっとこの子を見守ってるの。宝石の輝きがなくなったらすぐに新しいのと取り換えたり、色々することあって大変」
衰弱したサルビアが元気になったのは、属性魔法の影響じゃないな。
聖職者の奇跡――癒しの奇跡でも使ったのか?
でも、癒しの奇跡で寿命の近づいた生き物を回復させられるなんて聞いたことがないぞ。
「しかし、たまたま出会った女の子にそこまでしてやるなんて酔狂な奴だな。一体何者なんだ?」
「えぇと、確か名前はイ――」
その時、娼館側の扉が開かれた。
壁を伝うツタに隠れていて、裏口があることに気付かなかった。
中から出てきたのは――
「あんた達、こんなとこで何やってるのさ!?」
――アガパンサスだった。
「げっ! 館長!?」
「げっ、じゃないよベリル! お前、物置の掃除はどうしたの!?」
「ごめんなさい! 今やりますっ」
ベリルは青ざめた顔になり、持っていたランタンを俺に渡して娼館の中へと駆け込んでいってしまった。
扉が閉まると、アガパンサスが俺を睨みつけながら歩いてくる。
「裏から話し声が聞こえると聞いて来てみれば、あんた何してんの?」
「そ、それは……」
「どこから入ってきたのさ。裏庭には娼館を通ってでしか入れないはずだよ」
「えぇと……っ」
路地の隙間を縫って入ってきたなんて言ったら、泥棒扱いされそうだな。
「まぁいいさ。リドット様のご同輩だから今回は大目にみてあげる」
「そりゃどうも」
「ただし今回限り。次は、変態覗き魔クソ野郎って名前で手配書回すから」
「……二度としないよ」
この人なら本当にやりそうで怖い。
「で、何しにきたの。リドット様との話なら済んだはずだろう」
「それはそうだけど……」
困ったな。
ベリルにダイヤモンドを渡しにきたなんて、さすがに言えない。
どう言い繕えばこの場を乗り切れるか……。
「何? まさか本当に覗きにきたわけ?」
「ち、違うっ!!」
「じゃあどうしてここにいるのか、納得できる説明をしてくれないかしら」
怒って詰め寄ってくるアガパンサスは思いのほか怖い。
年の功か、圧倒されてしまう凄みがある。
「べ、ベリルがっ」
「ベリルが?」
「犬の様子を診てくれって……っ」
「犬ぅ?」
「さ、サルビア! サルビアの調子が悪いからって、こっそり俺をここまで連れてきたんだよ!」
「……あの子ったら、また勝手なことを……」
勝手に名前を使ってごめん、ベリル。
でも、そのおかげかアガパンサスの表情が緩んだ。
「サルビアか……。まだ生きてたんだね。もうとっくに死んだものと思ってた」
彼女はサルビアの犬小屋を眺めながら言った。
少し引っ掛かる言い方だな。
「あなたが命じて世話させていたのでは?」
「違うよ。昔はここで番犬を飼っていたけどね、傭兵を雇うようになってからはお役御免さ。犬も処分するつもりだったのに、ベリルが世話をするって言うから好きにさせてたのよ」
「番犬か。しかし、どうしてこんなところで……?」
「館の中で飼ってたら犬臭くなるでしょ。見回りさせる時以外では、裏庭で世話していたのよ」
「番犬が娼館の中を警備していたとか、客も縮こまりそうだな」
「当時はフリーの獣使いを雇っていたの。ウチの番犬どももすぐに手懐けられて、おかげで粗相をするお客は減ったわ」
「なぜ番犬を使わなくなったんです?」
「犬を食わすのも馬鹿にならないのよ。十頭の犬に金をかけるより、傭兵を二、三人雇った方が費用対効果も良いってわけ」
「なるほど。経営者は大変だなぁ」
言った瞬間、アガパンサスに睨まれたので俺は慌てて目を逸らした。
「そうね。トロルの件もあって、近頃はますます経営が大変だわ」
彼女は俺からランタンをひったくるや、踵を返した。
「きゃあっ」
「ごはっ!?」
直後、アガパンサスが突然飛び退いてきたので、俺は彼女の後頭部に鼻を打ち付けてしまった。
「ど、どうしたんです……っ」
「ご、ごめん。ちょっと驚いただけ」
アガパンサスが手のひらで何かを払っている。
ランタンに照らされて一瞬だけ見えたのは、ハエの姿だった。
「まったく! そろそろ庭もしっかり掃除しないと虫が湧いて仕方ないわね」
「虫が出るのは仕方ないでしょう」
「そういうのはできるだけ気をつけてるの! お客の入る部屋だって、きっちり清掃して清潔にしてるんだからね!?」
「わ、わかった。怒らないでくださいよ……」
「ちっ。さっさと出ていきなっ」
出ていく前に、布の一枚でも貰いたいな。
頭突きを食らって鼻血が止まらない。
鼻を押さえるさなか、俺はふと思い出したことがあった。
「そうだ。ムシリカの弓と矢筒を渡してもらっていいですか」
「は? あぁ、あれか。あんたが受け取ってどうする気よ」
「あいつと宿が同じなんで、届けてやるんです」
「あっそう。あんなもんウチにあったって仕方ないから、さっさと持ってっとくれよ!」
その後、弓矢を受け取った俺はアガパンサスに娼館から叩き出された。
◇
〈火竜の癒し亭〉に戻ると、入り口で出迎えてくれた従業員が部屋まで案内してくれた。
夜中なので宿のロビーに客の姿はない。
代わりに、傭兵ギルドの連中とすれ違うのみ。
さすがクォーツ一番の宿だけあって、警備は万全のようだ。
「本日はお部屋にてお休みください。明日一番で、本亭の主モリオンが面会を希望しているのですが、いかがでしょうか?」
「町長が面会を?」
町長が話をしたいと言うのなら、拒む理由はない。
きっとアンバー侯爵からの返答があったのだろう。
問題なくダークブルーダイヤを提供してもらえればいいけど……。
「わかった。承諾したことを伝えておいてくれ」
「承知しました」
「……ところで、この宿の風呂には俺も入っていいのかな?」
「もちろんでございます。浴場は深夜帯も解放しておりますが、警備の都合上、一等級溶岩風呂だけは閉鎖されておりますのでご注意ください」
一等級溶岩風呂というと、ダークブルーダイヤが飾られているって浴場か。
どんな宝石かちょっと見ておきたかったけど、仕方ないな。
「後で使わせてもらうよ。ゆっくり風呂に浸かってから眠りたい」
「左様で。では、後ほどお部屋にタオル等一式を届けさせます」
「頼むよ」
話が終わる頃には、ちょうど俺の泊まる部屋にたどり着いた。
俺の部屋は111号室か。
1が三つ並んだ部屋番号を見て、なんだか得をした気分になってしまう。
「お連れ様はこの部屋の両隣にお泊まりになられております」
「わかった。ありがとう」
「では、失礼いたします。おやすみなさいませ」
礼儀正しく頭を垂れると、従業員は廊下を戻っていった。
さすが高級宿だけあって従業員の教育も行き届いているな。
娼館街とは世界が違う感じだ。
俺はさっそく111号室の扉を開いた。
直後、心落ち着くハーブの匂いが鼻まで香ってくる。
三ツ星宿だけあって部屋は広く、大理石の床はピカピカ。
壁には額縁に収められた名画っぽい絵が飾られていて、天井には天使達の絵が彫り込まれたステンドグラスが張り巡らされている。
さらに、四隅に立てられた天使像を模したランプがうっすらと優しい光を放っていて、自然と心身が休まる空気感を演出している。
普通に泊まったら一泊いくらするかもわからない、凄い部屋だ。
……ん?
でも、客が入る前から灯りがついているなんて妙じゃないか?
「遅かったね」
部屋の中央にある真っ白いベッドから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
驚いて視線を向けた先には――
「先に寝ちゃうところだった」
――シーツにくるまっているネフラの姿があった。
しかも、そのシーツの下は……ほとんど裸じゃないか?
「!? ……???…… !?」
俺は混乱して言葉が出なかった。
三部屋用意してもらったのは、俺とネフラとフロスの三人だからだ。
どうしてネフラが俺の部屋にいるんだ?
案内された部屋が間違っていたのか?
でも、両隣には連れが泊まっているって言っていたし……。
どういうことだ……!?
「あの、ジェリカが見つかったの。彼女、隣の部屋で休んでる」
「あ。そ、そうか。ジェリカが見つかったか……」
そうだ。
ネフラとフロスにはジェリカの捜索を頼んでいたんだった。
彼女が見つかったなら、宿に連れてくるのは当然のこと。
ジェリカが宿に来たら人数は四人――三部屋では一人が余ってしまう。
それでネフラが俺の部屋に……。
って、ちょっと待てよ!
どうしてネフラが俺と同じ部屋なんだ?
フロスかジェリカとの相部屋でもいいものを……っ!?
「二人が気を利かせてくれたんだけど……迷惑だったかな?」
ネフラが顔を赤らめながら言った。
入り口からだと聞き取りにくいほど小さい声だった。
……気を利かせてくれたなら仕方がない。
「いや。迷惑だなんてとんでもない」
抱えていたリュックと弓矢を床に放り投げるや、俺は部屋の扉を閉めた。




